いつかを夢見て 人の居ない、明るすぎない照明がぼんやりと浮かぶ静かな場所で一人、酒を煽る。浅く腰掛けたカウンターの前に人の気配はない。あるのはまだ酒が残っているロックグラスだけだ。
長いこと刑事をやっているとまあとにかくいろんなことがある。この神室町っていうのは極道が幅をきかせていた場所だから事件なんてのは日常茶飯事だ。特に俺の場合は、桐生というとんでもないやつに関わったせいで異動も、退職も、復職も経験した。警察官の中でも一際異例な存在だろう。
広島で起きた事件、それからあいつの何より大事な、娘同然である遥に関わる出来事。激闘の末、唯一無二の男は死んだ。大切な人たちを守れるのなら喜んで死んでやるとまで言いのけた。その表情と、頑固な性格を考えたらどう足掻いても、説得を続けても――例え殴り合ったとしても答えが変わらないことは明白だったし、表情一つで察してしまえるほど、俺はあいつと過ごした時間があまりにも長過ぎた。あの場に居合わせたのが俺じゃなかったとしてもきっと未来は変わらなかっただろう。そう考えれば自分がその「最期」を見届ける立会人になったのは良かったのかもしれないが、残され、背負わされたものはあまりにも重かった。
桐生が死んだと伝えれば誰しもがそんなはずはないと影を落とす中、一人だけ静かに、淡々と本当にそうなのかと聞き返したやつがいた。このビルに再び店を構えることになった秋山だ。やつは手を変え品を変え、何度も俺に食いついた。本当に桐生は死んだのか、と。
頭が切れる秋山のことだ、ある程度の確信を持って俺の口を割らせようとする。刑事に対して尋問とはいい度胸だと言いたいところだが、多くを語ればいつかボロが出ちまう。だから堂々巡りになろうと聞かれるたびに同じ問いに同じ答えを返す。
ついさっきもまた改めて問いかけられ、今までと同じ答えを返すとふっと笑って「いつか本当のことが話せる日が来たら違う答えを聞かせてもらえますよね?」なんて言いやがる。もうこの無意味なやり取りは恐らくなくなるだろう。言葉の裏にあるのは、ノーと言わないってことはそういうことなんだと納得したということの現れでもある。ったく、桐生も桐生だ。俺にこの役は合わねえ。誰もいないニューセレナには俺の深い溜息と氷が溶けてカランとグラスにぶつかった音だけが響いた。
「やれやれ。お前の周りにいるやつは守られるだけのつもりはないみてぇだぞ、桐生」
***
「さぁて、心機一転頑張りますか」
一度は畳んだお店を再び始めることになり、同じビルにあるニューセレナに顔を出したのはついさっきのこと。開店前だったがそこには顔馴染みの刑事が一人で酒を飲んでいた。極道と警察という真逆の立場でありながらあの人の良き理解者で、あの人に人生を狂わされた人。そして「最期」を見届けた人でもあった。
神室町で大きな事件が起きたときには必ずその中心にいた桐生さんは、遠く離れた広島で負傷し亡くなった。それを伝えてきたのも伊達さんだった。話を聞いたときには耳を疑ったが、すぐさまそんなはずはない、ただでも死ぬような人じゃないと意外にも冷静に考えていた。きっと何か裏があるのだと。
桐生さんほどでは無いと言っても、伊達さんともそれなりの年月付き合いがあるし、伊達さんがどういう人か理解しているつもりだ。だから淡々と桐生さんの死を告げる姿に疑問を抱き、事あるごとに死んだのは本当なのか問い続けた。警察官のためなら上にだって噛みついてしまうような人だ。真正直な伊達さんはそのうち真実を話してくれるだろうと踏んでいたが、頑なに同じことしか語ろうとしない。開業の報告と共に最期の問いかけをしてみたが、やはり答えは同じだった。そして同時に自分が抱く答えを確信した。あの伝説の極道、桐生一馬は生きている、と。
証拠を示せ、と言われると難しく、自分がそう信じているだけと言われてしまったらそれまでだが、決まった言葉で反芻するようにいう答えがまるで「余計なことを言わないようにしている」ようにしか見えなかった。だからこそ、これ以上問いても意味はなく、返ってきた言葉を受け止めた上で、本当のことを話せる日が来たら違う答えを返してほしいと伝えたのだった。
あの人が死んでまで守りたかったもの――それが何かわかるからこそ、その思いに肩を貸すことにした。俺だってあの人に救われた人間の一人だ。いつか帰ってくるだろうあの人に顔向けできるよう、俺は俺ができることをしよう。
「全く、そんなかっこつけないでくださいよ、桐生さん」