ルマランド新刊サンプル・ブラッドリー・ブラッドショー
コールサインは〝ルースター〟。
ノースアイランドでトップガンの教官をしている。
恋人のピート・ミッチェルと暮らしている。
色々な意味で恋人から目が離せない。
・ピート・ミッチェル
コールサインは〝マーヴェリック〟。(現在は退役)
趣味が高じて車とバイクの整備士免許を取得し、修理店で働いている。
恋人のブラッドリー・ブラッドショーと暮らしている。
日々色々な意味で恋人の重みを実感している。
※連続した日々の記録ではなく、二人のある一日を気の向くままに集めたもの、という設定です。
※上記の二人の設定は筆者の趣味です。上記の設定がなくても読み進められるものになっていますので、あまり気にし過ぎずゆるくお楽しみいただければ幸いです。
+月△日×曜日
マーヴが家のどこかへ行ったまま戻ってこない。すぐに戻ってくると思って、コーヒーを二杯淹れてしまった。このままソファでごろ寝して待っていてもいいのだけど、結局マーヴのことが気になって探してしまう。
「マーヴ? どこに──」
寝室を覗くと、マーヴはベッドの端に座っていた。シーツの上にいくつか本を広げて、自分の膝の上にもハードカバーの重そうな車の技術書を広げて熟読している。
「マーヴ」
呼びかけるとマーヴはすぐに顔を上げた。
「ああ、ブラッドリー……ふふ、表紙を見たらどうしても読みたくなってね」
俺が何か言う前に、マーヴは照れくさそうに自分の状況を説明した。
「勉強家だなあ、マーヴは」
再び膝の上の本に視線を落としたマーヴの横顔がなんとも可愛くて、思わず語尾が弾む。
「良く言えばね」
「ううん、マーヴは誰がどう見ても勉強熱心だよ。マーヴが天才たる所以だよね」
「言い過ぎだ」
マーヴは紙面に視線を固定したまま、隣に腰かけた俺の肩を優しく押した。その口元は綻んでいる。
「コーヒー淹れたんだけど……どうする?」
「おっ、いいね、もう少ししたら戻るよ」
「マーヴの〝もう少し〟って長くなりそう」
「はは、ごめん」
マーヴは軽く笑い、本を閉じようと表紙に手をかけた。俺はその手を制止し、マーヴの額に一つキスをした。
「いいよ、それより俺がこっちにコーヒー持ってくる」
待ってて、と手で示すと、マーヴはわずかに背中を伸ばした。
寝室を出てリビングへ向かう間、照れ隠しのように俺の肩を押したマーヴの手の力を思い出していた。ああやってマーヴに無遠慮に触れられる時、その手が〝ブラッドリー坊や〟に触れているのか、〝ブラッドリー〟のつもりで触れているのかが俺にはよくわかる。さっきの手つきは? 間違いなく後者だった。
「最高だな、俺の生活……」
そう呟きながら、ソファの前のローテーブルに並ぶ二つのマグカップを手にとった。湯気の量は減っていたが、まだカップは温かかった。
寝室のドアは、俺が出て行った時のまま隙間が開いていた。俺はその隙間から声をかける。
「すいませーん」
「はーい」
マーヴは明るい声で返事をした。それからドアが開き、マーヴの視線はマグカップから俺の顔へと移動した。
「どうも、コーヒーをお持ちしました」
「ありがとう、どうぞ中へ」
マーヴは丁寧な所作で部屋の中へと促した。
「お邪魔します」
二人でベッドに腰かけ、俺はマグカップを一つマーヴへ手渡した。マーヴはうやうやしくコーヒーを一口啜った。
「……うん、このコーヒー美味しいですね」
「ありがとうございます、この近くでカフェをやってるんです」
「どうりで」
どちらから始めたかわからない他人ごっこに、お互いが乗り気で参加した。マーヴは笑い出すのを堪えるように、口元を波打たせている。
「今度来てくださいよ、うちの店に」
「ちなみに店の名前は?」
「……〝ルースターズ・コーヒー〟」
マーヴはついに笑い出した。朗らかに、あっけらかんと。
「そのまんまだな」
「他にある?」
「いや、いい名前だよ。実際にあれば絶対に行くだろうね」
