好奇心を向けた先(春日と戦と腐れ縁) 小さなスマホ画面の中で、ばかでかい銃声の連写音が鳴り響く。コンビニで調達したサラダチキンを片手に凝視するのは、巷で有名なFPSゲームによる戦闘画面。
《ふっはははは 見たかザコども》
Winの文字が浮かび上がり、画面の中の屈強な3DCGの男がドヤ顔でポーズを決める。渾身の高笑いが続く側では、怒涛の勢いでコメントが流れては消えていった。
やってんな、あいつ。
翻訳仕事の息抜き。それ以上の理由はない。
単なる気まぐれながら、途中視聴のタイミングは悪くなかったらしい。
同時視聴者数二.五万人が思い思いに沸き立つ、とある男のライブ配信。この手のゲームにも実況者にもあまり詳しくはないが、何かとんでもない移動速度と共に神がかったプレイングが繰り広げられていたらしい。
こうして眺めていると不思議なもんだな、と思う。配信する側も見てる側も、姿かたちは何ひとつ見えない。なのに、二.五万人が同時に同じ光景を見て、熱狂している。某武道館の収容人数を超えるほどの人たちが、同じ瞬間を共有していて。
中心には、奴がいる。
(冷静に考えると、すげーかっけーんだよな)
あの頃から気だるげで、悟ったような。何も映していないかのような目をしていた男。にもかかわらず、ふっと、気まぐれに至言を述べる男。飄々と世の中を渡り歩き、虚弱なふりをしながらいつの間にか、自分の道を切り開いていた男。
俺はこの男が、どうにも気に食わない。
* * *
『新開ってさ』
『お?』
高校生の時だったか。放課後の図書室で不意に、壱川から声をかけられたことがあった。
『ないものねだりとか、したことなさそう』
『なんだそれ』
両手でやけに分厚い本を抱きしめながら——猫が食べると危ない食品図鑑と書いてある——、壱川は、好意も悪意も見えない視線を向ける気配を感じて。
『ばかでかい身体思い通りに動かせるくせに、楽しそうにがり勉してるし』
『は?』
英単語を走らせていたペンを置いて、改めて壱川を見据えようとする。発言にはやはり、裏も表も見えない。
『言ってる意味がわからねえんだが』
『なりたいものに、ちゃんとなれる奴なんだろうなって』
他の誰かが同じことを言えば見え隠れするはずの羨望も妬み嫉みも、感じ取れない。少なくとも見下すような意図はないことならわかるが。
『文武両道って。誰でもなれるもんじゃないっしょ』
だが壱川は気だるげな、呟くようなか細い声量でなおも言い募る。否定はできないが、堂々と肯定する程の傲慢さを今、この男の前で見せて良いのかは何とも判断がつかなかった。
『……壱川はどうなんだ』
結局は腹の内を探るように、目の前の男に問いかけることしかできずにいる。
『なにが』
『自分が文武両道になれるとしたら、お前ならどうしたい?』
『どうって』
だが奴は、ほとんど間髪を入れずに答えた。
『責任もてねーからノーコメント』
……まあ、そんな気はしていた。
端から答えを求めてなどいない。ただ何か、明確な回答が返ってくるのかどうかに、興味があっただけ。
それだけのつもりでいたのだが。
『俺の返事で進路決めの参考にしよとか、一瞬思ったっしょ』
『……』
返答の代わりに、ふんと鼻を鳴らして片頬をあげる。そこまで読んでいたとは、何とも恐れ入った。
確かに、声はかかっていたのだ。
地道に身体を鍛え続けた延長線で、いつの間にやら持ち上がっていたスポーツ推薦。今は猶予を与えられているが、おそらくあと数日後には正式に返答をしなければいけない。けれど。BとAの間を行き来したまま安定しない、難関大学の判定が頭にちらつくのも紛れもない事実で。
要するに。安牌を取るか、少しのリスクを取るか。そういう話だ。
『……ムカついたから、いつかボコす』
『や、すでに百二十%勝ち目ねーですけど』
束の間の現実逃避が勉強だなんて、おそらく誰も思わなかっただろう。だが、壱川は見抜いた。そういう奴だ。
見抜かれた以上は、投げやりに決めるなんて恥ずかしい真似などできない。あと数日の間はみっともなく足掻きながら、きちんと決断を下そうと。
少なくともそれまでは、壱川の顔など見たくない。
視線を外すと壱川の腕の中に収まった本の表紙、でかでかと描かれた猫がつぶらな瞳でこちらを見つめていた。
* * *
《ハイパーチャットありー。BDバフ乗った神プレイ? 誕生日関係ねーわ! 俺本来の実力だが文句あんのか》
画面の向こうでは相変わらず、壱川と同じ声の別人が騒がしくコメントを読み上げながら次の試合に突入している。自分の身体は弱っちくてままならないというのに、ゲームの世界じゃ縦横無尽に飛び交い、時には頭脳プレイを駆使しながら気持ち良く勝ち抜けていく男。
(——いやお前こそ、この世界じゃ文武両道だろ)
もそもそと食っていたサラダチキンはいつの間にか親指の先ほどの小ささになっていて、仕事に戻らねーとな、と独り言ちながら最後の一口を放り込んだ。
思えばあいつのことは、ほとんど何も知らない。
まあ何だかんだと定期的に顔を合わせる程度の仲ではあるが。相変わらず飄々と世の中を渡り歩き、虚弱なふりをしながら上手いことやってはいるらしい。そういうところを尊敬しているが、直接言うつもりはない。何だかむかっ腹が立つし、そもそもあいつも望んじゃいないだろう。
俺ばかりが腹を探られるのは癪に障る。だがいつか。俺も奴の腹の内を探って、あの時の雪辱を果たしたいと思っている。
それは優しさなどではなく、いつかあいつを負かすために必要なこと。
……いわば、壱川に向けた好奇心のようなものだ。