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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    若やまささ+雨緒紀……他
    「痛みと慈しみ」②
    ※雨緒紀の物語・完結編
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に描きました。
    ※名前付きのモブ有。
    ※途中流血・暴力描写あり。

    痛みと慈しみ②  3

     無の領域から意識が浮上した時にまず感じたのは、後頭部で停滞する鈍痛と体の異様な重さだった。起き上がろうと腕に力を込めた長次郎だが、動かすための信号が送られたはずの両腕は後ろで縛られているのか、ぴくりとも反応しなかった。手首に感じた痛みが覚醒しきっていない頭に刺激を送り、気を失う前の背後から誰かに襲われたという情報を記憶の奥から引き出してきたところでここが瀞霊廷でも自室でもないことを察知し、長次郎は床に転がったままそっと目を開く。
     すぐ前に見えたのは色褪せ、ところどころ汚れが目立つ木の壁だった。壁は後方から照らされる明かりのせいで長次郎の影が映し出されており、その濃さと身を包む寒さから夜だと推測することができた。半日近く眠っていたのか。内心で驚きながらも周囲に神経を張り巡らせたところで、明かりの方からいくつもの気配を感じ取った。
    「おい、どうするんだよ。本当に連れてきちまって……もし死神どもがこのガキを連れ戻しに押し寄せてきたら……」
     投げかけられた声は未知への恐怖のせいか震えを帯びていた。即座に山中で一番後ろにいた、あの弱気そうな男の顔が浮かぶ。どうやらここはあの男たちのねぐらのようだ。声の響き具合からそんなに広くない、家というよりも小屋のような場所なのだろうと考えた長次郎は、壁を見つめたまま男たちへと聴覚を集中させる。
    「亀之助、そんな情けねえ声出すなよ。こんなガキ一人に死神をよこすなんて、山本重國がそんな優しい人間なわけねえだろ」
     次に聞こえた声は長次郎に最初に話しかけてきた、あの四角顔の男のものだった。他の男たちが小さく笑い声を上げたことで気を良くしたのか、四角顔の男はわずかばかり弾んだ声で「な、市六さん」と呼びかけた。
    「権兵衛さんが殺された時のこと忘れたのか? 家は血だらけ、首のない死体。あの時の作兵衛はそれはそれは可哀想だったじゃねえか」
     どすの聞いた低い声が耳に流れ込んでくる。その声が記憶の中の右目が潰れた男のものと重なったところで市六と呼ばれた男の口から出た名前に心臓がはねるのを感じた。
     渦楽権兵衛。かつては火付けの権兵衛の名で流魂街において窃盗を繰り返した、作兵衛の父。元柳斎と雨緒紀の手によって粛清された男の名前が今更出てくるということは、この男たちはやはり権兵衛の仲間だった者たちか……?
