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    kusare_meganeki

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    kusare_meganeki

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    本屋で働く💣(現パロ)(モブの一人称視点)俺が働く本屋には、不思議な男先輩がいる。紺と白のツートンカラーの髪、特徴的な瞳孔した瞳。年齢不詳、素性不明。気さくな性格だが、フランク過ぎて少し怪しい感じもある。一度口が開けばよく回るその話術は、本屋の店員より芸人か夜の職に向いているだろう。
    いつもヘラヘラと笑っていて、客に対しては腰が低い。仕事は出来るが、時には巧妙に俺たちへ仕事を押し付けてくる先輩。ただ、困った時にはいつの間にかそこにいて助けてくれる。頼れるとは断言し難いが、いてくれたら何かと有難い先輩‪──‬それが、サンポ・コースキという男だった。



    俺にとって、サンポ先輩というのは付き合いやすい相手の一人だ。まぁ、本屋に勤めているイメージというのは、未だに定着しない。
    本人曰く地毛だそうだが、髪色は派手だ。紺と白の髪色なんて、見たことがない。それから、常に相手の出方を伺うような話し方。とりあえず煽てておけみたいな言葉選びも、夜の職‪──‬例えばホストとか、キャバクラのキャッチとか。
    俺は彼に、そんな印象を持っていた。
    「サンポ先輩って、夜の仕事したことないんすか?」
    俺がそう切り出したのは、閉店間際のレジ締め作業中の時だった。春が過ぎ、初夏に差し掛かろうとする夜のこと。流れ作業でレジ締めをする俺の横で、サンポ先輩はノートパソコンで発注作業をしている。
    「集中しないと、過不足出しますよ。それも、マイナスの方」
    誰に対しても敬語。少し不思議な息継ぎ。この人と話す度、会話のテンポを必ず持っていかれる。店員が客に対して、喋るような感じではない。
    「大丈夫っすよ。ほら、いつもやってますし」
    「はは、本当ですかねぇ。ほらちゃんと手元を見ないと」
    互いに手元に視線を向けて、作業をする。いやまぁ小銭の扱いは確かに手元を‪──‬じゃなくてだな。
    「質問に答えてくださいよ」
    危うく流されるところだった。俺がちょろいのだろうが。隣でサンポ先輩が笑いに喉を揺らす音がした。
    「そんなに知りたいんですか?」
    彼の視線が俺に向いた気がして、俺も手元から視線を外す。顔を上げると、サンポ先輩と目が合った。
    「いや、気になって」
    「俺がそういうと、眼鏡の奥翠の瞳が細められる。仕方ないですねと苦笑して、サンポ先輩は小さく頷いた。
    「夜の仕事ね、確かに昔やっていましたよ」
    「やっぱり!」
    「やっぱりって……。まぁ、ホストとかではなくて、キャバクラのキャッチとホールですけど」
    キャバクラのキャッチ!思っていたことが当たり、俺は内心で興奮する。売り上げ計算のレシートを雑に千切り取って、俺はサンポ先輩に話の続きを促した。
    「そんなに面白い話もないんですけど……」
    「じゃあ、なんで夜の仕事辞めて本屋なんてやってるんですか。絶対夜の方が稼げたと思うんすけど」
    「ああ……まぁ、そりゃそうですけどね。僕が夜の仕事を辞めたのは、一人の女性が原因でしてね」
    そう言って、サンポ先輩は俺の期待に応えてキャバクラに勤めていた時代の話をし始めた。
    キャバクラ、仮面の愚者‪──‬キャバクラ嬢は全員何かしらの仮面をつけて接客する、特殊な店だったらしい。サンポ先輩は、そこのやり手ホール兼キャッチとして日々働いていたそうだ。
    「相手は基本的に酔っ払いばかりだったんで、時には腕っぷしに頼ることも多かったですが……そうですねぇ、時にはホールもお客様にご指名頂くこともあったので、結構特殊なお店でしたね。楽しかったですよ、僕自身で働いている分には」
    ホールは、何人かのキャバクラ嬢の担当をすることもあったそうだ。体調管理であったり、客の斡旋であったり‪──‬それこそ、客とのトラブルの仲裁に入ったり。
    サンポ先輩も例外なく、その当時は三人のキャバ嬢を担当として抱えていた。そのうちの一人が、とんでもない問題児だった。
    「その方の源氏名は花火って言うんですけど……なんて言うんでしょうね。ぶっ飛んだ快楽主義者と言いますか……」
    サンポ先輩が言うに、その花火という女性は『愉しい』という感情を最優先する。その感情は、常識や法律には囚われない。だから、客に対する接し方も危ないものがあったそうだ。
    「とはいえ、言葉でコントロールしたり……あとは、そういった物好きの客をつけてなんとかしていたんですがね」
    「なんかあったんすか」
    「あったから、僕は今ここにいるんですけど」
    苦笑を浮かべて、サンポ先輩は俺の手元を指差す。いつの間にか止まっていたレジ締めの作業を、慌てて再開した。
    「……ま、簡単な話。お客様の後頭部をドンペリのビンで思いっきりぶん殴ったんですよ。その時の彼女曰く、一番愉しいと思った行動だそうです」
    やべー女だと思った。愉しいってだけで、人の後頭部をぶん殴るって、あり得ないだろう。なんというか、当時のサンポ先輩の苦労が窺い知れる。
    「そのお客様は一命を取り留めましたが、まぁお怒りで……店側も、僕と花火の連帯責任だと言って、法外な弁償金を吹っかけて来たんです。ドンペリ代と、お客様の治療費ね」
    「法外って……幾ら?」
    「億」
    金額ではなく、桁で答えられた。ただ、億の弁償金と聞いても実感が湧かない。これは俺自身に降りかかった悲劇ではないだからだろう。
    「法的な請求ではないので、勿論破産手続きなんて使えるわけもない。店側はまぁ……後ろ盾が真っ黒だったので、僕と花火は逃げるしかなかったわけです」
    奇しくも、一蓮托生になってしまった二人は長年方々を逃げ回ったそうだ。そこの詳しい話は、教えてもらえなかった。
    「こうして、僕がここで働けているので逃げ切りは成功ですよ。あははは」
    「……花火って人は?」
    「さぁ?途中で、逸れたので。まぁ彼女の性格です、うまいこと逃げ回っているでしょ」
    軽口のように言うサンポ先輩は、ノートパソコンを静かに閉じた。
    ‪──‬サンポ先輩は逃げ切って、花火って人は逃げ回っている。
    いや、それって。
    「過不足」
    「え」
    「在高、合ってます?」
    サンポ先輩の視線は、俺の手元‪──‬在高表示レシートに向けられている。習うように、俺もそこを見る。
    「あ……」
    過不足に、マイナスが出ていた。
    「ほら、言ったじゃないですか」
    苦笑混じりに言うサンポ先輩は、俺の手からレシートをひったくる。
    「マイナス16信用……これぐらいなら、僕の方でなんとか誤魔化せます。先に帰って良いですよ、あとはやっておきますから」
    「え、マジすか」
    「ただし。……分かっていますね?」
    サンポ先輩は、困った時には助けてくれる。ただし、それには対価が必要だ。
    「……バタスのカフェラテでいいっすか。グランデサイズ」
    「結構。さ、帰りなさい。明日は大学でしょう?」
    サンポ先輩は俺の代わりにレジの前に立ち、ポーチにしまった売上金を卓上に並べる。
    助けてもらうのには対価が必要だが、それは俺たち助けられる側の方で決めていい。俺は基本的にカフェのコーヒーを奢るが、高校生たちはよく安いお菓子をサンポ先輩に渡していた。
    「すいません、ありがとうございます」
    「いいえ、お気になさらず。では、気をつけて帰るように。また明日」
    「はい、また明日」
    俺はサンポ先輩を一人残し、店を出た。春とはいえ、夜になれば肌寒い風が身を切る。
    ‪──‬結局、花火という女性はどうなったのだろうか。サンポ先輩は、本当に逃げ切れたのか。
    そもそも、あの話が本当かも分からない。可能性としては低いが、その場で適当に作った話かも。
    まぁ、聞く分には面白かったし、それでいいか。
    従業員用の駐輪スペースに、自転車を取りに行く。その最中、少し派手なスーツに身を包んだ男性とすれ違ったのだった。

