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    泡沫実践

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    泡沫実践

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    デカラビアとソロモン。

    死と名前。つまり perversion ということです。
    デカラビアイベント前後編、Bデキャラストの内容を含みます。
    成立しない永遠問答と不老不死スカウト(ではない)。かわいい子には永遠をさせろって言うでしょう?

    #メギド72
    megiddo72
    #デカラビア
    decaravia
    #ソロモン(メギド72)
    solomon

    永遠、寂しさを知れ話がしたいと誘ったのは今朝。へえ、と嘲る仕草で片眉をあげ、薄笑いを浮かべる仕草は彼流の了承を示す合図であると、幾らかの経験でソロモンは既に承知していた。思案の慰め、微笑を彩るため頰に添えていた指を離し、デカラビアはソロモンの腕に手を伸ばす。深い、大地のいろをした皮膚に刻まれた魔紋を黒の指がなぞる。陽が沈む頃に逢いに行く。擽ったさに身を震わせるソロモンの肩を乱雑に圧えると、踵をくんとあげ、言葉を直接流しこむよう耳許で声を囁いた。
     昨日がそうであった通りに今日も太陽は正しい軌道を逸脱せず、約束の通りに夕暮れが訪れた。私室に設けられた、広い、おおきな窓から空を眺める。常であれば夜空や青空、仲間の声響く景色を部屋の主にみせるその窓も、いまは橙と、静謐とに染まっている。じりじりと身を震わせる太陽、昼と夜が手を取りあい、互いの揺らぎを重ねる泡沫の時間。夕焼けは明るく、暗く、何もかもを包みこむ橙、世界が揃いのいろになる。薄らぐ、甘い受容を許される、揺るがされた実在は肌を合わせるより簡単に姿を迷わせる。外を映し出す窓は焔の入口へと自らの役割を変え、おおきな太陽を歓迎していた。

    「すごい夕陽だ。」
     眼を奪うほど鮮烈な夕空に、ソロモンは感嘆の言葉を落とした。綺麗だな、と自然に洩れ出た声は誰に聞かせるためのものでもなかったが、部屋に居る者が自分ひとりではないことを思えば、そこには知らず同意を求める響きが滲んでいたやもしれなかった。僅かばかりの気恥ずかしさと、ちいさな期待とを抱き、窓に向けていた視線を自ら招いた男に注いだ。
    「あかいな。この世界の夕陽は。」
     まるで火が放たれたようだ。そう言って青年は、デカラビアは、無遠慮な視線でぐるりと他人の部屋を見渡した。備え付けの家具と、軍団員から贈られた品々。製作途中の贈り物や、細かなそれらのリスト。目を通すべき書類と知識の詰まった紙束。ソロモン王の自室に置かれた全てが、一切の例外なく橙に染まっていた。夕焼けはあたたかく、おおきい。誰も彼もを区別なく包み込み、彩度を滅茶苦茶に掻き混ぜた複雑なグラデーション、それでいてすべてを一様な橙に染めあげてしまう。
     銀の無限と星々とに飾られた、毒々しい、赤と黒とを基調にしたローブ。黒の髪と青の瞳。揺れる氷、デカラビアとて当然、深い夕陽に彩られている。
    「この世界ってことは、メギドラルの夕焼けは違うのか?」
    「…………。」
     ふいと顔を背け、デカラビアはわかりやすく答えを放棄した。ソロモンが何かを言おうとしたが、彼の口からはじめの一音が溢れたと同時にデカラビアは顰めた眉で無言を要求する。誰も彼もが夕陽に浸された部屋、世界。瞬くひかりは喧しいが、他のすべては没されたように静まりかえっている。