     返したのは丸顔の男だった。「でも、権兵衛さんも好き勝手やってたしなあ」と、前歯があった場所から息が漏れる音に混じって不明瞭な声が聞こえ、長次郎の推測は確信に変わる。ならば自分をさらった目的は、一体……。
    「だからって、あんな惨たらしい死に方はねえと思うぜ」
     五人目の男が口を開く。先ほど対峙した時には居なかった男の声だった。不満を込めた声に、他の男からも権兵衛の死への鬱屈を滲ませるのを肌で感じたところで、その剣呑さに不釣り合いな情けない声が放り込まれた。亀之助のものだ。
    「あれはきっと、見せしめだ。悪さをするとこうなるぞっていう……そうやって恐怖でおらたちを縛るつもりなんだ、山本重國って男は」
    「あれから仲間は一人二人と抜けていき、残ったのは俺たちだけ。これじゃあろくに盗みもできやしねえ。貴族の子供をさらって金をせびろうにも、その貴族も死神と繋がっている家がほとんど……全く、山本重國も余計なことをしてくれたものだ」
     市六の言葉に頭に血が上ってゆくのを感じた長次郎は、奥歯を強く噛み締めてその衝動をどうにかやり過ごす。
     今は耐えろ。拘束された腕でできることなどたかが知れているし、逃げ切れるという確信もない。機を見て小屋を抜け出し、なんとか瀞霊廷に戻らなければ……。今の私がするべきことは少しでも体力を温存し、万全の状態を導き出すこと。考えながらそっと瞼を下ろし、視界を閉じる。「で、このガキで憂さ晴らしをすると」と意地の悪い声が聞こえたのはその時だった。市六が喉の奥で笑う。 
    「お前らも死神にはむかっ腹が立ってるだろ。そこにひょっこり現れてくれたんだ。痛めつけるもよし、売るもよし。物好きな金持ちもいるって噂もある。このガキ、顔は綺麗だからきっと高値で売れるぞ」
    「そ、そんなことして大丈夫か……?」
     他の男が放つ邪な空気に反し、亀之助の声はいつまで経っても弱々しいものだった。その声は四人にとってもうすっかり聞き慣れたものなのだろう。「大丈夫だって。いざとなったら逃げちまおう。俺たち、逃げるのは得意だろ?」と冗談めかして返した丸顔の声に、周囲からどっと笑い声が上がった。
     陽気な笑いとは裏腹に鬱屈とした澱みが立ち込めるのを感じた長次郎は、そのあまりの冷たさに息を殺して瞼の裏側を見つめることしかできなかった。


     男たちが明かりを消してからどれだけの時間が経ったのかははっきりとしない。立ち込める夜の闇が深くなり、壁の隙間から吹き込む細い風が体の熱を奪ってゆくのを感じながら、長次郎はわずかに首を上げ、背後の様子を窺った。暗さに慣れた目が闇よりも更に黒い影を見つけ出すのは容易なことだった。いびきをかいて寝る男たちが部屋のいたるところに転がっているのを確かめると、長次郎は音を立てないようにそろそろと体を起こした。
     頃合いか。そう自分を奮い立たせて下半身に力を込めると、硬直した筋肉が軋んだ音を立てたような気がした。息を詰めて一歩、二歩と足を動かすたびに筋肉という筋肉がほぐれ、血が通うのを感じながら、長次郎は男たちの間を縫うように進む。丸くなって眠る亀之助の足元を素通りし、丸顔の男の横を通り、部屋の中心に到達する。あと数歩で戸口だ。そこで戸を蹴破って、一目散に逃げよう……ほんのわずかな希望が胸を照らした時だった。がしりと足首を掴まれた長次郎は、肩を大きくびくつかせた。
     全身から汗が噴き出る。何かを考える前に視線を下ろすと、足元の闇には眼球が一つ、浮き上がるようにぎらついていた。この獰悪な目を覚えている。市六のものだ。一瞬で乱された思考に「ガキが逃げるぞ!」という怒鳴り声が差し込まれ、長次郎は軽い恐慌状態に陥った。
    「亀之助、押さえろ!」
     掴まれた足首がぐんと引かれて再び部屋の奥へと押し込まれ、長次郎がよろめき体勢を崩すと追い打ちとばかりに亀之助が飛び掛かかってくる。二人して床になだれ込むと、体の自由が利かないせいか亀之助の細身の体にあっさりと組み伏せられてしまい、なすすべもなくなった。背中からの重みがそのまま胸郭を圧迫し、肺の拡張を妨げ、低い呻きを上げることしかできない長次郎は、無駄とは分かっていながらも体を起こそうと躍起になっていた。
