24日ぶんの魔法 今日はクリスマスイブ。おれもヒロくんもオフじゃない。
おれたちはアイドルだから、こういう特別な日こそ仕事のスケジュールがいっぱいで、ゆっくりデートというわけにはいかない。当たり前だけど。
同じベッドで眠ったはずなのに、ヒロくんの姿はおれが起きた時にはもう無かった。多分先に仕事に行ったんだろう。出かける前に、ヒロくんがおれのおでこにキスをしていった気がする。夢か現実か曖昧だけど。
おれはアドベントカレンダーの最後の引き出しを開いて、そこに先にメモが入っているのに気づいた。
12月はおれもヒロくんも仕事が忙しい。家を出る時間や寝る時間が合わなくて、起きている相手に会わない日も時々あった。だからそんな毎日のちょっとした楽しみに、アドベントカレンダーを用意した。
スマホでかわすメッセージや電話とは違う、アナログなやりとりには味があった。毎日、どんないたずらを仕掛けてやろうかとわくわくしながらメモを書いた。時々ヒロくんに先を越されて、ヒロくんからのかわいい仕返しが入っていることもあった。
今日は24日。24個の引き出しが並んだそのカレンダーの、最後の引き出し。なんとなく予感はしていたから、今日はおれは何も用意していなかった。予感のとおりそこにはヒロくんのメモがあったのだ。
『仕事が終わったら待ち合わせをしよう。24日ぶんの幸せを、藍良にお返しするよ』
その日の仕事はバラエティの収録に雑誌のインタビューと撮影、そしてラジオと立て続けだった。特にラジオは生放送のゲストだったから随分遅い時間まで働いた。
おれは急いでラジオ局を出て、ヒロくんから連絡のあったスマホを握りしめる。待ち合わせ場所の住所を検索したら、そこはレストランだった。早く会いたい。もうすぐ日付が変わっちゃう。おれは耳当てつきのニット帽を深めに被って、クリスマスのイルミネーションに彩られた街を歩く。途中、大きなクリスマスツリーの横を通った。周りにはカップルがいっぱいいて、みんな写真を撮っていた。ああ、だからこのあたりは人が多くて歩きづらいんだと思った。ツリーから離れて人の流れをしばらく逆走すると、いくらか歩きやすくなった。
おれたちはアイドルだから、迂闊に人込みの中ではしゃぐ訳にはいかない。本当はおれもヒロくんと、あの大きなクリスマスツリーの下で写真を撮りたいけれど、それは今は無理だろう。
ヒロくんが予約したというレストランは、ビルの中にある展望レストランだった。クリスマスなどのホリデーシーズンのみ深夜まで営業しているらしい。ドレスコードとか大丈夫だろうか。おれはお気に入りのチャコールのロングコートを見下ろす。これは大丈夫そうだけど、ニット帽は子どもっぽい気がしてなんとなく外した。
受付で予約の名前を伝えるとエレベーターに案内された。ビルの中のテナントのほとんどが閉店している時間。BGMもかかっていない、静かすぎる綺麗なロビーを残しておれを乗せたエレベーターが動く。ビルの最上階で停止して扉が開いた。「いらっしゃいませ」とエレベーターの前で待っていた店員さんが声をかけてくれたけれど、おれはそれに答えるのを忘れて呆然とした。
そこは、さっきまでいたロビーとも、賑やかな街のどちらともまったく違う世界が広がっていた。店内は暗く、窓際に間隔を空けて並ぶテーブルの上のランプと、足元を照らす灯りだけが点々とともっていた。
「いらっしゃいませ」
「あ、はい!」
もう一度声をかけてくれた店員さんに返事をすると、予約の名前を聞かれて店内へと案内された。
案内されたのは展望レストランの、エレベーターから見たら奥側。食器の音と、静かにおしゃべりする声が混ざりあう上品な空間を抜けると、個室が並んでいる場所へと出た。
こちらでございます、と案内されるままレースカーテンをくぐると、そこにはテーブル席を中央に置いた小さな部屋があった。窓の側に立っていたヒロくんが振り返る。店員さんが下がると、ヒロくんは笑った。
「お仕事お疲れ様、藍良」
「うん、ヒロくんもお疲れ。……またこんな、高そうなお店予約しちゃって」
「ふふ、特別な日だからね」
そう言って、ヒロくんはおれのコートを預かって掛けてくれた。
ガラスのテーブルに、レースのテーブルランナー。丸いガラスのランプがテーブルの真ん中で煌々としていて、それよりも明るいものは室内には無い。一面の大きな窓ガラスから見える夜景の灯りが室内までほのかに届いている様子がロマンチックだった。いや、雰囲気がありすぎる。ヒロくん、普段節制しているせいかこういう時は思い切りがいい。
