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    さくや

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    さくや

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    🌟×天使(?)🎈
    時空が行き来する不親切仕様
    完成はメリバになる予定ので注意!

    ボーイミーツエンジェル一. 青

    果てしなく広がる青い空、太陽が燦々と輝く文句のつけようのない晴天。心地の良い風が全身を撫でていき、小高いところに建っているためまるでミニチュアのような街を見渡せるこの場所、病院の屋上が司のお気に入りの場所だ。
    病気のせいでこの病院に入院している妹の咲希のお見舞いのあと、この場所に来ては街を見下ろし、まるで世界を掌握したような気分になるのが好きだった。
    閉鎖されている訳ではないが、一際風が強いためこの場所にいるのは大抵司ひとりだけだった。
    今日も咲希に漫画や塗り絵帳届けにいって散々笑い合ったあと、この場所を訪れていた。
    屋上の扉は、強風のせいで開けるのに苦労するのだが、今日はいつもより風が強いのか扉が尚更固く開かなかった。
    ふんっと小さな体全体を使ってドアノブを引っ張るとやっと固く閉ざされていた扉が開いた。
    「っいてて…」
    ガンっと鈍い音とともに扉が空いた反動で尻餅をついてしまった。風のせいでドアは開きっぱなしになって司を拒むようにひっきりなしに風が吹き込んでくる。
    その風に抵抗するように未だ天井に向いている体を起こして扉の内側に入り、風を避けるために下げていた顔をあげるとそこには息を呑む光景が広がっていた。
    1人の青年が柵を乗り越えて建物の淵に立っていたのだ。風に煽られて髪の毛は揺れているのに身体はびくともしない。
    凛と背筋を伸ばし青空をただ眺めている。
    「天使だ」
    気がついたらそう呟いていた。
    青年の着ている服は患者衣と呼ばれるもので青く、髪も紫色に空色のメッシュと、絵本の中で見た真っ白な天使とはほど遠い筈なのになぜかその青年は天使である思った。
    一際強い風が吹きバタン、と扉が閉まる音がすると共に天使の視線がこちらに向いた、と同時にふらりと彼の身体が傾いた。
    危ない!司は分け目も振らず天使の元へ走った。
    間一髪、彼は柵を片手で掴んでいたので落ちることはなかったが司は柵にかけられた彼の手首をぎゅっと両手で握っていた。触れた手は細く、血が通ってないのかというほど白く冷たかった。
    「おや、僕を助けようとしてくれたのかい?」
    突然声をかけられたことにびっくりして、つい手首から手を離すと彼は軽々とした動きで柵を乗り越えこちら側に着地した。
    「うん、天使さまが無事でよかった」
    「天使さま?もしかして僕のことかい?」
    思わず口に出してしまったことが恥ずかしくて赤くなった顔のまま頷いた。
    「ふふ、そうかい、でも残念ながら僕は一応キミと同じ人間さ。類って名前がある。君は?」
    「オレは天馬司、です」
    「司くんか、よろしくね」
    そういうと微笑み手を差し伸べてきてそれにおずおずと手を重ねる。その手はやはり冷たかった。
    「類はここで何してたの」
    そう聞くと類は一瞬悲しそうな顔をしたあとすぐ取り繕うように笑顔に戻った。
    「空を見てたんだ」
    「柵の内側でも見れると思うけど、どうしてあんなに危ない場所にいたの?」
    「もっと近くで見られるかなって思ってね、でもそんなことはなかったよ、風に煽られて落ちるって思ったときは流石に怖かったかな」
    さっきの光景を思い出してしまい縋るように患者衣の袖をぎゅっと握る。すると頭にぽすんと類の掌がのり、優しく司の髪を撫でた。
    「ごめんね、キミにそんな顔をさせたい訳じゃなかったんだ。もう危ないことはしないよ、約束しよう」
    溢れ出てくる涙を親指で優しく拭って伸ばされた腕の中に飛び込むと金木犀の香りがふわりと顔前に広がった。香りと、少し冷たい体温に安心感を覚えて心地が良かった。
    一通り涙を枯らし切ったあと辺りを見渡すと、街はもう茜色に染まりかけていた。
    「そろそろ帰らないとキミの家族を心配させてしまうね」
    離れていく温度になんだか寂しさを覚えて不安が胸を満たす。
    「また会える?」
    「キミがまた此処に来てくれるならね、今度は泣き顔じゃなくて笑顔を見せてほしいな」
    「必ず来るよ!」
    「うん、待ってるね」
    最後にもう一回頭を撫でてじゃあね、と手を振ってくれる。それに元気よく振りかえし、帰路につくべく急いで階段を駆け降りた。
    子どもたちに帰宅を促すチャイムを背で受けながら病院の外に出て屋上を見ると類は病室に戻ったのかそこには誰もいなかった。


