美味しい金貨全体的にくすんだ水色とアイボリーで統一されたキッチンの中。シンプルな黒のVネックセーターにデニムパンツを履いたキバナは、いつもとは違い髪をハーフアップにして結び、腰にはジムのマークの入ったカフェエプロン。エプロンは数年前のファン感謝祭で販売したものだがポケットもついていて重宝している物だ。準備ができたらご機嫌にまずは1枚ロトムに撮ってもらってからコンロ前に立つ。ダンデと一緒に暮らし始めたこの家で特にキバナが拘ったキッチン周りは背の高い自分と恋人に合わせて作られている為、首が痛くならないのが大変よろしい。
キバナが何故、こんな風にキッチンに立っているのかと言えば昨夜まで時間は遡る。
「クリスプス腹いっぱい食べたい。」
時刻はもう夜中と言って良い時間だった。お互いベッドの上で本を読んだりSNSのチェックをしたりして、さて寝ようかなんてベッドサイドのライトを消す間際だったこともあり、キバナは面食らってしまった。
「えっ、今から?」
「なんか、こう。無性に食べたい。」
「あーあるよなそういう時。」
「…。」
「こらこら。もう今日はどこも店閉まってるよ。」
無言で起き上がって何処かへ行こうとするダンデの肩をガッツリ掴み、ベッドに引き戻す。
「いい子に寝たら明日オレさまが作ってやるから。」
「えっ!君そんなことも出来るのか?」
「そんな驚くことか?子どもの頃とかよく作ったりしなかった?」
「うーん。どうだったろう。」
こてんと首を傾げ、記憶の引き出しを漁っているダンデをそのまま布団の中に引き入れてぎゅっと抱きしめてもう眠るよう促すと、暫く塩味が良いだの、揚げたて食べてみたいだのとゴネていたダンデも分け与えられる体温の心地よさに負け、キバナ共々眠りに着いた。
そんなことがあっての昼過ぎ。最初はダンデも手伝いたいと申し出ていたが、正直手つきが危な過ぎるので早々にご退場頂いた。芋の皮じゃなくて自分の手をスライスしそうな手つきのダンデを見ているのはキバナの心臓が持たないので。
大量に薄くスライスされたジャガイモを、氷水をたっぷり入れた大きなボウルに沈める。その間に底の深い鍋へと油を惜しみなく注ぎ、コンロに火を入れる。
火をかけながら、しっかり冷えたジャガイモ達をキッチンペーパーの上に広げて水気を切る。キバナは油跳ねがあまり好きでは無いのでここは手早くも丹念にやっていく。アイツらめっちゃ熱いし怖い。いかくされてるみたいでこちらの攻撃も下がる気がするし。
油がぷくぷくと泡を出してきたらいよいよジャガイモを美味しい黄金のコインへと変える時間がやってきた。網杓子に乗せたジャガイモ達を油の海へと滑らすように次々と投入していくと、シュワワっと小気味良い音と共に油とジャガイモから出る何とも言えない香ばしい香りが鼻をくすぐる。網に当たるイモの感触が固くなってきたら油切り用のバッドへと移すベストタイミング。手早く移してまた次のジャガイモ達を油の中へ。数度繰り返すと、バッドの上は沢山の金貨のようなクリスプスがつやりと油を纏いながら山盛りになっていた。冷めないうちに用意していた古新聞の上に置き直し、ミルを捻って上から塩を振りかける。最後に軽く揺すればシャラシャラとチップス同士が擦れる軽やかな音が響く。
追加で揚げるやつにはスパイスをかけよう。なんて思ってお気に入りの香辛料の入った容器を手に取って、軽く振ってみる。
「あ、スパイス切れてたんだっけ。パントリーに新しいのあったか?」
わざと大きめの声で独り言を言うと、背後の気配達が俄かに色めき立つ。コンロの背後にあるキッチンからリビングに繋がる扉は、キバナがジャガイモを美味しい金貨に変え始めた時からコッソリと腕一つ分開いていた。紫にオレンジ、緑に白。カラフルな泥棒達がキバナが工程一つ終える度にこしょこしょ盛り上がり、先程金貨を揺らした時に最高潮の盛り上がりを見せていた。
その様子を肌で感じながら、キバナは何とか笑いを堪えてキッチン横のパントリーへと足を踏み入れた。
ガチャンと音を立ててパントリーの扉を閉める。
途端に弾かれるようにドタバタとした足音がキッチンに響き渡る。
こら、ひとり一枚ずつだぜ。
わっ!ここで食べたら音でバレるだろう。バルコニーに行こう。
よりによって主犯であろう泥棒の声が丸聞こえである。
こしょこしょとどれが取ってもバレないかなんて相談をし、やがて最初と同じようにドタバタとした足音が遠ざかったかと思えばバルコニーに続くガラス戸を勢いよく動かす音が響いてきた。きっとすぐにウッドデッキの上では宝の山分けが行われることだろう。
もう出て行っても良いはずだが、キバナは今頃満面の笑みでつまみ食いを楽しんでいるであろう泥棒達の様子を想像してしまい、思わず声をあげて笑いそうになる。
10年無敗の完全無敵だと言われていた男が、実はどんな子どもでもやったことがあるだろうつまみ食いや、スナック作りを殆どした事がないなんて誰が想像できるだろうか。そうやって穴だらけな子ども時代の記憶を代わりに埋めるように、他の誰でもない自分と自分のパートナー達が新しい思い出を増やしていけるなら、それは幸せな事だ。そうキバナは思っている。
そんな優越感もあっての笑いは中々治らず、キバナがキッチンから持ってきた「スパイスがたっぷり残っている容器」は、暫く彼が笑いを堪える動きに合わせてサラサラと小気味いい音を立てるのだった。