傍観者と当事者(そよいと)(学パロ)「お願い! こんなこと、弥代さんにしか頼めないの」
放課後の教室で、両手を合わせて上目遣いに懇願するクラスメイト。もとい、カースト上位に位置する女の子と向かい合っている。
この場には彼女と私の二人きり。グラウンドから走り込みをしながら掛け声を上げる野球部や、練習をする吹奏楽部の楽器の音を聴きながら「厄介ごと」に巻き込まれそうな予感をひしひしと感じていた。
明るいストレートブラウンの髪が、窓から吹き込んだ風になびいてさらさらと揺れる。合わせたままの両手には、可愛らしいピンクの封筒。話の流れから察するに、封筒の中には彼女の想いの丈がしたためられているのだろう。LIMEのやり取りが主流な現代において意外と古風だな、と場違いに感心するばかりだけれど。
この類の手紙ならば、直接本人が渡すからこそ想いが伝わるものではないのだろうか。
「ええと……他に、仲の良い友達には頼めなかった?」
あくまで伺うように、問いかける。何しろ彼女は、おそらく学年全体で一、二を争うくらいの美人。
「アコやユウミたちは駄目なの。こんなこと頼んだらいじられることは目に見えているし……」
確かに、と言って良いのかは何ともいえない。けれど彼女たちはいわゆる「パリピ」の部類に入るくらい明るくて、何かと注目されやすい子たちだ。目立たないように立ち回っている根暗な私とは対極にいるのは事実で、恋愛絡みの矢印が向く先やら付き合った・別れたなどの類は揶揄う要因のひとつにもなり得る。
「それに、あの子たちも。戦と仲いいし……好きかもしれないし」
「なる、ほど……?」
言外に本音を読み取って腑に落ちた部分があった。
つまるところ。私は新開くんのことを恋愛対象として認識していない、と判断されているみたいだ。その気がないから逆恨みされる心配もなく、仲介役には打ってつけ。だから代わりに、手紙を渡してほしいのだ、と。
自身の表情の乏しさは自覚している。誤解されることも多いけれどその分、声をかけてくれる人とは誠実に、交流を持っているつもりではいた。
けれどまさか、「動じない」言動がきっかけでこのようなことがおこるなんて、思いもしなかった。
* * *
新開戦くん。
入学早々から全国レベルの大会に出場するほど運動神経が抜群でありながら、テストの成績は毎回一、二を争うほど優秀。にもかかわらず、誰に対しても偉ぶることなく気さくに会話をすることから、彼は学校中の人気者ときている。
何しろ、こんな私にも偏見なく、フラットに話しかけてくれるくらいだ。
この前など、初めて購買に行こうとした時は穴があったら入りたくなるくらい、色々な意味で恥ずかしかった。たまたま新開君とすれ違った瞬間に「ぐうう……きゅるきゅる」とお腹が鳴ってしまったのだ。
(あ……終わった)
いつも作っているお弁当を寝坊して作れなかった上に、購買の場所がわからなくて学校内をうろうろしていて。とどめとして降りかかった悲劇に、ひとまずこの場を離れようと早歩きした瞬間。
『弥代』
ナチュラルに、手首を掴まれてしまったのだった。
『な、なに?』
『もしかして、購買探してんのか?』
フリーズしてしまったのは、新開くんほどの有名人にお腹の音を聞かれたからだけではない。
『……うん。そう、なんだ』
同じクラスといえ、まさか私の名前を覚えていたとは。
『弥代はいつも弁当だしな、そりゃ馴染みねえよ』
しかも、私の昼食事情もそれとなく察せられている。まあ購買を利用しない身の上なので、新開くんも予想がついただけだろうけれど。
『……買い忘れ思い出したから戻るんだよ。一緒に行くか?』
私の手首を掴む手と反対側の手には、ビニール袋。と、溢れんばかりのパン。明らかに気を遣われているし申し訳ないけれど。
『お願い、します』
背に腹は代えられなかった。
