毎日SS8/21 ある名をば 叮嚀に書き
ていねいに 抹殺をして
焼きすてる心(夢野久作・猟奇歌)
「まぁ、そりゃそうだろうな」
「命が惜しくないのか」
付与の魔女が、不敵に笑った。濁った瞳が薄暗く光る。不快な笑みだ。
ケイゴの前に現れた黒魔女が、初めてウルフの前に姿を見せた時、その時の勢いのまま、殺してやろうと思った。小さな蓑虫のような老婆は、ウルフが軽く握るだけで死んでしまうだろう。虫けらのような黒魔女に存在価値があるとは思えなかった。
しかし、ケイゴがこの女と使い魔の契約をしてしまったせいで、黒魔女を殺してしまったら、ケイゴはもちろんウルフも死んでしまう。
「別に、そんなのはどうでもいい」
自分だけが死ぬのは構わない。ウルフがいなくなれば、ケイゴはこんな下らない魔女の諍いに巻き込まれなくて済む。
本当は、ケイゴがこの計画に絡むことも嫌だった。ケイゴ本人が、母の足を治したいと付与の魔女と契約したようだが、ウルフはこの女を何一つ信用していない。万能薬の存在も、疑っている。
「もう用は済んだだろ」
嘲笑うような、キョキョキョ、という声が不快だ。
魔女の契約は絶対である。だから、ウルフはこの小さな老婆に逆らうことは出来ない。
隷属しているとは思えぬ尊大さで、テーブルに肘をついたままスマートフォンを弄る。
付与の魔女と話をする時は、ウルフが交渉の椅子に座っていた。実行犯はウルフ一人だと工作するためだが、それ以上に、不快な黒魔女にケイゴを近付けたくなかった。
「ああ、よろしく頼むよ」
ニタリ、と口元を歪める。本当に不気味で、不快な老婆だ。
ケイゴが決めたことなら、自分の命がどうなっても構わないが、こんな子悪党にケイゴの命をやりたくない。
早くこの場から立ち去りたくて、隠しもせず舌打ちをする。最後にもう一度、付与の魔女は品のない笑みを混ぜ、結界を解いた。
メモを残したスマートフォンをポケットに仕舞う。
そのまま両手をズボンのポケットに突っ込み、薄曇りの夜空を見上げる。細い三日月が、嘲笑うようにウルフを見ていた。
なんのために生きているのか、未だ確信を持てずにいる。狼男としての血は戦闘を求めて疼くが、それで得られるものはいっときの快感だけだ。
ポケットから財布を出し、中に入った学生証を抜く。自分とは全く違う風貌の、冴えない少年が写っていた。
真神圭護。もう一人の、ウルフ。正しくはウルフがケイゴの裏の顔だ。
学生証の名前を撫ぜた。最近は、乙木守仁と仲良くなったらしく、身する度に楽しそうな記憶が流れ込んでくる。
それは構わない。初めてウルフの存在を知った時の混乱を思えば、今は随分と安定した。
元来、ケイゴは人懐こい性格なのだ。教室の片隅で透明になるようなタイプではない。
「……誰か殴って帰るか」
深く溜め息を吐いた。黒魔女と会った後は、毎回嫌な気持ちになる。
財布の中に学生証を戻す。ウルフ、と自称しているのは、ケイゴが自分に与えてくれたものだからだ。
ウルフにとって、真神圭護は自分のことではない。それなのに、体は一つで繋がっている。
今日もまた、何もないふりをしてメモを残した。ウルフが立てた作戦を、逐一真面目に遂行するケイゴが馬鹿馬鹿しくて、いとおしい。
(どうせ無意味だろ)
アスファルトから溢れた小石を蹴った。路側に転がり、すぐに見失う。
ウルフが立てた作戦は完璧だ。鬼がどんなに強くとも、負ける気はしない。今は、まだ見ぬ鬼と闘うことを楽しみにしている。そこに、ケイゴのためという気持ちはない。
そう思うことで、どうにか自分を保っている。
ケイゴが永遠を独占出来るのなら、本当は一緒に死んでしまっても良いと思っていた。