熱が出た。と珍しく簡素なメッセージが玲王から届いた。昨夜、玲王と一緒に住む部屋を追い出されたばかりなのに。
明確な喧嘩の理由は忘れたが、たぶん玲王の話を聞かずにゲームばかりしてたからだと思う。そんなのもう出会ったときからじゃん。ずっとそのスタイルじゃん、俺。って思ったけど、どうも昨夜の玲王はお気に召さなかったらしい。
思えば、常に寛大な玲王が文句を言う時点で珍しかった。ちょっと具合が悪そうと言えば悪そうで、でもそのときは玲王からの強い言葉にこっちもムキになって返していたから、その違和感に気付かなかった。最終的に、玲王が怖い顔で出ていけなんて言うから、昨夜は仕方なくブルーロック時代に交流を深めていた奴らに連絡を取った。そしたら何が面白いのか、凪が玲王にフラられたみたいだぞ! って話に尾ひれがついて、急遽大衆居酒屋とカラオケでオールしていま。机に突っ伏して寝ていたら、ポケットに入れていた携帯がブーと短く震えた。
『熱が出た』と、たったそれだけ。いつもなら、五月蝿く感じるぐらい言葉を重ねてくるのに。熱が出たから、冷却シートを買って来いだの、薬を買って来いだの、何かあるのに。
「……俺、もう行くね」
酔い潰れているのか、睡魔に負けて突っ伏しているのか分からないが、とりあえず眠りこけているみんなに声を掛けてから個室を出る。一応、机に五千円ぐらい置いといたから足りるんじゃないかな。足りなければ後で何か言われるだろうと思いつつ、外に出てタクシーを捕まえる。
昨日は、暫く玲王の顔を見るのは控えよう。玲王がどうしてもって言うならまた部屋に行こう。……いや、それはちょっと耐えられないから、今夜ぐらいにはそっと戻ろうかな、なんて思っていたのに、その気持ちがいつの間にか消えていた。いまは玲王のことが心配で仕方がないし、一秒でも早く玲王の顔が見たい。
「すみません、ちょっとだけ急いでもらえますか」
常に急ぐということをしない俺が、珍しくこのどうにもならない時間を惜しんでいた。
※※※
「ただいまー……」
案の定、部屋はしんと静まり返っていた。そっと中に入り、寝室を目指す。扉を開ければ、キングサイズのベッドの端がこんもりと膨れていた。気配に気付いたのか、もぞもぞと布団が動く。
「……なんで来たんだよ」
顔の半分だけ出して一言、じとっとした視線を寄越しながら玲王が言う。相変わらず、素直じゃなくて、可愛くなくて、でもそんなところが好きだ。ゆっくりと玲王に近付き、ベッドの縁に腰掛ける。玲王は軽く咳き込むと、ふいっと視線を逸してしまった。
「熱、大丈夫?」
「……触るな」
「触るなはないでしょ。メッセージ送っておいて」
だって、本当に来てほしくなかったらあんなメッセージを送って来ない。だけど、具合の悪さに加え、昨日のこともまだ引っ掛かっているのか、玲王はそっぽを向いたままだ。素直なんだか、素直じゃないんだか、よく分からない。
「邪魔だったら、また出てく」
「そんなことは言ってない」
「じゃあ、どうして欲しいの?」
はっきり言ってほしくて、ついつい責めた口調になる。だけど、玲王は無言のままだった。まだ、昨日のことで怒っているのかもしれない。本当に出て行っちゃったから。
こうなったら、為すすべがない。もう一度家を出て、必要な物でも調達しながら頭を冷やそう。そう思って、ベッドから離れようと腰を浮かせたときだった。スッと血の気のない生白い手が出てきて、俺のパーカーの裾を掴んだ。
「レオ?」
「…………」
反応がない。が、思いの外、強い力で握られていた。どうせ握るなら手の方がいいんだけど。という言葉は飲み込み、されるがままベッドに座った。
※※※
「あ、れ……?」
玲王の傍でうとうとしていたときだった。小さな声が聞こえて、俺の意識も覚醒する。玲王はパチパチと目を瞬かせると、なんで、と呟いた。
「なんで凪がまだいるんだよ?」
「レオが離さないからでしょ」
そう言って視線を落とす。玲王も視線を移すと、ハッとした顔で手を離した。
「わりぃ、無意識だった」
バツが悪そうに呟く玲王の顔は幾分か良くなっている。だが、顔はまだ火照ったままだ。少し、熱が残っているかも。
「ちょ、凪……!?」
「まだちょっと熱いかな」
コツンと互いの額を合せ、玲王の体温と自分の体温を比較する。玲王は慌てた様子で視線を彷徨わせたあと、いろいろと諦めたのか急に静かになった。
「薬、飲んだ方がいいね。あと、なんか食べた方がいいかも」
適当に買ってくるよ。そう言う俺に玲王がふるふると首を振る。ギュッとパーカーの裾を掴まれて、えっ、と気の抜けた声が出た。これは予想外だ。
「どうしたの、レオ」
「…………」
「俺が居ないと寂しい?」
そう尋ねた瞬間、玲王の顔がさらに熱を帯びた気がした。
「……寂しくない」
「じゃあ、この手はなに?」
玲王が悔しそうに下唇を噛む。観念したかのように玲王は目を釣り上げると、ヤケクソだと言わんばかりに声を張り上げた。
「悪いかよ! そりゃあ、心細くもなるわ! 昨日なんて、俺、ひとりでずっと……」
「ごめんね、具合が悪いって気付けなくて」
「……もういい」
お前が戻ってきてくれたから。と玲王が言う。なんだか随分と素直だ。昨夜から今朝にかけて、よっぽど寂しく、心細かったのだろう。今もパーカーを掴む玲王の手には力が籠もっていた。
「もう何処にも行かないから、手、離して」
「ヤダ」
「今度は素直を通り越して、我が儘になったね」
「……嫌?」
「ううん、可愛いけどちょっと困る」
「困る?」
うん。だって、買い物にも行けない。薬もご飯も買えないと訴えれば、そんなのは俺がどうにかすると玲王が言った。さすが御曹司パワーだ。
「でも、どうするの? このままだとご飯も着替えも……お風呂まで、ぜんぶ一緒になっちゃうよ?」
まぁ、俺は別にいいけど。玲王が寂しくならないならそれで。そう言ったら、玲王が困ったような、照れたような顔をしたから、今日は昨日ひとりにさせてしまった分、うんと甘やかしてあげようと思った。