《トマ蛍》空からみてる 「トーマは、もし蛍さんと年に一度しか会えないとしたら何をするんだい」
太陽に照らされて揺れる笹の葉の下、唐突に尋ねた綾人に深い意味はないのだろう。しかし心の中を読まれたようでどきりと心臓が跳ねる。早く会いたい、なんて思い浮かべていた愛しい人の顔。
「そう、ですね」
どれだけ忙しくとも必ず時間を作ってくれる彼女のおかげで、週に一度は顔を合わせているけれど。この先、ずっと会えなくなることだってあり得るかもしれない。彼女は旅人だから。休むことなく進み続ける。いずれ旅の終点にたどり着いて、それからまた、新たな旅を始めるかもしれない。
もし、年に一度だったら。きっと、話したいこともやりたいこともたくさんあるだろう。なんせ一年分だ。今だってまだまだ満たされない程だというのに、たった一日に何を詰め込めるだろうか。
「なら、一緒にご飯を食べたいです」
遊びに行くにも、話をするにも、きっと足りないから。それが一番良い。
華奢な体によく似合う小さい一口で、なのにどうしてか頬をぷっくり膨らませて。トーマのご飯はおいしいねとぺろりと平らげ、米粒を付けたままにぱっと笑うその眩しさが大好きだ。そうやって笑うところが見たい。
蛍はトーマの笑顔が太陽のようだと言うけれど、トーマからしてみれば、蛍の方がよほど。いつも明るくトーマの心を照らしてくれるんだ、とは恥ずかしくて伝えたことはないけれど、その光があればその後の一年もきっと乗り越えられそうだ。
「へえ、ずいぶんな惚気だね」
「若……やめてくださいその顔」
「おや、織姫のおでましだ」
軽い足取りで廊下を進む音。近づくにつれ、待ち切れないとばかりに速くなっていく。柱の向こうから飛び出してきた小さな影はすっぽりとトーマの腕に収まった。
「トーマ! ただいま!」
「おかえり、蛍」
綾人さんも、とついでの挨拶を受け取った綾人は、お熱いねえなどとからかいを残して立ち去る。トーマの反応を楽しんでいる節もあるが、なんだかんだ蛍との仲を気にかけてくれているらしい。しばらくは川の両岸に引き離されることもなさそうで。
「短冊書いてきたの。まだ間に合うかな」
「もちろん。オレが飾ろうか?」
「ううん、だめ。トーマ絶対読むでしょう」
それはまあ。すっかり企みを見透かされて落胆するトーマは、ぐいぐいと引っ張られるままに腰を落とすしかない。器用に肩の上に乗り上げた蛍にいいよ、と頭を撫でられ、操縦されるロボットよろしく立ち上がった。
トーマの上できゃらきゃらとはしゃいで、ずいぶん楽しそうだ。肩車で持ち上げて、休日のお父さんにでもなった気分だけど。
「結構高いね」
「ほら、落ちるなよ」
「あ、これ、もしかしてトーマの短冊?」
「えちょ、それはっ」
見るな見るな。遠ざけたくとも、蛍に暴れられるとそうもいかない。いっそ落としたところで華麗に受身を取ってみせるような気もするが。結局、蛍の安全と天秤にかけられた短冊は、無事に蛍の手に取られた。だってそれは、勝てないよなあ。
「わあ、『蛍と共にいられますように』……だって」
ぐわ、と前に傾いた蛍がトーマの顔を覗き込む。こら、危ないだろう。顔を隠すはずの手は蛍を支えるために忙しく、もう諦めて全てを晒すしかなさそうだ。
まあ、真っ赤だろう、そうだろうよ。
「へへ、嬉しい」
きゅっと頭を抱き込んで、ありがとう、と。
素直な願いを知られてしまった照れくささと、むにむにと頬を挟んでくる太腿の感触に正直それどころではないところもあるが。嬉しい、という言葉にトーマもまた嬉しくなるのも事実だ。へら、と緩んでいく表情をばっちり見届けた蛍は、満足気に肩を降りた。
「オレのはいいだろう……蛍はなんて書いたの、教えてよ」
「ええ、うーん……まあ」
「読んでいいの?」
蛍が指さした先にぶら下がる短冊。とはいえ、かなり高いところに下げられている。赤い紙に書かれた黒い文字はどうも見づらくて、背伸びをしても、角度を変えても、なかなかその内容は読み取れない。
「トーマとずっと一緒にいたい、って書いたの」
もどかしさに負けた蛍がやけくそに呟いた。そっぽを向いた蛍の耳が少しずつ赤くなっていく。トーマの小指をゆるく絡め取って、ちらりとこちらを振り向いた。なに、と唇を尖らせて。
その全ては、きっと照れ隠し。
「かっ」
「か……?」
可愛い。こんなに可愛い女の子がトーマの恋人だなんて、信じられるか。未だに夢かと思うことだってあるのに。トーマをめろめろにして、だめにするために送り込まれた悪魔か何かだと言われた方がよほど納得できるくらいだ。
「抱きしめてもいいかい……」
「だめって言ったらしないの?」
「それは、うん……どうだろう」
「しょうがないなあ」
倒れ込むように飛び込んできた蛍をぎゅうぎゅうに抱きしめる。痛いと抗議されているような気がするが、少しだけ我慢してもらおう。
もう、職務を放棄して、ずっと蛍を抱きしめていたい。かの夫婦の気持ちが痛いほどにわかる。残している仕事があることはわかっているが、今日はとりあえず見逃してはくれないだろうか。明日からはきちんと働くから、頑張るから、だからどうか、引き離さないでくださいね。