死後の世界で、記憶がない二人が出会う話④煉獄との待ち合わせの時間が近くなり、炭治郎は寮の屋上へ向かった。炭治郎達の住んでいる寮の屋上は普段は鍵がかかっているのだが、長年住んでいる煉獄はどこからかその鍵を入手して屋上に自由に出入りしているらしい。屋上への扉を開けると、煉獄が少し奥の方で、理科室から拝借してきた天体望遠鏡を丁度設置し終わるころだった。
「竈門、良いところに来たな」
時刻は午前二時、快晴の空には満天の星空が広がっていた。学校の周りに照明はほとんどなく、夜は本当に暗い。その分、星空がとても良く見えた。屋上に一歩足を踏み入れて、煉獄の方へと向かってゆっくりと空を見ながら歩いていく。こんな時間に空を見るなんて久しぶりに感じて、炭治郎は少しだけ嬉しくなった。実際は、ここに来るまでの記憶がないので、本当に久しぶりなのかはわからないが。
「うわぁ、すごい!星がいっぱいですね!」
「そうだな、今日は月も三日月だから、本当に星が良く見える。ほら、竈門、こっちへおいで」
煉獄に手招きされて、炭治郎は天体望遠鏡に近づいた。
「この時期だと、オリオン大星雲が良く見えるんだ。望遠鏡をそちらに合わせたから、ここから覗いてみるといい」
接眼レンズの部分に指を指して覗くようにと促された。炭治郎が覗き込んでみると、肉眼では見えなかった、鳥が羽を広げたような、そんな星の姿が目に入ってきた。
「うわっ!すごい!星ってこんな姿をしているんですね!」
「あぁ、今見ている場所はオリオン大星雲と呼ばれているところで、鳥が羽を広げているように見える部分はガスや星雲と呼ばれていたりするんだ。よーく見ると中心部に4つ星が輝いているだろう?そこはトラペジウムと呼ばれているところだ。まぁ、この望遠鏡だと、そこまで綺麗には見えないかもしれないが……」
煉獄は星の知識がかなり多いようで、炭治郎はなんだか煉獄がまるで学校の先生のように思えた。もし実際に先生をしていたなら、良い先生だったに違いない。
「煉獄さんって物知りですね。なんだか、学校の先生みたいです」
「まぁ、十年もここにいるからな。知識だけは学校の先生並みにあるかもしれない」
「はい!煉獄先生!4っつ星が見える気がします!」
「ははは、そうか!それがトラペジウムと呼ばれるものだ。他のところもじっくり見てくれていいぞ。なんせ俺は見飽きているからな!」
お言葉に甘えて、望遠鏡を独り占めしてしまう。
「すごく綺麗……、最初は理科室から盗むなんてと思っていたけど、これは本当に見られてよかった」
「それはよかった」
望遠鏡の中の景色にしばらくの間圧倒されてしまって、子供のようにレンズをずっと覗き込んでしまった。
これほど綺麗な星を、恐らく生前の自分は見たことがなかっただろう。煉獄さんが望遠鏡を盗んだ時はどうしたものかと思ったが、確かにこれは誰かに見せたくなるような星空だと感じた。この星空を、煉獄さんはずっと誰かと共有したかったのかもしれない。そう思うと、少し胸がキュンと痛んだ。
かなり長い間覗き込んで、少し目が疲れた炭治郎はレンズから目を離した。
「星空ってすごいですね。煉獄さん、これを俺に見せたかったんですね。今なら盗んで持ってきたのも許せます」
「盗んだだなんて人聞きの悪い。ちょっと借りただけさ。ところで、ずっとレンズを覗き込むのも疲れただろう。ちょっと休憩しないか?」
望遠鏡の下に敷かれていたレジャーシートの上に煉獄はゴロンと横になった。このレジャーシートも恐らくどこかから拝借してきたものだろうが、もう今更それをとやかく言う気は残っていなかった。
炭治郎も同じように、煉獄の横に寝転んで、空を見上げた。
「竈門、知っているか?先ほど望遠鏡で見ていたところはオリオン大星雲と呼ばれるところなのだが、それはオリオン座の三つ星付近を観察していたんだ。丁度あの辺り」
そう言いながら、煉獄は星空を指差した。この広い星空を指差しされても、あまりに大雑把すぎてわからない。
「うーん、よくわからないです。どの辺りですか?」
「ほらそこに三つ、星が並んでいるところ、三つの星の部分が丁度オリオンの腰にあたる部分だ」
煉獄がぎゅっと炭治郎との距離を詰めて、わかるように一生懸命に星を指さした。その方向をよくよく見ていたら、炭治郎にもようやく星が三つ並んだ部分が見つかった。
「あっ、わかりました!」
そう言って煉獄の方に向いたら、想像以上に距離が近くて、すぐ目の前に金環の綺麗な瞳が飛び込んできた。もう少し近づけば唇が触れられそうな距離に、ドキリと胸が高鳴る。昼に見る煉獄はいつも快活な笑顔を張り付けているような感じだが、夜見る煉獄は無理に笑っていない優しい感じがして、こちらが本当の彼に近いのかもしれない。そして、星空のように綺麗に輝く瞳と整った顔立ちに、思わず星空を忘れて見惚れてしまった。
まるで一目惚れでもしたかのように一瞬で自分の顔が赤くなった気がして、炭治郎は慌ててゴロゴロと横に転がって距離を取った。