    _________________________

    その日から咲希のお見舞いの後、類と一緒に過ごすということが司のルーティンに加わった。咲希のお見舞いに行く日は週に3、4日程度で今日はその日だ。季節は移り変わって夏、帰りの会が終わると急いで昇降口まで走り、校門を抜け、汗が滴るのを無視して病院まで直走った。
    かたかたとランドセルから教科書やノートがぶつかりあう音がする。背中の重さを感じないほど司は病院に行くのが毎回楽しみで仕方なかった。
    今までは別れ際、寂しそうな咲希の顔を見るのが心苦しくて病院に向かう足取りが重かったが類が待っていると思うと自然と足取りが軽くなる。
    今日は何して遊ぼうか、そんなことを考えていると目的地である病院に到着した。
    エレベーターで病棟がある階まで上がり、顔馴染みの看護師に挨拶をして咲希の元へ向かう。
    学校であったことを話したり、図書館で借りた絵本を一緒に読んだりしているとあっという間に面会終了時間が来てしまった。
    咲希は病気柄疲れさせることはあまり体に良くないため、面会時間が定められているのだ。
    やはり寂しそうに笑う咲希に心を痛めながら病室を後にし、約束の屋上に向かった。
    階段を駆け上がり、屋上へとつながるドアを開けるといつもどおり空を見上げている類がいた。柵の内側にいるということに安堵して、類に声をかけた。
    「類!」
    「司くん、今日も来てくれたんだ」
    類は柵にもたれかかっていた身体を起こした。
    「類と会えるのを楽しみにしてるんだ」
    「それは嬉しいね、僕も司くんといるの楽しいよ」
    そういうと類は司の頭を撫でてくれた。ついつい目をつむって擦り寄ってしまう。類の手は優しくて心地よいのだ。
    「今日は類に見てもらいたいものがあるんだ!」
    「へぇ、なんだい?」
    「妹の咲希を笑顔にするべくこの間テレビでやっていたショーというものを考えてきたんだが、練習として類に見てもらいたいんだ!」
    「へぇいいね、僕でよければぜひ見せてくれないかい」
    「本当か!では終わった後にアドバイスをしてくれると助かる」
    類は背中を柵にもたれさせ三角座りをした。
    「ではいくぞ、ある日…」
    昨日ベッドの中であれこれ空想していたいた喜劇を類の前で演じた。
    時々類が笑い声を溢してくれるのに嬉しくなりながら、最後にめでたしめでたしと締めると、笑顔で拍手くれた。
    「ど、どうだったか?」
    「司くんらしさが出ていてとても楽しいショーだったよ、これなら妹くんも笑顔になってくれるはずさ」
    「本当か!」
    「うん、それは僕が保証するよ」
    類はふわりと褒めるように頭を撫でてくれる。
    「咲希に披露するのが待ち遠しいな、類も笑顔になってくれたしスターの道へまた一歩近づけたな!」
    「スター?」
    「あぁ、世界中の人を笑顔にするのがオレの夢なんだ!」
    類は一瞬目を丸くした後、すぐに破顔した。
    「すでに僕の中では司君は世界一さ、きっとキミなら世界中を笑顔にすることもできるよ」
    夕日に照らされた類の柔らかい笑顔は今まで見た中で一番綺麗だった。
    意識した途端、じわじわと体温が上昇して心臓の鼓動が頭に響く。
