毎日SS8/13それまで、どうやって人と接してきたのか思い出せない。どこに行っても、スケートという共通点があったし、そのことならすらすらと口が回る。
会話のきっかけを掴めないまま、距離を計れないまま、気付いたら孤立していた。『事故でフィギュアスケートを辞めた元選手のアスリート』というクラスメイトは、腫れ物に過ぎない。
もともと、学校に友人らしい友人はいなかった。ケイゴの周りにいるのは、自分のせいで大怪我をした母親と、会ったことのない、もう一人の自分。
変わりたい、という気持ちはあった。高校は、同級生が少なさそうな場所を選んだ。
競技を辞めてから、髪の毛が伸びた。一度足が遠のけば、美容院に行く勇気も出ない。長い前髪はそのまま、伸びた襟足を染めた。
高校では友達を作る。低く設定した筈のハードルを、なかなか越えられない。当たり前の方法を、忘れてしまった。
そもそも、同じスケートクラブの人間が、友達だったのかもわからない。リンク会ったら挨拶をするだけの関係だ。ケイゴがスケートを辞めてから、連絡が来たことはない。
「まぁ、誰も近寄ってこないよな」
魔女に、鬼に、注目が集まった。実はオレも狼男なんだ、と明かせば話の中に入れただろうか。初対面の人間に、そんなこと言えるはずがない。
小さな頃から、ずっとフィギュアスケートをしていた。それ以外でのコミュニケーションの取り方を、知らない。
もう一人の自分、ウルフはケイゴが出来ないことを簡単にやってのける。劣等感は募る一方だ。
練習がなくなり、放課後の寄り道も自由に出来るようになったのに、いつも一人で下校している。
一人が好きだ、それは事実で、不満はない。ただ、思い描いていた青春を送ることが出来ない現実に溜め息を吐く。
ヘッドフォンの中を大音量で流れるアップテンポの洋楽が、ケイゴを余計に陰鬱な気分にさせる。
なんとなく、家に帰りたくなかった。まっすぐ自宅に向いていた足が、駅ビルの中を進む。欲しい本も、CDもない。その場を消費出来るものなら、なんでも良かった。
興味のない曲を試聴するのに、ヘッドホンを外す。
「真神君」
「わ、」
突然、背後から肩を叩かれ、慌てて振り返った。
「えっと……乙木君?」
「急にすまない。見覚えのある人がいるな、と思ってつい声を掛けてしまった」
「あ、ううん、驚いてゴメン」
手にした試聴用ヘッドホンを棚に戻す。こんなところでクラスメイトに会うとは思わなかった。
(急に話し掛けてくるもんなんだ)
不意に話し掛けられて驚いたことと、自分が覚えられていたことに、心臓がドキドキしている。
「今日は若月さん?一緒じゃないんだ」
いつも一緒にいるニコは、魔女で鬼の幼馴染だ。クラスの中では当然共有されている情報だが、そんなことは興味がない、と装った。ひとことも話したことがないのに、相手の個人情報を把握しているなんて、客観的に見て気持ち悪い。
「ああ、ニコはカンシーーー隣のクラスなんだが、あいつと帰った」
「へぇ」
じっと目を見て喋るモリヒトと目を合わせられず、視線をずらした。どこを見ればいいのかわからない。
モリヒトの方を向いて泳いだ視線が、CDを見つける。
「あっ、それ今日発売の」
「知ってるのか?今日はこれを買いに来たんだ」
「オレもそのアーティスト好き。即配信ダウンロードしたけど、ジャケット良いからシングルも買うか悩んでるんだよね」
そのアーティストは、有名な方ではない。新譜の発売日だからって、平積みに置かれるわけでなく、新譜コーナーに一枚立て掛けられて終わりだ。
「真神君は配信派なのか」
「ジャケが気に入ったのは買うけど、最近は配信が多いかな。日本未発売の曲とか多いし」
なるほど、とモリヒトが相槌を打ち、ちょっと買ってくる、とレジに行った。帰っていいのか、待つべきなのか、距離感がわからないまま、店の出入り口付近でモリヒトを待つ。どちらとも取れる態度だ。
「買い物に来たわけじゃないのか?」
「うん、ちょっと寄り道しただけ」
店から出てきたモリヒトが、きょろきょろと周りを伺っていたから、自分を探していることに気付いた。どういうわけか、胸が熱くなる。
流れで、並んで歩いた。隣に人がいるという状況はいつ以来だろう。
モリヒトは案外話し好きで、先程買ったCDについて熱弁している。
「そんなに言われたらオレもジャケ盤欲しくなるなぁ」
「毎回凝ってるからおすすめだぞ」
「でも今月お小遣いがなぁ……」
先日、ウルフになってしまった時に、想定外にお金を使われてしまった。モリヒトがそこまで言うなら、ジャケットがどうなっているのか知りたかったが、今のケイゴにそんな余裕はない。
また余裕がある時に考えるよ、そう言おうとした。
「じゃあ、これ聴いたら貸すよ」
「えっ、いいの?」
「それで気に入ったら買えばいいし、見るだけならそれでもいい」
「でもそれじゃあ……」
ケイゴからすればこれ以上ない話だが、モリヒトにメリットがない。フェアではないやり取りに、遠慮しようとした。それをモリヒトが遮る。
「初めて好きな人に会ったんだ。ぜひ、語り合いたい」
「あーーーうん、」
初めて、モリヒトを目を合わせた。真っ直ぐにケイゴを見る黒い瞳が、きらりと輝き、吸い込まれそうだ。
(なんだろ、これって)
すごく友達っぽい。そう思ったら、急にどきどきする。高校に入ったら、出来た友達としてみたかったやり取りだ。
「じゃあ……乙木くんがいいなら、貸してもらおうかな」
「聴き込んでからになるから、少し先なるけどそれでもいいか?」
「それはもちろん」
もう一度、モリヒトと目を合わせ、不器用に笑った。
長い前髪は少し邪魔だが、モリヒトを見上げることは出来る。
「あ、オレこっち」
「そうか、オレは反対だ」
いつの間にかビルの入り口まで来ていた。どこに住んでいるのか知らないが、帰る方向は別々だった。
「じゃあ、」
もう少し話したかったな、と後ろ髪を引かれる思いで、挨拶する。モリヒトからしたら、偶然居合わせたクラスメイトとの会話なんて、社交辞令かもしれない。じゃあ、の後に続ける言葉を躊躇った。
「ああ、また明日、学校で」
「う……うん、また明日」
それを、いとも容易くモリヒトは超えてきた。スケートの帰りは『お疲れ』だったから、『また明日』なんて挨拶をしたことがない。
思わず表情が崩れてしまうのは、長い前髪で誤魔化せただろうか。
軽く手を挙げ、挨拶するモリヒトを真似て手を振った。まだ、心臓がどきどきする。