お気に入りまくら こはくさんは俺のお尻が好きである。
このことに気がついたのは、出会ってから一年と少しが過ぎた頃だった。
俺たちは同じユニットの仲間として短くも濃い青春を過ごし、やがてその形を失いながらも、互いの手を離すことができずに距離感を探り探り共に過ごしていた。
寮の俺の部屋は同居人が三人もいてなかなかこはくさんを招くことはできなかったが、逆にこはくさんの部屋は簡単に二人の時間を作ることができる。もちろんジュンさんを交えてのんびり過ごすのも悪くないが、俺はこはくさんが「今日一人なんやけど」なんてメッセージをくれるのが楽しみで仕方がなかった。
この子の前では無理をしてテンションを上げる必要もないし、かまってほしいときはちょっかいをかければ、嫌そうな顔をしつつも応じてくれる。肩の力を抜いて、表情を取り繕わずにそばにいることのできる関係というのはありがたいものだ。
というわけで今日も俺はこはくさんの部屋にいるわけだが、ただいまこはくさんは絶賛俺のお尻を枕代わりにしてネットサーフィン中だ。
俺は俺で隅っこに寝そべっているのだが、こはくさんもさっきから窮屈そうにころりころりと寝返りを打っていて、体勢が定まらない。そんなに広くないベッドなんだから、わざわざそこで寝なくてもいいじゃないか。
出会った頃からあまりこはくさんがボディタッチに対して良い顔をするところを見たことがない。俺はボディタッチが多いほうだが──意識してそうしているわけだが──こはくさんにはことごとく不評だった。肩を組むのも高い高いをするのも、ハグをするのも駄目だった。いつも鬱陶しそうに振り払われてしまうので、俺はそのたびにまったく懐いてくれない猫を相手にしている気になったものだ。
それならば、この子が嫌がっているのならば控えなくてはと最近はかなり気を遣っている。挨拶は大きな声だけにとどめて、出会い頭に高い高いをするのもやめた。染み付いたくせはなかなか抜けないもので、ついつい手が出そうになってしまうのが困りものだ。
けれどそうすると、ここ最近、気のせいかもしれないがこはくさんからの接触が多くなってきた。俺は我慢しているのになあと面白くない一方で、こはくさんから誰かにくっついていくのが意外で、しかもその相手が俺だなんて、ちょっと、いやかなり嬉しい。
さり気なく肩を叩かれたり、手を引かれたり。少し前は、仕事で良いことがあったと報告したら頭を撫でてくれた。むず痒いが、嫌じゃない。
ただし。
「……なあ、こはくさん」
「お?」
「さすがにその……君、これでいいのかあ?」
俺のお尻を枕にしたのはこはくさんがはじめてだ。
ベッドを使っても良いと言われたので寝そべって雑誌をめくっている俺の、お尻にこはくさんの後頭部がどんと乗っている。
「ええっち、なにが?」
「いやあ、うーん……俺のお尻ってそんなに居心地がいいかなあ」
肩越しに振り向いて苦笑すると、こはくさんはきょとんとして頭を持ち上げた。
「ええよ。あったかくてやあらかいし」
「そうかあ、それは良かった。じゃ、なくて」
あらためて言葉にされるといたたまれない。俺にだって人並みの羞恥心くらいある。
なんと返そうか、しかめっ面で考え込む俺を見て、何を思ったのかこはくさんは枕の性能の良さを語り始めた。
「前々からええ形やなとは思っとったんよ。あの長いズボンがぴたっと似合う、かっこええお尻やなぁって。力が抜けとるときはふわふわで、あったこうて、ほんでこの弾力がたまらんねん」
もちもちと他人のお尻を揉みながら批評するのは止めてほしい。
なぜか得意気にこちらを見つめるこはくさんの瞳が眩しい。
「ええと……まあその、お褒めの言葉はありがたく。だけどなあ、君、たとえば俺が今こはくさんのお尻を枕にして本を読み始めたらどう思う?」
「えっ」
これがこの子の、気を許した人間との距離感なら、それを見せてもらえていることを俺は嬉しいと思う。だけどそれにしたって、これはやはり少々恥ずかしいのだ。そういうことは、こはくさんにはまだ早いと思うし。
飛び起きて、しばらく真剣な顔で腕組みをしていたこはくさんは、何を思ったか後ろに手をやって自分のお尻をさわり始めた。
「……わし、ぬしはんほどコンディション良くないで。それでもええんか?」
「んっ、んふっ、くくくっ、くっ……あはっ、そうきたかあ!」
神妙な顔でそんなことを言うので笑ってしまった。
こはくさんは相変わらずもちもちと自身のお尻を揉みながら「修行不足や」なんて渋い顔をしている。
「いや、でも、だらしないことしとる自覚はあったんよ。どうも斑はんの前だと気が緩んでしもてかなわんわ。腑抜けてしもてるなぁ、わし」
「あはは、かまわないぞお! 俺としてはこはくさんがラクに過ごせるのならそれが一番だと思ってるし。まあこれまでの君を見てきたから、少し戸惑ってしまったのは確かだけどなあ」
「これまでのわし?」
「ほら、君、あんまりベタベタさわられるの好きじゃないだろう? こはくさんはこういうの苦手かなと思ってたんだ」
「あー……」
気まずそうに目をそらすと、こはくさんは至近距離で他人の熱を感じると反射的に身構えてしまうのだと教えてくれた。
俺にも身に覚えがある。
あまり自分にとって良くない状況において、たとえば周りを腹の中のわからない連中に囲まれているような状況下では、俺もそうなる。身体に叩き込まれた教えの数々は、俺たちを容易に他人と距離を縮めることが難しい人間へと仕立て上げていった。
「けどまぁ、ぬしはんとおるときは、もうそんなんも気にならんくなってしもたわ。ただ、おんもであんまり引っつかれると恥ずかしいやん」
ふいっとそっぽを向くこはくさんの目元が、じんわりと色づいている。
途端に、むくむくと自分の中から悪戯心が湧き上がってきた。
なんだ、恥ずかしいだけか。それなら、もう我慢しなくてもいいよなあ。
「ふーん?」
「あっちょ、いきなり抱きついてくるんやめぇ! 重いんじゃ」
「さっきまで他人のお尻を敷いてたくせに何言ってるんだか。使用料だ、使用料」
素っ頓狂な声を出して暴れるこはくさんを腕の中に抱きしめて、俺は満足して大きくため息をついた。
どうやらそばにいて安心できると思っていたのは、俺だけじゃないらしい。一方通行じゃないというのは、なんだか嬉しいなあ。これからは今まで以上にたくさんこはくさんに引っついていくことにしよう!
ベッドの上でごろごろじゃれ合っていると、そのうち部屋の外から誰かの足音が聞こえて俺は慌ててこはくさんを解放した。
その隙にまたこはくさんが俺をごろんとうつ伏せにして、例のごとくお尻に頭を乗せた。
なんだかやっぱりそこに頭があるのは落ち着かないんだが、仕方がない。あとで使用料をたっぷり貰おうと心に決めて、俺はまた雑誌に目を落とすのだった。