    全身が熱い、鼓動が早い。今まで経験したことのない感覚に戸惑ってしまう。
    「司くん?」
    固まる司を不思議に思ったのか、類が心配そうにこちらを見てくる。
    「大丈夫かい?」
    立ち上がって司の前まで来ると顔の位置が同じ高さになるようにしゃがみ込んだ。
    ふわりと香る金木犀の香りが益々類の存在を知らしめて頭がくらくらする。
    「暑さにやられて体調が悪くなったのかな」
    そう言うと類は司の髪をかき上げておでこを近づけてくる。あまりの近さに距離を取ろうとするが体が動かない。
    ぴとりと司の額に類の額がくっつけられる。
    目の前に類のはちみつ色の瞳が広がる、それからすっと通った鼻筋、それから――何か柔らかいものが唇に触れている。
    「え、」という短い声と共にそれは離れていった。
    眼前には目を丸くさせた類がいる。オレは今、何をしたのだろうか。
    唇と唇をくっつける、咲希が読んでいた漫画の中にそんなワンシーンがあったような。
    あれは確か恋愛を題材にした少女漫画だった筈だ。
    急浮上してきた感情の名前にさらに鼓動が早まってくる。
    喉を掻き毟りたくなるようなもどかしさと、泣き出したくなるような切なさが体を走る。思えば空を見上げていたあの姿に一目惚れをしていたのかもしれない。
    「好きだ」
    喉をついて出たその言葉は生まれたてのように酷く掠れていた。
    遠くで喧しく鳴く烏の声がやけに鮮明に聞こえる。
    類は一瞬目を見開くと、吹き出し笑い始めた。
    「なっ!おい笑うところじゃないぞ!オレは本気だ!」
    生まれて初めての感情を茶化されてしまったショックで声が若干裏返ってしまった。
    「ふふ、いじけないでおくれよ」
    笑いながら類は司の赤く膨らんだほっぺをつつく。
    「キミがあまりに真剣だからさ」
    「やっぱり揶揄っているじゃないか!」
    「そうじゃなくて、その、嬉しかったのさ」
    類はそう言うと長い睫毛で縁取られている目を伏せた。
    「そ、それって」
    「僕も司くんのことを好ましく思ってるよ」
    「じゃあ、オレとお、おつきあい?してくれますか!」
    少女漫画で得たうろ覚えの知識をフルに活用し右手を差し出す。
    すると類の表情が太陽が一瞬雲に隠れるように翳ったが直ぐに笑顔に戻った。
    「それはできない、ごめんね。キミはとてもかっこ良くていい子だから、僕なんかじゃなくていずれ素敵な人を見つけて幸せになるべきなんだよ」
    自嘲気味に類は笑う。そんなのあんまりだ。
    「で、でも!オレは類と一緒に居たい、これからもずっと!」
    「ずっと、か、僕は幸せ者だなぁ。そうだな、じゃあもし司くんが大きくなってもまだ僕のことを想ってくれるならここに迎えにきてよ」
    「ああ、必ず迎えに行くよ!約束だ」
    小指同士を絡めあって誓う。
    夕暮れの空の下顔を染めてけらけら笑う2人の笑い声が響いた瞬間びゅっと風が吹き、忙しなく鳴り出す何かがそれを掻き消していく。
    今まで居たはずの茜色の屋上がだんだんと遠くなり、見えなくなっていく。
    待って!まだここに居たいのに、類の側に居たいのに!叫んだつもりが声が出ない。
    その思いは虚しく司の世界はどろりとした暗闇に溶け、意識が真っ白に染まった。