    ◉◆◉

    大学生たる俺は、週4でシフトに入っている。そのいずれも、夕方から閉店までのシフトだ。
    変わった先輩こと、サンポ先輩は週5勤務。あの人は、昼から閉店までのフルタイムとなっている。
    そんな俺たちの働く本屋は、駅から少し歩いた先にある。周りに本屋はここしかないから、休みの日はそれなりにお客さんで賑わうものだ。その分、平日の夜はだいたい静かなもんである。

    日に太陽の日差しが強さを増す頃、俺とサンポ先輩、それから女性店員の3人で働いている平日夜のことだった。
    「占いって、信じていますか?」
    雑誌の付録だけを抜かれないよう、シュリンク作業をしていたサンポ先輩が不意に聞いてきた。客も来ず、暇なレジ番をしていた俺は後ろを向いて彼を見る。
    ‪──‬余談ではあるが、雑誌のシュリンクや輪ゴム掛けの作業はバックヤードでは行わない。レジスペースで行うのが、うちの基本だ。その為、レジはかなり広い。店員による袋抜き取りのなどの不正を防ぐのが目的だそうだ。
    「占い?なんでまた」
    聞き返す俺に、サンポ先輩はシュリンクし終えた雑誌を見せてきた。ビニール越しに見える女性雑誌の表紙。その端に、今月の運勢占いと書いてある。なるほど、それが目に入ったから世間話に持ち出したのか。
    しかし、占いか。別に俺は占いというものを信じていない。
    「サンポ先輩は信じているんです?」
    「質問に質問で返し、さらに質問して来るとは恐れ入りますね。僕は君に、占いを信じているかを聞いたんですが」
    慣れた手つきでシュリンクをかけるサンポ先輩は、苦笑を浮かべていた。当の俺は、自分の発言を指摘されて初めて気がつく。いや、これはだいぶ失礼なことでは?
    「今のって……社会人でやったらダメなやつっすよね……」
    「いい煽りの流れだとは思いますよ」
    訳:結構ダメなやつだから、やめておけ。
    現在大学三年生の俺は、その言葉を胸に刻み込む。今はのんびりとしているが、そろそろ就活に身を入れなくてはならない。そう考えると、気分が沈み込む。働きたくないとは言わないが、社会人にはなりたくない。
    思えば、サンポ先輩ってフリーターだよな?週5フルタイムといえど、フリーターの収入でどうやって暮らしているんだろう。
    以前に聞いたキャバクラ店での蓄えがあるとか?いやあの話も、どこまで本当か分からないし‪──‬。
    「それで、君は占いを信じているんですか?」
    「いや特には……。手相占いもやったことないし、見たことあるって言っても朝のニュース番組とかのやつだけで」
    手相占いもすごい人が見れば。なんかすごいのは知っている。ただ、そんなにスピリチュアルなものに時間と金を使うぐらいなら、俺は遊びのために使いたい。
    「ま、君ぐらいの歳の子だとそうなりますよね」
    「俺ぐらいのって……サンポ先輩、何歳なんですか?」
    「いくつに見えます?」
    その問い返しに、俺は露骨に嫌な顔をする。そうすると、サンポ先輩はさも楽しそうに笑うのだ。俺がそういう質問を嫌いだと知っていて、わざと聞いてきている。あの人も大概いい性格だな。
    「僕の年齢はさておいて……」
    さておくな、気になる。だが、聞いたところでサンポ先輩が答えてくれるはずもない。俺は黙って、彼の次の言葉を待った。
    「占いはインチキのような気もするでしょうが、実のところ……本当の占いは未来を予想するものじゃない。あれはどちらかといえば、未来予知と言ってもいい」
    予測と予知。言葉の違いが分からなかったが、サンポ先輩がその表現をするのなら違うのだろう。
    「ブラックスワンという占い師をご存知ですか?」
    「ブラックスワン!?」
    サンポ先輩の言葉に反応したのは、俺じゃなくて女性店員だった。高校生の彼女は、目を輝かせてサンポ先輩を見ている。
    「あら、貴女は知っているんですね」
    「知ってるも何も、SNSで話題沸騰の占い師ですよね?会ったことあるんですか?」
    一瞬で、話題に置いて行かれた。ちなみに、俺はこのブラックスワンという人物は名前だけ知っている。SNSで見たネット記事で、確か取り上げられていたはずだ。興味はなかったんで、中身は見ていないが。
    だが、彼女の反応を見るにとても有名な占い師なのだろう。キャイキャイとレジカウンター越しに、サンポ先輩に質問を浴びせている彼女だったが、巧妙に核心を避けた回答ばかりを貰っていた。
    「すいませーん!」
    やがて、彼女は客に呼ばれて店舗の奥へと引っ込んで行った。嵐が過ぎ去ったような感覚。シュリンク作業の音だけが、俺の鼓膜に届いている。
    「……ブラックスワンさんが、SNSで取り上げられているのは知っていましたが、結構な盛況具合ですねぇ」
    「サンポ先輩は、その人に占ってもらったことがあるんですか?」
    「何故そう思ったのです?」
    「話の流れ的に……」
    そう言った意図でないと、そのブラックスワンの話題に触れる意味がないと思った。俺が言うと、サンポ先輩は軽薄に微笑む。シュリンクし終えた雑誌を段ボールに戻しながら、彼はその当時のことを語り始めた。
    「僕が彼女と出会ったのは、少し寂れた裏路地でして。何もない、本当にただ風化したゴミが転がっているようなそこに、彼女はいた。見目麗しい姿と、そこに占い場を構える姿はもう目を引きましたよ」
    誰も通らないようなそこで、サンポ先輩はブラックスワンに手招きをされたそうだ。なんとなく逆らうことも出来ずに、彼女の前に座る。
    「占いとして、タロットカードを用いたものでしてね。占ってあげるとだけ言われて、それは始まった」
    俺はタロットカード占いをよく知らない。引いた絵柄と種類で、結果が分かることぐらいだ。サンポ先輩もそれを察しているからか、そこら辺の説明は省いていた。
    「結果として、まぁ最悪なものでして。近々、僕は住処を失うほどの災厄に見舞われる。今から準備をして、長い間息を潜めて生きること‪──‬」
    その言葉に、俺の脳裏によぎったのはキャバクラ店の話だった。
    「……それって、前の話を予言したってこと?」
    「前の話?……ああ、キャバクラの……」
    話した本人が忘れかけていたようで、サンポ先輩は少し考えから頷いた。
    「さぁ、それはどうでしょうね?果たして、彼女の占いがそれを指していたかどうかは……今になっても、僕には分かりません」
    そう言って、サンポ先輩は段ボール箱を軽く叩いた。雑誌が詰められたそれは、随分と重いことだろう。
    「さて、力仕事は若い人に任せましょうかね。僕がレジを見るので……あとはよろしくお願いします♡」
    「年齢不詳が何を言ってるんですか」
    「あはははは」
    断る余地もなく、俺は雑誌の入った段ボールをバックヤードに運ぶこととなった。ニコニコと俺の隣に立ち、軽く肩を叩いてきたサンポ先輩はウインクを飛ばしてくる。眼鏡のレンズ越しに映る俺は、とても嫌そうな顔をしていた。
    「そうだ先輩、占いっていくらぐらいかかったんですか?」
    「占い料金ですか?無料ですよ」
    「嘘だぁ!」
    思わず声を張っていた。人差し指で静かにとジェスチャーを送るサンポ先輩は、本当だと笑っている。
    「彼女曰く‪──‬余程やばいから、声をかけた。ただのお節介……だそうですよ」
    それだけ言って、サンポ先輩は俺から視線を逸らした。会話はこれで終わりらしい。丁度よく、客が会計に来たものだから俺も会話の糸口を見失ってしまった。諦めて、俺は段ボールを抱えてバックヤードへと引っ込む。
    あの占いの話は本当なのか‪──‬スマートフォンで、ブラックスワンという占い師を調べてみる。沢山の検索結果がヒットしたことから、事実有名らしい。写真に映る女性は、ミステリアスな美しさを内包していた。
    (困った人には慈悲の心から占うこともある……)
    サンポ先輩も、その慈悲を向けてもらったのだろうか。そして、苦難の道を示された。あのキャバクラ店だけの話か、それともまだ何かあるのか‪──‬真相は闇の中だろう。
    そういえばと、ついでに予測と予知についても調べてみる。
    予知とは‪──‬「何が起こるのかを前もって知ること」。
    予測とは‪──‬「ことの成り行きや結果を前もって推し量ること」。
    予測の方が不確実性が大きいように思えた。サンポ先輩は、ブラックスワンの占いを指して「未来予知」という表現を用いている。
    もし、未だあの人が厄に苛まれているのなら‪──‬サンポ・コースキという人間は、一体何なのか。
    不明瞭、不確実、不透明。あの人を見通すのは、俺には到底無理そうだ。