楽しそうに笑うマーヴを見て、俺は真剣に検討し始めた。退役後の自分のキャリアについて。コーヒーを淹れる俺と、たまに手伝いに来てくれるマーヴ。雄鶏のマークが目印の、海の近くの小さな店。
「……うん、アリだな……」
不思議そうに首を傾げるマーヴを見つめながら、ようやく自分のコーヒーを啜った。
×月○日△曜日
ふと意識が戻ってくる。自分は今ベッドにいて、眠っていたのだと思い出す。外は真っ暗。隣には同じように眠るブラッドリーが──
「……いない」
この時間にいないということは……。なんとなく彼の居場所には検討がつく。真夜中に目が覚めたブラッドリーが、吸い寄せられるように向かう場所。
「ブラッド」
やっぱりここか。ブラッドリーはキッチンで微かな物音を立てながら、開けっぱなしの棚の前で何かをつまみ食いしていた。暗闇の中、目を凝らして彼の手元を見ると、彼はその手のひらを僕に向けた。
「マーヴ……言わないで、わかってるから」
ブラッドリーは僕が言葉を継ぐ前に制止した。
「言わせてくれよ、君が今何をしているのか」
「……ポップコーン食べてる」
「〝夜中なのに〟が抜けてるぞ」
ブラッドリーは僕の代わりに自分の置かれた状況を説明したが、案の定都合の悪い部分は省略した。
「君は気づいていなかったかもしれないが、その軽妙な咀嚼音は廊下まで聞こえてきたぞ」
「わざわざポップコーンを選んだのに? まさかバレるなんて……」
ブラッドリーは悔しそうな口ぶりでポップコーンを二つ手に取った。
「バレたくないなら、せめてアイスクリームを選ぶべきだったね。咀嚼音が出ないから、スプーンとアイスさえ取れたらあとは静かだ。さらに使い捨てのスプーンを使えば洗う必要がないからなおよし、だよ」
「マーヴ、そんな助言までくれるなんて優しすぎない?」
言いながら彼は手の中の二つのポップコーンを自分の口へと放り込んだ。
「やるなら徹底してほしいだけだよ」
「マーヴってたまによくわからないプロ意識発揮するよね」
ブラッドリーの手は止まることなくポップコーンを口へと運び続け、時々思い出したように僕にいくつか差し出した。そして僕はそれをすべて断る。
「まあ、夜食するのは君の勝手だよ」
「〝君の勝手だ〟って最近よく言うよね」
「君の望み通り、大人扱いしているんだよ。君の行動には君の責任が伴う」
〝坊やじゃないのに〟って君が何度も言うものだから、さすがの僕だって学んだよ。
「それに、たまの夜食なら影響ないだろうし」
あくびを噛み殺しながら言い終えると、ブラッドリーは小さな声で笑った。
「ならマーヴも食べればいいのに。一回の夜食くらい平気だよ」
彼は眉を上下させて僕を見つめた。悪いが僕はぐっすり眠っていたんだ。それなのに突然目が覚めた。まるでブラッドリーが背徳的な行為に手を染めているのを、神様か、あるいは雲の上で僕たちを見守っている誰かが僕に教えようとしてくれているかのように。だけどもうブラッドリーのしていたことはよくわかった。僕はまだ眠い。
「僕はベッドに戻るよ」
「ええ? やだ」
僕を引き留めようとするブラッドリーの手を、我ながら華麗な動きでかわした。
「ほら、君も行くよ。明日だって仕事だろ? ぐっすり眠らないと」
「いい、俺はもう少し起きとく……」
そう言いながらも、ブラッドリーの目は気の抜けた様子でぼんやりとしている。まったく……。
「じゃあ……君と一緒に寝たいって、僕が言ったら?」
ブラッドリーは動きを止め、こちらを見つめた。口まで運び損ねたポップコーンが、ばらばらとカウンターへとこぼれ落ちていく。
「……寝る、寝る寝る、寝る、寝る」
「ははっ、うるさいよブラッド」
ブラッドリーはカウンターに落ちたポップコーンをかき集めて口に運び、飛びつくように慌てて僕の肩を抱いてつむじにキスをした。
