とある考古学者の話 2 オスタニア大学の講義室。そこはある助教授の講義を聴こうと学生達で溢れかえっていた。数々の遺跡を調査し、確実に成果を積み上げ若くして考古学者となったダミアン・デズモンド。スリーピーススーツに耳に光るエメラルドのピアス。端正な顔立ちにはセル巻き眼鏡がよく似合う。名家の生まれである彼は、歴史好きが高じて家を出て考古学の道に入った。資料を読み上げながら人差し指で眼鏡を直す。それだけの仕草すら目にした女学生達からは熱視線と溜息が送られる。講義を一番後ろで聞いていたアーニャ・フォージャーは頬杖を着いたまま唇を尖らせた。アーニャはこの大学の研究機関で古語の研究を続けている。自分の研究が一段落したというのにこんな所で講義を聞いていたってつまらない。だけどダミアン自らここにいるように言われた為、仕方なくこんな所に座っているのだ。講義の終わりを知らせるベルが鳴り、学生達は教卓に殺到した。あっという間に学生に取り囲まれたダミアンは、目線でアーニャに研究室に行くように促した。
「すまない、今日は時間がないから質問は受け付けられない。来週時間を取るから質問がある者はその時に来るように。」
そう言って、ダミアンはその場を擦り抜けた。アーニャを伴い研究室に入りドアを閉める。途端に静かになった部屋で、アーニャは腰に手を当てダミアンを睨み付けた。
「アーニャだって忙しいのに、突然呼び出して講義を聞けとか何なの?用件だけ伝えてくれればそれでいいのに。」
「嘘つけ。今日はオフだって言ってただろ。それに、偶にはオレの良い所でもお前に見せようかと思って。どうだ、惚れ直したか?」
「バッカじゃないの?」
アーニャが大仰に溜息を吐きながらソファーに腰掛ける。それを見て笑みを浮かべながら、ダミアンは向かい側に腰掛けて長過ぎる足を組んだ。
「先月探し出したロザリオがあるだろう。」
「ああ、山奥の遺跡を探し出して見つけた黄金のロザリオね。あれは大変だったよね。人跡未踏みたいな場所にあるんだもん。よく探し当てられたよね!マフィアには追いかけられるし!」
アーニャが頬を紅潮させた。その時の冒険を思い出しているのだろう。中世の聖騎士団が聖地を奪還すると称して行った侵略戦争の際持ち帰ったとされる伝説のロザリオ。黄金と巨大なルビーが埋め込まれたそれは、持つ物に巨万の富を与えるとも永遠の命を与えるとも言われている。戦争を引き起こした暴君がこれ以上力を持つ事を恐れた時の聖職者が聖騎士団から盗み出し、密かに隠したという伝説の代物だ。それはダミアンの恩師であるオスタニア大学のシャーロット教授が長年研究し探し求めていた物だった。その教授が先年不慮の事故で亡くなったのだが、遺書には研究の全てはダミアン・デズモンドが引き継ぐようにと書かれていた。いずれ探し出し、人類の宝として信頼のおける機関に納めるようにと。それを聞きつけた兄から、デズモンドグループがスポンサーとなっている博物館のリニューアルオープンに伴い、展示の目玉とすべく探して来るよう命令に近い形で依頼を受けたのだ。
「それが昨日盗み出されてたっていうんだよ。」
「はぁ?!あんなに苦労して探し出したのに?」
アーニャは驚きの声を上げた。遺跡発掘は毎回命懸けだ。今回は本当に危なかった。宝を護る仕掛けは多数に渡り、おまけに同じ宝を巡りダミアンの所謂兄弟子であるライナー・エバンズ博士から命を狙われた。相手は若くして名声を手にし、恩師から研究を託されたダミアンを妬み、逆恨みしていたのだ。結局ロザリオはダミアンが手にし、麻酔針で眠らされたエバンズはマフィアと共に警察に引き渡された。彼はマフィアとも繋がりがあり、発掘した遺物をコレクターに流していた。余罪は多岐にわたり、無事収監された。……筈だった。
「それが、エバンズが脱獄したらしくてな。」
「えっ?どうやって?」