    ◉◆◉

    今年は空梅雨らしい。全然雨の気配など感じない中で、俺は店内に一枚のポスターを掲示していた。電話での詐欺に注意しろ、と言うものだ。こういうのって高齢者向けなんだろうが、高齢者ほど油断して引っかかるんだよな。そもそも何で引っ掛かるのか、俺にはよく分からない。
    レジのすぐ横に貼っておけば誰でも見るでしょと、店長に言われたまま俺は貼り出している。レジ業務中に発注作業をしていたサンポ先輩が、その様子をじっと見つめてきていた。なんで見てんだ、この人。
    「さっき、君の友人を名乗る人がレジに来ましたよ」
    不意にサンポ先輩がそう言った。彼は軽薄な笑みを浮かべたままで、その視線は俺を見つめている。
    「え?マジですか」
    「丁度、品出しに君がバックヤードに行ってる時ですね。何でも、財布を落として困っているとか。連絡出来るようになったら、連絡して欲しいそうです」
    「名前とか聞いて……」
    「ああ、嘘ですよ」
    「はぁ!?」
    俺の声がフロア内に響き渡る。いや、この反応は正しいと主張するぞ。人の親切心を一体何だと思っているんだ、この先輩は!
    「少し考えてみてくださいよ、そういった人が来たのなら真っ先に君を呼んでいます。そうでしょう?」
    笑みを崩さず、サンポ先輩は俺から視線を動かした。手元のノートパソコンを見つめて、キーボードを叩き始める。
    言われてみればそうだが、いやそうじゃないだろう。なんで急に、そんな嘘をつかれた挙句に説教をされているんだって話だ。
    「……今のように、外的要因で精神的に揺さぶりをかけてそこにつけ込む。それが詐欺の常套手段です。君、何故引っ掛かるのか不思議で仕方ないという顔をしていたので……実践形式でご説明しようかと」
    「え、きも……」
    「言葉は選んだ方がいいと思うんですよね、僕」
    内心で思ったことがそのまま言葉に出た。いやでも気持ち悪いと思うだろう?なんでこの人、心の中を見透かしたんだ。
    「オレオレ詐欺を始めとした、非対面詐欺に引っ掛かるのは言葉だけの巧みさもさる事ながら……表情を読めず、思考が限定的になるからです。落ち着いて考えれば分かることも、その時には考えられなくなる。自身の子供が粗相をしたことに対して、助けを求められた親なら尚更ね」
    「やってました?詐欺師」
    「さぁ、どうでしょう。僕は色々とやってきた身なので……はは、想像にお任せしますよ」
    そう言われたら、やっていたように思えるじゃないか。
    実はキャバクラの話って、詐欺グループが警察に摘発されたから逃げたってことじゃないのか。言い換えて、キャバクラって言っているだけで‪──‬いやどうなんだろう。でも、割と当てはまる気もする。
    いや、そうではないと信じたい。悪い人ではない……多分。
    「そういやサンポ先輩、聞きたいことあるんですけど」
    「なんですか?」
    「サンポ先輩ってフリーターですよね。家賃とか、食費とかどうしてるんですか」
    「君って実家住まいでしたよね。就職したら一人暮らしをしようと思っているんですか?」
    サンポ先輩の質問に、俺は頷く。実家でもいいけど、出来れば新天地で心境一新して頑張りたいと思うのだ。
    「そうですね……まぁ、アパート暮らしであれば家賃はそこまで。自転車は乗れます?なら、駅から離れた場所だと家賃はそれなりですから……あとは自炊しましょうね。結果的に、食費は安くなりますから」
    「え、普通」
    「ふざけた回答をご所望でしたか?そうであるなら、生活費の足しとしてFXをお勧めしますが」
    とんでもねぇこと言い出したこの人。いや、余計なことを言った俺も悪いけど。
    くっくっと喉奥で笑い、サンポ先輩は首を横に振る。
    「まぁ基本は節制ですよ。頑張ってくださいね」
    「う……」
    そりゃそうだ。当たり前の話である。結局は節約と貯蓄の落ち着くのは、分かっていた話だろう。
    ただなんとなく、サンポ先輩なら上手い抜け口を知っているんじゃないか‪──‬そう思った。
    「ああ、そうです。そういう人向けの、いい節約術の本を知っているんです。特別に、君のために用意しますが……どうします?」
    「え、マジですか」
    「はははは、嘘に決まっているじゃないですか」
    ‪──‬俺は案外、詐欺に引っ掛かるのかもしれない。

