毎日SS8/29「いたっ」
リビングは毎日、モリヒトがこまめに掃除している。踏んで痛いものが落ちているはずはない。
「もうカンシ、何も敷かないで爪切らないでよ」
「終わったら掃除機掛けるから堪忍してや」
軽く謝りながらも、カンシの足の爪がパチン、と音を立てた。
後でモリヒトに告げ口してやろう、と心に決め、ソファに腰を下ろす。
「……次爪切り貸して」
「ええけど、文句言っといて」
「なんか引っ掛けたかなぁ」
ポケットからスマートフォンを出そうとしたら、爪が引っ掛かった。
じっと指先を見る。人差し指の爪が少しだけ欠けていた。
「ほい」
「サンキュ」
カンシから爪切りを受け取り、少し伸びたフリーエッジに刃を挟む。ぱち、と掠れた音と共に、欠けた爪がテーブルに落ちた。
せっかくだから他の爪も全部切ってしまおうと、親指から順番に爪切りを当てる。これも後でまとめて拭き取ればいいだろう。
「このヤスリってさぁ」
「なんや突然」
「使う人いるのかな」
テコ型爪切りの、テコについたヤスリを使っているという話を聞いたことがない。もっとも、人と爪切りの話なんてしたことがないが。
「……ワシは使ったことないな」
「だろ⁉︎なんであるんだろうね、これ」
爪切りをたたみ、スマートフォンを開く。インターネットの検索フォームに爪切りと入力し、表示される画像を見た。
「爪切りってこの形だけじゃないんだ」
ほら、とカンシに検索結果を見せる。
「ほぉー、なんやペンチみたいやな」
「ニッパー型だって」
「これなんて完全にハサミやん」
「赤ちゃん用らしい」
刃物メーカーの説明を下に進む。テコ型にも色々な種類があることを知り、カンシと一緒に感心した。
「そうだ、これの紹介を動画にしようかな」
いいことを思いついた、とカンシを見る。カンシは、思い切り眉を顰め、呆れたように口を開け、ケイゴを二度見した。
「だからその安直な発想やめーや!ハイ爪切りです調べましたって誰が見んねん!」
「えー、駄目かなぁ」
「だいたいな、あのチャンネルおもんないねん」
よっこいしょ、と立ち上がり、掃除機を持ってくる。
自分が爪を切った周りの床に掃除機を掛け始めた。ぱちぱち、と爪を吸い込む音が聞こえる。
「そんなハッキリ言わなくてもよくない⁉︎」
「面白かったら架空の妹にチャンネル乗っ取られへんで」
「ぐぬぬ……」
あ、アカン。カンシがそう思った時にはもう遅かった。
「どうせオレはつまんなくて中身のないサブカルクソ野郎だよ!」
「そこまで言ってへんわ!」
言い過ぎると、拗ねる。子供か!と突っ込みたい気持ちをぐっと堪えた。今の状態では何を言っても火に油だ。
(慰めるのもちゃうよなぁ……もともと変なこと言ったんはコイツやで)
すっかりやさぐれたケイゴを横目に、考えながら掃除機を掛けた。煩いモーター音が沈黙を誤魔化す。
ケイゴは無言のまま、キッチンへ向かった。切った爪を取るついでに、テーブルを拭こうと布巾を取りに行ったのだろう。
(めっちゃ拭くやん……)
ガーガーと掃除機の音を立て続ける。ちらちらとケイゴを見るが、ただテーブルを拭くだけでは飽き足らず、住居用洗剤で乾拭きも始めた。
「……」
「……」
会話はないまま、ひたすらリビングの掃除をする、という構図が出来上がってしまった。どちらかと言えば、カンシはワイワイ人と話す方が好きだ。
黙々とリビングを綺麗にする、という状況に耐えられない。
「あんな、」
「ただいまー!あれ?二人ともどうしたの?」
もう限界だ、と思ったところで、買い物に行ってきたニコとモリヒトが帰ってきた。
「掃除するなんて珍しいな」
「いやぁ、たまにはさ、日頃お世話になってるモリヒトに恩返ししたいなって」
「ケイゴ……」
嘘やん。何を言っとるんやコイツは。ただワシに言い負かされて何も言えなくなって掃除し始めただけやで、ワシもやけど。
思ったことはそのまま口に出た。掃除機を止め、ケイゴの肩を揺する。ケイゴは口を尖らせて拗ねたような表情を見せていたが、気まずさを感じていたのは同じらしい。
「まぁまぁ、二人とも」
「きっかけはどうあれ、掃除するという心がけは素晴らしいぞ」
「普段何もしないからハードルが低くなってるのよ……」
コントのようなやり取りを見ていたニコが、二人を諌める。それにモリヒトが同調しつつもしたり顔で頷いた。
「そろそろミハルくんも起きてくるだろうし、おやつにしましょ」