拝啓、「あなた」へ声が聞こえる。
木々のざわめきとは異なる、心休まる暖かな声が。声の方向へ歩みを進めると、ベンチに見慣れた人影が見えた。
気弱で、小柄で、頼りない私のトレーナー。
私を夜の山まで追いかけるほど熱心で、誰よりも芯が強く、私たちを見守ってくれる。
……私の、私たちの自信のトレーナー。
声が聞こえた。
夜の山によく似合う、透き通った美しい声が。
声の方へ振り向くと、木々の隙間から見慣れた姿が見えた。
自ら練習メニューを組む程聡明で、美麗な、神秘的な魅力の漂う自慢の担当ウマ娘。
その胸には1人で抱えきれない程の大きな存在を背負っている、不器用なお姉ちゃん。
……妹想いの、心優しい女の子。
今日は新月。
もう、以前のようにあの子の存在を感じることは無いけれど…… それでも、私は夜空に語りかける。学園での出来事、レースの感想、それと…
うるさい人達との思い出も。
隣にいる人の存在を拒む気は無い。放っておいてと言ったところで無駄だと分かっているから。
今日は新月。
月明かりが夜空から消え、何十光年と離れた遥か彼方の星達が顔を出す特別な日。
そして、彼女が何よりも大切にしている日。
こちらへ歩み寄り、私の隣に腰をかける。
視線は夜空へ、声は頭上で光り輝くあの星へ。
彼女がぽつりぽつりと語り出す。学園での出来事、レースの感想、ライバル達との思い出を。まるで、小さな子供に言い聞かせるように。
沈黙が続いても、こちらから声をかけることは無い。下手に気を回されることを、彼女が嫌うのを知っているから。
大時計の短針が天を指す時、鐘の音が鳴り響く。
2人は立ち上がり、始まりの山から立ち去る。
今日は新月。
私の大好きな人とおはなしができる日。
レースの疾走感も、勝った日の喜びも、友達との楽しい時間も。私が知ることが出来なかったはずの気持ちもたくさん知れて、私とっても嬉しいよ。
この声ももう届いてないんだけど……
これだけは伝えたかったな。
大好きだよ、お姉ちゃん