クロディ追加3 少し重たく癖のある扉を押し開けると、来訪者を報せる軽やかな鐘の音色がクロードの鼓膜を揺らす。アームロックで評判のカフェは、以前訪れたときと同様に賑わっていた。落ち着いた暖色を基調とした店内には、何処か懐かしさを感じさせるオルゴールの音色が響いている。
いらっしゃいませ、と声をかけてきた女性店員に二名で利用することを告げると、奥の窓際の席に案内された。途中、クロードの後ろをついてくる大男に店内の視線が集まっているのを感じたが、努めて気にしないことにした。店員の方は流石に慣れているのか、テーブルの上に手書きのメニューとお冷を並べると何事もなかったかのように去って行く。当事者であるディアスは、さっさと窓側の椅子に腰かけると素知らぬ顔でメニューに目を通し始めた。ディアスもディアスで慣れているのだろうな、とクロードは思いながら彼の隣の椅子に腰掛ける。
一つしかないメニューはディアスが手にしている為、肩を寄せて覗き込んだ。
文明の発達していないエクスペルでは当たり前のように使われていた手書きのメニューも、地球以上に文明の発達しているエナジネーデでは珍しい。牧歌的な空気の漂うノースシティですら、飲食店の注文は、全てタブレット端末に似た電子ツールで行った。手間取るレナやアシュトンを他所に、プリシスは面白がってすぐに使いこなしていた。ディアスはどうだったかな、とメニューから視線を外して隣の男の様子を窺う。
頬杖を突く端正な横顔は、何処か物憂げな空気を纏っていた。意外と長く弧を描く睫毛の影が落ちる瞳は、熟れた果実の赤い色をしており、その真摯な眼差しは手元のメニューただ一点のみに注がれている。
改めて思い返してみても、ディアスが端末による注文に手間取っていた様子は記憶にない。記憶の中に印象深く残っていないということは、特に躓くことはなかったのだろう。長く一人旅をしていると、大抵のことはそつなくこなせるようになるものなのかも知れないな、とクロードは思った。
「近いな」
平坦な声が降って来る。顔を上げると、メニューに注がれていた筈の赤い眼差しと克ち合った。心臓が露骨に跳ねる。
本当だ。近い。窓から差し込む自然光を受けたディアスの、淡く光る産毛の一本一本がくっきりと判別出来るくらい近い。
突然話し掛けられたことにではなく、無意識の内に詰めていたディアスとの距離の近さにクロードは驚いた。
「……ディアスがメニュー、独り占めするからだろ」
努めて平静を装いながら、クロードは言った。傾いていた上体を起こす。遠ざかる肩に触れていた数枚の布越しの体温に、名残惜しさを感じるのは気のせいだ。
溜め息と共に、ディアスが二人の間にメニューを置いた。
「何を頼むか、ディアスはもう決めた?」
クロードが問うと、ディアスは首を傾けてから、いや、と小さく零れるように囁いた。
「チョコレートパフェは以前頼んでいるからな」
「ああ、あのめちゃくちゃ甘そうなやつ」
積み重なった暴力的なチョコレートの層を思い出しながらクロードは相槌を打つ。
「口に合ったなら、また同じものでも良いんじゃないか」
迷うくらいなら二つ三つ頼んでも良いし。クロードは付け加えた。だが、ディアスは首を縦には振らない。眼光鋭く、睨み付けるようにメニューを眺めている。鬼気迫るその様子は、敵と対峙したときのように殺気立ってすらいた。こわい。
「それならもういっそ、胸のときめきでも頼もうか。ディアスが飲むなら付き合うよ」
ディアスと違って特にこだわりのないクロードは、以前アシュトンとこの店に立ち寄ったときのアクシデントを思い出しながら提案した。すると、そこで漸く彼の意識がクロードの方を向いた。
「どうしてオレが注文する物に、お前が付きあう必要がある」
「そういう仕様なんだよ。頼んでみたら判るよ」
「分かった。それだけは頼まないことにしよう」
そう言って、結局ディアスはブルーベリィパフェを、クロードはキャラメルナッツのタルトをそれぞれ注文することにした。
デザートを待っていると、近くの席の恋人同士らしい男女のところへ見覚えのあるハートを模ったストローの刺さった大きなグラスが運ばれて行くところが見えて、クロードは思わず口元を手で押さえた。「胸のときめき一つ、お持ちしました」店員が声高に告げると、男女の目の前にグラスが置かれる。そして目の前の二人は少し照れ臭そうに、それでも仲睦まじい様子で肩を寄せ合ってストローを口に含んだ。ぼくとアシュトンもあんな感じだったのかな。かさぶたを剥がして塩を塗り込めるような心地で、クロードは愛し合う二人を見守った。
「クロード。あれを勧めたのか、おまえは」
信じられないものを見るかのような、手酷く裏切られて傷付いたかのような目のディアスに見詰められる。
「そうだよ」
「オレを貶めるだけでなく、おまえまで好奇の目に晒されるとは思わないのか」
「別にディアスを貶めるつもりはなかったんだけど……と、言うかぼくはもうアシュトンと経験済なので。今更一人も二人も変わらないよ」
乾いた笑いと共に、かつて自分の身に降り掛かった事実をクロードは吐き捨てた。
「おまえと、あの男が……」
目の前で胸のときめきを堪能する恋人たちに在りし日のクロードとアシュトンを投影してその姿を想像でもしているのか、心なしかディアスの顔色は蒼褪めて見える。
「因みにアシュトンはレナともあれでお楽みだったよ」
アシュトンと胸のときめきを堪能したあと、レナにもタイミング悪くケーキを食べないか誘われた。申し訳なく思いながらも、いろいろな意味で甘いものに辟易していたクロードが彼女の誘いを断った直後、店内で胸のときめきを楽しむ二人の姿を確かに見掛けた。嘘は言っていない。
「おまえだけでは飽き足らず、レナにまで手を出したのか、あの男は」
「その内ディアスも出されるんじゃない?」
想像で隣の男に矛先を向ける。だが、ディアスはクロードの軽口をせせら笑うだけで何も言わなかった。だから解った。この男の中には、手を出されるかも知れないという予感が少しも存在していない。
問答無用で恋人同士の飲み物を注文していたら、彼はどんな反応をしたのだろう。そんなことを考えている間に、注文したタルトとパフェがクロードとディアスの前に並んだ。