無くした物は「今日の試合中、少しトラブルがありまして。ダンデ君、君の更衣室ロッカーの中身が荒らされたんですよ」
ショックを受けないようにだろうか、委員長からことさら優しく目線を自分に合わせながら伝えられた内容は、申し訳無いが最初は上手く理解できずに首を傾げてしまった。
「荒らされ…?」
「うーん、簡単にいうと君というチャンピオンの持ち物が欲しくて荷物を盗もうとしたって事だよ」
「それは大変だ!」
慌てて駆け出そうとしたダンデの肩を押さえながら「大丈夫、犯人は捕まえているからね」と言われてその場に留まる。
「ちょっと嫌かもしれないけれど、荷物がちゃんと全部揃っているか、無事なのか今から確認してもらうよ。無いものがあったら直ぐに警察の方に伝えてね。本当なら私も立ち会いたいんだけど……」
チラッと横にいるオリーブに目配せをするローズに対して、彼女は静かに首を横に振った。どうやらタイムオーバーらしい。
「俺は大丈夫です!直ぐに確認して来ます!」
「すみませんね。こらこらそっちじゃありませんよ。スタッフに案内してもらうんだよ」
ダンデのマイペースと方向音痴振りを知っているローズは、最近話す時にダンデの肩に手を置くことが増えた。多分飛び出すのを止めるためだろう。その手はそのままに、近くのスタッフを呼んでダンデを案内する手筈を整える。
この時ダンデはまだ12歳。生まれ故郷のハロンタウンでは事件というものは殆どなく、荷物を荒らされるという事がどういう事なのか想像も付かなかった。
「これは……」
簡易的に引いたであろうシートの上に『恐らく』自分のであったろう荷物が並べられている。
「チャンピオンダンデ。こんなことになってショックでしょうが、説明をしますね」
まだ子どものダンデを気遣ってか、優しそうな小太りの男性の警官と、同じように女性警察官が待っていた。説明をしてくれるのはどうやら女性の方らしい。眉を下げながら説明された内容は、ダンデにとってはよく分からない内容だった。
簡単に言うと、犯人はダンデの私物が欲しかったらしい。しかし、計画は乱雑そのもので、自分の手提げバッグにダンデの荷物を押し込んでいる所を係員に見つかり、逃げる時に警備員のポケモン技をそのバッグで受け止めた挙句、証拠を消そうとしたのか逃げる途中、あろうことかスタジアム内のゴミ箱に入れたのだという。
シートに並んでいる荷物は破れたり焦げたりと散々なものであった。母親が送ってくれた最近のホップの写真は、大事にリーグカードケースに入れていたのだが、ケースがひしゃげていて中を見ることができない。タオルや帽子の予備からはベタベタとした甘い香りが漂っており、ジュースの飲み残しの中に落とされたことが想像できた。
「……ははっ、この技を撃ったポケモンは凄い力を持ってるな!会えたら是非バトルがしてみたいぜ。荷物は、ぼろぼろだけど一応全部あ……あっ!」
乾いた笑いとともに強がりを言いつつ、手帳の中を検分していたダンデが急に大声をあげたので周りで見守っていた大人達が彼に近づく。
「どうしました」
「あっいや、その…この手帳に挟んでいた筈の封筒が……」
「どんなものですか?」
「えっとその、白い封筒で、サイズは手のひらくらいで、えっと」
ダンデはなんとか説明をしようとしているが、最後は声が尻すぼみになっていく。警察官が続きを促すが、暫く話すのをやめたダンデはその後直ぐにパッと顔を上げる。
「いや、そういえばあれは昨日自分の部屋に置いたんだった!ごめんなさい大丈夫です」
「…そうですか。荷物、こんな風になってしまっていますがどうしますか?犯人が触ってしまっていますし、嫌であれば私達の方で処分もできますが」