    「輝きと沈黙の外側」

     ぼとり、落とされた言葉はいろを持たなかった。デカラビアはぼんやりと空をみあげたまま、鮮やかな退廃を漂わせる、如何にも悪の魔術師らしい妖しげな杖へと指を滑らせた。黒い手の気儘な動きは刺青を撫でる今朝の揶揄いを思い出させ、ソロモンの視線を誘う。
     メギドの武器は様々であり、身の丈ほどある斧や大剣を自在に振り回す者も居れば、短剣、糸、銃火器や楽器など多様である。とはいえある程度要素が揃えば傾向は顕著となるように、魔術を操るメギドの多くは魔杖を自らの道具とし、デカラビアもその例に漏れなかったが、併し彼らは、メギドであった。魂、それぞれの効果と模様は絶対的に異なっており、駆られる興味、指追う視線を広くして、ソロモンは彼の新たな武器に眼を注ぐ。
     真っ直ぐ伸びた銀の先に黄金が渦巻く形に変わりはないが、己の知らぬ間にリジェネレイトを果たした彼のそれは、静謐な星の氷から、悪辣な毒の花へと姿を変えたようだった。纏わりつく銀の葉は毒蛇にも似て、描く数学的な曲線は自然が持ち得る流麗を示している。緩やかにながれる黄金はときに鋭利な棘の形を取り、蕩ける金属に包まれた赤の石、瞬く毒の星が杖の先に掲げられている。

    「生物の定めに逆らう気はないか?」

     言葉と共に窓から視線を外し、デカラビアが微笑った。どうも機嫌が好いらしいと、ソロモンにはそれだけがわかった。
    「メギドも、ハルマも、ヴィータも。動物とてそうだ。あらゆる生物に共通するものがあるとすれば、やがては死ぬということだ。」
     ゆっくりと、低い声が自由に橙を這う。ひどく大仰な事柄を説くような、デカラビアの不遜な口振りは、どうにも奇異なものとしてソロモンの目に映った。
     思わず傾けた自身の首の方向に流されるまま、窓の外へと視線を投げれば、そこには当然、当たり前に茜空が広がっている。思う、廻る太陽の環、やがては過ぎゆく狭間の時間。沈まぬ夕陽はなく、枯れぬ花もない。泡ははじけ、いつか溶ける氷の定め。

    「そりゃそうだろ。死そのものは避けられない。だからこそどう生きるかを皆んな必死で考えてるんじゃないか?」
    「だが、それを克服できるとしたら?」

     挑発的な口調で言葉を持ちあげると、一歩、踏み越える、足を進め、やにわにデカラビアはソロモンの手を取った。そのまま互いの指を絡め、強く握りしめる。手袋は滑らかな感触を描き、指と指とのあいだに挟まれた指環はぎちぎちと痛みを伝える。かしゃかしゃと擦れあう鎖は冷めたいが、とうのソロモンの手のひらはぬるく、微かに汗ばんでいた。
     夜を前にした太陽の光がある。残照には未だ遠く、あかるい室内に立ち籠める仄暗さこそが進行形の黄昏を語る。異なるものが交錯し、己のいろさえ揺らぐ夕刻に、それでも、デカラビアは選んだ。見開く眼、掴んだ手のひら、決して力を緩めはしない。痛いほど手を握って、捕まえるうごきで王を見据える。凛とした眼差しを態と歪め、悪魔の嗤笑が鳴る。

    「召喚者、おまえが望むなら。喜んで俺は、おまえが道を踏み外す手伝いをしよう。」
    「いや、どういうこと?……」

     説明を促す言葉をクックックとお決まりの笑い方で掻き消し、ソロモン、眼前のヴィータを呼ぶ。ひとりきりで話すかのような勝手さに呆れながらも、呼びかける声が孕む、低い、たしかな優しさに戸惑い、ソロモンは、夕陽に照らされた青年は、蜂蜜いろの瞳を震わせ、なに、と脣をうごかした。

     どくどくと、知らない心臓の音がきこえる。耳に、頭に、世界の内側に響きはじめている。頭の奥で赤が瞬く。光源たる太陽は堂々果てなくその身を拡げ、世界のすべてを抱きしめんとしている。愛、強欲、或いは単に自然なる己の意思によって、捻れた空間さえも許容する橙に、ソロモンの頬をひと筋の汗が滑り落ちた。いっぽうでデカラビアの愉楽はいよいよ深度を増し、細めた瞳が瞼の内側に沈み込んでゆく。制御を離れた呼吸に冷静を注ぐべく、ソロモンは深呼吸を数度繰り返す。どくどく、流れる血の音に耳を澄ませ、脈打つ、己の心臓をたしかめる。