    ◉◆◉

    結局、梅雨の間に雨が降ったのは片手で数えて足りる程度だった。それだというのに、太陽の日差しは人間に厳しい。
    梅雨が明けたら、夏日和を通り越して猛暑日が続いている。気候の変動がジェットコースター過ぎて、正直辛い。
    まだまだ若いとされる大学生と俺ですらこれなのだ、体温の変化に鈍くなる高齢者なんて──。
    「裏に保冷剤がありましたね、レジ袋に詰めてもってきてください」
    夕方、俺がバイト先に出勤するとレジ前は騒然としていた。目を回して倒れているご婦人の顔は、真っ赤だ。その傍で、その顔を横に向けながらサンポ先輩が店員に指示を飛ばしている。
    熱中症患者だということは、すぐに分かった。夏場になると増えるんだ、こういうことが。
    「サンポ先輩」
    「……ああ、お疲れ様です。タイムカード押しました?」
    「まだです」
    「ならバックヤードへ。タイムカードを押したら店長の指示を仰いで下さい」
    俺は頷いて、小走りでバックヤードへ駆け込む。その際に保冷剤をいっぱい詰めた袋を持って、レジ前に戻る店員とすれ違った。



    言い忘れていたが、俺がここに勤め始めて1年。その前からサンポ先輩はここで働いていた。何年勤めているのか聞くと、何故かはぐらかされる。ただ、何かあった際には自分かサンポ先輩の指示を──店長がそう言うぐらいだから、歴は長いんだろう。
    「ふう……」
    俺がいつも通りレジ締めをしている横で、サンポ先輩は発注作業をしている。うちの店舗は文房具も取り扱っているから、その分発注するものも多いのだ。
    「今日は疲れましたね」
    俺がそう言うと、サンポ先輩は苦笑いを返答とした。
    結局あのご婦人は熱中症で、救急車で病院に搬送されて行った。倒れた際に後頭部を強く打ったようで、出血のおまけ付きだ。その手当をしていたサンポ先輩の服と手には、鮮血がべっとりとくっついていた。
    人の血を触るのは、さぞ気持ち悪いだろう。しかし人命救助を前に、そんなことも言っていられない。
    「サンポ先輩、服は」
    「さすがに捨てましたよ。血は着いたら落ちませんし……その為に、この時期にはロッカーに予備の服を入れてますし」
    ため息混じりにサンポ先輩は言うと、何かを振り払うように右手を左右に振った。まだ血の感覚が残っているのだろうか。
    サンポ先輩が熱中症の客を看護する姿は、これで5度目だ。そのどれもが、手馴れているように思える。意識朦朧とした相手に対する声掛けも、知っているようだし。
    色々とやってきた──いつぞやに、サンポ先輩がそう言っていたことを俺は思い出した。
    「サンポ先輩、医療関係に従事したことってあるんすか?」
    「ありますよ。従事という程ではありませんが。何せ、医師免許は持っていないので」
    まじで色々やってんな。でも、医師免許は持っていないのか。それもそうか、国家試験を受けないといけないから。
    そうなると、一体何でそういった知識を得るに至ったのか。俺が期待を込めてサンポ先輩を見つめると、仕方ないですねと語り始めてくれた。
    「孤児院も営む小さな診療所に、身を寄せていたことがあるんですよ。そこの手伝いをしてましてね」
    ナターシャという女性が1人で切り盛りする診療所だそうだ。今どき、孤児院と併設というのも珍しい話じゃないか?
    サンポ先輩が言うに、そこはド田舎もド田舎の場所だったらしい。そうなると、施設ごとに経営するのも難しいから、一つにまとめてしまうそうだ。だから、孤児院と診療所が一緒になった。
    「まぁ居候という形で、僕は住まわせてもらってまして。朝と夕方は孤児院の子供たちの学校の見送りとお迎え。昼間は、ナターシャの診療所で受付と補助をしていました」
    サンポ先輩が持つ医療知識は、そこで得たものか。ナターシャという女性は厳しいが誠実な人だそうで、何かとサンポ先輩も慕っていたらしい。
    「夏休みなんて、毎日子供たちと宿題をやっていましたよ。僕は教える立場ですけど、あはは!」
    「なんか、サンポ先輩って子供に好かれそうですもんね」
    「どうしてそう思うのです」
    思わず口をついて出た言葉だったから、どうしてと問い返しが来ると回答に困る。
    「いや何となく……」
    「何となく、ね。ナターシャにも同じことを言われましたよ。君は、子供に好かれると思うってね」
    サンポ先輩は短く笑った後、一瞬だけ真顔になる。微かなため息は、虚空へと消えていった。
    「今になって思えば、あそこは本当に居心地が良かった。正直、住んでもいいと思えるぐらいには」
    なら住めばよかったじゃないか、とは言えなかった。微笑みの消えたサンポ先輩の顔には、ただ影だけが落ちている。
    何故、彼はそこを離れなければならなかったのか。その理由として思い当たるのが、キャバクラの一件だ。
    「……君は、本当に顔から考えが読みやすいですね。言っておきますが、キャバクラの件ではありませんよ。それについては、その時にはもう精算がついてますから」
    「逃げ切ったんじゃなく?」
    「あれ、そう言いましたっけ?」
    すっとぼけられた。いつの間にか、サンポ先輩の顔にはいつもの軽薄な笑みが張り付いている。
    ていうか、俺ってそんなに顔から考えを読まれやすいのか?
    「まぁ僕にも色々とあるんですよ。なんて言いますか、一つの場所にいると飽きてしまって……いやぁ、当時は若かったですね」
    「当時って」
    今は何歳なんだ‪──‬その質問はせずに黙っていた。どうせはぐらかされるのが目に見えている。
    ただ、なんとなく飽きたという部分については嘘だと思った。サンポ先輩の話すことは全てが本当だとは思っていないが……どうしても、そう思うのだ。
    だって、あんな切なそうな表情で語る彼を見て、飽きたからなんて言われて素直に信じられるわけがない。これが演技だったならば、恐れ入る。本屋の店員なんてせず、役者にでもなった方がいいだろう。
    占い師に言われた「災厄に見舞われる」。その件が、キャバクラのことを指しているかは明言していなかった。だが、もしかすればもっと別のことに今も苛まれているのでは‪──‬。
    (何考えてるんだ)
    そこまで考えて、俺はため息を飲み込んだ。邪推が過ぎる、自重しなくては。
    もしサンポ先輩がまだ何かに追われているのなら、こんなところで呑気にフリーターなんてしていられないだろう。そもそも、マジで聞かせてくれた話が全部真実とは限らないのだ。
    「……僕はもう発注を終えましたが、君の方は?レジ締め、過不足なく終わってます?」
    「もちです」
    「よろしい」
    今日はしっかりと終わらせた。これで心置きなく、帰ることが出来る。
    レジの電源を落とし、フロアの電気を消し、バックヤードでささっと帰る準備を終えた。俺は自転車だが、サンポ先輩は徒歩でここまで来ている。
    「明日出勤でしたっけ」
    「はい、明日出て、明後日と明明後日は休みっすね」
    「そうですか」
    本屋のシャッターを閉めて、サンポ先輩が息を吐く。
    「じゃあ、また明日」
    夏の暑さが、肌を蝕む。汗の滲む掌を互いに見せ合って、左右に振った。

