それは雫のように ほっとした瞬間、ハングマンの視界がぐらついた。周囲の音が聞こえなくなって、代わりに自分の鼓動だけが耳に大きく響いて、今いるこの場が現実なのか分からなくなった。
本当に自分は二人を救えたのか? もう手遅れで、何もできず自分も撃墜されて死ぬ間際に都合のいい夢を見ているんじゃないか? そんな疑問がハングマンの思考を支配する。
そのうち歓喜に湧くデッキにいるのが耐えられなくなり、悟られないように人混みを抜けた。一人になると少し冷静になって、現実と悪夢の区別がつくようになってくる。それでも身体の震えが止まらなかった。
ハングマンにとってこんなことは初めてだった。危険な任務はこれまでもあったしパイロットとして命の危機に瀕したこともあった。きっと今までのハングマンであればこんな状態にはならなかっただろう。しかしマーヴェリックに教えられる中で知ってしまった。パイロットとしての生き様だけでなく、チームが、仲間がどういうものなのか。そしてそれを失う恐怖も。
「ハングマン」
後ろから唐突に声を掛けられて、ハングマンは驚きつつ何とか表情を整えて振り返った。震えの目立つ手は後ろに隠して、声の主……ボブと対峙する。
ハングマンとしては完璧にやり過ごせるはずだった。ボブが戻ったらもう少し気持ちを落ちつかせてから自分も戻るつもりでいた。しかしボブはそんなハングマンを抱き締め、礼をいい、隠していた恐怖に寄り添い、慰めた。
語りかけるボブの声の優しさに、触れ合っている身体の温かさに目頭が熱くなって、けれど涙なんて流したくなくてボブの肩に顔を埋める。
「大丈夫だよ、君はやり遂げたんだ。ハングマンのおかげで僕達はこうして笑っていられる。……ありがとう、みんなの心も救ってくれて」
ボブの言葉に、ハングマンはやっと自分がちゃんと二人を救えたのだと実感できた。いつの間にか手の震えも止まって、気がついたらボブの身体をそっと抱き締め返していた。
「……僕は戻るね。君も少ししたら戻っておいでよ。みんなも待ってるよ」
どちらともなく自然に身体が離れると、ボブは手の震えのことも涙の跡にも触れずに笑顔で声を掛けて去っていった。手に残る温もりに感じたことのない気持ちが湧き上がってくる。
ハングマンは空を駆けることができるなら周りはどうでも良かった。だから言いたいことは言い、有利と判断すれば僚機を見捨てることだってあった。気に入られようと入られまいと関係なく選ばれる自信があり、それに見合うだけの力量もあった。そんな態度だから人付き合いは狭く、友人と呼べるのは珍しく気があったコヨーテだけ。そのコヨーテにすらこんな風に心のうちを悟られたり気遣われるなんてことは滅多になかった。
だからボブが自分に見せた優しさが理解できなかった。年下の、軍人とは思えないあどけない顔のベイビー。見た目に反して口は意外と悪いが、WSOとしては優秀で、からかうか他愛無い言葉をいくつか交わすだけのチームメイト。
『ありがとう、ハングマン』
その単なるチームメイトの声と笑顔が頭から離れない。
ハングマンはしばらくボブが去っていた方向を見つめて佇んでいた。