購買へたどり着いた頃には売れ残りしかなかったけれど、無事にお昼ご飯を調達できただけでも感謝しかない。ただ、終了間近であまり人がいないからか、手首は掴まれたままで。
(新開くん、知人レベルでもナチュラルに距離を詰めるタイプか……)
文武両道で親しみやすさもありつつ、優しくて。更には一緒に食べるか? と提案もしてくれて――さすがに申し訳がなさ過ぎて丁重に断った――あまりにも完璧が過ぎる。人気が出ないわけがない。
* * *
目の前の彼女が新開くんを好きになるのも「わかるな」と思う。
だから彼女が抱える大切な気持ちを、私が代わりとして預かるのはひどく責任重大なことのように思えた。
(……でも、彼女が頼ってくれるのなら)
切実な視線を向ける彼女に返答をしようと口を開く。扉が開いたのは、そんな時だった。
「――お、弥代か」
振り返ると、背負っていた通学かばんを下ろしながら笑む新開くん。
「 そ、戦どうしたの?」
「ん? あー忘れものあってさ」
想い人と対峙した彼女はかわいそうなくらいに狼狽えていて、挟んでいた手紙を後ろ手に隠しながら声をひっくり返していた。
(恋をするって、こういうことなのかな)
言いたいことをうまく言えなくて。頬を染めたまま、もだもだしながらも一生懸命に向き合おうとする。
学校で一、二を争うほどの美人が見せる、可愛らしい仕草。熱のこもった視線に新開くんは気づくそぶりもなく、机の中から目当ての教科書を取り出しかばんに詰めていた。
「じゃあ、私は先に帰るから」
こんなチャンスは彼女にとって、逃す手はないと思う。手紙の行方はともかく、今は新開くんと二人きりになることを優先すべきだ。
私は手元のかばんを抱え、入れ替わるように早急に教室を後にした……つもりだった。
「弥代!」
教室を出てすぐ、下り階段の手前。かばんを持つ手と反対の手首が捉えられる。首だけ振り返ってみると、新開くんはひどく焦った様子でこちらを見ていた。相変わらず、ナチュラルに距離を詰める人だ。
「あの子はいいの?」
「あいつとは普通に挨拶して出てきたよ」
新開くんは、少し困ったように太い眉尻を下げて言った。
「まあ、期待持たすのもどうかと思うしさ」
「……」
発言を受けて。叫びたくなるほどびっくりした。客観的に見れば無表情になっているだろうけれど、めちゃくちゃ驚いている。
どうやら新開くんは、彼女の気持ちに気がついた上で、敢えて手紙を受け取らないように立ち回ったらしい。彼女の気持ちに応えるつもりがないのは意外だったけれど……でも確かに、あれほど真っすぐな好意を自分事として受け止めるのはひどく勇気がいるだろう。
「だいたい、考えてもみろよ」
そういうものか、と納得した私の様子に、新開くんは何故だか嘆息する。
「好きな子から、涼しい表情して別の奴の手紙渡されるなんて耐えらんねーだろ」
「…………ん?」
呆れ顔で続けた彼の言葉を消化しきれず、私は首をひねる。同時に、手首を掴んだ指先に僅かな力がこもった。
「俺が好きなのは弥代だから」
真剣な眼差しが、先ほど対峙した彼女のそれと重なっていく。赤みがかった瞳が燃えるように煌めいて。何か訴えかけるように切実で、熱のこもった視線。
(まさか……え。まさか、だよね……?)
文武両道の人気者。彼の好意が、何の変哲もない私に向けられる日がくるなんて。
「今すぐどうこうとは言わねーよ」
表情を失い、呆然と見つめ返す私を見て、新開くんは何故か、ちょっと愉快そうに笑って言う。
「弥代以外から、好意を受け取る気はない。それだけ、覚えていてくれ」
どうして私なのだろう。わからない。何も考えられそうにない。混乱したまま手を引かれて、ゆっくりと階段を下りる。
目立たないように立ち回っていたはずの私に、新たな青春の一ページが手渡されたみたいだ。