ジェパサンSS血の気の通っていない腕に触れる。その脈に触れれば、一切の鼓動を感じ取ることが出来なかった。
吹雪の吹き荒ぶ中で、ジェパードは目の前の遺体を抱いて愕然としている。紺色の髪、その下にある瞼は静かに閉じられていた。皮膚を伝う血は、寒さで半ば凍りかけている。
「何故……」
そう呟くジェパードの腕の中で、サンポは死んでいた。何度脈を測ろうが、その呼吸を確かめようが、全ては停止している。ただ、その腕に乗る肉体だけがサンポが存在していた証明だった。
彼の遺体を発見したのは、偶然と言える。常冬峰の見回り中のことだった。争った後を発見しその周辺を探っていた時に、血塗れで倒れるサンポを発見した。既に、心肺停止を確認している。手を施す間も無く、サンポは絶命していた。
(視認する限り四肢に目立った傷はないが……頭部からの出血が激しい。これが、死因か)
ショック死か、失血死かまでは分からない。遺体を持ち帰り、解剖すれば判明するだろう。
サンポが何故、このような場所で死んでいるのか──そもそも、何故死に至ったのか。ジェパードには、その理由が思い当たらない。リスクを承知で動く彼だが、引き際は弁えている男だ。頭部に一撃を喰らうような、そんなヘマをするとは思えない。特に、この裂界の危険性をサンポも分かっていたはずだ。シルバーメインと同じ……いや、それ以上の経験がある男が、このような場所で気を抜くはずもない。裂界生物に襲われたと仮定しても、数ある手段で逃げ果せるのは容易いだろう。
ぐしゃぐしゃの思考で、ジェパードは考え込む。思っていたより綺麗なサンポの死に顔は、今にも目を覚まして動きそうだった。
それも、ただの希望でしかない。紫色に変色した唇は、軽口も情熱的な言葉も、二度と聞くことはないのだろう。
全てを無理やりに飲み込んで、ジェパードはサンポを抱き上げた。手に持っていた『砦』は、背中に背負う。
(死体を持ち帰り、医療班に預け……兵士を連れて、辺りの捜索か)
脳内で淡々と、今後の予定を組み立てる。サンポの死亡状況の確認が取れたら、下層部にいるナターシャにも連絡をしなければ。後は、誰が死体を引き取るかだが、恐らくは地炎の方で処理してくれるだろう。ジェパードが出来るのは、そこまでだ。
葬式はするのだろうか。自分が参列することはないだろうが、遠くで偲ぶことはできるだろう。
「サンポ」
何となく、呼びかけてみる。もちろん返答はない。当たり前だ、死んでいるのだから。
(涙も出てこない)
死を当然のように受け止め慣れたジェパードの目から、悲しみは溢れない。泣こうとしても泣けない。まるで、泣くことを忘れたように。吹き荒む吹雪に、涙腺ごと涙を凍らされたのかもしれない。
ただ、少し空いた胸の穴が虚しい。ジェパードにとって、死を受け止めるとはそういうことだった。
それを嘆いて、泣いているなら武器を持ち立て。そうしなければ、ただ犠牲は増える一方だから。心が無いのかと言われたこともある。だが、心を持って悲しみに暮れることで何を護れるのか。命がそれで救えるのなら、痛みと慟哭の中で武器を持って戦う必要なんて何処にも無い。
そうして、戦っているうちに泣くことを忘れてしまったのかもしれない。人間としての機能の欠如に、ジェパードは今更ながら自身を嘲笑った。
(君なら、こんな時なんて言うだろうな)
腕の中で眠るサンポを見て、ジェパードは思う。
(死ぬなよ、勝手に)
その手首に、手錠をかけるまでは生きていろ──身勝手なことを考える。死んだ相手だ、何を言っても許されるだろうさ。
小さい歩幅で、雪原を行く。雪を踏み締める音と風だけが、ジェパードを取り囲んでいた。その腕に収まるサンポの頭部から流れる血は、既に凍り固まっている。
改めて、その身体を見た。至る所がボロボロだが、目立った傷はない。やはり、頭部の怪我が致命的だったのだろう。そう思って、ジェパードがその部位に視線を移した時、足元を何かが掠めた。
「──……ッ!」
風で飛んできた小石などではない、明確な敵意を持った攻撃。雪を蒸発させた熱線は、少し先より放たれていた。ジェパードの視線の先には、白い頭部を身体を持った裂界生物がいる。唯一、黒い右腕からは刃の様なものが確認出来る。ヴォイド・レンジャー──開拓者が言った名前をジェパードは思い出した。その周りに、シルバーメインの装備を纏った生物が、三体いる。それら全てが、回収し損ねた兵士の死体を元に生まれたモンスターだ。その手に持つ斧は、青白く発光している。