「すっ、すみません!近づきすぎました!」
「ははっ、いやいや、こっちも必死になりすぎた。すまない、驚かせてしまったな」
近すぎてビックリされたと思われたようで、炭治郎の気持ちは煉獄には悟られなかったようだった。
良かったと安心していたら、なんだか寒くなってきてしまった。時刻は午前3時過ぎ、確かに1番冷え込む時間帯となっていた。思わずくしゃみが出てしまった。
「……、クッチュ!」
「竈門、もしや寒いのか?ちょっと顔が赤いぞ?」
心配そうな顔をして、煉獄が炭治郎の頬を触ってきた。
「ふぇっ!?だ、だいじょうぶです!!」
「大丈夫という顔ではないのだが……」
煉獄は持ってきていたボストンバックの中から大きめのブランケットを取り出し、炭治郎に差し出した。
「すまない、ブランケットがこれしかなくて……。ここは屋上だから特に寒いし、良ければ二人で入らないか?」
「二人で!?」
「ははは、恋人同士っぽくなるかな、嫌なら君が使うといい」
煉獄から恋人同士とか言われると変に意識してしまいそうだ。ただ、屋上は煉獄の言う通り確かに寒いし、二人で入った方が絶対に温かい。そう、何もやましい気持ちなんてないんだ、と言い聞かせた炭治郎は、目の前に出されたブランケットを広げて、半分を煉獄の方に差し出した。
「はい、煉獄さんも一緒に入ってください。風邪でも引かれたら大変です」
「良いのか?ありがとう」
二人で仲良くぎゅうぎゅうにくっついて並んで座った。もっとドキドキするものかと思っていたが、並んでいると煉獄の体温が伝わってきて、先程までの高揚とは違う、何だかほっとするような感覚になってきていた。
「煉獄さんとこうしていると、何だかほっとします」
コテっと頭を煉獄の肩にもたせかけて、少しだけ眠たくなってきた目を擦った。以前もこんな事があったような気がしたが、記憶がないのだから気のせいだろう。
「恋人みたいだと嫌がられるかと思ったのだが、嫌ではなかっただろうか」
「うーん、確かに言われてみるとそうですね。でも、ここには煉獄さんしかいないですし、引っ付いていても問題なしです」
「二人だけだな」
「そうですね、もっと言うと、煉獄さんの話から推測すると元人間は俺達だけですし、本当にこの世界で二人ぼっちですね」
二人ぼっちと言って、改めて自分の置かれた状況を思い出してしまった。ここには本当に煉獄以外に人間はいない。本当に二人だけで、どちらか欠けても寂しくなってしまう。そんな事を考えていたら、炭治郎は思わず煉獄の手をぎゅっと握ってしまった。こうしていれば離れることはないだろう。そう思ったのだが、よく考えたら今すぐに離れ離れになる事はないだろうし、煉獄は握られるのが嫌だっただろうかと急に不安になった。というよりも、急に手を握るなんて、もはや不審者だ。慌てて煉獄から手を離そうとしたが、逆に煉獄から手を握り返されてしまった。
「二人ぼっちか……。ここに来たばかりの君にこんな事を言うのは困るだろうが、俺を一人にしないでくれ……。もう置いて行かれたくないんだ」
煉獄は炭治郎が来るまでずいぶんと長い間、ここにきた人間を見送っていたのだろう。一人だけ取り残されるのがどれ程酷なことか、炭治郎でも容易に想像ができた。
寄り添ってくる彼の手を、炭治郎は改めて握り返した。
「......、か...、かまど...、竈門、もう朝だぞ」
煉獄に揺さぶられて起きると、目の前がうっすらと赤くなっていた。結局、あのあと二人で少しの間寄り添って寝ていたようだ。校庭の時計を見ると6時半過ぎになっていた。うっすら明るくなってきているところを見ると、この世界にも日の出というものはあるらしい。
「おはようございます、煉獄さん」
「うん、おはよう」
「もうそろそろ日の出ですか?」
「そうだな、よければ一緒に見てから部屋に戻らないか?」
寒いと言いながら二人で一枚のブランケットにくるまって、朝焼けの空を眺めた。日がゆっくりと昇ってきて、炭治郎達と校舎全体を赤く染めていく。
「竈門?どうした?泣いているのか?」
煉獄に頬を撫でられてハッと気がつくと、炭治郎はポロポロと大粒の涙を流していた。何で泣いているのか、自分でもよくわからなかった。
「どこか痛むのか?」
「わからない...、どうして...?」
何故かわからないが、身体の震えも止まらない。怖い、と言ったらおかしいが、何故か日の出を見るのが不安で仕方なかった。
「ほら、大丈夫だ」
煉獄が手を握ってくれても、不安で泣くのが止まらない。何が不安なのかと聞かれたら全くわからないのだが、漠然とした不安にみっともなく泣いていたら、煉獄がそっと抱き寄せてくれた。
「ほら、俺がついているから大丈夫だ」
ドクドクと煉獄の心臓の音が聞こえる。死んでいるのだから心音が聞こえるのもおかしな話なのだが、その音にすごく安堵した。ようやく炭治郎は泣き止んだのだが、疲れてそのまま彼の腕の中で寝てしまった。