たすけて つめたい海の中にいた。
息ができない、目がくっついて開けてられない。
それでも頑張ってこじ開けると無音でゆらめく白い海。
手を伸ばすと腕にいっぱい泡がついていて、ねばっこくやわらかく解けていく。
見渡すとやっぱりまっしろなのに腕は黒く見える、黒く見えるのに泡は虹色に澄んでる。
おれは海の底でうつぶせに倒れていて、からだ中からなにかがするする漏れ出ていく感じがする、寒い…。
咳をするとしろいのがおれのなかに入り込む。
死にかけのじいさんみたいな咳ばかり出る、そう、この咳はほんとに死にかけの時の咳。
血がどぼっとくちから漏れる。
この咳ははじめてじゃない、冷たく凍えはじめる合図で、くりぬかれた皮も肉も骨も内臓も、やわらかく分解される前の。
なにか声に出す?
無理だ、しろいのばっかりで鼻と喉が冷たい、まだ寒い時期だからか?海の底はかたくて、おれの体はスライムみたいにねばるばかり。
ぶどうみたいにするんと皮がむけてとろとろの泡を出す自分が恥ずかしい、だって皮膚の下なんてルフィにもみられたことねえもん、いっぱい溶けちまってすーすーする。
なにかあったかい毛布とか…ねえや、上も前も右も左も真っ白で見えない。
がんばって泳いでみるか?
そうだおれ、カナヅチになっちまって…
つめたく熔けつづけてどんどんかたちがなくなっていくのに近くにだれもいない。
音が聞こえないんだ、自分の咳も聞こえない、しろくしろく虹にねばりつづける、熱くない、ずっと寒い、あったかくなる実を食ったってほんとはずっとずっとどっかが寒かった。
火は触れる直前がいちばん熱くて痛いんだ、おれは熱くない、寒い、誰もいない、見失うわけないって、どこまでも追っかけてきてくれるっていってたくせに、いない、おれのまわりにずっといつも誰もいない、誰か。
誰か、泡になって熔けてっちまうおれのこと、だれかがからだの中に閉じ込めてくれ。
目を覚ますと病院だった。
わからない、たぶん病院だ、ベッドの周りをカーテンで囲われてるし、じじくさいにおいがするし、じじいみてえないびきが聞こえるし。
でも聞こえ方がおかしい、ごぽっごぽって、壊れたラジオを海の中で聞いてるみたいな…。
夜なのに眩しすぎて目を擦ると腕が包帯まみれだった。
とけてない、布団をめくっても服をめくってもパンツの下見ても包帯まみれだった。
包帯の下をのぞくとつるっととうめいのフィルムの下、桃みたいにピンクのぷにぷにがみえる。
ほっとくととけちまうおれの皮はフィルムと包帯になったんだ。
ためいきをつくと同時に喉に激痛が走った。
喉から全身に痛みが伝播する、痛すぎて叫ぶけど音が鳴らない、おれ声が出ないのか。
ぎゅっと目を閉じると顔の左側がじゅわっととける感じがした。
うでにはたくさんの点滴がつながっていて足にも胸にもなにか管がつながってる、おれは全身やけどしてて耳と喉がおかしくなってる。
気づいちまった痛みからは逃げられない。
逃げれなくてつらくて、誰でもいいからどうにかしてほしいとき、そんなときってなんて言ったらいいんだ?
知ってたとしてももう言えない。
動くたびにおれの体のどこかからじゅわってつめたいのがあふれる、あふれてフィルムの中で広がって、ずっとずっと熱く爛れ続けてひきつれる。
ゴム飛び、うーろん麺、アラバスタの星、手紙、豚汁、せんべい…落丁しまくったあのデカい本…あれ売ってたジジイ、もしかして。
気絶しそうなくらいの痛みに耐えながらもういちど服をめくって胸と腹のあいだを見て、おそるおそる包帯をずらす。
ちゃんとフィルムの中から漏れないで、穴も開かないでぷにゅっとしてるおれの肉が見えた、開いてない。
肩で息をしながら右を見ても左を見ても誰もいない。
おれにのこったのは痛い痛いいのちだけだ。
なんのために?
ベッドの上で静かに叫んでると、おとなりのじじいが心配そうな笑顔でカーテンを開けてきた。
「へへ、ナースコール押しといてやるからな、すぐにかわいいねえちゃんが来てくれる。大丈夫だぜボウズ」
ひそひそ声でおれの頭をなでた白髪交じりのじじいは、黒ひげそっくりの顔をしていた。
そいつは備え付けの冷蔵庫にウィダーゼリーをふたつおいてゼハハハ~と笑いながら自分のベッドに戻っていった。