I want to touch, and(匠メイ) 右肩にすとんと落ちた心地好い重みと、首都高を軽快に駆け抜けていく外国車の独特な振動に身を委ねる。本来ならば達成感で高揚しているはずだった私は想定とは異なる緊張感でいっぱいだ。
「珍しいこともあったものね」
ドライブレコーダー機能がついているというルームミラー越しに、八乙女さんと目が合った。彼女は揶揄うような笑みをひとつ浮かべて前方へと向き直る。
追及の視線から逃れるようにそっと、右側に意識を向けてみた。ぱりっとした格好の上長、もとい火村さんは相変わらず、すやすやと寝息を立てながら直立不動の私へともたれかかっている。
「仕事は卒なく、こなしているように見えたのですが」
「メイちゃんの前だから気が抜けちゃったのよ、きっと」
果たしてそうなのだろうか。八乙女さんが気を遣ってフォローしてくれているだけで、もしかすると本件のバディとなった火村さん一人に多大なる負担をかけていたのかもしれない。考えるだけでも気が気ではなく、それからワイシャツ越しに触れた固いくせ毛の感触がこそばゆくて、私は顔を俯ける。
弁護士資格が存分に活かされた此度の依頼は、火村さんからすれば造作もない内容だったろう。離婚を前提とした浮気調査と、結果をもとにした慰謝料請求。相手が大物の代議士で一筋縄ではいかない、と予想される点が懸念事項ではあった。しかしこうして、依頼主である奥方の要望に沿って滞りなく示談交渉を終えている。
専門知識が求められる分、確かに難易度は高かったのかもしれない。しかし当初よりイレギュラーを想定した綿密な計画と対策を立てたおかげで、用意されていたありとあらゆる作戦は三分の一も実行することがないまま幕引き・一応の決着がついている。
実際本件において私が行ったことといえば、対象人物の追跡の補佐、話し合いの際に使用する資料や調査報告書のまとめ。そして、先ほどまで行われていた離婚条件の話し合いにおける火村さんのサポート。どれもこれも火村さんが先導して動いていたのだ。
果たして私が加わったところで本当に役に立てていたのかどうか。
解決したのに不安は増すばかりだと思う。
事務所に戻ろうと依頼主宅を後にしてすぐ、別件で近くまで来ていたという八乙女さんの車に拾われた。助手席に乗ろうとする私の手を優しく引いた火村さんは、疑問符を浮かべた私と共に後部座席へと並んで座らせたのだ。てっきり、私の仕事へ駄目出しをするつもりなのかと思っていたのに。
まさか「着くころに起こして」と言い残してあっさり目を閉じてしまうとは。結果五分と立たないうちに火村さんは、安らかな寝息を立てながら私の肩にもたれかかることになった。
「心労をかけさせてしまったのなら申し訳ないです」
八乙女さんの言うように、気が抜けただけなら確かに嬉しいことだと思う。火村さんには先日大それた申し出をしてしまったのだ。「火村さんを甘やかしたい」だなんて口にしてしまったは良いけれど、事務所内では私など、まだまだ新人の立ち位置でしかない。今日の仕事の立ち回りで自分の未熟さを再認識するばかりだ。
俯いたまま、膝元に置いたままの手を握りしめる。本当は自らの頬を張り倒して気合を入れたいくらいだったけれど、今は身を預けてくれている上長を起こしてしまうわけにはいかない。
独り立ちしたい。私なりにがんばって、もっと認められるようになりたい。一日でも早く独り立ちすればきっと、対等にこの人と向き合うことができる気がするのだ。
肩に乗る心地好い重み。少し硬くてくせ毛の髪。触れている箇所は相変わらずこそばゆくて、泣きたくなるほどに温かい。規則正しい呼吸音に合わせて息を吐き出すと俄かに心音が煩くなるばかりで、こちらまでつられて彼へと身を任せたくなる衝動を抑え込む。
何の気兼ねもなく甘えてもらえるようになりたい。世話焼きに定評のある相手だから途方もなく長い道のりに思えるのに、諦める選択肢は端から存在しないのだから何とも諦めが悪いとも思う。
僅かな温もりと決意を乗せたまま、私たちは日が沈み始めた首都高を駆け抜けていく。