『ふとんをつついて竜を出す』――――――――――
久しぶりに霜が降り、真冬の寒気がぶり返した日の朝のこと。
夫婦の寝室に大型のミミッキュがあらわれた。
被っているのはピカチュウ似の布地じゃなくて、うちのおふとんなんだけど。
「先生、ハッサクせんせー! 朝ですよー!」
「……うぅ」
「朝ご飯できましたよー!」
「……ううー……」
ばけのかわの奥から聞こえるのは、フェアリータイプらしからぬ低いうなり声。
頭のてっぺんから爪先まで、すっぽりおふとんにくるまりながら、その大型のミミッキュは――アオイの夫は、すまなさそうに鳴き声をあげた。
「も、申し訳ありませんです。もう少し……もう少しだけ……どうにも今日は冷えまして……!」
「お部屋、そんなに寒いですか? もう少し暖房上げましょうか?」
「いえ、室温どうこうではなく……冬の気配そのものが身に堪えるといいますか」
古き血を宿す竜の一族、その末裔である先生は、さながらドラゴンポケモンのように冷気に敏感な体質だった。
セグレイブを相棒に迎える事ができるくらい、小さな頃の厳しい修行である程度寒さへの耐性はついたらしいのだけれど、それでも冬、という季節そのものに心細さを感じるのだという。
そんな訳で、冬になると先生は時々ふとんの温もりから抜け出せなくなる事がある。朝には決して弱くないひとなのだけれど。
アオイがやっぱり暖房を上げようか、などと考えていると、先生が布団の中にくるまったままぽつりと言った。
「……あなたの温もりに、小生、すっかり体が慣れてしまったようです」
「へ」
「……あなたが傍にいないと、最近は起きることすら辛くなってしまいまして……」
――起き抜けの、おそらくはまだ夢うつつにいる夫の繰り出す『あまえる』は見事にアオイの不意を突いた。
ぎゅん、と胸が締まる。かわいい。私の旦那さまがすごくかわいい。ときめきに唆されてうっかりお布団の中に入ってしまいそうになるのをアオイは慌てて堪えた。
今日は普通に平日だ。先生は午後からの出勤だが、こちらは午前に打ち合わせの予定がある。
今あのおふとんに入ったら多分だけど、間に合わない。……経験則的に。それで午前が、というか日中が潰れたいくつもの休日を思い出してアオイは頬を染めた。
「アオイくん……」
大型ミミッキュが布団の中でいざなうように鳴いている。
こころぼそげに。こっちにきてと甘えるように。
つらい。何が辛いって、今すぐにでもあの大きな塊に飛びついて思いっきり抱き締めてあげたい気持ちを我慢しなきゃならないのがつらい。
お嫁さんをこんな気持ちにさせるなんて。
なんてひどい人だろう。
アオイは斜め上のいかりを燃やした。そうでもしなければ、あの魔性の呼び声にふらふら誘われちゃいそうだった。
「そ……そんな声したってだめです! 起きてくださいってば、朝ご飯冷めちゃいますよ!」
アオイは心をオニゴーリにして、お布団の中に手を突っ込んだ。
その手を捕まえ、大きなガブ……じゃなくてカブの要領でうんしょと引っこ抜くつもりだった。
が。
「ひっ!?」
「!?」
――布団の中で先生の手を探り当てた瞬間、聞いたことない高い声と共に手が奥の方へ引っ込んだ。
わひゃ、だって。なんかもうちょっと濁ってた気がするけど。
「あ、アアアアアオイくんあなた、どうしてそんなに冷たいのですか!」
「えっと、ついさっきまで水仕事してて……んふ」
聞いた事ないような悲鳴。先生のめったに見られない焦りよう。
……心の中で、何かいけない気持ちがそわっと疼いた。
「……あ……アオイくん?」
「せんせ、私が傍にいないと起きられないって言いましたよね。……くっついて起こしてあげますね……!」