「うーん、大事な物は無事とは言えないけれど、揃ってはいます。帽子とタオルだけは洗濯して使いたいです。ただ…他のものはちょっと嫌かも」
「それじゃあ、その二つは袋に入れてお戻ししますね。それ以外はお任せください。この後、なんだか気持ちが変だとか、辛いとかあったら直ぐにご相談くださいね」
本当に気の毒に思ってくれているんだろう。心からの心配の言葉にダンデは感謝の言葉を返し、スタッフから袋に入った持ち物を預かり、タクシー乗り場までの付き添いをするというスタッフの申し出を丁寧に断って関係者口から外に出る。
「……」
「ばきゅあ」
スタジアムを出た時には茜色だった空は、とっぷりと更けている。家に帰らないのかと、道案内する気満々の相棒が声を掛けるが、ダンデは道端のベンチに帽子を深くかぶって座り、黙り込んだままだった。
「燃えちゃったのかな…それともゴミと混ざっちゃったのかな…どう思う、リザードン」
「…きゅ?」
首を傾げる相棒に力無く笑いかけながらその首筋を撫でると、何かしら感じ取ったのかダンデの顔に擦り寄って来る。それだけでささくれだった心が少しだけ癒される。
本当は、大事な物が消えていた。
封筒は部屋になど置いて来ていない。本当は手帳の中に今日もしっかりと挟み込んだ。筈だった。
「今日が大事な試合の日だからって持ってこなきゃ良かったぜ」
実は、封筒の中にはキバナからの手紙が入っている。いや、手紙だとダンデが勝手に思っている物が入っていた。ニ度目の防衛戦後、いつもどんな試合の後も彼は握手の時に「次こそ勝つ」と睨みながら伝えてくれたが、何も言わずにコートから去って行った時に、「他のトレーナーと同じように俺にもう挑戦してくれないかもしれない」と静かにショックを受けていた。でも、その考えは戻って来た控え室の光景で吹き飛んだ。
ダンデのロッカーに「次こそ勝つ!」と大学ノートの切れ端にリーグ備品のマジックで殴り書きされたものが貼り付けられていたのだ。ご丁寧に隅に小さくキバナのサインまで書いてあった。
この行為はキバナにしてみればなんとも無いような戯れだったかもしれないが、ダンデにとってはとても心救われた出来事だった。
ダンデは『ガラルのみんなと強くなる』を目的にしてただひたすらに走り続けてきた。その道に後悔があるかと言われれば、無いとハッキリ言える。辛いことも多かったが、その倍以上楽しいこともあった。それでも時折。楽しいはずのバトルの後、誰もいない伽藍とした更衣室に戻ると言いようのない気持ちに襲われることがある。自分は何か大きな間違いをしていないか。誰かをまた立ち直れ無いような絶望の中に振り落としてしまったのでは無いか。そんな時にこの手紙を開き、眺めるのが心の支えとなっていた。
たった一言だけの手紙とも言えないような紙切れだが、ダンデにとってはこの一言こそが希望であり渇望している熱だった。誰も彼もが自分とのバトルから背を向けていき、「良い思い出でした」と諦めた顔をして握手を求めてきたり、こちらが握手を求めても涙を流しながら憎しみを込めた顔で見つめられたりした時。
心に溜まっていく澱んだ気持ちが、この手紙を読む度に打ち消されていく。
それくらい大事な物だったのだ。でも、あの場で「小さな封筒に入ったノートの切れ端を探して欲しい」なんてチャンピオンとしてのダンデは言い出せなかった。ボロボロになってはいたが、シートの上には丁寧に探してくれたのであろう自分の荷物が並べられていた。燃えたものや破損してる物の破片もきっちり集めて並べてくれていた。それがどれだけ大変なことなのか流石に子どもであっても分かっている。それをもう一度探してくれなんて言えなかった。
ぐっと目に力を込めてはいるが、悲しさと虚しさのあまり視界が歪む。
