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    あさい(ぼらけLABO)

    @AsaiKmt

    成人済・腐/邪まな目で見て気ままに文字を書きます。

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    POIPOI 6

    ネットプリントありがとうございます。
    ネットプリントしてくださった方限定のおまけです。
    「赤い糸を捏造します」の尾形視線のお話。少しでもお楽しみいただけると幸いです。

    赤い糸を捏造します/Ogata Side スマホの検索欄、「ゆ」と打ちこんだ瞬間に、サジェストには「指のサイズを測る 方法」と現れる。それもそのはず、ここ一か月ばかり、暇さえあればこの種のワードを検索し続けているものだから、賢いAIはいつしか俺の関心にぴたりと寄り添い出しているというわけだ。今日もまた同じ単語を検索欄に並べる。Searchのボタンをタップして切り替わった画面も、もはやお馴染みになりつつある。画面に出てくるうざったい広告だって、この頃はジュエリーショップだの、ウエディングだのやたら煌びやかで気品漂うものばかりになってきた。これも、「ペアリング」だの、「指輪 シンプル」だのと散々俺が調べたせいだ。
     指輪が欲しい。恋人とペアの指輪だ。そのために、俺は、月島さんの指のサイズを測りたい。恋人の、指のサイズ。左手の薬指のサイズを、正確に、完璧に、知りたいのである。
     指輪が欲しい、と思いついたのに、特別なきっかけみたいなものはない。ふたりして予定のない連休をひたすら家の中でだらだらと過ごして、さすがに一回ぐらいは外に出ようと、住んで二年になるマンションから徒歩三分、行きつけの中華料理屋に閉店間際ギリギリに滑り込み、会話という会話もなく飯を掻き込んだ帰り道に、唐突に思った。忙しなく飲み干したビールのせいで、俺は少し酔っていて、マンションに帰りつく一個前の曲がり角のところで月島さんとキスがしたくなった。だから、腕を引いて、唇をくっつけた。気まぐれに舌を突っ込んだら、月島さんがさっき食べたばかりの肉野菜炒めの味がした。たぶん、月島さんのほうも、俺が食べたばかりの麻婆豆腐の味がしたことだろう。肉野菜炒めもうまいよなぁ、と呑気に思いながら舌を絡めたら、すぐさまそれを軽く噛まれた。至近距離にある月島さんの眉根には皺が寄っていたので、さっさと舌を引っ込めて大袈裟に肩を竦めておいた。
     月島さんの唇は、炒め物にふんだんに使われていたゴマ油と俺の唾液で濡れて、電灯の下、ぬらぬらと光っていた。グロスを塗ったくった女の唇には少しも欲情しないが、月島さんのそのだらしない唇はとても扇情的だった。脂っぽいキスもよかった。月島さんの唾液が混じった中華の味は、満たされたばかりの腹が瞬く間に腹が空くような、そういう不思議な力があった。無性に月島さんを食いたくなった。俺のそういう邪念に気づいたのだろう。月島さんは、舌打ちでもしそうな険しい顔をして、口許を手の甲でぐいと拭った。
    「家まで、待て。馬鹿」
     唇の片側だけを引きあげて笑った月島さんは最高にガラが悪くて、思わず心臓がキュンとなった。拭われた唇だってまだ、うっすらと濡れて光っていたもんから、腹の奥のほうまでキュンと疼いた。つい胸と腹との間に手を置けば、すぐさまそれに月島さんの手が重なってきて、そのまま勢いよく手を引かれた。マンションまで一分も掛からない距離も、マンションのエントランスから部屋までも、月島さんは俺の手を離さずに、ただしょうがねぇなぁというふうに、笑っていた。
     その手に。俺に当たり前に触れてきて、甘やかしてくれる彼の手に。証があったらいいのにな、と思ったのだ。これは俺のだ、という証。この人の手も、この人も、もはや当たり前に俺のなんだから、そういう証がないのがおかしい、とすら思った。多少のアルコールと、連休の終わりの夜にも月島さんと抱き合えることに浮かれた俺の頭にパッと浮かんだこの思いつきは、月島さんでめいっぱい満たされて日付を跨いだ頃にはすっかり、俺の中での決定事項となっていた。

