Orange roseの恋煩い「どうしよ、これ」
本日何度目かも分からない溜め息を吐くと、アルバーンはテーブルに置かれたあるものを見てそう呟いた。目線の先には小さな薔薇のブーケと、1輪でラッピングされた薔薇がもうひとつ。それらはいずれも花の部分がチョコレートで作られており、定番の赤やピンクではなくそれぞれオレンジ色と黄色といった見慣れた色をしている。1輪の黄色い薔薇は自分用にと求めたものだからいい。問題はもうひとつのオレンジ色のミニブーケ。この小さく可愛らしい贈り物が目下の悩みの種だ。
バレンタインデーを間近に控え、何か彼に贈れたらとは思っていた。愛の日であり、感謝の日でもあるのだから、いつもの距離感の近さでプレゼントをしたとしてもおかしくはないと思ってもらえるはずと。だからこそのこの色。わざと「アルバーン・ノックスからの贈り物」なのだと主張するような色で、バレンタインのプレゼントとしてはポピュラーな「薔薇の花」と「チョコレート」という要素を取り入れて。何故そんなことをしたかといえば、ここまでしてしまえば逆に『らしい』のではないかという思惑から。あとはほんの少し、恋のイベントに参加してみたくもあった。
そう、アルバーンは恋をしている。いつから恋になってしまったのかは自分でも分からない。もしかすると、最初から恋をしていたのかもしれない。それくらい大切で宝物のように彼を想っている。そして彼から好かれている自信もありはしたが、それが恋情に繋がるものなのかまでは判断が難しかった。仮に進展を望んで踏み出したとして、互いの想いが食い違っていたらこの関係が失われてしまうのではないか?そんなことには耐えられそうにない。だから、何度期待を抱こうとも踏み出すことは出来ずにいる。これほどまでに臆病な面が自分にあることをアルバーンは彼に恋するまで知らなかった。
『大好きな「おにぃ」にぷれぜんとふぉーゆー、なんてね』
冗談めかして渡したっていい。
『サニーにも見せたくてつい買っちゃったんだ。ほら、可愛いでしょ?』
そうでなくとも妙な含みさえ持たせなければ友人からのプレゼントとして受け取ってくれるだろう。でも、もしもだ、万が一があったとしたら。そんな不安を拭い去ることが出来ず、いっそ渡さない方がいいのではと予定を聞くことも出来ずに先延ばしにし続けて、気付けば今日は2月14日。
いっそのこと写真だけ送り付けて、次に会う時に渡すと言い逃げてしまおうか。そうすれば、バレンタインデーを過ぎてから渡すのであれば、そこに恋心を潜ませているなんて気付かれないかもしれない。
そこまで考え、アルバーンはふっと自嘲じみた笑みを零した。
(バカみたいだ、渡さなければいいだけなのに)
処分の方法はいくらでもある。食べるなり、捨てるなり、それこそ別の誰かにあげてしまうことだって。けれど、それも出来ない、したくない。今日という日であるうちはダメだ。『もしも』を期待して諦めることを拒むくせに、行動に移す意気地もなくて、堂々巡りでどの答えにもたどり着ける気がしない。
こんな調子で悩み続けていれば気疲れもする。再び大きく溜め息を吐き、なにか甘いものでもと目に入ったのは黄色い薔薇のチョコレートだった。
元々自分用にと購入したものだからこちらを食べることに躊躇はない。むしろ、彼―サニー・ブリスコーを思い出させるその色だからこそ口にしたいとさえ思う。せっかくの薔薇を壊してしまわないように丁寧にラッピングをはがし、口を開きかけたところでアルバーンはあることを思いついた。誰もいないと分かっているのにきょろきょろと辺りを見回し、それからジッと目の前の薔薇を見つめて気恥ずかし気に呟く。
「好きだよ……サニー、大好き」
そうしてうっとりと瞳を閉じながら、黄色い薔薇に唇を寄せた。ほんの少し触れるだけの口付けではチョコレートを溶かすことすら叶わない。その一方でアルバーンの顔には熱が集まりつつある。誰も見ていないからこそできたことだが、茶化してふざけることも出来ないものだから恥ずかしいったらない。じわじわと湧きあがってきた羞恥にいよいよ耐え切れなくなると、アルバーンはぱくりと一口で薔薇を頬張ってテーブルに突っ伏した。
甘くて可愛いチョコレート。美味しい、あげたい、だめ、渡せない。誰にも贈られない、可哀想なチョコレート。受け取ってほしい、無理、そんなこと出来るわけ
(…なんでだよ、いいじゃんチョコくらい渡したって)
なんて、内心で毒吐いてみたところでそれを阻んでいるのも自分自身。矛盾ばかりの押し問答だ。拗ねたような表情で顔を上げると、アルバーンは目の前に置かれたままのオレンジ色のショコラブーケを指先でつつく。こいつめと少し八つ当たりじみた気分でそれを繰り返していると、不意に響きわたったインターホンの音にアルバーンはびくりと身体を跳ね起こした。
―Beep,Beep!