きらん。
あやしいひかりを目に宿してアオイはほくそ笑む。
布団の中の夫は怖々と声を上げた。
「あ、アオイくん、妙な事を考えるのはよしなさ」
「えいっ!」
てててっ、と足側に移動してお布団をめくり――自分のそれよりずっと大きくて、ごつごつしていて、血管の浮いた愛する夫の足を掴む。とってもぬくい。アオイがぬくさを感じているということは、つまり先生は真逆のこおりのような冷たい手に襲われているという訳で……。
「ふっ!?」
バネ仕掛けのおもちゃみたいに先生は足を引っ込めた。
中で両手両足を丸めているのか、平べったかったおふとんは今やこんもりと山を作っている。
パルデアまぼろしの十一景め、『ハッサク山』。なんちゃって。思いついた瞬間その愛しい丸みと語呂の良さにアオイはちょっと笑ってしまう。
布団の塊の内側からくぐもった声が聞こえてきた。
「アオイくん……! 少し悪戯が過ぎますですよ! 小生、怒りますですよ!」
「ハッサク先生が悪いんですー! 朝から私を誘惑したりするから! これは正当防衛です、えいっ!」
「ドラゴーーーン!?!?」
今度はまた頭側に移動して布団の中に手を突っ込んだ。つめたい指先が首筋を掠めたらしい。くぐもった咆哮と共に布団が胎動する。中でどんどん縮こまる度にハッサク山の標高が高くなっていく。多分だけど中で両手両足を抱えながら首を丸めて体育座りしている気がする。ぜったいぼうぎょの構え。
これ最終的にどうなるんだろう。
いけない好奇心は止まらない。だって気になる。いやこれは夫のあられもない声を聞いて楽しくなっちゃってるんじゃなくてあくまでポケモンのあらゆる進化系を網羅したいと思うような知的好奇心によるものですよ本当に、私の心の中のジニア先生は「う~ん、それはどおでしょうねえ?」って言ってるけど本当ですよ。というわけでいざ!
アオイはわくわくと共にベッドの上にあがって、てっぺきのお布団に手を伸ばした。
そうして裾野に分け入ろうとした所で――。
がしっ、と手首を掴まれた。
「あっ」
ばふ、と一瞬布団が捲り上がった。
その一瞬。
アオイは先生と目が合った。
――その眼差しの色に、やばい、なんて思う暇もなく布団の中に引きずり込まれ、あれよあれよと先生の腕に、アオイは抱き込まれてしまった。
「……悪い子ですね、アオイ……」
とても近い所から、先生の声が聞こえる。どれくらい近いかと言えば、空気の震えが唇をくすぐるくらい、近い。
「あなたに悪戯されたせいで、すっかり冷えてしまいました。……あたためてくださいますか」
「わ、わたしの手は今つめたいので、逆にせんせのこと冷やしちゃうかも……なんて……っ」
「ならば、温め合いましょう」
スカートの裾から大きな手がひたりとアオイの腿に触れた。冷えた、と言うわりに、その手のひらは随分熱い。
手のひらも、唇に触れる吐息も、こちらをじっと見つめる眼差しも、先生の全てが熱くって、それにつられて体の奥に、ぽっ、と、熱が生まれた。
いけない。流されたら仕事にならない。よりによってリーグとの打ち合わせの日に。
なんとかその手を払おうとすると、大きな手は呆気なくアオイの小さな手を絡め取った。
「藪蛇という言葉を知っていますですか、アオイ」
「……え、と」
「今のあなたのことですよ。お勉強になりましたね」
煌々とまたたく不思議な陽の目が、アオイを見つめて、離さない。
先生は別に怒っていない。それはわかる。
何度もこの目を見てきたから。
何度もこの目に射抜かれながら体を重ねてきたのだから。
「せ、せんせい、ごめんなさ――むっ!」
反省の弁を言い切る前に、アオイの口の中に吐息よりも熱い塊が押し入った。