シャンデリアが煌めく高い天井の下、色とりどりのドレスを着こなした女性やスーツを見に纏った男性が思い思いに至る所で談笑を酌み交わしている。自分の下心を隠して柔かに行われる商談や、グレーゾーンの取引、取り分け盛んなのは今目の前で行われているような縁談だ。
最初は商談から始まったのにいつのまにか縁談にすり替わっていた。隣に娘を連れている時点でそうなることは何となく分かってはいたのだが。
「えぇ、ところで司様、結婚相手にうちの娘はいかがでしょうかな。家のことは全くの箱入り娘だが見た目だけは一等いいでしょう。隣に置いとくだけで面目が立ちますよ。」
がははと下賤な笑い声をたてるでっぷり太った男の隣にいる娘は、胸元のリングペンダントをしっかりと握りしめ、顔を青くして俯いている。きっとこの娘にはもう心に決めた人がいるのだろう。
「お言葉ですが、僕は面目云々より心の繋がりを大切にしたいもんでして。其方のお嬢さんもそうでしょう?」
我ながら完璧な笑みを作り上げるとお嬢さんはハッと顔を上げた。
では私はここで失礼、と固まる男とどこか安堵の表情を浮かべた娘を背にずんずんと人混みを分けていく。
すれ違う人の殆どに声をかけられ手を引かれそうになるが全て丁重に断りながら出口へと向かう。
こういう所はやはり向いていないというかあまり好かないのだ。外に出て新鮮な空気を肺いっぱいに吸う。さてと、これから迎えが来るまでの約一時間をどう潰そうか。別に歩いて帰れる距離ではあるのだが速攻で社交パーティーを抜け出したことがバレてしまうと後々面倒臭い。それに初めはもっと長い時間いることを強要されたがどうにか粘って渋々二時間だけにして貰えたのだ。
街はもう茜色に染まりかけていて、茅蜩が鳴き始める頃だ。人々が帰路を急ぎ、忙しなくなる大通りをネクタイを緩めながら歩く。やはりこの服装だと普通に散歩しているだけで目立ってしまう。人目を避けるため、ふと目に入った小道につま先を向ける。行き交う人々は目もくれない薄暗いその道がなんとなくこちらに来いと手招きしている気がする。どこか妖しい雰囲気のあるそれに引き寄せられるように小道に入っていくとそこは住宅の裏道のようなところだった。
夕顔や糸瓜やらが鬱蒼と生えている廃墟みたいな軒下もあれば、洗濯物が吊るされている生活感満載の家もあった。一際目を引いたのは今時珍しくなってきている立派な日本家屋だ。この寂れた裏道にひっそりと、だが堂々と建っている。今時世間はなんでも西洋の真似事をしようという風潮で、煉瓦造りの建物や洋服をきた人々などがあちこちで見られるようになった。
今回のパーティーだってそうだ。自分も含め、見る人みなスーツや色とりどりのドレスなどの西洋風の衣装を身に纏っている。
目の前の白塀から手入れの行き届いた松の木が覗いていたり、鹿威しのかーんと冴え渡った音がこの場所寂しさと荘厳な場所に響き渡る。
そっと門から覗き込むと縁側に佇む人に気がついた。
どうやら庭にやって来た雀たちに餌をやっているようだ。
藤色の髪を後ろでゆるく結び濃紺の着物を纏っている。和服を粋に着こなすその姿に珍しさからか将又別の感情からか分からないが小鳥と戯れる彼をつい目で追ってしまう。引き寄せられるように一歩足を踏み出すと、思ったよりも大きく地面を擦る音が響き、ピチチという鳴き声とともに鳥が茜色の彼方へ飛び去っていく。
やってしまった、と空から前へ恐る恐る視線を戻すと金糸雀色とばっちり目があってしまう。
綺麗だな、彼の瞳がやっと自分のことを捉えてくれたことの喜びが全身に走る。
いや、見惚れている場合ではない。今の自分の姿は誰がみても間違いなく不審人物だ。慌てて誤解を解くためにあれこれ考えるが、頭が真っ白で何も思い浮かばない。通報されたら十中八九捕まってしまうだろう。