     すると急に視界が明るくなり、長次郎は動きを止めた。誰かが明かりを点けたようだ。光源を背にこちらを見下ろす四つの人影を確かめると、首だけ動かして自分の上にいる人物を見た。亀之助は一瞬のうちに顔に歪めて怯えを露わにし、恐ろしいものを見る目を向けて来た。
    「どこに行くつもりだ」
     挑発するような声が降ってきて、視線を戻す。膝を付いた市六は長次郎の顎を掴んで引き上げると、真正面から目を合わせ、機能している左目で品定めするように眺めていた。
    「山本重國のところに戻る気か? 随分とまあ義理堅いこって」
    「私は、あのお方のところに戻らなくては」
    「結構な心掛けだ」
     神経に障る言い方に嘲っていると理解した長次郎は、腹の底からこみ上げてくる怒りを瞳に込め、相手を一直線に見返した。憤りが伝わったのか、市六は長次郎を鼻で笑うと、癇癪を起こす子どもを宥める声で話を続ける。
    「でもな、山本のところにいてもなあんにもいいことはないぞ? あいつは作兵衛の親父を殺した男だ。まるで地を這う蟻を踏みつぶすように、あっさりとな。先の滅却師との戦争も知ってるだろ? 護廷十三隊のある瀞霊廷を中心にこの世界は一面火の海で、滅却師だか死神だか分からない死体があちこちに転がっていた……」
     いたるところで揺れる炎が、空へと立ち昇る光景が浮かぶ。うずたかく積み上がった屍の中に身を隠し、じっと自分の心臓の音を聞いていた、あの日の記憶だ。元柳斎の傍で戦えるという高揚感もあったが、それ以上に物となった人間の冷たさに触れているうちに自分と死者の境目が曖昧になり内奥の更に深い部分――心までも凍り付くのではないかと思っていた長次郎は、その感覚に怖気が立ったのを覚えている。ふと、それがひと月前に作兵衛を粛清した時に自身を支配したあの虚無感に似ていると感じた。
     何も考えないようにしていたというよりも、そうしなければならないと戒め、感情のいっさいを捨てたというべきだろうか。人は何かを成し遂げるにはそれなりの代償が必要だ。元柳斎の完璧な右腕という己の望みのために、人が本来持ち合わせている機能の一つを排除しなければならないのならば、自分はそう遠くない未来に感情というものを忘れなければならないのだろう。雨緒紀が言っていたようにそれが組織に、尸魂界に、元柳斎に必要なことならば、この心が納得できなくても遂行しなければならない……。
     だが市六の言葉に、長次郎の思考は再びかき乱される。
    「山本重國はそういう人間だ。尸魂界の安寧のためとか綺麗ごとを言ってたが、結局は自分の権力誇示のために護廷十三隊とか言うのを作ったんだろ。この世界を火の海にした人間が、誰かのために動くなんてするはずもない……」
     市六の顔に落ちた影は、積もりに積もった鬱屈が色濃く表れているように見えた。元柳斎のことをそういう人間だと言ってはいるものの、そうであって欲しいという多大な望みが含まれている気がして、長次郎は真意を探るためその目を凝視する。
    「あの男のことだ、作兵衛のこともさぞ残虐に殺したんだろ」
     市六の言葉に侮蔑の響きを感じ取った長次郎は「違う」と呟いていた。
    「元柳斎殿は、そんなことはしていません」
     絞り出した声に男たちの視線が一斉にこちらを向き、無意識に体がこわばる。かつての元柳斎が市六の言うような残虐な人間だったとしても、作兵衛を葬り、涙を流す自分を抱きしめてくれたあのぬくもりは真だったはず。
    「作兵衛を殺したのは私です」
     こちらを見下ろす黒々とした瞳に、一瞬の動揺が浮かぶのが分かった。立ち上がった市六は目をわずかに細めるとそれまで刻んでいた薄ら笑いを消し去り、眉を顰めた。
    「私が殺しました……この手で……」