     指輪を贈ろうと思ったのは翌朝のことだ。けたたましい目覚ましに叩き起こされ、月島さんと掠れた声で朝の挨拶を交わしてすぐ、眠たげな顔をこすった彼の手に光る指輪があってほしいと思った。
     俺は案外古風で誠実な男だった。結婚とかいう社会制度に然したる興味はないけれど、彼と一緒の家に住むことになった瞬間から、もしくはもっと前、お互い、いい年をして真っ赤になりながら想いを伝え合ったその瞬間から、この人と共に生きていくのだと決めている。誰が何と言おうが、月島さんの隣を譲る気はさらさらないし、病めるときも健やかなるときも、月島さんの隣に居座り続けてやる所存だ。
     だから、たぶん、指輪があってもなくても俺たちの関係は少しも変わらない。けれど、月島さんのあの、太くて、ゴツゴツとしていて、冬になるとひどく乾燥して皮が剥けてしまうあの指に──そのくせ、「ベタベタするのが嫌だ」という子どもみたいな理由でハンドクリームを付けてくれないから、俺がわざわざ、べたつかなくて、匂いもなくて、パッケージだってシンプルで男でも持ち歩けるハンドクリームを探し出したというのに、それでも結局付けてくれなくて、風呂あがりの彼の手をマッサージがてらクリームを塗り込むのが冬の俺の日課になっている─その無骨な指に、指輪が嵌っているというのは、悪くない。なかなかいい。いや、素直に言おう。そんなの、最高だ。
     指輪を贈ると決めて、残る問題は、俺が彼の指のサイズを知らないということに尽きた。内股にあるほくろの位置とか、硬くてしなやかな彼の身体の中にある柔らかなところとか、口の中の熱さとか。散々触れて、舐めて、知り尽くしたはずの月島さんの指のサイズがわからない。
     その問題を早急に解決すべく、何度もスマホで検索を掛けた。だから、それを知る方法は知り尽くしている。
     方法その一、相手が普段使っている指輪を拝借してサイズを測る。これは無理だ。身に付ける服飾品なんて、時計とネクタイピンがせいぜいで、俺がいつだか渡したカフスボタンなんかも結局は抽斗の奥にしまってしまうような月島さんは、当然、指輪なんて持ってない。
     方法その二、友達に聞く。これも却下だ。俺も月島さんも友達なんてもんは極端に少ない。だいたい、指のサイズを知っている友達なんてこの世にいるのだろうか。数少ない俺の友達だって俺の靴のサイズを知っているかもかなり怪しい。
     方法その三、直接聞く。一番確実な方法である。けれど、却下だ。月島さんは自分の指のサイズなんて知らない。知らない、と思う。自分の指のサイズなんかをあの人がさらっと答えやがったら、それはそれで大問題だ。大変困る。俺が困る。動揺する。普段指輪なんて付けないし、そういうものにとことん興味のない月島さんが自分の指のサイズを知っているということは、すなわち、過去の恋人から指輪を贈られる云々のやりとりがあったということになってしまう。そんなの嫌だ。凹む。ムカつく。めちゃくちゃに傷つく。だから、却下だ。月島さんは自分の指のサイズなんて知らない。知らないはずだ。知らないでいてほしい。大丈夫だ。昔の恋人の陰なんてない。ない、ない。大丈夫。落ち着け、俺。
     ──こういうふうに、既に何十周もした思考の最終結論は、方法その四だ。つまり、こっそりと相手の指のサイズを測るというやつ。
     
