小さくなった新兵衛は記憶も後退しているらしく、あれだけ好きだった武市先生の事さえも記憶にないらしい。
わしの記憶も、勤王の記憶もない。
況してや、自分が英霊になったと言う記憶すらない新兵衛は不安で泣き出してしまった。
幸か不幸かたまたま見付けたのがわしだったのもあって、新兵衛を落ち着かせる事が出来た。
生前、先生から新兵衛の話はぼんやりではあるが聞いていた。
本当は次男坊で、血の繋がった兄が居た事。
「兄さ、どこ」
ここには居ない兄を探して、泣き出していた新兵衛。
最初は面白がってやろうと思っていたが、本格的に泣き出した新兵衛を放って置く事も出来ずに抱き上げた。
弟にそうしていた様に、不安で泣いている新兵衛を抱いて胸へと引き寄せる。
「おまんの兄やんは、ここに居るき。不安にさせてすまんのぉ」
優しい口調で優しく背中を撫でると、新兵衛の中で落ち着いたのか徐々にではあるが泣き止んでくれた。
しゃくり上げながら、わしを見つめる新兵衛の頬を撫でる。
「だい?」
「わしか?わしは、以蔵じゃ。おまんの兄やんに頼まれておまんの面倒見る事になったき」
「兄さ、来てくるっ?」
それは無理な約束ではあるが、今の新兵衛には必要な嘘だろう。
「あぁ。迎えに来るき。それまで、わしが相手しちゃる」
まだ不安気ではあったが、新兵衛はわしの事を信用したのかこくりと頷いた。
後でマスターに事情を説明して、新兵衛の事を言えばダヴィンチから一時的な霊基異常だと言われた。
「その内治るから、それまで面倒見ててもらえないかな。君に随分懐いているみたいだし」
「ごめんね、以蔵さん」
「まぁ、わしが最後まで面倒は見るき」
わしの袴を掴んだまま離れない新兵衛を見下ろし、妥当な判断ではあるから仕方がない。
それに、マスターはマスターで忙しい。
他に適任は居るだろうが、当の新兵衛がわしから離れるのを嫌がるっている。
「診断も終わったき。新兵衛、マスターにばいばいし」
新兵衛を抱き上げて、肩に乗せてやりながらマスター達に手を振ってから部屋を出た。
高くなった視線に新兵衛が、楽しそうな声を上げているのを聞きながらこの後どうするかを考える。
取り敢えず、新兵衛を遊ばせて寝かせてから酒でも飲むかと考えた矢先に会ってはいけない人物に会ってしまった。
「げっ、武市」
「以蔵……そのややは?」
立ち止まったわしに、新兵衛が不思議そうに肩を足で叩く。
大して痛くはないが、今の新兵衛の状況を説明するのが一番面倒な人間に頭が痛くなる。
視線は完全に新兵衛に向いているし、新兵衛も武市を見ているに決まっている。
「今は急いでるき!じゃ!」
ここは何としてでも切り抜けて、龍馬と二人で武市に説明するしかない。
頭の悪いわし一人で、武市先生を納得させる説明はなかった。
一番悩ましいのは、新兵衛が武市先生の記憶すらない状況に武市先生が理解出来るかどうかだった。
言っても分からない、態度に出しても分からない。
そんな男が、自分に一番懐いていた義弟が自分を忘れたと知ったらどうなるのだろうか。
「わしも検討つかん。新兵衛、ちゃんと掴まっちょるか!?」
一先ず走り出してしまったが、肩に乗せた新兵衛の状態が心配になり声を掛ける。
新兵衛はわしの頭に掴まったまま、小さく大丈夫と答えた。
それなら安心と思った瞬間、隣から聞き慣れた武市の声が聞こえて思わず声が上がってしまった。
「待て以蔵。そのややは、田中君なのか!?」
「ぎゃああ!何で追い付くんじゃ!?」
「いいから答えろ。それは田中君なのか?」
隣を走る武市を撒こうにも、頭に居る新兵衛に負担がかかるかもしれない。
ここはどうするのが正解なのかと、必死に考えていると食堂から龍馬が出て来たのが見えた。
「龍馬ああああ!!新兵衛受け取れぇええ!!」
「え、以蔵さんと武市さん。って、以蔵さん!!子供投げちゃだめだよ!?」
肩に乗せていた新兵衛を降ろすと、突然の事に新兵衛はきょとんとしていた。
伸びて来た黒い皮の手袋の腕から逃がす様に、龍馬に向かって新兵衛を思いっきり投げる。
龍馬は慌てふためいていたが、そこはお竜が受け止めてくれていた。
「龍馬、これなんだ?」
「うーん、事情は分からないけど、今は逃げた方がいいかも。お竜さん」
「任せろ」
わしの元から居なくなった新兵衛に武市は、龍馬へと視線向ける。
お竜と一緒に廊下を走り去ったのを見送ってから、改めてわしへと視線を向けた。
「それで以蔵。あのややは」
「ちゃんと説明するき。一旦、整理させとーせ」
「分かった。ちゃんと説明をしてくれ。あの田中君の事と私から逃げた事を」
新兵衛の事が気になる武市に、最初に教えるのは霊基異常だなと理解した。