甘い香りが鼻の奥を突いた。ちょっと香水がきつすぎだ。合コンだからって気合いが入りすぎだろう。みんな分かりやすく目の色を変えて、今夜、誰にお持ち帰りされるのかを見定めている。
玲王は、まったく周りと絡もうとしない凪の足をテーブルの下で小突いた。雰囲気が堅いぞーと合図を送ったつもりだったが、当の本人はぼんやりしている。右には今をときめく美人アナウンサー、左には若手実力派女優がいるというのに。どこかでは見たことがあるような、そういう美人や可愛い子を見繕ってきた。今日に至るまで、一切彼女がいたことがないという凪のために。
話は二週間前に遡る。日本代表選手として再び招集された玲王たちは、決起会とは名ばかりの飲み会を開いていた。久々に会った元ブルーロックのメンバーたちも、それぞれの国内外チームで切磋琢磨しており、その活躍っぷりは互いの耳に届いている。初めこそ互いのチームの話で盛り上がっていたが、徐々にプライベートな話になってきた。潔に恋人ができた、千切はこの前喧嘩して停戦中、とか、そういった話をしていたとき、凪がぽつりと言ったのだ。「なんだかみんな楽しそうだね。俺はそういうの、経験したことがないけど」と。
「は? マジで言ってんの?」
「大マジ」
「もう二十歳越えてんのに!?」
えー! っと驚きの声が上がる。周りの驚きにつられて自分も驚いたが、そういえば凪から浮いた話を聞いたことがなかった。
「嘘だろ……?」
「こんなことで嘘ついてどうするのさ」
「だってお前、めちゃくちゃ人気あるじゃん!」
「それとこれとはまた別でしょ」
「えー……、そうか? てか、レオは? なんか知ってるんじゃないのか?」
みんなの視線が一斉にこちらに向く。そんな見られても……と思ったが、何も言えない状況で察したのだろう。「マジかよ……」と驚きと憐れみを入り混ぜたような声で、潔がぽつりと呟いた。
「……なんかムカつく」
「うわっ、ちょ、前髪引っ張るな!」
「そうだぞ、凪ー! レオが見てるぞー」
ハッとして凪がこちらを見る。何もしてませんでしたよ、と言わんばかりの表情でじっと見つめてくる凪にプッと吹き出した。
「レオまで笑うんだ」
「ちげぇよ。お前が取り繕うから」
「レオの前ではいい子ちゃんなんだもんなー?」
「千切、うるさい」
ぴしゃりと言い放って、凪が唇を尖らせる。さすがの凪も気分を害したのだろう。傍から見ていて、ちょっと可哀想になってきた。
「凪に恋愛経験がないとか意外すぎるんだけど」
「そんなにいけないこと?」
「そうじゃねーけど、凪は恋愛に興味ないわけ?」
「興味ないこともないよ。ただ、そういう駆け引き? 的なことは苦手かもしれない」
凪の"興味ないこともないよ"という言葉でピンと閃く。だったら、
「俺が凪のために合コンを開いてやる!」
「は?」
「任せろ、凪! 人集めなら得意だし、最高の合コンをセッティングしてやる!!」
「あ、だったら俺も行きたい」
「オーケー! 頭数に入れるわ」
「だったら俺も」
「じゃあ、俺も」
会話の一部始終を聞いていたのか、他のメンバーからも混ぜて欲しいとお願いされる。一方で、当の本人は「えぇー」と不満の声を漏らしていた。
「じゃあ、決まりな!」
「それ、必ず出なきゃダメ?」
「当たり前だろ! お前のためにやるんだから」
「めんどくさー」
「そういう感じだから恋人できないんだろー」
凪のために開くと言っているのに、当の本人はやる気がないらしく、またもや「めんどくさー……」とぼやいている。そんなんだから彼女ができないんだぞーと笑うと、玲王は凪の頭を小突いた。
◆
だから、あまりにも本人にやる気がないと、こちらとしても困ってしまう。好みのタイプを聞いてもよく分からないというから、質問方式でいろいろ答えさせたのだが、凪の理想はぶっちゃけかなり高かった。可愛さと綺麗さの両方を持ち合わせていて、スラッとしてるけど程よく筋肉もついていて、聡明で媚びなくて明るくて、よく喋って笑う子とかハードルが高すぎる。売れるためだけにプロデュースされたアイドルか何かかよ。だからお前、年齢=彼女いない歴=童貞なんじゃねーの? って思うのだが、生憎自分も夜の経験はないので、あまり大きな声で指摘できない。
とはいえ、交際経験はある。高校までは彼女がいた。だが、それ以降はサッカー漬けの日々だったため、まだ童貞を捨てきれていない。それこそ今夜、気に入った子がいれば適当に捨ててもいいかなーぐらいの気持ちである。