     そうと決まればと、次に、指を測るために必要なものについて考えを巡らせた。
     全体的に物が少ない我が家にある「測るもの」と言えば、一緒に住む家を探すときにと月島さんが持ってきた、家具のサイズを測るメジャーぐらいだ。指を当てたら、スパンと切れちまいそうな、よく撓る、あれ。普通、冷蔵庫だとか、洗濯機だとかの置き場を把握するために内見に必要なそれを、月島さんはベッドのサイズを測るのに使おうとしていた。
     そろそろ本格的に、一緒に住む部屋を探そうとしていたいつかの週末、月島さんは買ったばかりのメジャーを伸ばしたり、曲げたり、縮めたりという手遊びをしながら、俺が弄るパソコンの画面を見ていた。
     これまでバラバラにそれぞれ好き勝手に暮らしてきた者同士の初めての同棲では、お互いの個室を確保するのがセオリーだと思っていたから、2LDKの部屋を探していた。お互い荷物は多くないし、個室はそう広くなくてもいい。お互い社畜で家にいるのは夜中が多いし、採光だって妥協できる。そういうふうに、諸々の条件を突き合わせて、それなりに新しくて、駅からもまぁまぁ近くて、風呂の広い物件をピックアップして画面に表示すると、メジャーを弄る音が止まった。首を捻って後ろの月島さんを見遣れば、彼は鼻の付け根に皺を寄せて、難しい顔をしていた。
    「部屋、狭くないか」
    「……こんなもんでしょう。ベッドと机ぐらいは置けるでしょうし」
    「この広さで、キングサイズって入るもんか?」
     一人暮らしの俺たちは、それぞれシングルベッドを使っていた。お互いの家に泊まるときは、シングルベッドを軋ませて無理矢理一緒に眠ったり、さすがに狭いと諦めて、フローリングに布団を二つ並べて隣り合って眠ったりしていた。
     だから、それを言われたとき、引っ越しを機に、ベッドを買い替えるつもりなのだろうと思った。確かに、月島さんが長年使っていたあのベッドはスプリングがだいぶ痛んでいた。というか、痛めつけた原因に心当たりがありすぎた。思わず笑ってしまった俺に、月島さんは眉根を寄せて、思いきり唇を尖らせた。
    「だって、そのほうがいいだろ。二人で寝るんだし」
     拗ねたみたいな口調でそう言った月島さんに、俺はしばらく放心していて、じわじわと染まっていく彼の耳介をまじまじと見た。
     一緒に過ごす週末に、狭いベッドでくっついて眠るのが好きだった。布団を並べて隣で眠るのも。俺にとっての週末の特別だった。けれど、これから俺はこの人と毎日同じ家で眠るのだ。この人と二人で暮らす。家に帰れば、毎日、この人と会える。そんな当たり前のことに気づくまでに時間が掛かった。これから、一緒に、いつでも、隣で眠れるのだ。そして、彼はそのつもりでいてくれているのだ。自分の顔に血が集まって来るのを感じて、思わず口元を手で覆った。そして、目も伏せた。月島さんの手は、控えめにメジャーを弄り始めていた。月島さんの唇はまだ尖ったままだった。俺は月島さんのその唇にキスをして、身体を抱きしめて、それから、パソコンの検索欄に「キングサイズベッド 何センチ」と打ち込んだ。
     
     今、俺たちの家にあるのはクイーンサイズのベッドだ。キングサイズのほうが広々としているし、不動産屋の目を盗みながらメジャーで測った結果として、月島さん用の、東向きの部屋にキングサイズのベッドを置くことも可能なのだが、あまりに広すぎるベッドは寂しい。嫌だ。そういうふうに駄々を捏ねた俺に、月島さんが「しょうがないなぁ」というふうに折れてくれたので、まぁまぁ広いクイーンサイズのベッドを買うという折衷案が採用されているのだ。
     こういうふうに内見でひっそりと、だが、確実に活躍したメジャーは、今、俺の部屋の机の抽斗の奥で眠っている。ただ、あのメジャーで指のサイズを測るのはさすがに無理だ。万が一にも月島さんの指を傷つけたくはないし、だいたい、あれはそういう繊細なサイズを測るのには向いていない。それに、メジャーというやつは、シュルシュルと音がして、ひっそりと何かを測るのには向いていない気がする。寝込みを襲って、素早く、静かに撤収。これが今回の作戦の成功の秘訣だ。ならば、音がしなくて、指にそっと巻きつけられるものがベスト。つまり、糸だ。針に通すあれよりは太さがあって、扱いやすいもの。月島さんの指に巻きつけるのだから、できるだけソフトなものがいい。
     そんなことを考えながら、会社帰りに、手芸屋というところに初めて足を踏み入れた。入口近くのワゴンがあった。「冬のあったかコーナー」と銘打たれたそこを何ともなしに一瞥して、入店して三分と経たずにレジに向かう俺の手には毛玉があった。赤色の毛玉だ。それを選んだのは、たまたまだ。あたたかそうに見えたし、色がきれいだった。糸の太さもちょうどよかった。決して、運命の赤い糸云々なんてくだらないことを考えたわけじゃないので、そこは誤解をしないでほしい。運命なんてクソくらえだ。俺は、俺の手で月島さんを掴んで離さない。地の果てまでしがみつく気が満々である。ただ、俺の手で彼の指に赤い糸を巻きつけるのはオツだとは思った。控えめに言って、悪くない。もっと率直に言おう。とてもとても気分がいい。
     