    「デカラビアは、いつも急過ぎるよ。」

     取り戻した鼓動のリズム、ソロモンが微笑みを投げかける。太い眉をぎゅっと下げ、微かにのぞくしろい歯の奥で舌が濡れた、あたたかで、さみしい微笑い。夕焼けによく馴染む、困ったような、けれど嬉しいような表情で、ソロモンがデカラビアをみつめる。

    「おまえにとっては急かもしれんが、俺にとってはそうでもない。もうすぐメギドラルに向かうのだろう?」

     そう言ったデカラビアの言葉に滲む、僅かな投げやりの感を目敏くみつけ、ソロモンは勝手に拾いあげた。もしかして、心配してくれているのだろうか。そんなことを考える。彼の起こした聖夜の叛逆が、メギド72のメギドラル遠征計画前であったことに、何か意図を感じない訳ではなかったのだ。ただ、それを読み取れなかっただけで。
    「ちゃんと帰ってくるよ。オレはヴァイガルドに帰ってくる。」
    「ハア? なにを言い出すかと思えば。それは当然だろう。それは前提だろう。愚か者め。おまえは王だぞ。ヴィータを守るヴァイガルドの王であり、この軍団を率いる王だ。軍団の長の死を計画にいれる馬鹿が何処にいる。」
    「それは、そうだけど、」

     あと少し。あと少しで伝わる気がしている。咆哮と野望とを打ち砕き、王として強制を行ったあの日。確かに認識された間隙、埋まらぬ距離に、届かぬ理解、届かない言葉がひどくもどかしい。デカラビアのことは、わかっている。デカラビアが思うよりもずっと、自分はデカラビアを知っていると、ソロモンは自信を持って断言できる。
     それでも、届かない。わからない。星影ばかりで輪郭がみえない。きっと何か、徹底的な齟齬が、断絶が、認識の差異があるのだろう。だがそれは眼に映らない。それは決して言葉にされない。それでも、と勇ましくソロモンが尽くす言葉は絡まり、返され、焦燥と切なさとが燻ったまま胸に募る。
    「滑稽だな。おまえのその顔をみていると、ヴィータは愚かだと実感できるよ。」
     クックックと英雄譚に登場する悪役の笑い方で己の王に嘲笑を贈る。尚も曇ったままの懊悩の顔を覗き込み、皐月の少女のように顔を綻ばせる。馬鹿だなァ、そう呟き、細める瞳の蒼、雄弁な脣は多くを語り、語らない。
    「そりゃあ、ヴィータだからね。俺は。」
    「ああ。だからだよ。」
     愛おしむ音で微笑み、嘲謔のいろで脣を破る。デカラビアが、ソロモンをみる。繋いだ手をみせつけるように掲げ、どんな花より悍ましく、甘やかに誇る。黄昏の只中に月をおろす。
    「そうやって甘ったるいおまえだからこそ、こうして俺はおまえの手を取っているわけだ。」
    「…………それは、」
     混ざり合う色彩の夕暮れ、続く言葉を探している。ぐっと押し黙って、俯く、手をみつめる。デカラビアが掴んだ自分の手をみる。傷心か困惑か、とまれ何やら考え込んだ様子のソロモンを前にして、デカラビアはくるくると咽喉を鳴らした。

     夕映えの波間、戯れの再演に指をうごかす。巫女の蒔いた種、おなじ血統を宿したゆびが、勝手知ったるうごきで指環におさめられた赤の石を這いまわる。持ち主の視線を浴びながら、黒い蛇はうたを歌う。橙の温もりはいつだって、物悲しさを連れてくる。

    「自分の死を計画にいれたのは、俺じゃなくて、デカラビアのほうじゃないか。」

     言葉が終わると同時に、はっと息を呑む音が聞こえたが、それが何方のものかソロモンには判別がつかなかった。自身の投げかけた言葉は、弾劾の響きを伴っていたようにも、或いは剥き出しの苦悶の発露にも、ともすれば単に拗ねたようにも、思えた。
     どくどく、また心臓がはやくなる。知らぬ音が背を叩く。デカラビアは何も言わず、ただソロモンの言葉を舌のうえで転がしている様子で、あったが、握られた手からは変わらず痛みが伝えられる。やや暫くの後に、デカラビアは言葉で脣を動かした。