「こんな時に……」
言葉を漏らしながら、敵の接近に気が付かなかった自身の怠慢に眉を顰める。サンポの死に、少なからず動揺していたのかもしれない。
「サンポ、少し待っていろ」
彼を雪の上に横たえ、ジェパードは『砦』を構える。大きく息を吸い込み──一息に、地面を強く蹴り上げた。
敵との距離を二歩で詰め、『砦』を振り被る。モンスターの頭部を容赦無く打ち砕き、ヴォイド・レンジャーの迎撃を右手の籠手で受け流した。モンスターといえど、意志はあるらしい。ジェパードの初撃に怯んだ二体のモンスターが、狼狽している。
その隙を見逃すほど、ジェパードは甘くない。
「ふっ!」
その内一体の頭を狙って蹴り飛ばす。その重い一撃は、モンスターであろうがその外骨格ごと砕く威力だ。しかし、武器で防がれ体勢を崩すことしかできなかった。
《────!!!》
ノイズのような唸りを上げながら、残された一体が武器を横薙ぎに振り抜く。その一撃を『砦』で受け止め弾き返した時、横から迫るヴォイド・レンジャーの攻撃が迫っている事に気がついた。
「く……っ」
首を狙う熱線を、寸で躱す。屈む様に避けて、一歩その場から退いた。焼けた服の匂いが鼻につく。
ヴォイド・レンジャーの前に、モンスターたちが立ち塞がり壁になる。
(一体を潰したのは大きいが……さて、ここからどう崩すか……)
ショートレンジでの戦いが主なジェパードに、複数戦闘は向いていない。だからこそ、何があっても対応出来る距離を取る。敵と10歩ほど離れ、その視界に全員を入れる様に意識をし──相手の隙を全力で狩る。
『砦』のように大きい得物を持っている以上、機動力は相手に劣る。それを上回るには、冷静な判断を積み重ねるしかない。その為にも、敵一体でも見失うわけにはいかなかった。
何より、ジェパードの背後にはサンポの遺体がある。彼を、これ以上傷つけるわけにはいかない。
(最初の不意打ちで二体は潰しておきたかったが、致し方ない)
──相手の武器は、長物だ。懐に飛び込めばこっちのものだが、それを許す相手ではないだろう。問題は、背後にいるヴォイド・レンジャーの指示。
体勢を低く、いつでも走り出せるようにしながらジェパードは狙いを定める。左か、右か──右のモンスターの武器に、ヒビが入っていることにジェパードは気がついた。先ほどの蹴りを防いだ時に出来たのだろう。狙い、崩すならそこからだ。
まずは、相手の攻撃を誘い出し──ジェパードの思考を遮ったのは、左肩を裂く痛みだった。
「ぐ……っ!?」
視界の端で血が飛び散る。背後からの一撃に、思わず振り返ったジェパードは霞んだ視界でもう一体のヴォイド・レンジャーを視認した。
隙を晒したジェパードに、モンスターの一撃が入る。横腹に襲う一撃をモロに受け、衝撃が身体を貫いた。肺が潰れたような錯覚に、喉が詰まる。服の下に着ている鎧が無ければ、骨ごと切り裂かれていただろう。痛みを堪え、ジェパードが『砦』を振り、相手を牽制すると二発目の熱線が飛んできた。
(くそ……!!)
それは右腕を擦り、雪を蒸発させていく。思わぬ伏兵に、一瞬にして不利な状況に立たされた。鎧も、もう一発食らえば役に立たないだろう。
まさに絶体絶命の窮地。だが、ジェパードは諦めることを知らない。この程度、散々経験してきたのだから。
死ぬわけにはいかない。サンポの遺体だけは必ず持って帰る。
「生きることを諦めて、何を護れる……!!」
自身を鼓舞するように、言葉を口にする。痛みに痺れる左手に力を込めて、『砦』を持ち上げた。『砦』に備え付けられた、反重力場が唸りを上げる。それを全力で、目の前の敵たちに向けて投擲した。同時に、ジェパードも走り出す。後ろから打ち込まれる熱線を、ただ勘のみで躱す。それでも掠めるそれに、服と皮膚が裂け血が噴き出した。
一見すれば狂ったようなジェパードの行動に、ヴォイド・レンジャーがノイズ声を漏らす。散開するように指示を出したらしく、モンスターたちが四方八方へ散り出した。だが、それよりも早く『砦』はその役目を果たす。
《…………っ!!!》
モンスターの一歩前に落ちた『砦』が、駆動音と共にその周辺を氷で覆い尽くした。避けようとしていた敵らの動きが止まる。
(まず、一体!)