     それから、入念なシミュレーションを重ねて、決行にふさわしい日を選んだつもりだった。
     決行は、金曜日の夜。その予定は、俺のその週のどんな仕事の予定よりも重大な任務として俺の心のスケジュール帳に刻まれていた。休みの前の日、月島さんはいつもより一缶多く発泡酒を飲む。一週間の仕事の疲れもあって、早めにベッドに引きあげる。月島さんは馬鹿みたいに寝つきがいいから、彼が寝室に入って一時間後ぐらいに行動を起こせば、彼が起きることもないだろう。月島さんはひとりで眠るとき、でかいベッドのど真ん中で、仰向けになり、大の字に手足を伸ばして眠る。そのせいで折角のクイーンサイズも、彼が先に眠った日は、どうにか隙間に身体を捻じ込めるぐらいに窮屈になる。そうやって狭さに耐えて眠り込み、迎えた翌朝、いつの間にか月島さんが俺の腕の中にいることがある。俺が月島さんの腕の中にいることもある。シングルサイズでもお釣りが来るぐらいにくっついて起きた朝の目覚めは、叫び出したいぐらいにくすぐったくて仕方がない。
    「俺、少し、仕事、残っとるんで。先に寝といてください」
     そう、スムーズに嘘をついて、自室に引きあげ、三十分後に部屋の扉を慎重に押し開けた。廊下の先にあるリビングの光は消えていて、廊下の向かいにある月島さんの部屋の電気も消えていた。逸る気持ちを押さえて、更に三十分、自分の部屋でただじっとしていた。落ち着かなかった。遠足にワクワクするような可愛らしい子ども時代を持ち合わせていないけれど、たぶん、この気持ちはそれだ。ワクワクして、ドキドキしていた。自分の心というやつがそんな朗らかな高鳴りを覚えることに慣れなくて、無性にそわそわともしていた。
     一分、一分を指折り数えるようにして、時計の針が半回転したところで、もう一度部屋の扉を慎重に押し開ける。寝間着代わりのスウェットの右ポケットにはペンを、右手には一メートルばかりの長さに切った赤色の毛糸を持った。そこまでは本当に完璧な手筈だったのだ。
     慎重に寝室のドアノブを押しさげた。扉を開け、閉める音が鳴ってはまずいと、少しの隙間を開けたまま、暗闇でじっと立って目を慣らした。月島さんの寝息に耳を預けながら、光の落ちた部屋の中、ベッドの位置がはっきりと見えるぐらいになってようやく、摺り足でそちらに向かった。
     月島さんは予想どおり、ベッドの真ん中で大の字になっていた。だから、左手が放り出されている側に近寄って、ベッドサイドに、細心の注意を払ってしゃがみ込んだ。軽く膝が鳴ってビクとして、中腰で固まった。澄ました耳に変わらぬ月島さんの寝息が聞こえてほっと息を吐いた。そうやって、床に膝を付け、一度、二度と深呼吸をしてから、俺はそっと月島さんの手に触れた。
     ごつごつした手の甲。小指と薬指、中指までを掬うように持ち上げて指の間に毛糸を通す。触れた指の腹は少しかさついていた。
     つい最近までの暑さが嘘のように急激に気温が下がって、早々と冬が先走り始めている、この頃。寒さに耐えかねて毛布の導入を提案した俺と、まだブランケットでいけると真顔で宣う月島さんとの妥協案として、羽毛布団が導入されてから二週間ほどが経つ。寒さに強い月島さんは、乾燥には普通に弱い。先週末に今年用のハンドクリームを渡したのに、いつもの如く使っていないのだろう。そろそろ、風呂あがりの月島さんを捕まえて、クリームを塗り込む季節なのだ。付き合い出してから続くこれはもう俺の冬の風物詩で、重ねた歳月みたいなもんに思いを馳せると、なかなか感慨深い。俺がひとりの人間とこんなにきちんと、何度も季節を共にすることになるなんて、この人と知り合うまで想像もつかなかった。本当にすごいことだ。月島さんを湯たんぽにして眠る冬の夜、冷えた足先を月島さんの脚に絡めると、彼は面倒くさそうにため息を吐きながらも俺の好きなようにさせてくれる。だから、彼と一緒に暮らすようになってから、俺は冬の夜だって、そんなに嫌いじゃなくなった。
     しみじみ、俺は月島さんが好きなのだ。指輪なんて重たいものを贈りつけてやろうとするぐらいに。この人のここに俺以外の証があるなんて許せないぐらいに。自分にこんな感情が備わっていることも、俺は月島さんと出逢って初めて知った。
     気づけば、彼の指を長いこと撫でていた。指輪を通すことになる薬指は特に重点的に、指の根元から先まで、中を通る骨と肉の感覚を確かめていた。それがいけなかったのだ。
     俺の指の先で、月島さんの指がピクリと動いた。当然、俺もビクリと肩を聳やかした。心臓がバクバクと鳴って、うるさくてたまらなかった。もぞりと月島さんが身じろいだ瞬間には、俺の心臓のうるささは最高潮に達していて、跳ね回り過ぎたそいつが喉から飛び出るんじゃないかと思った。起きないでくれと祈るように月島さんの目のあたりを見ていて、俺の期待もむなしく、その瞼がゆっくりと押しあがったときは、あやうく悲鳴を上げそうだった。
    「寝てていいですよ」
     声がふらついた。月島さんの目はまだうとうととしていて、ぼんやりと俺を見ていたから、祈るように、あやすように布団を叩いた。けれど、全体的に無理だった。月島さんの目は俺が毛糸を巻きつけた自分の手のほうに流れて、俺の手で遮っても意味はなかった。
