小さな、遠い世界からの:司レオ「スオ〜、宇宙行こっ‼」
突拍子もない声の発生源をじとりと見やると、輝かんばかりの笑顔が視界に飛び込んでくる。
「スオ〜、ウチュウ、イコ‼」
――ため息を一つ。
話が通じるのだろうか、なんて懸念が出てくる辺り、観光客というよりは現地人なのかもしれない。その両手に掲げられた「宇宙」の二文字が印字してある旅行誌から、そんなことを連想した。
夜はとうに更けていて、今日は寮の共有ルームで夜更かしに勤しむ者もいない。それをちょうど良いと思い、ソファを陣取ったのは小一時間ほど前だったと記憶している。
自身が煮詰まっていることは自覚している。クリップ留めされた一センチ幅の資料は三つ程重なっており、一束目の半ばから先が暫く読めていない。どうにも目が滑るのだ。
そんな有り様であったから、にこにこと投げかけられた問いに対して「はあ、まあ、日帰りならお付き合いしますよ」なんて答える程度には疲れていた。
「なにを言ってるんだおまえっ!」
キィンと響く声をそのままどこかへ打ち返してやりたい衝動に駆られる。
「いや、あなたが言ったんじゃないですか……」
くらくらとする頭に手を添えてダメージをやり過ごしていると、静寂の乱入者たるレオは、どかりと元気よく司の隣へ腰掛けた。
「旅の前には旅行計画が必要だろ! おれにこんな常識的なことを説かれるだなんて、さてはスオ〜の偽物か⁈ 宇宙人なのかっ⁈」
「もうっ、いつもに増してtensionが高いのは何なのですか⁈ 徹夜でもしました⁈」
まつ毛が触れそうな距離で捲し立てるレオの顔を、どうにか引きはがそうとじたばた苦心する。
「それを言うなら、お前の方が徹夜でもしてそうな雰囲気だけど……」
ふとそんな風に目元をなぞられてしまえば、司に返す言葉はなかった。隈が顔を覆ってしまうのは、アイドルとして良くないことだ。
「気休め程度でも休憩は大事! ほら見てみて! 綺麗だぞ〜?」
そんな風に手元の旅行誌を広げてみせた彼は、ページを示しながら楽しそうに笑う。
「……こんな雑誌があるのですね」
その表紙には、国内外の観光地名の代わりに、でかでかと「宇宙」の二文字が踊っていた。見慣れたフォーマットも相まって、まだまだ非現実的ともいえる宇宙旅行が、何てこともなく実現できてしまいそうな心地にもなる。
「まあ、旅行誌って言っても、パロディって感じだけどな! でも面白いだろ〜! 想像は無限大‼ それに、宇宙は何も絶対に行けない夢の中の世界ってわけじゃない!」
「……確かに、まあまあ現実的ですね」
パラパラとページを捲ってみれば、月の周回プランや宇宙に出ることそのものを目的とした無重力フライトの特集ページに行き当たり、司はなるほどと腑に落ちる。
「おれはもっと突飛でもいいと思うけどっ! ほらほら、太陽系一周とか!」
「それは……scaleが大きいですね?」
そうしてレオが指す紙面には、「太陽系トラベル」を銘打った惑星の紹介記事が掲載されていた。
「木星はオーロラが必見だって! 水星のクレーターには芸術家の名前が付いてるんだ、きっといつかおれの名前も刻まれちゃうな! 天王星からはすごく寒いみたいだから防寒コートが必要だ! 火星に本当に宇宙人がいたらどうしような⁈」
「……やはりcommunicationを図るべきでは? 宇宙に公用語ってあるんでしょうか……」
楽しそうに話す様子に釣られて思わず口を挟んではみたものの、自分らしくないことを口走ってしまったかもしれない。レオは目を丸くしたかと思えばすぐに破顔して、両手のピースサインを頬に添えた、いつものポーズをとってみせる。
「うっちゅ〜!」
「それ、百歩譲っても『こんにちは』しか話せないみたいな感じですよね?」
特段誤魔化すこともせず、レオはわははと豪快に笑って、大きく両手を広げた。
「それなら歌おう!」
隣で覗き見るその瞳は、何を反射するでもなくチカチカと瞬いて、星空を――宇宙を写し取っているみたいだと司は思う。
「おれたちはどこから来て、どんな存在なのかを、高らかに歌い上げよう! 音楽は世界の共通語だから、きっと宇宙でも大丈夫だっ! ボイジャーのゴールデンレコードより手っ取り早いだろ⁉ 直接観て貰えばいいんだから!」
ゴールデンレコード。それは地球の文化や存在を伝えるレコード盤。ボイジャー探査機によって深宇宙を漂うタイム・カプセル。レオらしい言葉を微笑ましく思いながら、それでも司は少しだけ、かの円盤に思うところがある。
「そうは言っても、media媒体もなかなか捨てたものではありませんよ? 遠くに……思いも寄らないところにだって届いたりするものですから」
「うん?」
「いいえ、こちらの話です」
不思議そうに目を丸くするレオに、かつて思いがけず手にしたCDの存在を脳裏に浮かべては、仕舞い込むように口を閉ざす。今ではなくとも、彼に話せる日が来れば良いと思う。
「そういえば、いつかやったお月見ライブの時にミッツが言ってたんだよな、『宇宙でライブしよう』って! アイデア出しの一環って感じで流れちゃったけど、おれは本当にやりたかったな〜! おれたちKnightsで宇宙オリコン総なめ!」
