《トマ蛍》後ろ髪を引っ張るな「次のお休みいつ? 今日?」
いつもなら朝はぽやんと寝ぼけているはずの蛍が、今日は珍しいことにわあわあ騒いでいる。扉を開けたいトーマのその動きを封じようと、全身でしがみつきながら。
「今日は休みじゃないよ。だから行かなくちゃ」
「やだあ、もっと一緒にいようよ」
久しぶりの連休を貰い、他に邪魔するものもない洞天で、どちらかが限界を迎えるまで夜更かしして、朝だか昼だかわからない時間に起きて。お菓子を食べ過ぎたせいでご飯を食べられなくなって、半端な時間にお腹が空く。
蛍と共にのんびり過ごしたところまではよかったのだ。たった二日、されど二日。一般的には長い休みではないけれど、この期間で十分に体も心も癒されて、今日から元気に仕事に向かうはずだった。トーマが足りないとごねる蛍の全力の足止めをくらうまでは。
いや、こんな弱い拘束、きっと蛍だって全力ではない。トーマが行かなければならないのはわかっていて、それでも、少しでも引き延ばそう、と。なかなか素直に甘えてくれない蛍の気持ちの現れに、つい頷きそうになってしまう。トーマだって寂しくないわけではない。もし本気を出されたところで振り払うことも引きずって歩くこともなんてことないはずなのに、結局ろくな抵抗もできずにいた。
トーマの胸元にすりすりと頭を押し付けて、細くて柔らかい髪がいっそ絡まりそうなほどにぶわりと膨らんでいた。せっかく可愛く繕っていたのに。そっと指を通して整える手にもすり寄り、トーマを引き止めようとする。身支度を終えても未だにぐずぐずと拗ねるその姿。滅多にないわがままを言う恋人があまりにも愛しい。
めいっぱい抱きしめたいところだが、そんなことをすればあっという間にトーマの気持ちが負けて、それこそ仕事に向かうどころではなくなってしまう。
「遅れちゃうから」
「今日もお休みにしよ」
「だーめ。蛍だって約束があるんだろう」
「私は今日じゃなくても大丈夫だもん」
頭の中をぐるぐる回る仕事と恋人。天秤になどかけられるはずもない。
へにゃりと眉を下げて、迷子の子どもみたいな顔で、私のこと置いていくの、なんて。まるでトーマが悪いことをしているような言い方をする。だめだ、そんなことを言われてしまったら。
「オレも行きたくなくなるから……」
「いいよ行かなくて」
「でも……」
「や! だ!」
もう数十回は繰り返したやりとりに、つい、休んでしまおうかなんて考えが過ぎる。蛍も嬉しい、トーマも嬉しい、それでいいじゃないか。悪魔の囁きに身を任せたら、どれだけ幸せだろうか。
それでもほんのり残った良心が、おさぼりを咎めようとするのだ。
「じゃあ、一緒に行くかい?」
「……行く」
「え、本当に?」
「行く」
トーマとしては冗談のつもりだったが、きりっとこちらを見上げる顔はどうみても本気だった。
もちろん連れて行ったところで嫌がる人はいないだろうが、こうもぐずぐずの蛍をくっつけていればあちこちでからかわれるのは間違いない。どんな顔で皆と仕事をすればいいのか、そもそも真横でこんなに可愛い甘え方をされて仕事が捗るのだろうか。トーマには、五分と経たずに蛍に構いたくなってしまう未来が見える。
そう丁寧に説明して断ったところで、ぐずる蛍はさらにへそを曲げてしまうだけだった。
「ごめんな。終わったらすぐ会いに来るから」
「……ん」
「だからいい子で待ってて。できる?」
「できない。悪い子だから」
ますます強くなった拘束はそれでも振りほどけないものではないけれど、腰にしがみついた蛍が浮かべた涙に忍びなさが襲い来る。
一体どうしたんだ、今日は。行かないでと言われるのは初めてではないけれど、こんなにも駄々をこねることはなかった。嫌なことがあったとかそういうことではないらしいが、ただトーマと離れたくないだけでこんなにも。
なにより可愛いがすぎる。やっぱり抱きしめてもいいだろうか。
「ちょっと早く帰れるように頼んでみるから」
「早くってどれくらい?」
「うーん……一時間とか」
「……二時間」
「それは」
「じゃあやだ。行っちゃだめ」