「手引きした者がいるらしい。あの宝は他所の機関も狙っていたし、コレクター達は喉から手が出る程欲しいだろうよ。」
「でも、博物館のリニューアルオープンの目玉なんでしょう?もう日にちがないじゃない。」
「だから取り返しに行く。一緒に来てくれだろ?アーニャ。」
ダミアンが笑みを浮かべ手を差し出す。それを見たアーニャは目を大きく見開くと、不敵な笑みを浮かべた。
「仕方ないなぁ。アーニャはダミアンの相棒だからね。」
差し出された手を掴み、二人は固く握手を交わした。
「盗品を捌くならもうこの国にはいないだろう。ここ数日中にデカい闇オークションがあるのはHKのカウロンシティだ。エバンズが通じているマフィアは東大陸のラオ・ファミリーとも通じている。オークションの主催はラオ・ファミリー。ま、売り捌くならそこだろうな。」
「HKか……。」
「表向きはセレブを集めたパーティーって事になってる。ほら、招待状。偽造しておいたぞ。」
「ありがとうございます、フランキーさん。」
ダミアンは内ポケットから分厚い封筒を取り出した。それを煙草屋のカウンターに置く。フランキーは封筒を受け取り、中を確認した。
「へへっ、ありがとよ。お前さんは金払いがいいからな。こんな情報ならいつでもくれてやるぜ。ところでアーニャちゃんは今度も連れて行くのか?」
「ああ、そのつもりですよ。」
「いい加減危ないところに連れて行くのはやめておけよ。下手すると命に関わるぜ。そうなればあの子の親が黙っていないぞ。」
「言ったところであいつは聞きませんから。あいつはオレの伴侶になるより相棒になりたいって言って婚約破棄するような女ですよ?それなら目の届くところに置いて守ってやる方が余程良い。」
アーニャとダミアンはイーデン卒業後に婚約関係を結んでいた事がある。その後、程なくしてダミアンは考古学の道に進んだ。着いていくというアーニャに、遺跡調査は危険が伴うから安全な場所で待っていて欲しいと告げると、そんな関係をダミアンが求めるなら婚約は解消する、と言ってあっさりと婚約解消されてしまったのだ。以降対等なパートナーとして、二人の付き合いは続いている。アーニャの気持ちは勿論わかる。だからアーニャが危険な場にも着いて来ると言うのならば、目の届くところに置いて何があっても守ってやるだけだとダミアンは思っているのだ。
「守るねぇ。それでも惚れた女を危険地帯に同伴させるなんてイカれた考えだと思うけどな。」
フランキーの心配も最もだ。だけどアーニャは昔から言い出したら聞かない女なのだ。それに、ダミアンと共にいられるよう、アーニャ自身が努力している事も知っている。
「あいつと一緒にいられるならどんな事だってしますよ。」
「決意は変わらないってか。そんじゃまぁ、これは餞別だ。」
そう言ってフランキーはカウンターに一本の万年筆を置いた。
「ペンは剣よりも強しってな。前回みたいにきっと役に立つぜ。」
ダミアンはそれを手に取り、興味深気に見つめた。蓋を外してみたが一見普通の万年筆だ。上部に小さな突起がある。
「おっと、そこを押すなよ。危ないからな。蓋を外してそこを押すと電流が流れるんだ。小型のスタンガンだぜ。」
なるほど。細工がしてあるのか。ダミアンは口の端を上げて笑った。
「ふーん、面白い。ありがとう、フランキーさん。HK土産、期待しててください。」
「おお、うまい酒がいいな。楽しみにしてるぜ。」
「それじゃまた。」
軽く手を上げ、ダミアンはその場を立ち去った。
HK、カウロンシティ。自国の文化と他国の文化が融合したエキゾチックな街だ。その街に降り立ったアーニャは、街のシンボルとも言える巨大な城塞を見上げ、ぽかんと口を開けた。
「すごい……新しい冒険の始まりだ。」
「用があるのはそっちじゃないぞ。」
