クロディ追加4 運ばれてきたタルトにフォークを突き立てる。堅い。キャラメルコーティングされたナッツに阻まれて、なかなかタルトを割り崩せない。垂直に、力任せにフォークを仕込むと、勢い余って皿に突き当たり硬質な音が響いた。
無様に散ったナッツとタルトの欠片を掻き集めて口に含む。咀嚼すると、ほろ苦いキャラメルと、アーモンドやクルミ、ピスタチオにヘーゼルナッツといった芳ばしい木の実の香りが鼻腔にまで広がった。
横にいる男も少し食べるだろうか。目配せしたものの、ディアスは一心不乱にブルーベリィパフェの山を崩していてクロードの視線には気が付かない。やめよう。邪魔をしては悪い。それに、彼にかかると一口では済まない気がする。
ディアス越しに覗く窓からは、風に揺れる新緑が見える。恒星の光を透かした木漏れ日が、褪せた木製のテーブルに濃い緑色の影を落とていた。
「なぁ、ディアス」
呼びかけると、パフェを掬う手が止まる。
「レナ、ずっと指輪をしてるんだ。気付いてた?」
「……緑色のあれか」
「エメラルドだよ。レナの誕生石なんだって」
「そういえば、そんな話を聞いたこともあった気がするな」
あまり興味なさそうに呟いてから、ディアスはトッピングされたブルーベリィをアイスクリームごと掬い上げて口に運んだ。
「ぼくは、そんなことも知らなかった。知ってたのはアシュトンだ」
またあの男か。眉間に皺を寄せて、下唇に付いたベリーソースを舐めとりながらディアスは言った。胸のときめきの印象が尾を引いているのかも知れない。
「アシュトンが選んで、セリーヌさんがプレゼントしたんだ。レナが教えてくれた」
サルバでのレナとの会話を思い出しながらクロードは言った。ディアスからのいらえはない。彼のパフェを食べる手は止まったままなので、話を聞いていないわけではなさそうだと判断したクロードは、勝手に喋り続けることにした。
「アシュトンはレナが好きなんじゃないかな」
憶測を口にする。それから、ディアスの様子を窺った。パフェの底に埋め込まれたフレークが、じゃくりと潰れる音がする。そうして掬い上げたパフェを、彼は無言で咀嚼した。思案顔にも、何も考えていないようにも見える、絶妙な横顔だ。
手持無沙汰になったクロードは、タルトから外れた大きなアーモンドの塊にフォークを突きさしにかかる。けれど楕円形の堅い木の実は、皿の上で転がり滑ってクロードの手から逃げていく。
「根拠は?」
申し訳程度に先を促す声が返る。一応、話題が大切な幼馴染みに関する内容だったのでクロードの話はきちんと聞いていたらしい。
「好きな娘の誕生石だから調べて、覚えてて、タイミング良く勧められたのかなぁ、って」
「そういうものか」
「想像だけど」
行儀悪く頬杖を突きながら言った。父さんが見たら咎められただろうな、とクロードは思った。
「最初はアシュトンがすごく石に詳しい石オタク、って線も考えたんだけど。何か、レナのことが好きだから知ってた、って方がしっくりくるだろ」
クロードが断ったレナの誘いをアシュトンは受けた。身を寄せ合ってストローを咥える二人の姿は、気恥ずかしさからかぎこちなくはあったが、お互いまんざらでもないように見えた。先だってクロードと胸のときめきを体験していたアシュトンが、分かっていて敢えて好意を抱いている異性と飲む為に注文した可能性は大いにありうる。
「誕生石ってのも口実でさ、本当は自分の眼と同じ色の石をレナに選んで欲しかっただけなのかも」
神護の森を彷彿とさせる、アシュトンの深い緑色の眼差しを思い描きながらクロードは言った。或いは、紋章兵器研究所周辺に拡がっていた広大な森の色にも似た彼の双眸に、レナもまた懐かしさや安心感を覚えるかも知れない。