やっぱり、彼を飛びつかせるのは簡単だ。……簡単だけど、果たしてこの振る舞いも〝大人扱い〟に含まれるのかどうかには、疑問が残る。なぜなら、彼の慌てた顔はまさにあの頃と同じだったから。
△月×日○曜日
陽が傾き、空が淡いオレンジ色に染まる頃。帰宅してすぐ、一通のメッセージがスマートフォンの画面を照らす。仕事終わりのブラッドリーからだ。〝外で待ち合わせて夕飯食べない?〟メッセージの最後にはカトラリーと皿の絵文字。すぐに返信をした。ブラッドリーも待ち構えていたようにもう一通、メッセージを送信する。〝それじゃあ、三十分後に〟
「さて……」
どうしようか。今さらながら、同棲する恋人と外で待ち合わせをすることに少し不思議な感覚を覚える。外で会うことはあるけれど、最近では一緒に支度をして、二人揃って家を出ることの方が慣れていた。しかし今は、彼の意見も聞けないまま着替えを済ませなければならない。
「普段と同じでいいよな……?」
行き先はごく普通の、気負わないカジュアルなレストランだ。張り切ったり気を遣ったりするような店ではない。だけどなんだか心がふわふわと浮かんでいくような心地がする。朝から顔を合わせていなかった恋人と外で再会するのは妙な気分だ。
「もしかして、これってデートなのか?」
……いやいや。ブラッドリーはただ自分の食事に誘ってくれただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。二人での生活にも慣れ始めたというのに、わざわざデートだなんてたいそうなことを思っているのは僕だけだろう。あまり考えすぎるなよ、マーヴェリック。
結局いつもと変わらない、Tシャツとジーンズで外に出た。まだ空は少し明るく、サングラスが日の入り時間の眩しさを和らげてくれる。
「マーヴ」
ブラッドリーはレストランの近くのベンチから手を振った。手を挙げて返すと、彼は嬉しそうな笑顔でもう一度僕を呼んだ。
「お待たせ、ブラッドリー。今日もお疲れ様」
「来てくれてありがと」
ブラッドリーは僕の額に軽くキスをした後、じっと僕の顔や全身を眺めた。
「あー……何を着ようか色々迷ったんだけど、結局いつもと同じ格好にしてしまったよ」
「ふふ、似合ってるよ」ブラッドリーは僕の腕に手を滑らせた。「でもまだ半袖は寒くない?」
「大丈夫だよ、お気遣いありがとう」
僕が答えると、ブラッドリーは堪えきれない様子で微笑んだ。
「な、なんだ? どうした」
「外で待ち合わせるのも悪くないな、って思って」
「いつも一緒に家を出るからね」
そうそう、とブラッドリーが頷く。
「なんかこれって、付き合ってるみたい」
「僕たち付き合ってるだろ?」
彼を見上げると、その逞しい左腕が僕の身体に回された。肩を抱かれたのを合図に、二人並んで目的のレストランへと歩き始めた。
「まあ、付き合ってるけどさ、なんかこう……初々しさ、みたいな? そういうの、マーヴも感じない?」
なるほど。初々しさ。
「ねえマーヴ、これってデートだよね?」
ブラッドリーが輝く両目で僕を見つめた時、ようやく理解した。彼も僕と同じように、浮ついた心で恋人と顔を合わせる瞬間を待っていたのだ。なんだ、ブラッドリーも僕と同じくらい、たいそうなことを考えていたんじゃないか。
「ああそうだね、デートだね」
「しかも同じ家に帰れるんだ……! これ以上最高なことってある」
「ブラッドリー、僕たちまだ合流したばかりだよ」
まだレストランにさえ辿り着いていない。思わず吹き出してしまったが、ブラッドリーの言葉は暖炉の火のように胸に温かい光を灯した。
「……そうか、もう君に別れの言葉を言わなくていいのか」
「マーヴ、今何か言った?」
「ううん、何でもないよ」
そう?と笑うブラッドリーを見て、僕はもうこの子に〝またね〟の挨拶も次に会う約束もしたくない、と確信した。
〝そろそろ帰ろうか〟―そんな言葉で終わるデートでなければ。
△月×日○曜日