ダミアンはアーニャの腕を引っ張りタクシーに押し込んだ。これから闇オークションが開催される高台にある古城に向かう。その古城では表向きはセレブのパーティーが開かれる事になっている。そこに潜り込むのだ。ホテルの部屋でタキシードに着替え、指輪とブレスレットを身に付ける。どちらも値の張るアンティークジュエリーで、デミトリアスのコレクションだ。やり過ぎかとも思うが、骨董の収集家と印象付ける為だ。餌は多い方がいいだろう。髪を撫で付け眼鏡を掛け直していると、続き部屋のドアが開いた。
「着替えたか?」
言いながらアーニャの姿を見た途端、ダミアンはあんぐりと口を開けた。アーニャは真紅地にゴールドの刺繍が入ったゴージャスなチャイナドレスを着ていたのだ。スリットからほっそりとした艶かしい足が見えている。髪は高く結い上げ、豪奢な髪飾りが乗っていた。手にはドレスと同じ素材で作られたショートグローブが着けられている。
「ばーん。アーニャ、可愛い?」
「バッ……おまっ、なんつー格好だ……!」
「ベッキーに見立てて貰った!ステキでしょ。」
そう言ってくねくねと腰をくねらせる。
「ブラックベル!あいつ……!また余計な事を……!」
「ここね、ホルスター付けてるから銃も隠せるよ!」
そう言ってアーニャは右足のスリットを捲って見せた。白い太腿に皮ベルトが巻き付けられ、レッグホルスターの中にレミントン・デリンジャーが入っている。
「こっちはナイフ。」
逆の方を捲ると確かにホルスターに小型のナイフが収納されている。
「どう?似合う?」
「似合うけどダメだ!足が見え過ぎだ!お前、何考えてるんだよ!」
「えーっ、ダメって言われてもこれしか持ってきてない。それに、胸は見えてないでしょ。いつも胸が見え過ぎだとかうるさいから。」
くるりと振り返ったアーニャを見て、ダミアンは目を見開いた。アーニャのドレスは背中から腰にかけてぱっくりと開いていたのだ。
「何だそれは!だっ、駄目だ!!着替えろ!!」
「これしかないって言ってるでしょ?」
「せめてショールを着けろ!それに物騒なもん付けやがって……!」
「ショールは持って来てない。武器はあっても困らない。それより時間!早く行こう!」
「あっ、おい!」
アーニャはダミアンの手を取ると、ホテルの部屋を出た。手配したリムジンに乗り込み、古城に向かう。シートに深く腰掛け足組みをし、ダミアンは苛ついていた。まさかこんな破廉恥なドレスをアーニャが身に付けるとは。
(帰ったら絶対ブラックベルに文句を言う!)
腕組みをした腕にアーニャの手が伸びた。
「イライラしないで。ね?それに、ベッキーは悪くない。行き先がHKだから相応しいドレスを選んでくれただけだよ。」
険しい表情を浮かべ横目でアーニャを見ると、アーニャは悲しげに潤む瞳でダミアンを見つめていた。
「……ほんとは似合ってないの?」
きゅ、と唇を噛み締めている。ふっくらとした唇が傷付きそうで、ダミアンはアーニャの頬に触れ、親指で唇を撫でた。
「言っただろ?似合うって。似合うけど、オレ以外のヤツの目に触れさせたくないんだよ。それくらいわかれよ。」
「わかってるけどダミアンの口からちゃんと似合ってるって聞きたかった。」
潤んだエメラルドがダミアンを見つめた。ダミアンは眼鏡を外し、アーニャに口付けようと身を屈めた。だが、その口を手で押さえられ阻まれてしまった。
「あ!ほら!着いたよ!」
アーニャの声に窓の外を見ると、リムジンは丁度城の門扉を潜るところだった。不自然な程眩い光に包まれた古城が全貌を表した。キスできなかった不満をそのまま顔に出し、ダミアンはその城を見つめた。あそこに目指すロザリオがある。パーティーへの招待状はフランキーが偽造した物がある。ダミアンの名もアーニャの名も敵方には知れているだろうから、招待状には偽名が書かれてあった。リムジンを降り、二人は腕を組んで城の中に入った。通されたパーティー会場には世界中から名だたるセレブが集まっていた。古物のコレクターと噂される人物の顔もチラホラと見える。用心深く辺りを伺うダミアンに対してアーニャは呑気だった。