    「計画にいれた訳ではない。ただ考慮しなかっただけだ。伝えただろう、滅びと再生が望みだと。先の光景に興味はない。滅びと再生の秩序こそデカラビアという個の持つ美学だ。だが、おまえは違うだろう? 救い、変えた世界で、これからも生きる責務がある。」
    「そんなの、オマエも同じだろ! いや、同じであるべきなんだ。世界を救うことにも、滅ぼすことにも、行為には責任が伴う。未来を見届ける意思が、デカラビアにはないんだ。」

     雨のような声が橙に響く。強い口調でひと息に言い切ると、激しく上下する胸の荒々しい動きをそのままに、ソロモンはゆるゆるとかぶりを振った。
     視界は暗く、知らずの間に伏せられていた己の眼のままならなさを噛み締める。それから強く、強く眼を開く。握られた手を自ら握り返す。それを冷淡にながめるデカラビアには、常と変わらぬ愉悦が膜を張っている。夕焼け、夜が鳴き、夕焼け、昼が疾る。斜めに引かれた境界の向こう、ひそめく蒼の星は遥か遠い。

    「それでも、理由にはしないよ。決めたんだ。相手が誰でも、出来る限りの対話をしようって。それが俺の線引きなんだ。なあ、惑わさないでくれ。誤魔化さないでくれ。俺はデカラビアと直接、真っ直ぐに話がしたい。」
    「つまり、俺に歪みを返せと?」
    「違う。そうじゃない。こんなふうに煙に巻いて、曲解だらけで、でも、それがデカラビアなんだろ?」
    「さあな。ところで、おまえが俺に話したいことはそれなのか?」
     熱く言葉を飛ばすだけでは辿り着かない。悠然と問うデカラビアの皮膚のしたに、赤い、あかい血が流れていることを、ソロモンはとっくに知っているのに。

    「死んでもいいなんて、思わないでくれ。殺せとか、そんなこと言うなよ。何があっても俺は、デカラビアを殺したいなんて思わないし、殺したくないんだ。あのとき、きっと俺は怒ってたんだ。でもそれと同じくらい、悲しかった。死なないでくれ。仲間には、ひとりだって死んでほしくないんだ。」

     退屈に顎をあげ、そうか、たった三文字の素っ気ない返答。冷めたい眼差しと引き結ばれた脣は、併し照らす橙、膨らむ蕾、幾許かを経て花に変わった。掲げる悪を爛々と光らせ、咲かせる邪曲、鮮やかな悪辣を導く。
    「なら、おまえと、追放メギド全員を不死にするか。」
    「ハア?!」
     オマエは何を言ってるんだ、驚きと困惑にソロモンが眼を見開けば、その反応が気に召したのか、デカラビアはからからと声あげわらった。
     ぐんぐんと熱くなる体温が繋がれた手から一方的に伝わる。そうやってソロモンを置き去りにした男は完全な曲線を脣で描き、濡れた目尻に滲む黒を、丁寧に拭った。
    「不死、それから不老不死。これを願うヴィータを大勢みてきた。クク、嗚呼まったく、愚かだと思わんか。己の魂さえ知覚できぬ、己の名すら知らぬ下等生物が、ただ悪戯に時間だけを得て何になる。」
     苛立ちと侮蔑とを含ませた言葉を吐きながらも、デカラビアの瞳はひどく凪いでいた。きらきら、眩しいものをみたように、微かに細めた眼に宿る音楽。
    「だが、決してそれだけではない。なあヴィータ。おまえは、おまえを選んだのだろう。召喚者。」
     勝手に繋いだ手をひらりと勝手に離し、デカラビアは両の手で杖を抱える。毒花へと続く蕚に包まれた黄金のなかで、赤い石がひかっている。ゆらゆら、誘うように微笑っている。芳醇な金の曲線の行き止まりの果て、数羽の蝙蝠が宙に飛び立ち、ソロモンの視線を空へと誘う。そうしてそこで、気づかされる。