     夢と現があやふやになった境界線から浮上するように重い瞼を押し上げると、いつもの天井が見えた。間違いなく司の自室だ。鳴き続ける目覚まし時計を手探りで探し当て止める。ようやく部屋がしんと静かになると、どくどくとうるさい心臓を落ち着かせるために深く息を吐いた。
    懐かしい夢を見た。正確にいうと夢じゃなくて昔の記憶だ。未だに冷たい手の感触が残る頭に手を伸ばす。
    たしか彼の手の大きさもこのくらいだった気がする。
    そう思うと自分も随分とあの頃から身体的に成長したのだと感じる。
     大切な記憶だった筈なのにどうして今まで忘れていたのだろう。
    釈然としない感傷と幼い恋情にしばし浸っているとばたばたとけたたましい足音が近づいてきて、部屋の扉が荒々しく開けられた。
    「お兄ちゃん!もう、いつまで寝てるの!遅刻するよ!」
    「咲希。」
     さっきまで見ていた幼い頃の咲希とのギャップの高低差で言葉が詰まってしまう。
    「お兄ちゃんどうしたの?体調でも悪い?」
    「い、いや大丈夫だ」
    これ以上咲希に心配かけまいとベッドから降りながら時計を確認すると、いつもは学校に着いているはずの時刻だった。
    「ま、まずい!急がなければ!」
    冷やりとした汗が背中をつたうのを感じながら階段を駆け下りる。
    急いで制服に着替え、髪型をさっと整えたあと朝食を食べることなく家を飛び出した。
    学校に着いた頃には授業開始を告げるチャイムが鳴っていた。
    その一日は本当にツイていなかった。神様が意地悪をしたのではないかと思うほど。
    朝は遅刻がバレて校門を閉めようとしていた生徒指導の先生に追いかけ回されるわ、夢を反芻しながら上の空で歩いているとサッカーボールが顔面に当たるわ近年稀に見る厄日だった。
    そして今は朝追い回してきた先生が罰として雑用を押し付けてきて校内を彷徨っている最中なのだ。
    「美術準備室ってどこにあるんだ...」
    長ったらしいお説教をほどほどに聞き流して、雑巾がかかったバケツと箒数本を押し付けられたため詳しい場所を聞きそびれてしまった。
    音楽選択の司にとって美術室には縁がなく、入学した当初の新入生向けの学校探索で場所を確認した以降入ったことがない。たしか司達が普段過ごしている教室棟ではなく向かいの棟の1階の端っこであったはずだ。
    準備室は大体隣に付随しているのでこの方程式に当てはめれば美術室の近くにあるのだろう。
    おぼろげな記憶を頼りに廊下を進んでいくと美術室を示す教室のプレートが見えると同時にその隣に美術準備室があることも確認できた。
    「ええと、ここか」
    バケツを床において片手で扉を開けようとするが、長い間開けられていないのか固くてうまく開けられない。しょうがなく箒を床において今度は力を込めて扉の取っ手に手をかける。力を思いっきりかけて扉を開けると、ガラガラと大きな音を立てて扉があいた。
    「扉を壊したらまたお小言をもらうところだった」
    危ない危ないと呟きながら箒とバケツを持ち直し中に入ると、覚悟していた使われていない部屋特有の埃っぽさはなかった。
    使われていない机や椅子が積まれていたり、古びたデッサン用の石膏像やキャンバスが置かれていたりと物置同然の部屋となっているのは一目瞭然だが。
    生徒指導の教師は長年使われていない部屋だと言っていたが、美術教師あたりが定期的に掃除をしているのだろうか。不思議に思いながら明日は雨の予報なのでとりあえず窓を閉めようと思い近づこうとすると、がたがたという物音が聞こえた。
    「誰かいるのか?」
    箒を胸の前で構えて警戒すると司の呼びかけに答えるように、にゃあと鳴き声が上がった。
    何だ猫か、と安堵のため息を吐き箒をおいて鳴き声のするほうへ歩いていくと、宛らジャングルジムのようになっている積まれた机の下に猫がいた。
    開いていた窓から迷い込んでしまったのだろうか。
    取りあえずこの部屋から出てもらわないと困るため、どうやって逃がそうかと考える。抱えて出すためにはこのジャングルジムから出てもらわないと不可能だ。
    「おーい、その、こっちに来てくれないか?」
    人間の言葉で呼びかけても意味がないことはわかっているが、ほかの方法が思いつかずとりあえず話しかけてみる。
    音に反応したのか猫がつぶらな瞳でこちらを見つめている。
    これはいけると思い、ほらおいでとしゃがみ込み両手を広げると勢いをつけて思いっきり飛び込んできた。
    胸ではなく顔めがけて飛び込んできたのは想定外だったため、尻餅をついてそのまま床に寝転がり痛みを堪えていると、司の胸の上に座りこちらを見つめている猫と目が合った。蜂蜜色の瞳が様子を伺うようじっとこちらを見つめている。
    撫でようと手を伸ばすと、ふいとそっぽを向き胸の上から降りたと思うとそのまま窓の外に出て行ってしまった。
    「何だったんだ」
    行き場のなくした手と温かさが消えていく感じに若干のさみしさを覚えながら本来の目的を思い出しのっそりと立ち上がる。
    今日は掃除道具の運び込みだけで許してくれるらしいが、明日から掃除を任されるのだと思うと気分が一気に沈み込んだ。夕焼けに染まった廊下を歩きながら今朝の彼について思いを馳せる。
    「また夢で逢えるだろうか」
     小さくつぶやくと遠くでにゃあと鳴き声がしたような気がした。