「すっごいご馳走並んでる!ねー、ご飯食べてもいい?」
「緊張感のない奴め。」
「大丈夫。敵がいないかちゃんと探ってる。」
こうしていてもアーニャはテレパスのアンテナを張り巡らせ、ターゲットの気配を探っているのだ。
「やり過ぎるなよ。具合悪くなるぞ。」
「大丈夫。アーニャさんはもう大人だから。たくさんの人の心の声聞いても具合悪くならないよ。」
そう言ってアーニャは料理が置いてあるテーブルに向かった。その腕を引き止める。
「勝手に側を離れるなって。」
「もー、過保護なんだから。アーニャはもう子供じゃないんだぞ。」
アーニャは腕を振り払い、テーブルに向かって行ってしまった。舌打ちしてその後を追い掛ける。溢れ返った人混みに阻まれ、ダミアンは再び舌打ちした。オーケストラの演奏が始まり、人々が踊り出す。こうなったらアーニャを追うのも一苦労だ。目線だけはアーニャを見失わないように追う。突然、目の前に女が割り込んで来た。美しい黒髪に白い薔薇の花を挿し、黒のチャイナドレスに身を包んだオリエンタルな美女だ。この顔はフランキーから貰った資料で見た顔だ。ラオファミリーのボスの妾腹の娘、シンイー。地下で行われる闇オークションを取り仕切っている人物だ。まさかこんなに簡単に姿を現すとは。シンイーはダミアンを見つめ妖艶に微笑んだ。
「こんばんはミスター。見かけない顔ね。どちらからいらしたの?」
「……こんばんは、美しいレディ。フーガリアからです。こちらのパーティーは初めてでして。」
「まぁ、随分と遠くからいらしたのね。私はこのパーティーを主催しているシンイー・ラオよ。貴方のお名前は?」
「ディラン・ディーツと申します。ミス・シンイー。」
ダミアンは偽名を名乗り、女を誑かす笑みを浮かべた。偽名なのは向こうも承知だろう。ここには招待状がある者しか入れない。招待状はここに出入りする誰かが紹介しないと手に入れる事はできない。その為身元は割れているとシンイーは思っているだろう。
「よろしくね、ディラン。」
シンイーが差し出した手を取り、白い甲にキスを落とす。シンイーが赤い唇を引き上げ、笑みを深くした。長い睫毛の下からサファイアの瞳が探るようにダミアンを見つめている。その瞳がダミアンが身に付けているアクセサリーを見て動きを止めた。コレクターが見ればその価値はわかるだろう。
「……少しお耳を貸してくださる?」
そう言われ、ダミアンは身を屈めた。シンイーはダミアンの肩に手を添えると、耳元に唇を寄せた。
「フーガリアからわざわざこんな所までいらしたのは……もしかして貴方も地下に興味があるのかしら?」
息を吹き込むようにシンイーが囁いた。
(向こうから持ちかけてきやがった……!)
ダミアンは目を細め口の端を持ち上げると、シンイーの瞳を覗き込んだ。
「この城の地下では珍しい古美術を扱うオークションが開催されるという噂を聞いた事があります。私には本当の話かどうかはわかりませんけどね。ですが、本当ならば大変興味深い話ですね。」
「……だったら特別に招待してあげるわ。そうね。今夜一晩、私と過ごしてくださったら。」
真っ赤に彩られた爪先がダミアンの肩をそっと撫でた。性的な意図を持ったその触れ方に心の中で嫌悪しながら、ダミアンは笑みを深くした。
「……それは名誉な事です。」
視線の奥に、料理の乗った皿を持ち呆然と佇むアーニャの姿があった。
(アーニャ、聞こえるな?よく聞けよ。こいつがオークションの黒幕だ。オレはこいつと地下に行って来る。お前はホテルに戻れ。デズモンドの名前を使って警察に通報しとけ。絶対に後をつけて来るなよ。)
心の中でアーニャに向けて言葉を発しながら、ダミアンはシンイーの腰に手を添えた。