「……おまえはそれでいいのか」
「いいも何も、選ぶのはレナだ……ディアスこそ、このままでいいのかよ」
居住まいを正すと、クロードは隣の男と向き合った。誕生石と同じ色の眼で、ディアスがクロードを見詰めていた。その双眸に映る青年の表情は堅い。まるで血の海に沈んでいくようだ。
「好きなんじゃないの、レナのこと」
言ってしまった。微かに見開かれた柘榴色の眼を見詰めながら、後悔した。けれどそれも一瞬のことだった。
「何を言い出すかと思えば」
下らんな。断定的な問いを一蹴すると、ディアスはクロードが皿の上で持て余していたアーモンドを摘まんで口の中に放り込んでしまった。
「レナは妹のようなものだ」
「ようなものであって、本当の妹じゃないだろ。ぼくにレナを守らせて、諦めようとしてるように見えることがあるんだよ。それか、妹だって自分に言い聞かせてるんじゃないかって」
返事の代わりに、無骨な指が再び皿へと伸びてくる。タルトの欠片が攫われる前に、クロードはその手首を掴んで捉えた。
「気付いてない?」
「……おまえに何がわかる」
「わかるさ」
今度はクロードが一蹴する番だった。掴んだ手首はすぐに解放して、代わりにタルトを手に取った。最初からこうして食べれば良かった。
「人間ってさ、自分の中にある感情は、他人の中にも見付けやすいものなんだよ。ディアスがレナに惹かれるぼくに気が付いたのは、あなた自身の中に、レナをただの妹としてはもう見れない感情が芽生えていたからなんじゃないのか」
一息に言い放って、噛り付く。分厚いタルト生地を噛み締めると、染み出たバターが舌に絡んだ。
「どれだけぼくがあなたに憧れて、あなたのことを見てたと思ってるんだ」
またしても言ってしまった。ディアスの怪訝そうな視線を、向き合うまでもなくひしひしと感じる。更に気が付かないふりをしていたが、店員や他の客の視線も集まりつつあるように感じる。だが、知ったことではない。後悔は既に遠い。
「大事なら自分で守れば良いだろ。回りくどいんだよ」
ナッツもタルトもまとめて噛み砕いて咀嚼している内に、段々腹が立ってくる。珈琲が欲しい。
「ほんと勝手なんだよ——ディアスも、父さんも」
目を閉じる。目蓋の裏側に、カルナスの最期が蘇る。
「……何故、父親が引き合いに出る?」
少しの逡巡する気配のあと、問いを投げるディアスの声を耳が拾った。
「思い出したんだ。知の場で。父さんも昔、ぼくにディアスと同じことを言ってた」
母を守れ、と父は言った。同じだった。
「力があるのに、ディアスも父さんもぼくにばっかり押し付ける。言われる度に、ぼくがどれだけ惨めな気持ちになるか、わかろうともしないで」
卑怯者。死者を、隣に座る男を罵る声を絞り出す。
知の場だけではない。十賢者を倒す為に、ネーデ中を巡って回った四つの場はどれも、クロードの忘れていた、或いはクロードの知らない父との記憶に触れるものばかりだった。
どうして忘れていたのだろう。どうして知らずにいられたのだろう。どうして父はあんなことを言ったのだろう。クロードの疑問に答えてくれる人間はもういない。死んでしまったからだ。
どうしてネーデの試練は、父との記憶ばかりをクロードに視せたのだろう。どうして想いを募らせて再会に胸を膨らませても、叶わない未来をどうして期待させるようなことをしたのだろう。
そうだな、とクロードの罵る声を隣で生きている男が肯定した。
ディアスは再びスプーンを動かし始める。溶けて崩れたパフェは原型を留めていなかったが、彼は綺麗に残さず食べ切った。ついでに、何も言わずにクロードの皿に残っていたタルトも攫っていた。