無防備なモンスターの頭部を、拳一つで抉り抜いた。消失していく敵の先で、氷の割れる音がする。武器で氷を砕いたのだろう、残ったモンスターがジェパードに向けて一撃を振り上げていた。
「──捨て身が過ぎますねぇ」
煙を吹く『砦』に手をかけ、攻撃を防ごうとしたジェパードの耳に届いた声は、散々聞いてきた軽薄なソレだった。目の前のモンスターの首が飛ぶ。吹雪に晒され、揺れる紺色の髪が、見えた。
「だから、生傷が耐えないんですよ……っと!」
匕首を繋ぎ合わせ、振り抜いた。その手を離れ飛んでいく先で、ジェパードの背後に迫る熱線を弾き返す。不思議な軌道で手元に戻るそれよりも、死んでいたはずの人間が立っている事実にジェパードは目が離せなかった。
「サンポ、お前……死んだの、かと……」
「死んでましたよ」
ジェパードの背中の前に立って、サンポは笑う。話は後だと、彼は言って武器を構えた。残されたヴォイド・レンジャー二体が、唸り熱線を放つ。
「30秒で片付けましょう。頭痛いんで」
「いいや、30秒もいらない」
熱線を『砦』で弾き、ジェパードは体勢を低く構えた。
「10秒だ」
「はは!いいですね!」
ジェパードの言葉にサンポは楽しそうに笑い、何処からともなく爆弾を取り出して宙に放り投げた。既に導線に火がついたそれは即座に音を立てて炸裂し、辺りが閃光に包まれる。塞がれた視界の中で、ジェパードは迷わず走り出した。
敵の気配さえあれば、それで十分──!
《──……!!》
ノイズの悲鳴が、雪原に響き渡る。頭部がくだけ、もしくは転がり落ちるのはほぼ同時だった。光に眩む視界に、ようやく景色が戻り始める。ジェパードが何度か瞬きを繰り返していると、雪を踏み締める音が耳に届いた。
「よく合わせられましたね」
匕首を器用に手で回しながら、サンポは言った。改めてその姿を見て、ジェパードは彼が生きていると認識する。
「はは、面白い顔してますねぇ!いやぁ、実は死んだわけじゃなくて、仮死状態だったんで、ッ」
聞いてもいないのに説明し始めるサンポの顔を、ジェパードは両手で掴んだ。思ったよりも強い力に、彼は掠れた悲鳴をあげる。それに構わず、その頬から伝わる体温にサンポが生きているという実感が、ジェパードの中に芽生えた。
「……生きている」
「え、ええ。生きてます。裂界生物に襲われて、仕方なく仮死薬を服用した次第で……」
サンポの言葉が止まる。
目から溢れる何かが、ジェパードの頬を伝う。それが何か、彼自身すぐに理解が出来なかった。
「なんで、泣いているんですか?」
サンポの指摘で、ジェパードは自分が泣いているのだと分かった。自覚してしまえば、それは止められない。ボロボロと溢れる涙を左手で拭いながら、ジェパードは首を横に振った。
「……っ、ふ、死んだの、かと……」
「え、あの。泣かないでください。死んだ時に泣かれるならまだしも、生きてたのに泣かれるのはなんというか……」
「誰のせいだと……」
「僕ですねぇ」
止まることのない涙を拭い続けるジェパードの手を掴んで、サンポは自身の左胸に押し当てた。驚愕し、目を丸くする彼に笑いかける。
「心臓、動いているでしょう?」
「……ああ」
「生きていますよ」
いつもの軽薄さはなく、少し優しさを込めた声色でサンポが言う。それを聞きながら、掌から微かに伝う彼の鼓動にジェパードは目を伏せた。
生きている。あれほど悪かった顔色に血の気が巡り、喋らないと思っていた唇は動いている。死んだと思っていた相手と、言葉を交わせる。
その事実は、ジェパードの涙腺を壊すにはあまりに十分すぎた。
「あのぉ……そろそろ、泣き止み、ちょっ」
衝動的に、ジェパードはサンポを抱き締めていた。全身に伝う彼の体温と、耳元で聞こえる息遣い。その全てが、サンポという存在を実感させる。
いつまで経っても止まらないジェパードの涙に、サンポは呆れたようにため息を吐いた。
「……涙腺壊れました?」
「かもしれない」
「あらまぁ。泣き虫に戻りましたかね、昔のように」
「お前のせいだ」
「はは。……今の貴方でも、ちゃんと泣けたんですね。寒さに、涙腺ごと凍ってしまったのかと思ってましたけど」
あやす様に、ジェパードの頭を撫でてサンポは言う。それは、ジェパード自身も思っていた。まだ、泣けるだけの心はあったのだと。
「帰りますよ。重症なんですから、傷口が凍傷になる前に禁区に行かないと。そこまでは送っていってあげますから、ほら行きますよ。泣き虫戌衛官様」
「もう泣き止んだ?」
「本当に?」
頷いて、ジェパードはサンポから離れた。その目からは、まだポロポロと涙がこぼれている。
「泣いてるじゃないですか、あはは!」
「うるさいな」
「今のうちに泣き方を思い出しておくといいですよ。何年も使ってない涙腺が、ようやく直ったんですから」
「……そうだな」
サンポの言葉に頷いて、ジェパードはサンポの手を掴む。油断し切っているサンポは、その行為に特段の疑問を持たずにいた。
「生きていたことは、本当によかった。……それはそれとして、お前が何故ここにいたのか。後で、ゆっくりと話を聞かせてもらおう」
カシャリと音がして、ジェパードとサンポの手首に手錠が繋がれる。サンポの表情から笑みが消え、その代わりにジェパードが僅かに微笑んだ。