    「…………なんで、」
     巨大な太陽が、寸分違わぬ姿で佇んでいた。これはおかしいと、声に出せず叫ぶ。夕空が未だ続いていることに疑問があるのではない。あくまで体感ではあるが、夕陽が沈み切り夜が聳えるほど、長い時間が過ぎたようには思えなかった。だが眼前の太陽は、あれは間違いなく、おかしい。奇妙な橙はその身の僅かさえも夜に掴ませていなかった。それが、おかしい。ソロモンのみた夕陽は、既に地平線と触れ合う寸前の夕陽であったのだ。
     夕焼けが、燃える太陽が、完全なままの姿を晒し、ずっと空に在り続けていることなどない。強張った身体のまま視線のみをさっと時計に走らせるが、文字盤は不可解な逆光に遮られ見ること能わない。

    「言葉が殺した主人。永遠に咲き誇る花は散り、泡沫が無限の海を孕む。眠る境界の寝台から流れ出す反転、終わるべき黄昏が終わらない。」

     赤々とした世界に言葉を奏でる。デカラビアが踊るように歩き出す。燃える銀の踵が床を鳴らした。捻れた世界が橙、果てない足取りに向こう岸は無く、ソロモンが慌てて腕を掴めば、おまえはそうするだろうな、そう言ってデカラビアが眼を閉じた。
    「砂糖は甘いだろう。だから不死を望め。」
    「いや、だからがおかしいって!」
     思わず声を挟めば、くつくつと笑う音が耳に届けられる。星がくるりと振り返り手を振り払うと、緩んだ口許を手のひらで覆い隠した。

    「おまえはなぜ、その名を名乗る。」

     直裁な問いが青年を撃った。堂々たる悪の美学こそ彼の流儀であった。釣りあがった眼の内側で泳ぐ視線を捕まえる。おまえはなぜ、ソロモン王を名乗るのか。再度問いが放たれる。
    「なぜって、それは、」
     心臓の隙間にするりと落ちた。答える声はぐらぐらと揺れ、惑う躊躇いにすかさず夕陽が行進をはじめる。波打つ境界、奪われた羊の群れ、機織りの駆動。巻かれた糸は巨大な紆濤と刹那の揺らぎを産み、そうしてデカラビアは、もう一度ソロモンの手を選ぶ。絡めた指を確かめるように握り込み、彼の脣に言葉をそそぐ。

    「頁を捲れ。まずは始まりの記憶がいい。おまえの始まりはいつだ? 祖父と過ごした山小屋の記憶か? グロル村の一員となった日か? それとも村での生活の日々か?」
    「俺の、始まりは…………」

     目蓋をおろし思い出を辿れ。手の届かない過去を手繰り寄せ、二度と失わぬよう抱き締めろ。抱えきれぬものをそれでも抱え、夕陽がそれを照らしたなら。手を離せ。落下する糸が涙に染まる日まで。村の名を知れ。物語の始まりを導くため。
    「始まりは復讐で、怨みだった。空っぽの器に、与えられた名前をとにかく詰め込んで、それでなんとか動くことができた。」
    「うん。……それで?」
    「それで、俺はソロモン王になった。でも、いまは違うよ。」
     凛々しさに眉を靡かせ、ソロモンがデカラビアを見据える。放つ言葉は強く確かに、夕焼けに深く刻みこむ。
    「ソロモン王は俺だ。俺がソロモン王なんだ。確かに始まりは、ただ手を伸ばしただけだったけど、いまは違う。選んだよ。ソロモン王になることを。」