    二. 黄


     茹だるような暑さもなりを潜め、木の葉が色づきはじめたこの季節。遠足で行った公園で拾ったどんぐりで作ったブローチを咲希に渡すととても喜んでくれて、看護師さんに自慢すると言って宝箱に模したお菓子の箱に大切にしまってくれた。
    病室の窓からは金木犀の香りが漂ってくる。
    この香りを感じるといつも類のことを思い出すのだと伝えると笑われてしまうだろうか。そんなことを思いながら、すっかり汗もかかず登れるようになった屋上への階段を駆け上がる。
    「類、今日も来たぞ!」
     がちゃりと扉を開けるといつも空を見ている類はフェンスに背を向けてうずくまるように座っていた。
    「類!どうしたんだ!大丈夫か!」
    急いで駆け寄り顔を覗き込むと目は虚ろで焦点が合ってない。
    「類、ねえ!返事してよ!」
     どうしたらいいのかわからなくて涙がこぼれそうになりながら必死に呼びかける。しかしまるで司の存在に気が付いていないみたいで反応がない。
    「どうしよ、ぉ、お医者さん呼んでこなくちゃ……!」
     半狂乱状態になりながら医者を呼ぶために今来た道を戻ろうとするとぐいっと腕を引かれ、そのまま類の腕の中に引き込まれた。
    「待って、司くん。大丈夫だから」
     涙が溢れて類の患者衣に染みて冷たくなる。それを厭わず類は力強く抱きしめてくれる。
    冷たい類の身体に体温を与えるように背に腕を回すと、二人はしばらく無言のまま抱き合っていた。
    寸刻経つと類がぽつぽつと話し始めた。
    「この時期は駄目なんだ、どうしても」
    「類は秋が嫌いなの?」
    類から香る金木犀の香りはいつだって秋を連想させるのに、とは口に出さなかった。
    問いに答えるかのようにきゅうっと抱きしめる力が強まったためそういうことなのだろう。
    全身の筋肉を強張らせて司の小さな肩に顔を埋める類に、どうしてと理由を問うことはできなかった。何となく聞いてはいけない気がしたのだ。
    ざわざわと銀杏の葉が風に吹かれて擦れる音と冷たさを孕んだ秋風が二人の間を駆ける。
    肌寒さと心細さを誤魔化すように司も類の肩に寄り添った。