ぼたぼたと膝に置いた手の甲に雫が落ちるが、拭き取る気持ちにもならなかった。リザードンが舐め取ろうと必死になってくれるのが感触で分かったがどうにも動けない。咽び声をあげながら泣き出しそうになったその時、ダンデの上から聞き馴染みのある声が降って来た。
「何してんの」
何故かそこにはキバナがいた。
「……」
「なんで泣いてんの」
答えずに俯いたままのダンデにもう一度声をかける。
「……大事な、物を無くしてしまって」
「どんな物」
今更だろうが泣いている姿を見られたくなくて、俯いたままポツリと言葉を返す。
「いや、…笑ってしまうような物だから…もう良いんだ」
「キバナはどんな物でも笑わない。言ってみなよ」
その言葉に嘘はない。なぜかそう信じられるような声色だった。その声色がきっかけで気づいたらダンデは声を出して泣きながら事の顛末を話していた。しゃくりあげながらなんとか紡がれる言葉だったが、キバナは先ほどの言葉の通り、笑いもせず、馬鹿にもせず何度も頷きながら聞いてくれた。
「ダンデ、騙されたと思って手を出してみなよ。」
「……ズビッ…っ手?」
もう泣き疲れてヘロヘロだったダンデは言われるがまま片手をキバナに向けて出す。その手のひらにカサリと音を立てながら何かが乗せられる。
無くしたと思っていた封筒だった。
「っ!な、なん?!」
「あははっ!やっぱり驚いてる!」
「なんでこれが。確かにあの時」
「ダンデ、嘘つくのが下手なんだよ。お前の様子がおかしかったって警察官やスタッフが心配してさ。みんなでゴミ箱もう一度大捜索。」
「そんな……」
「その封筒、お前がいつも試合前に眺めてるやつだろ。大事なんだろ」
「うん」
「見つかって良かったじゃん」
「うん。キミも探してくれたんだろ。オレとの試合で疲れてるだろうにありがとうな」
「いや、別に俺はただ帰ろうとしたらダンデに届けて欲しいって言われただけで」
「そんなに指先を傷だらけにしていう事じゃ無いぜ。膝も黒ずんでる」
「…だっさいじゃんオレさま。ていうかそういうのは気付いても言わないのがマナーだってチャンピオンは習わないのか」
「無いな!」
泣き腫らしてはいるがクシャッと満面の笑みで改めてダンデはお礼を言う。
「それ、いったい何が入ってるんだ」
「これか。何って言われると……なんだろうな」
「はぁ?」
「うーん、そうだな。これはお守りだな。お守り。とっても大切で、未来を約束してくれるお守りなんだぜ」
大切そうに封筒を撫でながら言うダンデに、疑問符を浮かべつつも一応は納得したのか「ふぅーん」と相槌を打つ。
「中身、見たいって言ったら怒る?」
「怒りはしないが…そうだな!君が俺に勝ったら見せるぜ!」
「ふん!じゃあもう直ぐ見れるって事だな!」
次こそ勝つ!
そう拳を握りながら吠えるキバナを見て、込み上げてくる熱い気持ちのままダンデは今度こそ声をあげて笑った。
ーーーー…
「また見てるの」
「ふふっ、なんだ過去の自分にヤキモチか」
「別に」
ダンデがチャンピオンを降りてからもう何年目か。数えるのが億劫になるほどの時が過ぎている。久しぶりに開いたその封筒の中身を広げ、眺めていると背後からニュッと腕が伸びて来て両肩に重みが増える。
「それ、恥ずかしいから見ないでよ」
「嫌だぜ。君からの初めてのラブレターなんだからな」
「もぉー……」
両肩に乗っていた腕がそのままダンでの体に巻き付き、すっぽりと覆い被さるようにして抱きつかれる。落ちてくる髪が首筋をくすぐってくるのがむず痒い。
「キバナ。俺を諦めないでいてくれてありがとう」
そう言うと、一途でヤキモチ焼きのドラゴンはギュッとダンデを抱きしめる力を強めた。