事後のピロートーク ギシギシとベッドのスプリングが軋む音がする。そこに濡れた粘膜を掻き混ぜる音と湿った肌を打ち合わせる音、そして自分のはしたない喘ぎ声。何度こうした行為を重ねても、絶頂を迎えた時には得たことのない幸福感に満たされ、痙攣する下腹を更に揺さぶるように彼が腰を打ち付けると、ぎゅっと抱き締められ、悩ましげな吐息が耳朶に触れる。余韻を味わうように体を密着させたまま息を整え、ゆっくりと体を離すと、使用済みのラテックスの薄膜をゴミ箱に捨てて、広いベッドの上で並んで横になった。
無惨は「終わった」からと言って、急に煙草を吸ったり、スマホを弄ったり、ひとりで勝手にシャワーを浴びに行くような真似をせず、優しく黒死牟を抱き締めるのだ。
「シャワー浴びに行くか?」
「いえ、もう少しこのままで」
「そうか」
そんな会話をすると、ポンポンと背中を叩かれ、額に軽くキスをされる。
自分も「男」なので解る。ストレス発散も含めて、こういう行為をしているのだ。だから、終われば、さっさと解放されたいだろう。だが、無惨は自ら望んで、男が「面倒」だと感じる時間を黒死牟を共に過ごすのだ。
人に話すような内容ではないので言ったことはないが、黒死牟はこの時間、所謂ピロートークが凄く好きだった。
少し酒が入ったフワフワした状態で無惨と愛し合い、その行為を反芻するかのように指を絡め合い、眠るまでの僅かなひとときに、言葉を交わしたり、ただ見つめ合ってキスをしたり、取り留めのない時間を過ごす。
たっぷり愛し合った為か、こうして汗ばんだ肌を密着させていても、性的な興奮を催すことはなかった。上昇した体温が香水の匂いを更に強くするが、その匂いを心地好く感じ、この匂いを知るのは自分だけだと思うと、妙に満たされた気持ちになった。
火照った肌や欲が自然に鎮まり、互いにやや冷静な状態になっても、こうして触れ合っているのは心地好い。恐らく無惨自身は現実に戻るまでのオフタイムかもしれないが、黒死牟にとっては覚めない夢の続きを見ている気分だった。
無惨の腕枕で、今日あった身近な出来事や、夕食で行った大衆的なイタリアンのアヒージョが美味しかった話、あまりに美味しくて黒死牟が追加のバゲットを注文して「そんなに食べるのか?」と無惨が若干驚いた話など、ベッドで話すにしては色気のない話題を二人は笑いながら話す。
絡めた指先を動かしながら、黒死牟は少し恥ずかしそうに言う。
ぼんやりとした頭が捻り出した言葉は、率直な感想。
それは仕事も含めた時間も含め、無惨に体の隅々まで愛される行為そのものへの感想である。白い胸元につけられた赤紫のくちづけの痕を指先でなぞると、その上に無惨はそっとキスをする。
今日だけではない。昨日も一昨日も、その前も、一年前も、きっとこれから先も、無惨と過ごす時間は最高という言葉では足りないくらい満ち足りたものだ。このような粗末な言葉でしか表現できない自分が憎い。
だが、無惨は唇にそっとキスして、少々はにかんだ笑顔を見せる。
「恥ずかしいことを言うな」
そう言って抱き締める無惨の背中に腕を回す。
人は一生のうちに得られる「幸せ」の総量が決まっていて、得たら得た分だけ総量から目減りしていくのだと思っていた。なので、無惨と出会い、共に生きていくことで、自分は幸せを使い果たしていると、抱き合って過ごす、この時間に話すと、こつんと額を小突かれた。
「馬鹿馬鹿しい。どれくらいの量が『総量』なのだ。数値で証明できない話をするな」
と愚か者扱いされた。
「ましてや幸せなど個々人の主観。人によってはお前の人生や私の人生を不幸だと感じる者もいるぞ。絶対的な『幸せ』の基準など存在しないから、『総量』など存在するものか」
言われてみればそうだな、と妙に納得してしまう。
微睡みの中で話すにしては面倒な話題だと思っていたが、それは彼の面倒臭い一面に火を付けてしまったようで、話が一向に止まりそうにない。
哲学的な話題になると持論を展開するので、そろそろ寝たいのに厄介だなぁ……とさえ思えてくる。
彼の美しい顔も、甘い香水の匂いも、優しい彼の声も、燃え尽きそうな行為の余韻も、色気のない話題が消し去ってしまう。
だが、彼の腕の中なので、疲れて寝たふりをして、そのまま眠ってしまおうと思っていると、彼はこう話す。
「お前の心の中にひとつのバケツがあって、それ一杯分の幸せしか貯めることが出来ないなら、私がそのバケツの底をぶち破ってやる。一生満たされず、貪欲に求め続けろ。お前が求めるなら、そのすべてに私が応えてやろう」
やだ、かっこいい……と呟いたが、それが夢か現か解らない。
覚えているのは、無惨の体温と「おやすみ」という優しい声だけだった。