愛の罠を仕掛けましょう四年の空白を経て地下牢で再会した俺と太宰は、四年間の空白等無かったのでないかと思うほど何時も通りだった。お互いを罵りあい、挑発しながら心の探り合い。
お決まりの流れを一通り済ませ、俺は地下牢を後にするため太宰に背を向けようとした。
太宰はそんな俺の腕を掴み自身の方へ引き寄せると優しく抱きしめてきた。
相変わらず、消毒液の匂いがする。
「中也、逢いたかったよ。中也も私に逢いたかったでしょ?ねぇ…また恋人に戻ろうよ」
俺の頬に手を添え優しく撫でながら微笑む太宰。
「…いや、戻るわけねぇだろ」
俺の言葉に目を見開き驚く太宰……いやいや、何で此処で俺が頷くと思ったのだろうか。
四年前、恋人である俺に何も告げずに姿を消し四年もの間、連絡一つ寄越さなかったのに。
───
結局あの後、俺は『手前を信用出来ねぇ』と太宰に一言投げてその場を去った。太宰は…追い掛けて来なかった。
中也は拠点の廊下を歩きながらあの日の事を思い出していた。そして師である紅葉の執務室前にて立ち止まる。
……此処に来たは良いが、本当にこの選択でいいのか?
少し不安が残るも、中也は執務室の扉に近付いた。
コンコン
中也は執務室の扉を叩音し、中にいるであろう紅葉に声を掛けた。
「姐さん、中原です」
『中也かえ?入って良いぞ』
「失礼します」
紅葉の許しを聞くと中也は扉を引き一礼し入室した。
「その様な困った顔して、どうしたのじゃ?」
長椅子に腰掛けてゆったりお茶を飲んでいた紅葉は、部屋に入ってきた中也の顔を見るなり口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「実は…その。ちょっと相談があって…」
歯切れ悪く言葉を落として行く中也に紅葉はクスクス小さく笑うと、中也に椅子に座る様促した。
中也が促されるまま椅子に座ると紅葉は満足そうに頷き、中也へ差出す珈琲を用意してきた部下に「ありがとう。悪いが少し席を外してくれるかえ?」と退室を命じた。
「……何かすみません」
「何を言うておる、中也が私に相談なんぞ持ちかけてくるなんぞ余程の事じゃ。時間はどうにでもなる。申してみよ」
紅葉の優しい言葉に中也も肩の力を抜いた。
「あの…実は俺……昔太宰と付き合ってて」
「うむ」
「……驚かないんですか?」
「ふふっ、お主らは隠してるつもりだったのじゃろうが皆気付いておったわ」
「……マジですか」
中也は過去を振り返り、首領や姐さんが『太宰とは仲良くしてるか』と妙に絡んで来ることがあったなと思い出す……そうか、気付いてたのか。そう考えたら居たたまれなくなり、現実に目を背けたくて少し遠い目をした。
「それで?再会して寄りを戻したのかえ?」
遠い目をしている中也に構わず紅葉は言葉を繋ぐ。
「…あ、いや…その事で相談したくて」
「迷っておるのか?」
迷っている……そう、迷っている。
戻るわけねぇだろ、とは云ったものの戻りたくない訳では無い。否、きっと俺は本心ではヨリを戻したいと思っているのだろう。だが…。何も告げられずある日突然恋人が居なくなった時の心が引き裂かれる様な哀しみと虚無感は未だに俺の心を蝕んでいる。それに、一番信用ならねぇのが太宰の女癖の悪さだ。俺に愛を囁いたその舌が乾かねぇうちに他の女に愛を囁く様な奴だ。勝手に何処か行かなくても『矢張り女の子の方がいいや』なんて云って捨てられたら其れこそ耐えられねぇ。
解ってる。まだ起きてもない事でビビってるなんてらしくない事も。それでも……俺はもう二度と太宰を失う辛さを味わいたくない。だから…。
「迷っています。俺はどうしたら奴を諦められますか」
中也は少し悲しげな笑みで紅葉に問う。
「…ほんにお主らは不器用じゃな」
紅葉はぼそりと言葉を零すと小さく溜息を吐いた。
「え?」
「何でもない。そうじゃのう…要は中也が太宰の童を信用出来れば良いだけじゃろ?」
「そりゃそうですが、それが一番困難だから困ってるんですよ」
「良い良い。私に任せておけば良い」
「姐さん?」
「中也、私が其方に知恵をやろう。太宰の童に愛の罠を仕掛けるのじゃ」
「愛の罠…ですか」
紅葉の楽しそうな顔とは裏腹に、中也は困惑した顔を覗かせる。
