付き合いたての蛍ちゃん「おまえ、最近おかしくないか?」
璃月港で買い物をしていると、突然パイモンがそう聞いてきた。
「おかしい?」
キョトンとして、新作の棚に置いてある化粧品を持ったまま聞き返す。
「ソワソワし出したかと思えばほっぺた赤くしてブンブン頭振って。今持ってるそれもそうだが、服だの靴だの気にも留めてこなかったような物買い出して」
「……!」
「気のせいだよ」、そう言って化粧品を棚に戻し、そそくさと依頼されていたヒルチャール退治に向かう。
(パイモン、変なところで鋭いんだから……)
思うと同時に、そんなに分かりやすかったのかと恥ずかしくなる。
パイモンの言う通りろくに着飾ることに興味のなかった自分が近頃女の子に人気の店をリサーチして通うようになったのは明確な理由がある。
「万葉」
「蛍か。おはよう……は少し遅過ぎるか」
ヒルチャールを早々に片付け南十字船隊の船が係留されている場所へやって来ると、目当ての人物・楓原万葉にすぐ会えた。刀の手入れをしていたところのようだ。
「お昼一緒に食べたいなって思って急いで来たの」
「そうか」
静かに笑い片付けを始める万葉。
隣に座り、ドキドキしながらその様子を眺める。
(ま、まだ実感ないけど)
彼とはほんの一週間前からの話だが付き合うこととなったのだ。
稲妻へ行く旅の途中で知り合い、最初は「掴みにくい人だなぁ」と困惑することもあったのだが、いつしか惹かれていき。
(今思い出しても恥ずかしい……)
勇気を出して告白したのだ。
それはもう顔から火が出そうな勢いだったのだが。
『拙者もお主を大切に想っている』
と、にっこり笑ってくれて。
(なんか、すごくアッサリ付き合ってくれたよね)
こちらの慌てっぷりなど何処吹く風、にこにこしたまま「今日はもう遅いから送るでござるよ」なんて言って歩き出したのだ。
(まあ、万葉だし……)
常に涼しい顔でマイペース。赤面してわたわたする、なんて有り得ない人物である。
今だって。
「うむ。今日の焼き魚は我ながら完璧でござるな」
などと言いながら弁当を食べている。白米と野菜炒め、そして焼き魚、といった、簡素な弁当だ。
私は私でモラミート二個なのでどっこいどっこいだろう。
(そう、に、二個、なんだよ)
ちらりと万葉を見た。
寄ってきた動物に焼き魚を分けてやっている。なんて優しい少年なのだ。
(私は邪なことで頭いっぱいなのに)
「これ、万葉の分」などと言ってちゃっかり食べさせてあげたい、なんて考えているのである。
動物たちをヨシヨシしてあげる彼を見て妙に罪の意識が芽生えてきた。
(どう切り出そう。基本中の基本で「はい、あーん」?いやでも私のキャラじゃないって!)
ひたすら唸っていると、
「お主、よく食べるのだな」
「へあっ!?」
万葉がモラミートの入っている容器を見ていた。
「や、その、これは。げ、幻滅した?大食い女って……」
「無理に少食なふりをされる方が嫌でござる。沢山食べる女子は好きだ」
好き。
(わ、私のこと、好きって言った!)
自分の単純さなどこの際どうでもいい、嬉しい。
本来の目的を忘れてニヤけていると、
「それにしても美味そうでござるな。……失礼する」
「え?」
手に持っていたモラミートを、万葉が食べた。
至近距離にある彼の髪から甘い香りがふわりと立ち込めてくる。
「……真っ赤」
目を細めた万葉に覗き込まれる。
なんだこの、余裕そうな、表情は。
「……っ!!」
絶句し硬直していると、離れてくれた万葉が至って普通にモラミートを咀嚼した。
「美味い。たまには肉料理もいいでござるな」
結果的に食べさせてあげられたが、あーんする余裕など最早残っていなかった。
一ヶ月後。
(今日はデートの約束をしてるわけだけど)
付き合ってからずっと、どうも万葉のペースに振り回されている。
いや、付き合う前も自分のペースに巻き込めたことなどないが。
服、化粧、髪型。
気合いを入れまくっても「よく似合っている。可愛らしいでござるな」とにっこり笑われて終わる。ついでに頭をポンポンされた、子供か!