     僅かのあいだ、誰もが沈黙していた。静かのなかで見合わせる互いの顔が、脣が、揃いのかたちの弧を描くまで、ふたりはじっと待っていた。やがて時が訪れると、鮮やかな朱の輝きが指環を濡らす。繋いだ両手を駆け抜けた揺らめきのことならば、互いに深く知悉していた。
     青と赤の狭間、デカラビアが、ソロモンをみつめている。細められた瞳の星の、爆ぜる時間には未だ遠い。脣からちいさな息を洩らした青年の、若い輪郭を撫でる黒い髪が持つ、青みがかった艶さえも、この時間だけは陽が染める。
    「おまえはまだ、ソロモン王になって短いが。やがてその名は三界に轟くことになるだろう。」
     そう告げれば、夕陽にふかく色づいた褐色の肌が僅かに強張る。デカラビアはそれを見逃さなかったが、けれどみえないふりをして、無言に眉をさげた。名も知らぬ眼前のヴィータの、薄いいろの脣が、幽かに震えている。それでもその少年は、振り払う黄昏、デカラビアへ勇ましくわらってみせる。

    「おめでとう召喚者。おまえの名を呼ぶ者は、この世界にはもう居ないな。」
    「うん。……でも、きっとそれでいいんだ。それだって、俺が選んだことだから。」

     瞼に夕陽の残滓を滲ませた青年の、誇り高く、うつくしい魂に眼を細める。いま一度それを認めたかつてのメギドは、けれどもその魂のうしろに執拗に隠された、ちいさな郷愁をみつけると、わかりやすく脣を歪めた。
     彼の足元にひろがる、黒い影をみつめてデカラビアは、だったらおまえが呼んでやればいいのに、と声に出さず嘯いた。自分しか居ないなら、自分だけでも呼べばいい。デカラビアはメギドだが、ソロモンはヴィータなのだ。それでも、デカラビアは矢張り口を噤んだ。それを伝えるにはあまりにも、ソロモンとデカラビアとは、他人であった。友人であれば告げたやもしれぬ言葉を、自分とソロモンとの、或いはソロモン王と少年とを隔てる、深い闇へと放り捨てる。
     グロル村は滅び、未来、何もかもを、誰も彼もを失ったからこそ、彼はいま此処に居るのだ。ソロモン王が産まれたのだ。敬意を払えども感傷は抱かない。それがデカラビアの線引きだった。
    「…………この、豚が。」
    「急にアスモデウスみたいなこと言うなよ?!」
     ふっと息を溢し、ソロモンがにっと笑った。ヴァイガルドの何処にでも居て、何処にもいない面影を引き摺ったまま。残照はきらめき、夕焼けが動きだす。夜の足音が遠くに響きはじめる。

    「おい。俺たちは死ぬぞ。ヴァイガルドで死ぬ。ヴィータが還る大地はこの世界だ。俺も、おまえも、この大地で死ね。」
    「うん。ちゃんと帰ってくるよ。オレがいまの世界を守るのを、オマエには一緒にみてもらうから。オレも、オマエも、まだまだ死ねないんだ。」

     いま一度伝えられた言葉にかつての敗北を思い出したのか、デカラビアはあからさまに眉を顰めた。かと思えばくるりと表情を変え、俺は必ず世界を滅ぼすぞと不敵に伝える。それをさせないために俺がいるんだとソロモンが苦笑する。
    「そういえばさ。なんだったんだよ、不老不死って。デカラビアのことだから嘘じゃないんだろうけど、言葉遊びっていうか、流石にまわりくどいぞ。」
    「クク、いつの時代だろうとヴィータが望むものはそれだろう。愚か者に悪魔が齎すのは永遠の玩具ときまっている。」
    「よくわからないけど……そんなのが本当にあったら、今頃大騒ぎだろうな。」
    「? 何を言っている?」
     ぴたり、動きはじめた筈の空気がとまり、気づかない予兆、氷は前触れなく降ろされる。毒は既に世界へと落とされている。
    「おまえの言葉が確かなら、俺は嘘を吐かんのだろう。」
     性質の悪い微笑みで、告げる、言葉と同時に赤い石が輝く。眩む視界のなか、彼の魔杖に冠された名が灯無き秩序の意であったことを思い出し、感じる騒めきと共にソロモンは眉を寄せる。どうしてかその、鳴り止まぬ胸騒ぎの音は、吹き抜ける寂寞の風に、似ていた。指が離れる、デカラビアはひとり、言葉を繋ぐ。まるで歌うように。