     そこからは開き直ったというより、もうやけくそだった。とりあえず指のサイズを測ろうと必死だった。月島さんは案外大人しく俺に毛糸を巻かれるままになっていて、自分の心臓の音だけが馬鹿みたいにうるさかったことだけはよく覚えている。毛糸にペンで印をつけた頃には、糸は俺の手の汗に湿って、ふわふわした手触りだって台無しである。
     月島さんは、結局、最後まで寝ぼけていたのだと思う。何で、どうして、とわかりきったことを訊いてきて、そのどれもに俺をからかうような調子もなくて、本気で俺の奇行が理解できないというふうだった。
     確かに、奇行かもしれない。夜中に恋人の指に毛糸を巻きつける所業。だが、普通、わかるだろ。左手の薬指のサイズが必要になる物なんて、どう考えたって指輪ぐらいしかない。しかも、ぴったりとサイズのあった指輪だ。意味があって、大切で、特別で、そういう指輪だ。
    「贈りたいからです。指輪。そんで、したいです。あんたと、結婚みたいなもん」
     ここまで破れかぶれの告白というのも滅多にお目に掛からんだろうなぁと思いながら口を動かす。ある意味、ものすごくサプライズではある。サプライズがあるだろうなぁ、なんて予想もつかないという意味では、正真正銘のサプライズだ。俺にとっても想定外なのだから。本当なら、夜景の見えるレストランとか。せめて、ちょっと小奇麗な、家の近所の個室居酒屋とか。若しくは、二人きりでちょっと豪勢に過ごす休日のいい感じの夜とか。もう少しふさわしいシチュエーションは山ほどあった。指輪を渡すための場所もプランも、これからきちんと調べるつもりだったのだ。だのに結局、布団の中で、俺は月島さんの手を握っていた。月島さんは目を開いたまま動かなかった。驚いた顔が珍しい。月島さんの反応がないまま、しばらくの時間が経って、俺のほうは急に不安に襲われる。
     もしかしたら、重たいと、思っているかもしれない。面倒くさいと呆れているのかもしれない。そういう、甘ったるいことも、普通の男女の恋人がやるようなことも、この人は嫌いかもしれない。嫌かもしれない。どんどん指先が冷たくなっていって、喉が詰まった。
    「お嫌ですか」
     俺の声に、月島さんの瞼がピクリと動いた。顔を見ていられなくて目を泳がす。返事が怖い。でも、嫌なわけあってたまるか、とも思う。月島さんは俺のことが好きで、大切で、誰よりも俺を甘やかしてくれて、傍にいてくれる人で。ぐるぐると頭が回って、頭に熱が籠った。熱を散らすように頭を振れば、すっとそこに、もう一つの熱が重なってきた。
     月島さんの手だ。額から頭のてっぺんに掛けて、慣れた手つきで動いたそれ。目の前には、月島さんの顔があった。とびきり優しく目元を緩めた月島さんの顔。悪ガキみたいな、ガラの悪い顔も素敵だけれども、この、まろやかで柔らかくて、見ているだけで腹の底がぬくぬくとする彼の顔に、肩の力が一気に抜ける。
     嫌なわけなねぇよな、と思う。ないですよね。ないです。うん。ないに決まっている。
     途端に俺は有頂天になる。すぐ傍にあった月島さんにキスをして、ほっぺたをくっつけて、じゃれつく。月島さんはされるがまま、俺の頭を撫で続けてくれた。
     赤い毛糸が視界でゆらゆらと揺れた。その端を摘まんで、自分の指に繋いでみる。運命の赤い糸、ってやつを俺と月島さんの薬指の間に繋げる。馬鹿げている。馬鹿げていて、くだらなくて、なんだかとても愛おしい。   
     そのまま、眠ってしまって、気づけば朝だった。目覚ましの鳴らない土曜日の朝。快晴なのがカーテン越しからでも嫌でもわかる。廊下に続く扉を開けたままだったから少し部屋が肌寒い。けれど、腕の中にある月島さんの身体はぽかぽかと暖かい。一度起きてもすぐに、眠気を誘われる体温に、うつらうつらとしながら、ぎゅうとその身体に抱きついていると、ふ、と頭の上で声がした。ちらと目線を上げれば、月島さんと目が合う。
     月島さんはふんわりと笑った──ように見えた。細くなった目、うっすらとカーブを描いた唇。それは、次の瞬間大きな欠伸に塗り替えられる。白い歯が覗いて、喉の奥までよく見える。むにゃむにゃと眠たげに目を擦った月島さんの手にはまだ毛糸が繋がったままだ。俺の手にも当然、それが繋がっている。
     月島さんはもう一度小さな欠伸をして、それから、俺のほうを見て、ふたりの間を緩く伝う毛糸を見て、また、俺を見た。
     赤い毛糸。指に巻きついたそれは寝汗を吸ってか、キシキシとしている。
    「今日、」
    「うん?」
    「チャーシュー作ろう。タコ糸、あっただろ」
     起き抜けでそう言われて、つい固まってしまう。
     俺は指輪を贈りたいと言った。大変に不格好で、願わくばやり直しをしたいぐらいのプロポーズをした。そして、まだその返事を貰っていない。焦る俺の心を置き去りに、頭の中では、じゃあ、今日は豚バラブロックを買いに行かなきゃならんなぁ、と考えが巡る。ちぐはぐだ。
    「ああ。それと、指輪。買いに行こう。今日でも、明日でも、いつでも」
     月島さんの腕が伸びてきて、頭をぽんぽんと撫ぜられる。ふわりと笑った月島さんは、もう一度くあ、と欠伸をして、そう言えば、というふうに「おはよう」とやたら晴れやかな声で言った。 