    「……山本をかばおうってのか?」
    「かばってなど……本当のことです!」
     縛られた腕に力がこもる。こちらの本心を見極めようと、市六は顔を近づけ、目の底を覗きこんできた。一度目を閉じ、何かをこらえるように深く息を吐いた市六は、次には鈍い光を湛えながら「お前みたいなお綺麗なガキに殺されるほど作兵衛の憎しみは半端じゃねえ」と、長次郎の告白を一蹴する声を放つ。
    「それにな、あいつを殺した人間がなんで作兵衛の墓に来てるんだよ。しかも、何度も」
     信じてもらえない苛立ちが悔しさに変わろうとしていた時、重ねられた言葉に頭を叩かれた気分になった。その通りだった。道理にかなわないことをしているのは薄々感じていたが、向き合おうとしなかった事実。弔いというのはおためごかしで、記憶の上に耳触りの良い償いを被せ、覆い隠し、自分の行いを清算したかっただけではないか……? そうすることで救われると思い込んで……。
    「山本が殺したんだろ? そうなんだろ?」
     暗い想念に引きずり込まれかけた思考に、一つ浮かんだ姿があった。元柳斎だ。行き先を告げず、ただ出掛けるとしか伝えなかった自分を咎めることも疑うこともせず、送り出してくれていた主。もしかしたら作兵衛のもとに来ることを悟られていたのかもしれない……言いようのないぬくもりを感じた長次郎は、消沈しかけていた意気を呼び起こした。ここで折れるわけにはいかない。内奥で反芻する声を聞きながら、こういうところが頑固者と言われるゆえんなのだろうとどこか他人事のように思っていた。
    「何度聞かれても答えは変わりません。元柳斎殿ではなく、私が殺しました」
     言い終わらないうちに腹へと走った衝撃に、それまでの思考が一気に霧散した。何が起きたのか判断するよりも先に体が吹っ飛ばされ、上に乗っていた亀之助が悲鳴とともに転がり落ちると、床に倒れた長次郎は体をくの字に曲げたまま小さく呻く。空っぽの胃から苦いものが競り上がり、喉元に刺激を感じたところでみぞおちに重い痛みを感じ、蹴られたのだと理解した。
     目だけで見上げる。逆上した市六が明確な怒気を滲ませ、長次郎を睨みつけていた。
    「市六さん、少しは加減というものを……」
     隣に立つ長身の男が、市六の肩を掴んだ。白髪交じりの長髪を一つに結った男だった。この男が五人目で、自分を背後から襲った人間か……そんなことを考えていると長身の男を振り切った市六の右足が二発目を放とうと動き出す。その爪先が一直線に顔面を狙っていると察知すると体を精一杯ひねり、すんでのところで避けた。
    「死神ってのは、どうしてこう目障りなのかね」
     爆発寸前の憤怒を押し殺した声に、亀之助だけでなく他の男たちも口を開こうとしなかった。大抵の人間が到達することのない、憎悪の向こう側……狂気に足を踏み入れかけた男が放つ瘴気に気圧されているように見えた。
    「……邪魔だな、山本重國」
     狂気が一言に集約され、張り詰めた空気を伝って落ちてくる。その言葉が長次郎の鼓膜を揺らすと燻っていた熱が脳内を静かにかき乱し、ふつふつと煮えたぎってゆくのを知覚した。
     秩序のない世界の歯止め役として現れた護廷十三隊。創設してしばらく経つが、その存在が脅威の象徴として見られていることは長次郎も自覚していた。そして死神の長として君臨する元柳斎の立場の重さも。
     出る杭は打たれるというが、その楔こそが元柳斎なのだ。数多の恨みと憎しみ、そして怒り。蔓延る負の感情こそが護廷十三隊総隊長である元柳斎が一身に受け入れようとしているものであり、背負ってゆくもの。傍らに自分が控える光景を浮かべた長次郎は、頭の片隅から耐えられるのか、という声を聞いた。怨嗟と憎悪を向けられ、自分は正気でいられるのか……噴き上がる弱気をすぐに払拭した長次郎は、ぐっと唇を噛み締めた。