「そのような姿で歩くな。分からぬか?誰にも見せたくないのだ」、なーんてあるわけもなく。これは妄想が過ぎるが。
(異様に大人だもんなぁ。実年齢三十超えてたりして……)
年齢詐称疑惑。失礼過ぎることを考えてしまった。
あの若さで国を捨てて生きてきたのだ、同年代の男の子と比べて精神年齢が高くても不思議ではない。
(そもそも、恋人同士だと思ってるのは私だけ?)
根本的な疑問に至ってしまい愕然とした。
よくよく考えたら、一言も恋愛的な意味の「好き」など言われていない。
告白した時の返事だって「大切に想っている」、だったではないか。
どういう意味の「大切」だ?
(で、でも、今更聞けないよ……)
勘違いしていたとなると恥ずかしい上にショックが大き過ぎる。
「うああ〜〜っ……」
床をゴロゴロ転がっていると、部屋に帰って来たパイモンにドン引きされた挙句「人と会うんだろ、さっさと行け!」と放り出された。
「……随分と疲れた顔をしているでござるな」
「そう?元気いっぱいだけどね……」
待ち合わせ場所である璃月港入口。
会うなり万葉に驚かれ最悪な気分だ。
(も〜、髪も服もグシャグシャだよぉ……化粧ももっとちゃんとしたかったのに……)
溜息をつきたくなるが我慢していると万葉が歩み寄って来て、
「髪が乱れている。戦闘でもしてきたでござるか?」
小さく笑って前髪を整えてくれた。
そんなこと、してくれちゃったものなので。
(よくやった、パイモン!最高の仲間!)
現金にも程があるが一気にテンションが最高値を超え、心の中でガッツポーズをした。
ひとり頷いている私を万葉が不思議そうに見ていたので慌てて顔を引き締め港へと向かった。
「わあ、綺麗……!」
硝子細工を見て思わず感嘆の声をもらす。
最近、自分を着飾る物ばかり買いに行っていたので新鮮な気持ちになる。
「ほう、見事でござるな」
万葉も、顎に手を添えながら美しい商品の数々に見入っていた。
彼の瞳が硝子の光を反射して煌めいている。
(か、万葉も、すごく綺麗……)
ドキドキしながらつい眺めてしまう。
白磁を思わせる肌。すっとした細い鼻。薄い唇。
精巧な人形と言われても信じてしまいそうになる。
(ほんとに、私でいいのかな……)
なんだか彼女でいるのが申し訳なくなってきた。
もっとこう、バーバラやノエルのような女の子らしい……。
(だめだめ!後ろ向きな考えは良くない。もっと可愛くなればいいんだ!)
「……先ほどから、見えぬ何かと話しておるのか?」
「!?ち、ちがう、気合い入れてるだけ!」
またしてもひとりで頷いているのを万葉に見られてしまい、必死に言い訳をする。
キョトンとした後、噴き出す万葉。
「なんの気合いでござるか?誠、お主は面白いな」
肩を震わせクスクス笑っている彼を見て心臓がキュッとなる。
(うう………好き!!)
自分がここまで恋愛脳になるなんて、稲妻を目指すまでは思ってもみなかった。
適当な休憩スペースを見つけて座る。
朝から出掛けていたのだが、早いものでもう昼過ぎだ。
(万葉といると一瞬で時間が過ぎる)
他愛のない話をしながらそう思う。
このまま時が止まってほしい。明日からまた依頼をこなしたり素材集めに行ったりと忙しくなるだろう。次はいつゆっくりデートができるのか全く分からない。
ふと万葉が立ち上がる。
「少し喉が渇いた、飲み物を買ってくるでござるよ。お主はここで待っていてくれ」
「あ、うん」
彼の後ろ姿を見送っていると。
「えー、それほんと?」
「遅れ過ぎ!」
若い女の子たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
なかなかに騒いでいるので嫌でも内容が耳に入る。
「一ヶ月付き合ってちゅーしてないとかありえない!」
ちゅー。
キス。
……多分、万葉風に言うと、口づけ。
(ちょ……ちょ、わ、わあああ!)