家にいたマーヴを外食に誘うと、返事はすぐに届いた。文面からも乗り気だとわかった。〝いいね、何が食べたい? 行きたい店はある?〟文末には笑顔の絵文字がついていた。いつもはせいぜいエクスクラメーションマークか、親指を立てる絵文字しか送ってこないのに。
先に待ち合わせ場所のベンチに座ってマーヴを待っていることにした。時間を潰せる場所を探したけれど、どこにいてもなぜだか落ち着かなかったからだ。
「これぞデートって感じ……」
自分の思考が頭の中を駆け巡り、忙しなく何かを呟き続ける。
「あ〜クソ緊張する……! なんで緊張してんだよ……!」
本当に、なぜ今さらこんなに緊張する必要があるんだ? 外で待ち合わせるのが久々だから? 毎日顔を合わせているのに。
「同棲する前って、どんな顔でマーヴのこと待ってたっけ…」
俺が独り言を呟くたび、隣に座る人間が入れ替わっていく。俺は不審者じゃないんだけどな。
最後に隣に座った中年女性が立ち去った時、ようやくマーヴが通行人の間を縫って現れた。
「マーヴ」
手を振ると、マーヴも手を挙げて応えた。ジャストサイズの白いTシャツ(少しタイトな気がするのは俺が心配性だからだろうか)と、濃いブルーのストレートジーンズ。いつもの柔らかい笑顔と、夕日に輝く髪。
「遅れてすまない、どんな服を着ようか迷ってしまって……」
マーヴは俯きがちに、俺の腰の辺りを見つめて小さな声で説明した。〝三十分後に〟と約束したが、マーヴが来たのは三十五分後だった。そんなの遅れたうちに入らない。特に、俺のために準備に時間をかけてくれたのなら。
「ふふ、似合ってる。でもまだ半袖は寒くない?」
マーヴは大丈夫だよ、と俺を見上げて微笑んだ。
それから俺はマーヴの肩を抱き、上機嫌にディナーデートへと繰り出した。そう、これは正真正銘のデートだ。
レストランは客で賑わっていたが、ちょうど空席ができたところだった。二人揃って席に着くと、店員が本日のスペシャルメニューを説明した。〝スペシャル〟という単語に弱い大人二人は、声を揃えてスペシャルメニューを注文した。
「ねえ、これからも時々外で待ち合わせしない?」
「そうだね、僕からも誘っていいかな?」
「もちろん」
それぞれ赤ワインと炭酸水が注がれたグラスで乾杯すると、マーヴは俺がグラスに口をつけるのを嬉しそうに見届けた。
「マーヴ、一つ聞きたいんだけど」
「どうした? 僕に答えられることなら」
「俺ってさ、待ち合わせの時どんな顔してた? まだ一緒に住んでなかった頃」
マーヴは俺と目を合わせながら数回瞬きした後、視線を少しずらし俺の胸元をじっと見つめて考え込んだ。
「君が? うーん、そうだなあ……いつもきょろきょろ周りを見渡して僕を探してくれたし、僕に気がつくと花が咲いたように笑顔になるんだ」
そう答えるマーヴの周りにも花が咲いた。こちらが照れくさくなるような、満面の笑顔。
「へえ……そう……」
「上官に怒られたことや、休みを合わせる苦労なんかは、君の笑顔を見ればすべて忘れてしまったよ」
「ああ、ふうん……」
上手い返事が見つからない。俺ってそんなに浮かれていたのか。ということは、今日のこの待ち合わせも……?
「今日も君は僕を探して、真っ先に手を振ってくれただろう? 以前と全く同じように、嬉しそうな顔で」
「……そう?」
「君は何も変わっていないんだな、って実感したよ。もちろん良い意味でね。半年ぶりであろうが半日ぶりであろうが、いつでも君は僕を喜んで迎えてくれる」
そうだ。マーヴが外で俺に駆け寄ってくる姿を見る高揚感は、外で会うしかなかった頃と何も変わらない。通行人が横切る中で大好きな人と最初に目が合う瞬間の幸せに、これからも慣れることはない。
「……なんか今日暑くない?」
どんなにマーヴの言葉を噛み締めても、こんな時に口をついて出るのは気の利かない言葉。マーヴは俺の心中を察してか、声をあげて笑った。
「顔が赤いね、ここを出たら夜風に当たって少し歩こうか」