    _________________________


    すべての授業を終え放課後、今から昨日運び込んだ掃除道具を使って美術準備室の掃除を開始する。
    連日見る夢の影響か、日中どこか心が遠い場所にあるような心身が宙に浮いた感覚で過ごしていたが目の前の酷い有様にげんなりし、いつもの司に戻る。
    どこから手を付けようか暫く決めあぐねていたが、取りあえず換気のため窓を開けることから始めることにした。
    教室の後ろから順々に開けていくのだが、長い間閉ざされていたせいかひとつの窓を開けるのにも一苦労する。誰もいないのをいいことに、ふんだとかひぃだとか存分に声を出しながら強引にアルミサッシを引いていると背中にじんわりと汗が滲んできた。
    あと二窓だというところで司は次開けようとしていた隣の窓が半分開いていることに気が付く。
    そういえば昨日猫を逃がした(実際には逃げられた)際に閉め忘れたのだろうか、司はあまり気に留めず最後の固い窓を開け半分開いていた窓も全開にすると、ふぅと一息つき汗をぬぐった。
    構造上こちらはグランド側とは反対で山側のため、部活動をしている生徒の声も遠くにしか聞こえず人通りも少ない。
    司は窓から入ってくる爽やかな風を浴びながら体の熱を冷ます。
    雨ばかりのどんよりした梅雨の季節、久しぶりに湿気を含んでいない心地良い風を浴びることが出来たのに、天気予報を思い出して明日から暫しこの風を浴びることが出来なくなることを残念に思いながら教室の隅に放っておいた箒を見やり、重い腰を上げて作業を開始する。
    教師曰く、この教室を空っぽにするのは急ぎの要件ではないらしいからゆっくり日を分けて綺麗にしていこうと計画を立てる。帰るのが遅くなって家族を心配させてしまうのは本意ではない。
    「まったく、後々の面倒ごとを押し付けられたというわけか……」
    ため息を吐き今日は一先ず机や棚で埋まっていない教室の後ろの方の床を軽く掃いて、窓ふきをして帰ることにする。
    思ったよりも埃は溜まってなく美術教師あたりがたまに掃き掃除をしてるのかと思いながらごみ箱に捨てたのち司が頑張って開けた窓を丁寧に拭いて戸締りをしていく。
    サッシにたまっていたゴミを拭き取ったおかげで閉めるときは簡単だった。最後の窓を閉めようと鍵に手をかけるが壊れてしまっているのかクレセント錠がうまくかみ合わない。
    司では為す術がないので取りあえずそのままにして教室を出る。
    一応報告のため職員室に向かい件の教師を探したが、すでに帰宅したようで不在だったため明日会ったときに報告するとして茜色の夕日を背に帰路についた。


    三. 白

    色とりどりの葉をつけた木々もすっかりと衣を落とし、肌寒さから本格的な冷気が町を包み込む季節がやってきた。
    秋の間は元気がなさそうだった類も、冬が侵食し秋の気配が消えると元の調子を取り戻していた。
    今日も今日とて咲希の病室を訪れた後、屋上へ類に会いに来ている。
    「それでな、雪が降ったら窓辺に積もった雪で咲希と雪うさぎを作ったり……ッくしゅん!」
    司が大きくくしゃみをし、鼻をすすっていると類はあららと笑いティッシュペーパーを取り出し渡してくれた。大人しく類に拭ってもらい、ぶるっと寒さに身を震わせながらふと類の服装を見ると、最初にこの屋上で出会った時と服装が変わらないことに気が付く。
    「類はそんな薄着で寒くないのか?」
    司は不思議に思い純粋な疑問をぶつけると、類は一瞬固まったがその後何もなかったかのようにティッシュペーパーを丸めた。
    「僕はとても暑がりで寒いのが得意なんだよ」
    そう言ってまるで取り繕うように類は笑うが、幼い司には真意が読み取れなかった。
    「でもそんな薄着だと見てるこっちが寒くなってくるんだが……そうだ!」
    司が急に何かを思いついたように自身の鞄を漁る様子を、類は子供は表情が忙しなくころころ変わるなぁなんて思いながら眺めていると、首元にふわりとしたものが巻かれた。
    いつの間に背後に回ったらしい司が頬を桃色に染め楽しそうに類にマフラーを巻き付けていた。
    真っ赤なマフラーが類の新雪のように真っ白な頸を彩る。
    「どうだ、あったかいだろ!」
    積もった雪も溶けだしてしまいそうなほどの眩しい笑顔で司は笑った後、再びくしゅんと大きなくしゃみをした。
    「僕にだけマフラーを巻いたらキミが冷えてしまうじゃないか。ほら、おいで」
    類が手招きに従うと真っ赤なマフラーが解かれ、あっと思った次の瞬間には司の首にふわりとした感触があり、冷たい体温に体を包み込まれていた。
    「どうかな、温かいかい?」
    耳元で柔らかなテノールが響き、急に熱を持つのを感じる。ゆっくり首を動かすと存外近くに類の綺麗な顔があって慌てて前に向き直る。
    どうしたんだい?と不思議そうな類の問いに何でもないと食い気味に答え、五月蠅く主張する心臓の音を無視し、ちらちらと結晶を溢す空を見上げる。
    身震いするような寒さはいつの間にかどうしようもない熱さの熱に取って代わっていた。

























     
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