今まで生きてきて一番手を振り回したのではないかと思うくらいには暴れた。
万葉に迫られているところを想像してしまったのだ。
(ま、まって、それはまだ)
早い。
いやでも、遅いらしい。
そりゃ私だって。
(わ、私だって、し、した、した……)
「お主、やはり何かが見えているでござるか?」
「いいいい!?」
飛び上がった。
万葉が困惑した表情でカップを二つ持って立っている。
「す、すまぬ。そこまで驚くとは」
「いや、へ、平気。あ、あり、がと」
飲み物を手渡してくれながら座る万葉。
受け取って秒速で半分も飲んでしまった。
「一体何と戦っておる?」
「いや何とも。しいて言えば自分、かな」
「ふむ……?」
ペラペラの言葉なのに深読みしているのか万葉が少し思案していた。申し訳ない。
いつの間にか女の子たちはいなくなっていて、通行人がすたすたと歩いてゆくのみ。
静かだ。
(誰かめちゃくちゃ騒いでくれないかな)
衝撃的な会話を聞いたり妄想したりしていたのでこの空気、耐えられない。
万葉を見ると、手団扇で煽ぎながら人の往来を眺めていた。
「……どうした?」
「!あ、ううん」
視線に気付いたのだろう、万葉が問い掛けてくる。
「そうか」、そう言って穏やかに微笑む彼に少し胸が波打った。
(万葉といると、すごくホッとする)
いつだって自分のペースを忘れない。静かで、自由。空に浮かぶ雲のよう。
兄の行方を追い、幾度となく泣いて、絶望して。茨に囲まれた私の小さなお城……彼はそれをふわりと飛び越えやって来た。
無理に斬り落とすでもなく、上辺だけの言葉で道を開かせるでもなく。
あまりにも自由な万葉に拒絶する気など起きなかったのだ。
(いつの間にか、万葉のペースなんだよね……)
気が付くと、彼の着物の袖を握っていた。
「蛍?」
「か、万葉ってさ……」
言い淀む。
急かしもせず、待ってくれる。
「わた、私のこと……。好き?」
通行人の足音が遠く聞こえる。
夏の匂いがする。
掴んだ袖が私の汗でじわりと濡れる。
永遠のように思えた時間が、
「好きだ」
進み出す。
顔を上げ、震える唇で聞き返す。
「、ほ……ほんと?」
「お主より拙者の方が好きだという気持ちを抱えていると思うぞ」
万葉がそう言って優しく目を細めた。
「うそ!それはないよ!だっていつも飄々として……」
言い終える前に手をとられ、万葉が自身の胸にあててきた。
鼓動が、速い。
「……これでも信じられぬか?」
「!!……信じ、ます」
もう、目を合わせることすらできない。恥ずかしい、無理だ、いっそ爆発してしまいたい。
「で、で、でも」
「でも?」
顔が火照り過ぎてどうにかなってしまいそうだが、言わずにはいられない。
「し、して、くれたこと、ない、し」
「……何を」
万葉の顔を見るのが怖い。そんな勇気、出ない。
「い、一ヶ月、付き合ってるのに、お、遅いんだって」
「ほう?……何が遅いのだ?」
この余裕のある声、きっと分かっている。
分かっているのなら、してくれればいいのに。
「くち……づけて、ほし、い……」
涙目で何とか言って見上げたその時。
ふ、と太陽光が遮られ。
甘い香りでいっぱいになって。
柔らかい感触に唇が熱を帯びた。
「──その言葉を待っていた」
通行人はきっと気付いていない。彼が着物の袖で隠した向こうでの出来事。太陽の光が届かぬ影の中。
万葉の蠱惑的な、その微笑。
「〜〜〜〜〜!?!?」
「おっと」
危うく長椅子から落ちかけたのを万葉がひょいと支えてくれた。
「誰にも見られておらぬよ、隠してやったであろう?」
「そ、そ、そこじゃない……っ」
この、この男っ……!
焦らしていたんだ、今までずっと!
策士っ……策士だ!!
「い、いじわる……」
涙声で言うと、不意に万葉が耳元に唇を近付けてきて。
「──そういう所が、好きなんだ」
また、爆弾を落としてきたのだった。