「宇宙オリコン……」
そんな社会が、あの綺麗だけれど寂しい暗黒にあるのだろうか、なんて、無粋なことからは目を逸らして、楽しそうなレオを見やる。
「でも、それでは結局お仕事の話になってしまいますね」
「アッそっか! 違う違う、旅行計画だってば!」
ふ、と息をつくように笑えば、レオはずっと言葉を捲し立てていた表情をぱっと輝かせた。
「あははっスオ〜」
「わぷっ、……何するんですか!」
司の頭を両手で包み込むように覆ったかと思えば、わしゃわしゃと髪をかき混ぜてくる。
「良かった、さっきまでケイトみたいに眉間に皺を寄せてたから、そのまま固まっちゃったらどうしようかと思った!」
仕上げとばかりにちょんと眉間を押されて、正面から歯を見せてレオは笑った。
「おれは、作曲以外は何もしてやれないからさ」
彼は、卑下と表するにはあまりにも穏やかにそんなことを言う。
「……何もしてやれない、だなんて」
「ん?」
「今だって、出会った時だって。あなたは、私やKnightsの事をよく考えてくれている。そうでしょう? レオさん」
レオから詰めて来ていた距離を利用して、至近距離から司は悠然と微笑んでみせる。隈のせいで格好はつかないかもしれないと思ったが、レオは分かりやすく動揺してガタリと後方に距離を取った。
「うわっなんか恥ずかしいなコレ⁈」
急に元気になるな! とのレオの言葉に、司は殊更愉快になって笑ってしまう。彼の心遣いは嬉しかったが、そんな風に気を遣われてばかりではいられない。それは、彼の王であり、彼から王冠を受け取った司の矜持だった。
「今は少し無理をしているように見えるかもしれませんが、司は大丈夫ですよ。自分の限界は弁えているつもりです。それでも、のうのうと時間を浪費するつもりもありません。Knightsを、もっともっとたくさんの人に知ってほしいですから」
本当に、宇宙進出も夢じゃないくらいに。
そんな風に付け加えれば、瞳を輝かせるようにしてレオは破顔する。くすくすと星の欠片のような笑い声が共有ルームに小さく反響して、夜はそのまま更けていった。
♪
「……という話をレオさんとしたんです」
長引いた会議はようやく終わり、ミーティングルームではざわざわと世間話が飛び交っている。隣席だった英知に確認したいことがあって呼びとめてみれば、珍しいことに彼から「最近なにか面白いことでもあった?」と雑談の話題を振られたのだった。
「宇宙かぁ」
英知は優雅に腰を掛けたまま、ガラス張りの窓から空を仰ぐ。晴れやかな好天に、昨夜の静かな夜の面影はない。
「パフォーマンスだとしても、コストに見合わないよね。そんなことに莫大な資金を費やすなら、もっと別の……業界全体の身になるような、公算の高いことをするべきだ」
そんな流麗な駄目だしもどこ吹く風で司は笑う。
「まあ、お兄さまはそう仰いますよね」
トントンとリズムカルに書類を整えて、司はそっと席を立った。
「でも、実際のところ、深宇宙を漂う音声mediaがあるのですから、projectとして決して突飛ではないと思います。宇宙でliveを行うのは流石に難しいでしょうが、golden recordのような形で私たちの楽曲を宇宙に打ち上げることは不可能ではありません。そういったprojectは話題性もありますから地上においても宣伝になりますし……」
何より、と陽光を反射して煌めく瞳を窓の外へ向けて、言葉を続ける。
「宇宙に歌を届けるだなんて、romanticでしょう?」
ぱちり、と瞬きをひとつ落として、英知は息をつくように笑った。
「……君達って存外似たもの同士なんだね」
その声は呆れたような色を帯びていて、それでも司は、英知のそんな言葉を少しだけ嬉しく思う。
「……でも、そうだね。『地球の音』のモニュメントたる――荘厳なクラシックや様々な音声言語の中に、僕たちアイドルの歌声が並ぶのだとしたら。それは確かに、悪くないのかもしれない」
遠くを見るように窓の外を眺めてはそっと瞳を閉じた英知は、すぐに切り替えるように立ち上がった。
「まあ、うちは出資しないけどね♪」
ひらりと片手を振って去っていく英知に続いて、ミーティングルームを後にする司は、会議の最中、一瞬だけくらりと意識が眩んだ瞬間のことを思い出している。
やはり寝不足は良くない。それでもそれは、少しだけ口角が緩んでしまうような光景で、そして、あんな風に会話に応じてくれた英知にだって、流石に話すのを躊躇するような、馬鹿馬鹿しい白昼夢だった。きっとあの人なら面白がってくれるから、押し付けるように置いていった旅行誌を返すついでに話してみようと思う。
満天の暗闇の中、きっともう現存はしない私たちの音楽に出会って、楽しそうに肩を揺する、そんな宇宙人の姿を。
【終】
ボイジャーレコードのメッセージが好きだなぁという話でした。
ボイジャー探査機周りの話は「人類は衰退しました」で初めて知り、fate派生の彼もとても好き。