設置したばかりのそれが仕事をする機会はそうないものだから、聞きなれない音にどうしても驚いてしまう。そもそもこの部屋に誰かが訪ねてくることも珍しい。そんな予定はないはずだけれどと不思議に思いながらはーいと返事をしながら玄関に向かい、ドアスコープを覗き込んだアルバーンの瞳に映ったのは思いがけない人物だった。
(っ…サニー!?)
落ち着かない様子の彼を目にした瞬間に湧きあがったのは喜びよりも驚きの感情ではあったが、身体は躊躇することなくドアノブを捻り素早く扉を開ける。すると、ほんの少しだけ高い位置にある瞳が不意を衝かれたように見開かれた。自分が驚かせておいてなんだが、こういう些細な反応がたまらない。とはいえ今は用件を聞かなければ。可愛い、という気持ちは胸の奥にしまいこんでアルバーンは極力平静を装って口を開いた。
「いらっしゃいサニー、急に来るなんて珍しいね」
中に入るよう促してしまってもいいのだが、これでこの後用があるからと言われてしまった時に上手く笑えるか自信がない。この状況に浮かれるなと自分を制しつつ、どこか変わった様子はないかとアルバーンは目の前の相手を密かに観察し始める。
服装は普段通り、めかし込んでいる様子はない。緊張している気配はあるがこれは訪ねて来た理由に関係するだろう。あとはドアスコープごしに見た時からずっと両手を後ろに回していることくらいか。そういった姿勢を取ることもあるだろうが、何かを持っているようにも見える。そうだとして、何を持っているかまでは分からない。
「あ、急に来てごめん。その……アルバーン、今日の予定は」
申し訳なさそうにしつつも続けられたサニーの言葉に、アルバーンは内心でガッツポーズをした。これは誘っていいやつだ。ごく自然にバレンタインデーを彼と過ごすことが出来る。訪ねてきた友人を部屋に誘ってもなんらおかしいことはない。はやる気持ちをグッと抑えつけてアルバーンはごくごく自然な口振りで言葉を返す。
「んー…、特にないかな。このままのんびりしてるつもりだよ。だから…」
よかったらサニーもあがってく?そう、アルバーンは続けるつもりだった。目の前に出されたあるものによって言葉を遮られるまでは。
「こ、これを!…受け取ってほしいんだ」
「へ」
視界いっぱいに広がるのは真っ赤な薔薇の花束。そして美しく咲き誇る薔薇達の向こうには、その鮮やかな赤に負けじと肌を紅潮させているサニーの顔が。
それはいけない。そんな顔をされたら勘違いしてしまう。今日は愛の日だから、そんな日に薔薇の花束なんて受け取ってしまったら友達のままではいられない。
ストレートに受け取ればいいものを、それでもまだ臆病な自分が本当に?と手を伸ばすことを躊躇う。喜びと戸惑いとがないまぜになり、混乱しきりの頭で助けを求めるように視線を彷徨わせていると、花束の中にメッセージカードが添えられていることに気付いた。
『Will you be my valentine』
シンプルなカードに書かれた言葉が聞きなれた声で再生される。赤く染まった肌の色こそ変わらないものの、アルバーンを見つめる瞳は真剣そのもので先ほどまでの揺らぎなど欠片も感じられない。それどころか、まるで大丈夫だからと言い聞かせられているようで自然と心が宥められていく。
これは本当に自分が貰っていいものなのだろうかと、躊躇う気持ちは拭いきれない。けれどもそれ以上に彼からの贈り物を受け取りたくて、アルバーンは花束を持つサニーの両手をそっと包み込んだ。