    ◆◉◆

    ふと思えば。
    年齢不詳、素性不明。それが、サンポ先輩だった。だが、俺のひょんな質問から、あの人は本当か嘘か分からない身の上話を聞かせてくれている。
    源氏名、花火という担当キャバクラ嬢のせいで、法外な借金を背負わされて嬢と逃亡。逃げ切って、今に至る。嬢の所在は分からない。
    ブラックスワンという占い師に、災厄に見舞われるという占いを受ける。それが、何を指しているのか分からない。
    それよりも以前に、ナターシャという女性が営む診療所兼孤児院に世話になっていた。とても居心地が良かったと。多分、これは本当なんだと思う。常に胡散臭い笑顔のサンポ先輩が、あの時ばかりは暗い表情をしていたから。
    結局年齢は分からないけど、キャバクラで働いていたのならその当時で二十歳は超えているはずだ。だから、あの若い見た目で実は三十路を超えている可能性がある。
    だが、年齢より気になることは──。
    「サンポ先輩って、なんで俺に身の上話聞かせてくれるんすか」
    俺がぶちまけた新商品の本の状態チェックをしてくれているサンポ先輩が、珍しく驚いた顔をしていた。眼鏡の奥、綺麗な緑の瞳が見開かれている。
    「どうしました、急に」
    「いや……俺ん中でサンポ先輩ってこう、素性不明だったもんで」
    「ああ……なるほど」
    今の言葉で、サンポ先輩は俺の言わんとしていることを理解したらしい。くすくすと笑った彼は、状態良しの本をダンボールに戻す。
    「うーん、まぁそうですね。僕はあまり僕自身のことを話すのは好きでは無いんですが……興味を持って君が聞いてくるものだから、つい口が滑りましてね」
    ──なんだ、そんな理由は。
    釈然としない俺は、恐らく呆れた表情でサンポ先輩を見ているのだろう。軽薄な微笑みを苦笑に変えて、彼は言葉の先を続けた。
    「君は聞き上手ですから、つい多く口を滑らせてしまいましてね。ああ、もちろん嘘は織りまぜてますが」
    「いやまぁ、それはいいんすけど……え、理由ってそれだけ」
    「それだけです」
    なんかもっと、それなりの理由があるものと思っていたのに、肩透かしを食らった気分だった。過剰な期待をかけた俺が悪いが、なんというか──聞けば誰でもよかったのだろうかと、そう思ってしまった。
    「……期待した答えでなくて、申し訳ないですね」
    ダンボールの蓋を閉めて、サンポ先輩が呟いた。俺は顔に出やすいと自覚してから気をつけていたが。
    「す、すいません」
    慌てて謝った俺に対して、サンポ先輩は首を横に振った。彼は悲しくも角が折れてしまった本を、返品用のダンボールに詰めている。俺はその手伝いをしていた。
    「まぁ……そうですね。そこに言葉を添えるのなら、誰かに僕のことを覚えて欲しかったから……でしょうか」
    「え?」
    「誰にも覚えられぬまま、忘れられるというのは寂しいものですから」
    なんだ、その言葉は。俺の胸中に、言えぬ不安が落ちる。
    「ま、まさかサンポ先輩、ここを辞めるなんてことは……!!」
    「一言も言ってませんが、そんなこと」
    いやそうだけど──!!
    その物言いは勘違いしてもおかしくは無いだろう。不安が安堵に変わり、俺は大きくため息を吐いた。その場に座り込む俺に対して、サンポ先輩は「すいません」と方を叩いてくる。
    「まぁそんな深く考えなくていいです。とはいえ、これ以上は面白い話もないんですが……」
    そう言ったサンポ先輩は、少し考え込むように黙る。俺は立ち上がって、返品用のダンボールにガムテープで封を貼ることにした。
    「ああ、そうだ」
    そのうち、何が思い出したサンポ先輩が声を上げる。
    「そういえば、ルカという若いボクシングチャンプがいますよね。今話題の……彼のマネージャーになった時があるんです、1日だけ」
    「面白い話あるじゃないすか!」
    ボクシングチャンプのルカ!ボクシングにも詳しくない俺でも、よく知っている。連日雑誌を飾る彼を、知らない人間などいないだろう。
    「はは、聞きたいですか?聞きたいですよね。……まぁ、その前にこの手伝いの対価を聞きましょうか」
    「ぐ……」
    そう、俺が新商品をぶちまけた。そしてそれを、サンポ先輩が一緒に片付けてくれた。つまり、これはお手伝いだ。それには対価が発生するもの。
    「……バタスの、新商品……」
    「いいですよ。フラペチーノが飲みたいですね」
    「はい……」
    きっちり対価は払わせるのが、サンポ先輩だ。そこは何がなんでも譲らないのが、彼。
    俺が渋々頷くと、サンポ先輩は上機嫌に頷く。そうして、彼はボクシングチャンプ、ルカのマネージャーの話をし始めたのだった。