どうしよう、どうしようと頭を抱えていると目の前の麗人はいきなり笑い出した。
「ふふ...あはは」
目の前に不審者(仮)がいるのにどこに笑う要素があるのだろう。笑う様子を眉間に皺を寄せてみてると着流しの男が近づいてきた。
「どうして笑ってるんだ、と思ってるんだろう?ふふふ、君 キミは表情や行動に感情が現れるタイプだね。慌てふためいた姿はとても面白かったよ。」
そういって肩をぽんぽんと叩いてくる。若干の恥ずかしさに自身の耳が赤くなるのを感じる。
「客人は久しぶりだしこれも何かの縁だ、上がっていきなよ」
未だ動けないままでいるオレを通り越して件の門に手をかけるとこちらをちょいちょいと手招きする。
その手に導かれるようにふらふらとした足取りで門をくぐる。
砂利が敷き詰められた道を飛び石を伝って歩くと、
例の立派な家が目の前に現れた。
男性はガラガラと引き戸を引き、家に上がることを催する。
おじゃましますと小声で呟き、家主の後を追っていく。通されたのは居間のようだ。少し待ってて、と言われ座布団に正座して待っていると、お盆を持って現れた。
ちらちらとこちらを覗く白い項にどぎまぎしながら誤魔化すように視線を逸らす。ふふ、そんな硬くならなくてもいいのに、と言いながらオレの眼前に麦茶とお菓子を置く。
ガラスのお皿に乗せられた水まんじゅうはぷるぷるしていて食欲をそそった。そおっと匙ですくって口に運ぶとひんやりとした甘さが口に広がり、緊張でかたくなっていた全身の力が抜けるのを感じた。
「美味しそうに食べるね、今度また買って帰ろうかな」
目の前の男は頬杖をついてこちらに微笑みかけてくる。
慌ててお礼を言おうとするが、そういえばまだ名前を聞いていないことに気がつく。
「あの、名前は」
「僕は神代類だよ、よろしくね」
「オレは天馬司です。ありがとうございました、神代さん。とても美味しかったです。」
「類でいいよ、よろしくね司くん」
「はい、かみ…類さん」
そういうと類さんは嬉しそうに笑った。
「そういえば君はどこから来たんだい?その服装から見るに、かなりのいい家柄のお坊っちゃまに見えるけど」
「あぁ実は近くで社交パーティーがあったんだが、恥ずかしい話どうもそれが苦手でな、逃げ出して来てしまったんだ」
照れから視線を彷徨わせながら説明すると類さんはふふっと笑った。
「それで偶々此処まで逃げてきてしまったということだね。偶然とはいえここで会えたのも何かの縁なのかもしれないね」
素敵だと思わないかい?その言葉を肯定するように食い気味に首を縦に振ってしまう。類さんは案外ロマンチストらしい。
類さんの質問に答えながら色々な話をしていると遠くで鐘が鳴るのが聞こえた。
壁にかかっている時計を見るといつの間にか迎えの約束の時間らしい。
「あの、そろそろ時間なのでこれで失礼する。今日はどうもありがとう、とても有意義な時間を過ごせた」
慌てて立ち上がりら少し無礼だが足早に玄関へ向かって靴を履こうとすると「待って」と後ろから呼び止められる。ぱっと振りかえると、思ったよりも近い場所に類さんの顔があって驚きのあまり固まってしまう。彼の藤色の髪が耳を掠める。
「僕も楽しかったよ、息苦しくなったらまたいつだって逃げてきていいから」
耳元で囁くと妖艶な笑みを浮かべた。
そこからどう帰ったのかは覚えてないが、気がついたら自室のベットの上に寝転がっていた。
おそらくフラフラと歩いていたオレをウチの優秀な使用人が捕獲したのだろう。
未だに鼻を掠める彼の香りが忘れられない。
そういえば彼のことは名前しか知らないことに気づく。
もう一度逢いたいな、掠れでる言葉を噛み締めると思いの外疲れていたのか微睡が体を支配し、眠りに落ちた。