     元柳斎殿のもとに戻らなければ。自らを戒め、護るべきもののため覚悟を決めたあの人を、一人にしてはいけない。ともに歩んだ先が破滅だろうと奈落だろうと、変わらず支え続ける……堅く誓った忠節が燃え上がるのを自覚して、長次郎は必死に口を動かした。
    「私を痛めつけて気が済むならば、いくらでも殴ればいい。ですが、元柳斎殿を害することは許しません!」
    「動けないお前に何ができる」
    「破道の三十一〝赤火砲〟!」
     血の通いが滞り感覚のなくなった指先から火球が爆ぜ、すぐそばで短い悲鳴が聞こえた。亀之助が慌ただしく床を這いまわる音をかき消すように壁にぶち当たった火球が小屋全体を揺らし、男たちの顔色が変わる。
     鬼道を放った衝撃で腕を拘束していた綱が切れたのは幸いだった。どうすればいいか分からず視線を中空で泳がせている男たちを一瞥した長次郎は、その隙にもう一発お見舞いしようと、硬くなった腕を伸ばした。
     その目論見を市六は見逃さなかった。伸びた腕を思い切り踏みつけた市六は、手間を掛けさせるなといわんばかりにねめつけると、全体重を掛けて床へと縫い付ける。再び襲ってきた痛みに長次郎の口からは呻き声しか出てこなかった。
    「山本重國への忠誠を口にできないようにしてやる」
     売り言葉に買い言葉と言わんばかりに、長次郎も負けじと声を張り上げる。
    「この命尽きようとも……元柳斎殿への思いは、私の中から消えることはない!」
     憤懣とも興奮とも分からないものが溢れ、長次郎の目からぽたと涙が落ちた。自分を駆り立てているものはただの意地だ。刀も持たず仲間もいないこの状況で、自分を滾らせるだけの小さな熱情。相手を焚きつけると分かっていながらも、長次郎は市六から目を逸らそうとしなかった。
     その目は市六の癪に障ったようだ。市六は壁に立てかけてあった作兵衛の斬魄刀を掴むと柄に指をかけ、鞘から刀身を抜こうと力を込める。
     劇的な衝動を目の当たりにして真っ先に動いたのは、意外な男だった。「殺すのはさすがにまずいですって!」と叫んだ亀之助は、市六を止めようと無我夢中で腰にしがみついている。お前にかかずり合っている暇はないとばかりに顔をしかめ、亀之助を蹴飛ばした市六は、再び血走った目をこちらに向けてきた。まずい、と長次郎が身構えた時だった。
    「市六さん、あんた、頭に血が上ってるだろ。ここでこいつを殺したところで死神どもの恨みを買うだけだ。俺は綺麗なまま売った方がいいと思うぜ」
     今度は冷静な声が市六の手を止めた。四角顔の男だ。市六はゆっくりと振り返り男を見やると、頬を引きつらせながらにやりと笑って見せた。この場を支配する空気にそぐわない顔が市六の異様さを際立たせているようで、長次郎の背中が粟立った。「俺の気が収まらねえんだよ」低く放たれた声は、怒りとも憎しみとも取れる響きだった。
    「お前らだって、死神が疎ましいんだろ?」
     その問いかけに、四人は押し黙る。そう思ってはいるものの、賛同の声は上げにくいといった顔をしていた。しかし沈黙を肯定と受け取った市六は、口角を上げながら続ける。
    「ならばせめて、死神を一人でも多く殺してやろうぜ」
     長次郎の胸倉を掴んで無理矢理引き上げた市六は、ふと着流しの袷部分に目を留める。続いて力なく下がる四肢へ視線をやり、最後に苦しみに歪む顔を見るとねっとりと嫌な笑みを刻んだ。
    「……お前、まだ使えそうだな」
    「何を……」
     正体の分からない恐怖に、長次郎は顔から血の気が引くのを感じた。こいつは何を考えているんだ。その疑問に答えるはずもなく、市六は部屋の隅で震えている亀之助を見ると、一言「来い」とだけ言う。
     ただでさえ青かった亀之助の顔が色を失ってゆくのが目に映り、長次郎はごくりと生唾を飲み込んだ。

    《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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