    ◆◉◆

    本屋にはお取り寄せというものがある。使ったことがある人は多いのではないだろうか。店舗にない在庫を、出版社や他の店舗から取り寄せ販売するという形式だ。
    これには決まったルートがあり、俺たちバイトでは手出しが出来ないものである。基本的には店長か社員、マネージャーが担当するものであり、俺たちは受付までが担当だ。
    その中でもサンポ先輩は、何か知らんが独自のルートがあるらしい。店長でも探し出せない本を、どこからか仕入れてくるのだ。バケモンである。
    そういうわけで、今やお取り寄せはサンポ先輩の仕事になっていた。とはいえ本人はあまり乗り気ではなく、時折店長に投げていたりするのだが──。
    「忙しいところ申し訳ない。この店舗は、本の取り寄せは可能だろうか?」
    夏は過ぎ、暦上は秋‪──‬のはずだが、未だに暑さは人類を苛んでいる。
    売り場の整頓をしていた俺に、1人の男性が声をかけてくる。顔を上げ彼を見た時、大層驚いた。
    金髪に、蒼い瞳。その整った顔立ちは、まるでアイドルのようだ。現に、遠巻きに見ている女性店員が目を白黒とさせている。そう、その男性はめちゃくちゃイケメンであった。
    「あの……」
    「あ、ああ!失礼しました、お取り寄せですね!?」
    呆然としていた俺は、男性の呼び掛けで我に返る。慌てて彼をレジの方へ誘導した。レジのすぐ側に、取寄せカウンターが存在している。
    「そうしたら、この用紙の黒枠内のご記入を……取り寄せ希望の本のタイトルをお伺いしても?」
    ボールペンと用紙を男性の目の前に並べて、俺は問いかける。
    「勿論……だが、僕はお使いを頼まれた身なんだ。タイトルを書いたメモがある」
    そう言って、男性はポケットから折りたたみの財布を取り出した。その中から、一枚のメモを取り出す。
    「音楽の雑誌なんだが、あまり出回ってないようで……発売からもさほど経っていない」
    メモに書かれたタイトルを見て、俺は首を捻る。この雑誌はよく知らない。男性の言うように、あまり出回っていない──つまりマイナー雑誌ということだ。手元のメモにタイトルを移し、元のメモは男性に返す。
    これこそ、サンポ先輩の出番じゃないか。
    「ありがとうございます」
    「うん。あと少しで書き終わる、待っていてくれ」
    男性の言葉に俺は頷いた。店員が目の前にいては書きづらいだろうと、俺はレジに立つ別バイトの傍に寄る。男性には聞こえないように、小声でバイトへ話しかけた。
    「……このタイトルの雑誌、知ってる?」
    「あー、いやたまに聞くけど……めちゃくちゃマイナーというか刊行自体の数が少ないはず。取寄せ?」
    「そうそう。……やっぱ、そうなるとサンポ先輩に頼むしかないかな」
    困った時のサンポ先輩──そう思った時、ばきりと何かが折れる音がした。
    「お、おおおおお客様ァ!?」
    音のした方へ視線を向け、俺は綺麗なビブラートと驚きに満ちた声を上げた。何故ならば、あの男性がボールペンを真っ二つにへし折っているからだ。
    経年劣化した?いや使い捨てボールペンで経年劣化ってなんだ?
    「……すまない、力を入れすぎた」
    ゴリラか?
    「あ、新しいボールペン……ああいや用紙も……いやお怪我とかは……」
    「僕については心配しないでくれ。大丈夫だ。店の備品を破壊してしまい、申し訳なかった。弁償が必要ならば言って欲しい」
    淡々と言葉を紡ぐ男性は、哀れな死体となったボールペンと用紙を俺にそっと差し出してくる。いや、マジで真ん中からへし折られてるわ……何……?
    「申し訳ないが、もう少し待っていてくれ」
    その代わりに新たな用紙とボールペンを受け取った男性は、申し訳なさそうにそう言った。



    「……そんなことが。へぇ、それは見てみたかった」
    バックヤード、まるで人ごとのようにサンポ先輩は言う。事の顛末を伝え、取り寄せ用紙を彼に差し出した俺は深いため息を吐いた。
    「いやマジでビックリしたんすから……ボールペンを握力で折る人、初めて見ましたもん」
    「ええ、でしょうね。そんな人類、いるだろうけど自分が目撃する立場になるのは早々無いですし……」
    そう言いながら、サンポ先輩は用紙に目を通す。タイトルを小声で呟いた彼は。
    「……っ」
    指名欄の所で息を詰まらせた。
    「サンポ先輩?」
    「……いえ、なんでもないです。分かりました、これは僕の方で請け負いますよ」
    取り寄せ用紙を専用のクリアファイルに仕舞い、彼は深く息を吐く。珍しく困惑しているようだった。
    あの雑誌は、そんなにも見つけるのが難しいのだろうか。
    とにかく、あとはサンポ先輩に任せるしかない。俺はお願いしますと言葉を残して、彼に背を向けその場を去ろうとした。
    「……はは」
    微かな笑いが、扉前で俺の足を引き止める。サンポ先輩の口から発せられたそれは、振り向かせるには十分だった。
    「本当に見つける奴がいますか、もう……」
    小声で、俺には聞こえてないと思っているのだろう。サンポ先輩は呟いていた。その表情には、見たことの無い笑顔が──愛おしいものへ向ける、慈しみの表情があった。
    「完敗ですよ、ジェパード」