    「たとえば竜の血。或いは辰砂。水銀、または賢者の石。呼び方はなんでも構わんが、簡単だろう。あとは大地の恵みと異界の知識。それだけで叶う。おまえが俺に望むならな。」
     ひかる、輝きを放つ赤の石が、それであると示すようにデカラビアが視線を向ける。薄らぐ黄昏に照らされた秩序は赤くあおく、ひかりに闇に、めいめい染まり、展く蕚、黄金の花と蝙蝠翅、静かに、雄弁に息をしている。
    「出来もしないことを持ちかけるのは三流だ。俺はそんな誘いはしない。」
    「……うん、ありがとう。ごめん。なら、改めて答えるよ。それは要らない。デカラビアがくれる永遠は、俺には必要ない。」
    「承知した。ならまあ、俺は他の方法でおまえを手伝うとしよう。」

     充足の心を携え、デカラビアはするりと眼を細める。傲岸を漲らせた微笑、支配者の脣のまま、己の王へと手を差しのべる。その手を取りながら、おずおずと、併し快活にソロモンが問う。
    「変なこと聞くけどさ、いまのってフルカネリ会長にも言ったの?」
    「まさか。あれは俺の相棒で、おまえは召喚者。おまえはこの世界の、俺たちの王だよ。ソロモン。」
     そっか、とソロモンが頷き、そうだよ、デカラビアも頷く。かつての少年は王の衣を纏った。デカラビアは氷から毒へと衣服を変えた。ソロモンの知らぬ間に、知らぬ場所で、紛れもなく己の意思で。
    「この姿は証明だ。召喚された折に伝えた言葉を嘘にはせん。変わらず俺はおまえを助け、その上で俺は変わらないという宣言だ。その指環で俺が変わることはない。おまえは世界を救い守り、俺は世界を滅ぼし救う。」
    「だからそれは!」
     黙れ、と。冷めたい、鈍くひかる眼眸でソロモンを睨め付け、言葉を堰きとめるべく指を脣に突きつける。露わにされた不服と不満とをみとめながら、デカラビアは優雅に微笑む。離した手、翅をひらくように両腕を広げ、静かに、確かな線を引く。
    「みえないか? 夕刻が終わる。この時間も終いだ。」
    「勝手に終わらせないでくれ。夕焼けが終わったって話は終わらない。」
    「終わるさ。」
     とんがり帽子の鍔の翳で星々が渦巻く。夜がふたりの背を叩く。
    「そもそも、俺は話をしにきたわけではないのでな。」
    「はあ?! 話をしようって誘っただろ。じゃあ何のつもりで来てくれたんだよ。」
     頰を膨らませる青年の顔を眺めながら、ふむとデカラビアが指を踊らせ、頸を傾げる。彼にひどく馴染む夜闇を纏い、遠く永遠の名を呼んだ。

    「染まらない色彩がみたかった。それを確かめたくて、おまえの誘いと夕焼けを利用した。それだけだよ。」
    「……だったら、俺も、そうするよ。オマエに合わせる。今から言うのは一方的で勝手な約束だ。でも絶対の約束だ。」

     さよならのかたちをした肩を掴み、言葉を挟んだ。俺、デカラビアには遠慮しないから。ソロモンがそう伝えれば、おまえが俺にできるのは約束でなく命令だよとデカラビアがせせら笑う。

    「先のことなんてどうだっていい、って言っても聞かない。俺と一緒に見届けるんだ。どうなったって、何をしたって、俺はデカラビアをひとりにはしない。」

     まったく、懲りない男だな。お前も。そう言ってうんざりした顔で煙たがり、やわらかに眼を細める。だから、おまえが王だ。だから俺は、おまえを王にしたいのだ。甘美ないろの魂を舌に乗せ、デカラビアはひっそりと脣端をつりあげる。未達、次の咆哮を待つ言葉は、最後の夕波が攫っていった。