「そうじゃ。誘惑してくる女子に見向きもせずに中也へ愛を向けるならお主も覚悟を決めよ。じゃが、ふらふらと女子の方へ行くようなら、きっぱり諦めよ。まぁ諦めろと云った所でそんな簡単に気持ちは変えられんじゃろうが…そうじゃ、太宰の童が女子に浮気をしたら中也は私が目利きした女子と結婚せよ」
「はあ…ん?結婚!?」
紅葉の言葉に中也は思わず立ち上がってしまう。
「落ち着け中也。そうやって決め事をしておけば中也も諦めがつくじゃろ」
「そりゃ…だがそんなの相手の女の人に悪いですよ」
「私が目を掛けている女子で中也もよく知っている者じゃから安心せよ」
「え?俺が知ってる人ですか?」
「そうじゃ。それは後程教えてやるとして、早速太宰の童の元へ向かわせる女子を用意せねばならぬのう」
「……姐さん、楽しんでませんか?」
鼻歌でも聴こえてきそうな紅葉の姿に中也は不安と呆れとが混ざる、何とも複雑な心情を抱くのであった。
───
「……いた。あの女が姐さんが云ってた女か」
姐さんに相談に行った日の翌日、拠点の廊下を歩いている姐さんに出会した俺は『昨日はすみませんでした』と声を掛けた。俺に気付いた姐さんは『良い良い、太宰の童に色仕掛けする女子はもう手配済みじゃ。彼方から連絡来るのを待っておれ』と云うと忙しいのか早々にその場を去っていった。それから程なくして相手の女から今日色仕掛けを決行すると連絡が入り、現場に訪れたのだが既に女は人通りの多いオープンカフェに座っていた本を読んでいた。俺は女の位置を確認すると近くの喫茶店に入った、そして今に至る。
女は流石姐さんが手配しただけあって、艶やかな長い黒髪に清楚な装いの美人だった。
女は太宰にどうやって接触するのだろうか。
そんな事を考えていたら本を読んでいた女が顔を上げた。その視線の先には──。
「……太宰」
中也は思わず零れ落ちた言葉にハッとし外方を向くと、バツが悪そうに唇を噛み締めた。そしてそろりと女と太宰の方へ視線を向けた。
太宰は紳士的な笑みを女に向けると女の向かいに座った。あまりの自然さに呆気に取られたが太宰は女と面識があるのだろうか。二人は和やかな雰囲気で談笑している。俺はそんな二人を遠くから眺め、あの口の動きは女を口説いているのではないか、テーブルの上に何気なく置かれている太宰の手がその内女の手に重なり指を絡ませるのではないか、そんなモヤリとした気持ちを胸に抱えていた。
それから一時間程して女から何か手紙のような物を受け取った太宰は笑顔で席を立ち、去っていった。
……俺は何をやっているのだろう。
太宰が欲しい癖に捨てられる事にビビって太宰の手を取れずにいるのに、嫉妬ばかりは一人前にしやがる。
……不毛だ。手を取る勇気がねぇならさっさと諦めろよ。
中也は自分の不甲斐なさに悔しさを滲ませ、その場を後にすることも出来ず、唯、拳を強く握りしめていた。
───
『中也、今時間はあるかえ?少し私の所に寄ってくれぬか』
紅葉からの連絡に二つ返事した中也は直ぐ様、紅葉の執務室へ向かった。
扉を叩音し、部屋に入ると紅葉ともう一人、女の姿があった。その女は中也を見て懐かしむ様に「中也」と名を呼んだ。
「麗奈さんじゃねぇか!何で此処に?」
中也もまた、麗奈と呼んだ女を懐かしむ様に見ると満面の笑顔を見せた。
「ふふ、相変わらず元気そうね。でも、うん。良い男になってる」
麗奈の言葉に「ンな事ねぇよ」と少し恥ずかしげに微笑む中也に紅葉が口を開く。
「久しいよのう。中也が十五の時以来じゃからのう」
「はい。マフィンの事、世間の常識、作法。知らない事だらけだった俺を姐さんと麗奈さんが育ててくれたから今の俺がいます」
「懐かしいわ。中也は口は乱暴だけど真面目で優しい子だったものね。今の姿からも変わっていない事が解って私も嬉しいわ」
三人は久々の再会を喜び話に花を咲かせた。
中也がポートマフィアに加入したての頃、紅葉の元へ配属されたが紅葉も幹部として忙しかった為、紅葉の隠密者として紅葉の屋敷に仕えている麗奈の元へ、中也は作法等習いに通っていたのだ。碌な食事をしていなかった中也を度々屋敷に呼んでは一緒に食事をしたりもしていたので麗奈は中也にとって母のような姉の様な存在だった。その関係は中也が十六になりマフィアとして独り立ち出来るまで続いたが、麗奈は隠密者故に屋敷の外で会うことはなかった。
「麗奈さんが変装もしないで外にいるなんて、火急の用件ですか?」