    ◆◉◆

    何故か蝉がまだ鳴いている秋頃、猛暑日が終わらない日々。
    「サンポ先輩、この前の取り寄せって結局見つかったんすか?」
    取り寄せ待機期間というのは、物によってまちまちだ。目星のところに在庫が無かったとしても、あの書店ならあったかもとタライ回しも珍しい事ではない。
    あの一件から、はや一週間。サンポ先輩が何も言わないものだから、思わず問いかけてしまった。レジ前の特設コーナーを作っていたサンポ先輩は、きょとんとレジの俺の方を見ている。
    「この前?」
    「え、ほら音楽雑誌の。全然聞かない雑誌だったから、マイナーだったと思うんですけど……」
    「ああ!」
    どうやら忘れていたらしい。思い出したと手を叩いた先輩は、勿論と強く頷いた。
    「きっちり見つけましたとも。……とは言え、先方の在庫を譲ってもらえるかはまだ未定なので、見つけただけですがね」
    「おお……」
    見つけたのか、流石‪──‬万能の先輩なのでは、この人は。そう思っても、口には出さない。とりあえず拍手を送ることにした。
    「先方から回答があり次第、お客様に電話しますよ」
    サンポ先輩はそう言って、三角折りのポップを台に乗せる。先日発表された文学賞受賞作品を讃える文言が、そこには印刷されていた。
    『完敗ですよ、ジェパード』
    俺の脳裏に、言葉が過ぎる。あの時、サンポ先輩が呟いた人名は雑誌を予約した男性の名前だ。サンポ先輩が、そのジェパードという人物と顔見知りなのは驚いた。
    いや、本当に顔見知りなのだろうか。当時、サンポ先輩が浮かべていた微笑みは懐かしい相手に出会えたとか、そういうものに対して向けるものじゃない。
    本当に見つけるなんて、とか言っていた。サンポ先輩の、嘘か真か分からない身の上話を思い出す。キャバクラの一件はもう終わっていて、それでもサンポ先輩は何かに追われているようだった。だから、ナターシャという人の診療所に居着くことが出来なかったんだ。
    これは邪推だ、なんの確証もない。ただ、断片的に得ている情報を無理矢理に繋ぎ合わせている。
    もしかして、サンポ先輩を追いかけているのはジェパードなのではないかと、俺は思った。
    そうだとしたら、あの場で聞いた独り言にも辻褄が合う。
    (いやでも流石にない、よな)
    本当に邪推だ。ただの友人だった場合、これは失礼すぎる。だから、これ以上考えるのはやめた。そもそも、俺は一般人で平和な日常を生きているんだ。その中で、まさか非日常を生きてる存在が側に来るわけがない。小説や漫画の世界じゃあるまいし‪──‬。
    「サンポさん」
    別の店員が、サンポ先輩を呼んだ。その手には、バックヤードに置かれている店の子機電話が握られている。
    「……ああ、はい。ありがとうございます。今日発送していただける?それはとてもありがたいですねぇ!」
    電話を受け取ったサンポ先輩は、特設コーナーの作成を続けながら電話対応をしている。聞こえてくる言葉を聞くに、どうやら先方から在庫を譲ってもらえるようだ。
    ‪──‬一瞬、俺が客への電話を代わろうかと打診しようと思った。その考えがよぎった理由はなんとなくだ。嫌な予感とまではいかないものの、どこか気持ち悪い感じがするのだ。
    あの男性と、サンポ先輩を会話させてはならない。だが、それを俺が止める理由も、代わる理由もないのが事実だ。
    なんというか、先輩の身の上話を聞いて変な気分にでもなっているのだろうか。まるで自分がそういう世界の登場人物になったかのような‪──‬あり得ない。
    だから、俺は何も言わない。
    「お譲り決まりましたので、お客様に電話して来ますね」
    そう言って作りかけの特設コーナーの前を離れ、バックヤードへ行くサンポ先輩の背中を、俺はただ無言で見送った。



    見送ったつもりだったのだが、あの後俺は在庫を持ってこいとバックヤードに追いやられてしまった。積み重なった本は重い。だから、男手に頼られることが多いのだ。
    電話対応等する部屋の隣が、在庫置き場だ。基本的に検品が終わった後、ここに置いておくことが義務付けられている。
    サンポ先輩は、まだバックヤードから出て来ていない。電話中ということだろう。現に、廊下を歩く俺の耳には彼の話し声が細々と聞こえている。
    「え、警察辞めたんですか?」
    その言葉に、俺は足を止めた。一歩先にはバックヤードへの出入り口、そこからはうっすらと灯りが漏れている。卓上ライトのそれには、俺の影が落ちていた。
    「へぇ……それはそれは。なら、貴方はもうただの一般人というわけだ……」
    警察、警察と言った。あの男性は、元々警察で‪──‬いや相手はあの、ジェパードとは限らない。
    「いえ、別に。……さて、僕は過去を考えることはやめたので、あれから何年経ったのかも定かではないんですよ。ただまぁ、どうでしょう。正義ある一般人である貴方が通報すれば、まだ僕の手首に手錠がかかるかもしれませんね。あはは!」
    通報、手錠。その単語に、俺の心臓が飛び跳ねる。
    「冗談ですよ。……これでもう、僕を追いかける人はいない。僕の勝ちですね、ジェパード」
    軽薄は口調で、軽い声色で、サンポ先輩は電話先の相手に語る。ジェパードという名前は、今聞きたく無かったものだ。
    「声が大きい?いえ失礼。この電話、少し調子が悪いもので時々声が遠くなるんですよ」
    サンポ先輩の言葉は続く。
    「……まぁ、ここらでいいでしょう。商品について、どうします?明後日には渡せますが」
    話は、取り寄せの話題に映った。俺の額から冷や汗が滲み、掌は気持ち悪いほど湿っている。心臓が嫌になる程高鳴っていて、自分でも今おかしい状態だと理解が出来た。
    サンポ先輩は、一体なんだ。あの人は何をして、どうして警察に追われていたんだ。
    「出来れば閉店間際が望ましいですね。……だってほら、貴方を待たせてしまうのは申し訳ないのでね。夜は長い、過去を振り返りながら懐古に浸りましょうよ」

