石乙散文 冷たい空気から逃げるように、ぷちゃんとお湯の中に入る。少し熱いくらいのお湯は、冷めた身体をじんわりと温めて、ふぅとひとつ息を吐いた。
その直後、後ろから「さむっ」という声が聞こえたかと思えば、すぐ隣でざぶんとお湯が盛大に跳ねた。それは見事に自分の顔にもお湯を浴びせてきて、思わず垂れた前髪を掻き上げた。
「……石流さん」
「はぁ~~~やっぱり風呂はいつの時代でも最高だなぁ~~」
こちらの声掛けに、しかし相手はそんな声を漏らすだけで「もう……」と思いながら顔を逸らした。
すると隣に飛び込んできた彼、石流が「ん?」と何かに気付いたようにこちらを見てきた。
「なんだ?なんか言ったか乙骨?」
「ナンデモナイデス」
それだけ返しながらぼんやりと目の前を見つめ、それから上を見上げた。ここは露天風呂なので、屋根はなく、頭上には星空が広がっていた。乙骨がそれを眺めていれば、石流も同じように見上げていたのか「いい眺めだなぁ~~」と言ってきた。
「……そうですね」
それには乙骨もゆっくりと頷いた。
その日、乙骨は石流と一緒に任務に出て、それが夜まで掛かったこともあってその日は任務先で一泊することになった。そしてその場所は温泉地でもあったので、露天風呂もある旅館に泊まることになったのだ。
その旅館の近くは今回の呪霊騒ぎもあって客足が途絶え気味だったため、宿泊客も少ないようで、今、乙骨と石流がいる露天風呂にも他の客は誰もいなかった。まぁそうでなければ、石流も露天風呂に飛び込むなんて真似はしなかったと思うのだが。
(すごくいいお風呂だし、ご飯も美味しかった。早くお客さんが戻ればいいな)
乙骨がそんなことを考えていると、不意に乙骨の肩に石流の腕が伸びてきて、身体を抱き寄せられた。
「…ん、ちょ……」
そのまま額に唇を押し付けられて、乙骨は慌てて石流の身体を押して離した。
「なに、してんですか…」
「いーだろ、少しくらい」
「でもこんな、誰かに見られるかもしれない場所で…」
乙骨はチラリと室内風呂に繋がる扉の方を見ながらそう言えば、石流はニッと笑って「オマエはな」と言う。
「俺は、オマエと違って非術師の呪力も感知できるから、誰か来れば分かるんだよ」
「……誰か来たら離してくれるんですか?」
「さぁね」
石流は惚けたようにそう言うと、乙骨の後頭部を掴んで更に顔を近づけさせ、ちゅっと唇に口付けてくる。
「んっ…」
上半身がお湯から出てしまってゾクリと身体が震えた。すると石流のもう片方の腕が乙骨の身体を抱き寄せてきて、ピッタリと身体が触れ合えば、石流の身体の熱さが心地よくてたまらなかった。
「…っ、はぁ、ン…んぅ……」
止めさせたいのに、身体は離したくない、身体を離さなければ、キスは止められない。乙骨がその二択に戸惑っている間に、唇の間から石流の舌が入ってきて、口付けを深くされた。
「ふぁ、ン……ふぅ…うン……はぁ、ァ……」
やっと唇を解放されたと思えば、離れた唇から白い糸が引いた。それを石流はペロリと舐め取り、乙骨の濡れた唇にもちゅっと触れるだけのキスを落とした。
「…っ、もう……」
「なんだよ、オマエだってヨかっただろ…」
「場所を考えてして下さいよ……」
そう言いながらも、ぎゅっと石流に抱きついた。暖かくて柔らかな筋肉が心地よくて、どうにも離れがたくて。
「…オマエだって、俺にくっついたまま離れてねぇぞ?」
「誰か来たらすぐ離れるからいいんです」
そう言いながらも、誰も入ってこなければいいと思っている。この人としばらくこうしていたいと思っていた。
「ふーん?」
そんな乙骨の言葉をからかうでもなく、石流はそういうと、そのまま乙骨の頭や身体を撫でてきて、首筋にもちゅっと口付けられた。
「あ」
「…なんですか?」
「オマエここに、さっきの跡、残ったままだそ」
首筋と項の間あたりをペロリと舐められてそう言われ、背筋がぞくりと震える。「やめてください」と言って舐められたところを抑えながら顔をあげれば、石流と目があった。
「オマエさ、跡付けるなって言うくせに、付けられたやつは消したりしないんだな?」
反転ですぐ治せるだろ?なんて言ってくる石流に乙骨はムッとした。
「……こんな見えないところに付けられたら治すに治せないんですよ」
「でも前に、乳首のところに思いっきり歯形付けたときも、自然と消えるまでそのままだったよな?」
ニヤリ笑ってそんなことを言う石流に、乙骨はムッとしながらも視線を逸らした。
「……反転術式は呪力の籠もった傷しか治せないんです」
「じゃあ、今度から呪力を籠めて跡を付けたら消すのかよ?」
「…っ、だから、そもそも跡は付けないでって…」
乙骨がそう言おうとすれば、石流に「違うだろ?」と言葉を遮られた。
「オマエが消したくないだけだって、認めちまえよ」
そしてそう言われたことに、表情を歪めた。
「だって──」
そんなの勿体ない、と言いそうになって、思わず言葉を止めた。それから「そんなわけないです」とだけ返して、石流に背を向けて、ちゃぷりとお湯の中に身体を沈めた。
「素直じゃねぇなぁ」なんて石流に言われたけれど、素直にさせてくれないのはそっちでしょうと思ってしまう。
本当はキスだってされたいししたい、身体を密着させて体温を感じたいしその身体と触れ合いたいとも思う。
だけどここは自分たちの部屋ではなく、誰でも入ってこられる共通の場所で、そんないちゃいちゃしているのを誰かに見られるのはよくないと思うし恥ずかしいとも思う。
だから。
乙骨はチラリと石流の方を見て、ポツリと言った。
「…部屋に戻ったら、覚えといて下さい」
そしてその言葉に、石流もニッと笑って「望むところだ」と返してきた。
「それはそれとして、誰が来るか分からねぇところでこっそりイチャイチャするのもいいよな」
「だからそれはダメですって!」