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    あさい(ぼらけLABO)

    MOURNING一風変わったふーぞく店のキャストogtとその客のtksmさんの話。を、書こうとしていて尾月になるまで続かないのでそっと供養。
    寝たいから、声を聞かせて バイトの時給は一万円だった。普通に考えて、高い。そして、冷静に考えれば胡散臭い。Q2とかで有名なテレクラの「テレ」じゃないバージョン。と、入店面接に際して店長から胸を張って説明されたが、ジェネレーションギャップがえぐすぎて理解不能だった。神妙な顔で勤務条件についてやり取りをし、早々にシフトを埋めた帰りの電車で「テレクラ」をスマホで調べてなるほどな、と思った。
    「お待ちしてました。ご指名いただいた『百』です」
     要するに、俺のバイト先は、客に声だけを提供するニッチな風俗店なのである。
     プレイルームは店舗型のデリヘルと大きく変わるところはない。客が変わるごとにシーツと枕カバーを取り換えるだけのシングルベッドと、14インチの小さいテレビと折り畳み式の安っぽいローテーブル。そして、シャワールームがワンセットになった小部屋で客にサービスをする。普通のデリヘルと違うところと言えば、シングルベッドの頭側の壁一面がマジックミラーになっていて、その奥に俺たちキャストが適宜座って声をお届けするという、独特な仕様が取られていることくらいだろう。接触が不能であることを重視するなら、デリヘルよりも覗き部屋(これも、店長が言っていた。例えがいちいち古いのだ)と言うほうが形態としては近いのかもしれない。
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