    「もう、逃げませんから」

    ◆◉◆

    ずっと、何かに急かされているように感じる。たかだか二日だというのに、心が浮ついて仕方がなかった。
    今日は、取り寄せた雑誌をあの男性が取りにくる日だ。俺が、サンポ先輩に何気なく身の上について問い掛けたような、初夏のような気温。だがそこに、嫌な湿度が肌にまとわりついて来る。じんわりとかく汗が気持ち悪い。
    閉店間際になれば、俺とサンポ先輩の二人で回すことも多くなる。客を待ちながら、素早く閉めて素早く帰れるように、さっさとやれることをやるだけの時間だ。
    その取り寄せの客が来ることもあってか、今日はサンポ先輩がレジに入っていた。俺は、売り場の整理と掃除をしている。
    結局、俺は何も聞けなかった。あの時、電話を盗み聞きしていたことを言えるわけもなく‪──‬断片的な情報だけが、俺の中にある。
    聞いたところで、はぐらかされるだろうという諦めもあった。サンポ先輩へ視線を向ければ、彼はいつも通り発注作業をしている。いつも口元には笑みを携えて、メガネのレンズにはモニターの光が反射して。
    いつも通りの光景だ。そう思っていたところで、静かな店内に入店音が鳴り響いた。
    俺は思わず出入り口へ目を向ける。金髪が見えたところで、息が詰まった。
    「本当に閉店間際に来るだなんて……律儀ですね、昔と変わらず」
    「君がこの時間を指定したんだろう」
    俺は二人の会話が聞こえる位置に移動する。そこはちょうど文房具売り場の通路で、棚に隠れるようにしてその場にしゃがみ込んだ。
    「まぁこの方が話しやすいかと、ね」
    ここから見えるサンポ先輩は、相変わらず軽薄な笑みを浮かべている。男性の‪──‬ジェパードの顔は、見えない。彼の後頭部だけが視界に映っている。
    「先にお会計をしましょうか。税抜で800信用の……」
    そこから先、聞こえて来るのは事務的なやり取りだけだった。他愛のない雑談も無く、ただ会計を済ませている。ただ、ジェパードの動作はどこかぎこちなかった。
    「閉店してから……大体30分ぐらい。そうしたら僕も仕事を上がりますから、それまでどこかで待っていて頂けますか?」
    「……それは、構わないが……。……本当に、逃げないんだな」
    「電話でも言ったじゃないですか、もう逃げませんってね」
    ビニール袋の擦れる音と、小銭が排出される音。その中で、サンポ先輩は言う。
    「もう誰も追わなくなった時点で僕の勝ち……ですが、時期を見れば貴方の勝ちですよ。本当に、後少しで逃げ切れたんですがね」
    「僕はもう君を追う責務は無い。言ったはずだ」
    「流石にそれを鵜呑みには出来ませんよ」
    軽快な笑い声が店内に響く。サンポ先輩は全く怯えていない様子で、ジェパードへ商品を手渡した。その顔には、むしろ楽しいという感情が滲み出ているように思う。
    「それじゃあ、もう閉店時間なので……また後ほど」
    ジェパードは何も言わず、ただ小さく頷いた。それに対して微笑むサンポ先輩が、静かに俺の方を見る。
    「彼にも、少し話したいことがあるので」



    多分、最初から盗み聞きしていたのはバレていた。それを知っていて、サンポ先輩は何も言わずに会話を聞かせていたのだ。それが意味するところは、正直分からない。
    「いくら僕とジェパードの関係が気になったとはいえ、盗み聞きは頂けませんねぇ」
    「……すいません」
    「ああ、別に怒っているわけじゃなくて。ただ、そうですね……君も少なからず僕の身の上を聞いていますから、気になりますよね」
    珍しく、レジ締めをしているのはサンポ先輩だ。俺はその隣で、レジ袋の在庫確認に努めている。
    「君には一応、僕の身の上で大体のことは伝えたつもりです。勿論、端折ったりフィクションを混ぜたりはしていますが……」
    「本当なんすか、それ」
    「嘘は言いませんよ、こんなことで。君に、僕のことを覚えていて欲しいから語ったまでです。そのうち忘れても構いません。こんな人間もいたんだなと、ただそれだけ」
    「…………」
    手早くレジの集計をまとめる彼は、柔らかく微笑んでいた。その笑みは、俺にとっては嫌なもののように感じる。怖いわけではないが、ただ、不安が掻き立てられて。
    明日にはもう、この人はいないんじゃないかと。
    「……過不足なし。うん、終わりですね。さて、帰りましょうか」
    「……はい」
    なんて事のない、ただの不思議な先輩だ。仕事が出来て、頼り甲斐はあるけど信用はイマイチで、それでも何かあった時には助けてくれる。年齢不詳、素性不明。気さく性格だが、フランク過ぎて少し怪しい感じもある。
    「サンポ先輩」
    そんな先輩を、俺は慕っていた。そばにいる分には、楽しい人だと思って。
    「どうしました?」
    うっすらと熱と湿気のこもる気持ち悪い風が、身体を撫でていく。秋の虫がどこかで鳴いている夜、俺とは逆に歩き出すサンポ先輩を呼び止めていた。
    なんて言えばいいか分からない。行かないでとも、辞めないでとも、言えない。
    「……また、明日」
    だから、俺が言えるのはこれが限界だった。汗で湿った掌を見せて、振る。
    「…………」
    それに対して、サンポ先輩は何も言わない。ただ、同じように手を振ってくれるだけだった。

    俺が、彼を見たのはこれが最後だった。次の日、蒸発したように彼は仕事には来ず、事務所の机にはいつの間にか辞表と菓子折りが置かれていて。
    一体何があったのか、彼の正体は何なのか。その謎の答えを得る機会はない。
    ただ、平凡な俺の人生においてあの人は‪──‬一生記憶に残るだろう。

    俺が働く本屋には、不思議な男先輩がいた。紺と白のツートンカラーの髪、特徴的な瞳孔した瞳。年齢不詳、素性はほんの少しだけ知っている。気さくな性格だが、フランク過ぎて少し怪しい。慣れれば、何処となく面白い人だと思うだろう。一度口が開けばよく回るその話術は、キャバクラのホール時代で培ったものだろうか。
    いつもヘラヘラと笑っていて、客に対しては腰が低い。仕事は出来るが、時には巧妙に俺たちへ仕事を押し付けてくる先輩。ただ、困った時にはいつの間にかそこにいて助けてくれる。思い返せば頼れる存在で、いてくれたら有難い万能な先輩‪──‬そして、不思議な過去を持つ先輩。
    それが、サンポ・コースキという男だった。
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