「クリスマスというものは、前日と当日のみのイベントだと思っていたのだけれど」
そう言って、ヒロくんが自分の鞄から何かを取り出す。それは、今までおれが毎日アドベントカレンダーに仕掛けていたメモや手紙の数々だった。まとめて見るとちょっと恥ずかしい。それは、毎日あの小さな引き出しに入っているから意味があるものだと思うから。
「藍良のおかげで、今日までの24日間、毎日が特別な日になったよ。ありがとう」
「おれも楽しくてやってたからいいの」
実家に住んでいるときは、毎日アドベントカレンダーを開けるのが楽しみだった。それをヒロくんとも共有したくて、おれたちの住む部屋にも新しいものを買った。ヒロくんノリがいいから毎日何を仕掛けようか考えるのが楽しかった。アドベントカレンダーを口実にしていちゃいちゃも出来た。毎日小さなサプライズがあった。まさか最後にこんな大きなサプライズを返してもらえるなんて。
「藍良、こっちにおいで」
ヒロくんが窓際におれを呼ぶ。並んで窓際に立つと、視界いっぱいに綺麗な夜景が広がった。おれたちが今いる場所よりずっと下に、さっき側を通りかかった大きなクリスマスツリーが見える。
ふと肩を抱き寄せられて、ヒロくんの肩に甘えようとしてはっとする。思わずヒロくんの肩を押し返すと、きょとんとした目とおれの目が合った。っていうかヒロくんが着てるの、この間おそろいで買ったセーターじゃん。おれも今同じグレーのやつ着てるし。今朝ヒロくんが何を着ていったか、確認していなかったとはいえ迂闊すぎる。いや、もうこの際奇跡なのかな。
「もうすぐ料理が運ばれてくるんじゃないの」
店員さんだって、客が窓際で抱き合ってる最中に入りたくないでしょ。静かな部屋を一歩出れば店員さんが歩き回る気配と陶器が軽くぶつかる音がする。個室とはいえ、この状況で触れあうのは恥ずかしいんだけど。
「少しの間は大丈夫。あとでお茶とデザートを持ってきてくれるよう頼んであるんだ」
すぐデザート? と思ったけれどそうだ、もう日付が変わる直前なんだ。おれも夜のラジオの前に夕飯はしっかり食べているし、こんな時間に御馳走は食べられないよね。こんな時間まで、軽食の提供だけでもしてくれるレストランがあって助かった。
それならまあ、と思って改めてヒロくんの肩に頭を乗せようと傾けたら、ヒロくんのほうが先に痺れを切らして抱きしめてきた。お揃いのセーター、同じ手触りの生地。抱きしめあったときに伝わる体温だけが違った。あったかい。
「今日はずっと、この瞬間を楽しみにお仕事を頑張ったんだよ」
「もう、大げさなんだから……」
そう言いつつ、おれだってそうだ。朝、ヒロくんが24日の引き出しに入れてくれたメモを読んだときからずっとドキドキしていた。
学生のころは二人きりで食事をするのにも苦労をしたけれど、最近は一緒の部屋に帰ることも、同じベッドで寝ることも当たり前になっていた。それが特別じゃなくなるのが怖くて、アドベントカレンダーを利用して毎日ちょっとした特別感をこっそり味わっていたのだけれど。今はそんなのがちっぽけな不安だったんだって思える。
ヒロくんにかかれば、何気ない日常も、毎年同じように訪れるクリスマスだってずっと特別になる。思えば同じ時間なんて今まで一つもなかった。ヒロくんはずっとずっと、おれたちの「特別」を更新してくれていたんだ。
「……ありがと、ヒロくん」
「藍良がくれた、素敵な24日間には足りないかもしれないけれど」
ヒロくんはずるい。おれが24日かけて積もらせた魔法を、たった1日で返してくれちゃうんだから。
「充分すぎ」
ヒロくんがぎゅっと抱きしめてくれた。本当はもっと力強く抱きしめたいのに、おれが苦しくないように加減してくれているこの感じが好き。ヒロくんのにおいがするセーターも、ちょっと暑いくらいの体温も、耳元で優しく囁く声も。
「大好き、ヒロくん。来年も再来年もその先もずっと、ずっとずっと、こうして側にいてね」
待ち焦がれていたトクベツな夜を、ヒロくんがもっと素敵にしてくれた。ほんとうに、ずっとヒロくんには敵わないんだろうなって思う。
「もちろん。僕も藍良が大好きだよ」
日付が変わって、外が少しだけ明るくなった。あの大きなクリスマスツリーに特別な演出があったみたい。でも今はもう、そんなの興味ない。
おれは指でヒロくんの輪郭をなぞって、キスをした。
Merry Christmas!
最後までお付き合いありがとうございました!