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    泡沫実践

    DONEトラファルガー・ローはパンを食わない。葡萄酒で咽喉を潤さない。かれの主人はドフラミンゴではないからだ。
    呪え祝うな あの、忌わしい、運命の夜から七年が経った。愛を注いだ。庇護下に置いた。腹心の相棒を据えていた心臓の席を与え、これは重要なものだと誰の眼にも分かるよう、色を違えた揃いの羽織も遣った。そうやって、心からだ、心の底から、己の心臓のようにたいせつに可哀がっていた弟の、手酷い裏切りに遭い、胸を裂く想いで鉛玉を撃ち込んだ夜から、七年。堕ちた身が被った獣の暴力、父を我が手で殺めた記憶が悪夢として今尚蘇るように、七年前のあの夜も又、ドフラミンゴを苛み続けて、いる。重く伸し掛かる、痛む、思い、痛みは絶えることがない。記憶が薄れることなどある筈も無い。況してあの夜は、弟を殺した、耐え難く、怒りと屈辱と心痛、喪失、に極まる一件、それだけでは済まなかったのだ。あの日、ドフラミンゴは奪われた。決定的に、致命的に。ロシナンテ、ロー、愛、信頼、心臓、右腕、未来。奪われた全てをひとつに集約するならば、それはハートだった。ハートが全ての言葉になる。空席、赤い、血より濃い、同類。ハートの席。其処に座るべき男の名前。失い、奪われ、未だ手に入らない。その境目を判別することなぞ最早出来まい。
    5341

    泡沫実践

    DONEドフラミンゴさんの話。

    原作通り、当時子供であるドフラミンゴによる父親の殺害描写など暴力描写が含まれます。ご注意ください。
    祝え呪え王の生誕ごめんな、と言って眉を下げ微笑い、ドフラミンゴの父は残して行く家族に命を差し出した。最早他にできることはないと腹を据えたようにも、銃を突き付けてきた息子に対し取るべき行動を何も考え及ばなかっただけの愚鈍にも思える姿だった。差し出された命の貨幣をドフラミンゴは受け容れ、ロシナンテは拒絶した。撃ち込んだ鉛によって与えたのは赦しである。死体となった頭を切断する糸に震えは無かった。銀盆に載せられた首は強張りの隠せぬ、併し柔らかな微笑を湛えている。ドフラミンゴは銃をヴェルゴに手渡すと、伏せられた瞼の端に滲む水を己の熱い指で拭い、最期の言葉に謝罪を選んだくちびるから流れる血の筋や、頸から滴り、溢れ出した血液が、ひたひたと、満たすように銀の大地に広がっていく様を凝と見詰めている。ドンキホーテ・ホーミングは赦された。罪は死によって赦される。犯した罪は己の血によってのみ灌がれる。哀苦に眉を歪ませ、肩で息を切らせながら、ドフラミンゴは冷静だった。頭の半分は激情に浸っていたが、残りの半分は恐ろしいほどに冷めたく、それが眼になり父を見詰めていた。
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    泡沫実践

    DONEロシナンテとロー。
    無題 愛とは全身全霊の行為だ。魂の火が愛だ。ドンキホーテ・ロシナンテが白い子供への憐憫に涙を流した夜、溺れた火種、トラファルガー・ローの心臓は息を吹き返し、幽かな、確かな火が灯された。程なくして心臓、赤い悪魔の実が、ロシナンテの前に立ち現れる。道化は笑った。心の底から祝福を叫んだ。これは奇跡だ、と。ハートの果実は空想でなく、間違いなく実在する、手の届く希望で、あった。同時にそれは、決断を迫る悪魔でも、ある。だがコラソンは迷わなかった。ドンキホーテ・ロシナンテに躊躇いはなかった。惨禍に投げ入れられた子供。同じ苦しみを味わった、何としても止めねばならぬ血を分けた実兄、父の如く慕う恩人、忠を誓う、己を拾い上げてくれた海軍、人々の生活を守り抜く為の組織。決断を鈍らせる要素は幾つも存在する。それでも、かれは選んだ。すべてを裏切り、世界を敵にまわそうとも。トラファルガー・ローを救うと定める。己が持つすべて、命さえ賭しトラファルガー・ローと生きると決める。ロシナンテは既う、知ってしまったのだ。瑕の永遠、この世界の残酷も、白い子供の柔しさも、躍る、赤い心臓に手が届くことも。
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