「ありがとう、サニー。なんていうかその、僕…すごく嬉しい」
もっと気の利いたことを言えたら良かったのにと、思わないと言えば嘘になる。それでも今は素直な言葉だけを口にしたい。そんな思いから照れくさそうに応えると、途端にサニーの表情から力が抜け、今にも泣きだしそうな声がアルバーンの名を呼んだ。
「あぅばん…!!」
「もう、そんな顔しないで。僕もサニーにあげたくてチョコレートを用意してあるんだ」
だから中に入ってと言外に促し、自分よりも少しばかり大きな身体がのろのろとした足取りでドアをくぐったのを確認すると、アルバーンは足早にショコラブーケを乗ったテーブルへと向かった。
少しだけ待っていてほしいと伝えると、サニーは緊張しながらも期待を隠しきれない様子で大人しくソファへと腰を下ろす。まるで「待て」をしてるみたいだなんてさすがに本人には言えないが、さながらお利口な大型犬を思わせる様子は可愛いったらない。この胸の高鳴りをもう少し楽しみたくもあったが、それで「お預け」にしているのもさすがに意地が悪いとアルバーンはブーケを手に取った。
プレゼント用にラッピングされているのだからこのまま渡してしまっても勿論いいのだろう。だが、先ほどのメッセージカードを見た後では自分も何か言葉を添えて贈りたいという気持ちが生まれていた。凝ったものではないが、送り主が好きに書けるように小さなカードが付属されていたのは好都合。ペンを手に取り、うーんと考える素振りをしてみせたのも束の間。アルバーンは迷いなくペン先を走らせ一気にメッセージを書き上げた。
カードをさしこむにはミニブーケは少しばかり小さいからとふたつを手に持ってサニーの隣に座ると、期待に満ちた視線が手元に向けられたのが分かる。
「チョコで出来た薔薇のブーケなんだ、可愛いでしょ」
「うん可愛いね、アルバーンの色だ」
そのつもりで選びはしたのだが、改めて口に出されると予想以上に恥ずかしい。言葉にならない小さな呻き声を飲み込むと、こほんとひとつ咳払いをしてからアルバーンはサニーへと身体を向けた。
「あとこれも、一緒に受け取ってくれる?僕の気持ち」
ブーケと共にメッセージカードを見えるように差し出すと、甘くとろけるような瞳がそこへと向けられる。これを見ていったいどんな反応が返ってくるだろうか。楽しみなような、少しばかり怖いような。そんな期待と不安を胸に様子を窺おうとした次の瞬間、アルバーンの身体はがばりと覆い被さるように抱き込まれていた。
「さ、にぃ?」
突然のことにされるがままで呼びかけるも、声が返ることはなく代わりにぎゅうぎゅうと抱きしめられるばかり。しばらく目をぱちくりとさせていたアルバーンだったが、喜んでくれたのだということが分かるとゆっくりとサニーの身体に両腕を回す。そうしてまるで宥めるかのように背中に触れていると、今にも泣きだしそうなくぐもった声が耳に届いた。
「っ……ありがとう。ありがとう、アルバーン。大切にする」
ようやく返事はあったもののまだ顔は見せてくれそうにない。それでも、喜んでくれているのなら構わない。ホッと胸を撫でおろしながらアルバーンは口を開く。
「ふふっ、大袈裟だなぁ」
そう愛し気に呟いた言葉に返ってきたものは、苦しいほどの抱擁だった。
『Happy Valentine’s Day
My favorite place in the world is right next to you.
(僕の世界でお気に入りの場所はあなたの隣だよ)』