「ごめんなー、みんな。コイツ、恋愛下手らしくてさ」
助け舟を出そうと、凪たちの会話に割って入る。凪たちの会話というよりは、両隣の彼女たちが一方的に凪に話しかけている状態に近いが。
「別に気にしないよ! これから仲良くなるから、ね? 凪くん」
「そーそー。これから知っていけばいいし」
「俺は別に仲良くなりたくないけど」
「…………」
「……………………」
ダメだ、完全に場の空気が二度下がった。凪は気付いていないかもしれないが、女のコたちの表情が凍り付いている。玲王は無理やり口角を上げると、「これは凪なりの照れ隠しだから! 緊張してんだよ、コイツ」とフォローを入れた。
「そ、そっか。びっくりしちゃった」
「誰だって緊張するもんね」
「そうそう。なぁ、凪、ちょっとトイレ行って作戦会議しようぜ。な?」
「なにそれー! 作戦会議って!」
「ほら、最終的にはひとりしか選べないじゃん?」
「もー、変なこと言わないでよー!」
楽しそうに女のコたちが笑う。とにかく、なんとか誤魔化せた。別にトイレなんて行きたくないけど、という凪を無理やり引っ張ってトイレへ連れて行く。
「……お前さぁ」
「なに? っていうか、トイレもすごいね。ここの小窓からも夜景が見えるじゃん」
「そりゃまぁ、合コンだって言ってんのに、適当なところは選べねぇだろ」
それに一応、参加者は全員有名人だ。だから、プライバシーがある程度は保たれる、半個室のイタリアンレストランを選んだ。味もさることながら、立地もよく、レストランが入っている飲食フロアより上はホテルにもなっている。つまり、文字通り持ち帰ることも可能なのだ。そんな"いかにも"な場所を凪のために選んだというのに、当の本人は会話に参加しようともしない。せっかく、凪のためにセッティングしたのに。
「ほら、これ渡しておくから」
凪の胸にカードキーを押し付ける。何これ? と凪が首を傾げた。
「この上にあるホテルのカードキー」
これで誰か誘えよな、と、なかなか受け取ろうとしない凪にカードキーを握らせる。凪はしげしげとカードキーを見つめると、深い溜息をついた。
「レオはさ、本当にあの中の誰かと俺がくっついたら嬉しいわけ?」
「は? なんだよ、その質問……」
「マジであの中の誰かを抱いて、付き合っても良いのかって聞いてんの」
何故か凪は怒っている。というか、その質問をこちらにぶつける意味が分からない。けど、
「答えてよ」
ずいっと迫ってくる凪に、どうどうと胸を押し返す。確かに、恋愛の押し付けはよくない。それに、あの中の誰かと凪が付き合うところを想像するとちょっとモヤる。
「まぁ、お前がそうしたいなら止めねぇけど……」
「けど?」
「正直、今日はじめましての奴にお前のこと渡したくねーなとは思う。話を聞いてると、お前の見てくれとか人気とかお金のことにしか興味なさそうじゃん。売り込みに必死なのか、自分のことばっかり喋ってたし。それに、お前に気に入られたくて作ってきた可愛さだろうから、どうせそのうち化けの皮も剥がれるだろ。何より、俺の方がお前の良さを知ってる。お前の世話をできるのは俺だけだし、お前のことをサッカーで満足させられるのも俺だけ」
「うん」
「俺以上に凪のことを大切にして、満たしてやれる奴じゃないと無理」
「そっか」
凪の雰囲気や表情が和らぐ。急に体を引き寄せられたと思ったら、あろうことか渡したばかりのカードキーを胸に押し付けられた。
「じゃあ、このカードキーはレオに渡すね」
「は……?」
「さっきからさ、レオの話を聞いてると、俺のことが好きだって聞こえるんだけど」
「ハァ!?」
自分の声が反響する。コイツ、なに言ってんだ!? と口をパクパクさせたが、凪は「そうだよね?」と強引に同意を求めてきた。
「俺もね、可愛くて綺麗で、抱き心地よくて、頭も良くて、媚びなくて明るくて、よく喋って笑う子が好き」
「それ……」
「俺さ、今に限らず、最初からずーっとレオのこと口説いてたんだけど」
なかなかカードキーを握ろうとしないせいだろうか。トントンと顎先にカードキーを押し当てられる。
どうしよう、心臓がおかしな音を立て始める。なぜだか、凪がキラキラして見える。こうして凪に言われるまで気付かなかったけど、もしかしてこの感情は――
ごくりと喉を鳴らして凪を見る。考えるよりも先に、右手がカードキーに伸びた。
「だからさ、もしオーケーだったらこのカードキー、受け取ってくれない?」