彼女にだけ伝える言葉/グルアオ「断る」
「あらリップ、まだ何も言ってないけど?」
「大体の用件はわかってるし、興味ないからさっさと帰ってよ」
そうはっきりと拒絶の言葉を言い放っても、コートを着込んだ彼女はなんのダメージを受けた素振りを見せずに、ただ笑うだけ。煌びやかな唇で弧を描きながら、リップさんは口を開いた。
「きっとあなたにも悪い話じゃないわ」
「だから聞きたくないってば。あんた、忙しいんだろ。わざわざこんな雪山まで来てないで自分の仕事をすれば」
「ちゃんとしてるわよ? グルーシャちゃんをモデルに勧誘するお・し・ご・と」
これまでもリーグで会った際だとかにモデルの仕事をしてみないかと何度も誘われてたけど、今更世間の注目を浴びたくないぼくとしては有無を言わさず断ってきた。それなのにまさか、わざわざベイクジムからナッペ山ジムに訪れてくるとか……この人は案外暇なんだろうか。
考えるだけでだんだん頭が痛くなってきた。
なおしつこく誘う魔女の声色に、深くため息をつきながら無視して立ち去ろうとすれば、彼女は仕方ないと呟く。
「アオイちゃんもお相手役として参加予定なのに、残念ね。なら他の男性モデルに声をかけよーっと」
「は?」
突如話題に上がった人物の名前に思わず反応すると、彼女は妖艶な笑みを浮かべていて、その瞬間罠にハマったことに気づいたけどもう遅かった。
「リップ、言ったはずよ? グルーシャちゃんにとって、悪い話じゃないって。どうするの? やっぱり聞かない?」
コートにもついている蝶を模した飾りがぱたぱたと揺れる。この件にはアオイが関わっていて、ぼくが断れば他の男のところへと話が行く。そうやって、自分の弱点でもある彼女を人質みたく出されてしまうと……。
「応対室で詳しい話聞かせて」
引き受けざるを得なかった。自分でもわかってる。本当に単純でサムすぎる。だけど、こればっかりは他に譲るわけにはいかなかった。
「グルーシャさんの準備ができましたー。リップさん、チェックお願いしまーす」
ヘアセットやらメイクやらと面倒な準備がやっと終わったかと思いきや、まだ何かあるんだ。ややうんざりしながら鏡を見れば、濃い青を基調としたタキシード姿の自分が映っていて、初めて着たフォーマルな格好にやや気後れした。
「バッチグーよ、グルーシャちゃん。もうすぐアオイちゃんも来るから少し待っててね」
この人の隠れ特性は、イタズラごころなんじゃないかってくらい楽しげな雰囲気を隠そうともしないリップさんに、内心ため息をつきながらもアオイが来るのを待った。なんともない風を装っていてもそわそわと落ち着かずに、腕を組んだまま意味もなく歩き回ってしまう。
「……サムいな」
ボソリと呟いても後の祭りだが、どうしてもアオイのあの姿が見たかったんだ。周りからの妙な視線を受けながらも待って数分、アオイが誰かと話している声が奥から聞こえてきた。
「今日はよろしくお願いしま……ってええ!? ぐぐぐグルーシャさん!? どうしてここに!?」
その瞬間、全てが止まったような気がした。
「うふふ。思ってた通りね。ヘアメイクだけじゃなくてドレスもリップが選んで良かった」
レースや複雑な刺繍が施されたドレスを着たアオイは、これまでの人生の中で見てきたどんなものよりも美しかった。
「アオイちゃんには知らせてなかったけど、グルーシャちゃんがお相手役よ。あなた達ならきっと素敵な宣伝写真を撮れるわ。だって、全部リップがプロデュースしたんだもの。そこに間違いなんてない」
「は、はい! 精一杯頑張ります!」
ブライダル業界向けに開発した化粧品のプロモーションに協力してほしいというのが、リップさんからの依頼だった。どこまでも幸福で、明るい未来が詰まったギフトというのが化粧品のコンセプトらしく、そのイメージにアオイがぴったりだという彼女の意見から、宣伝用写真の花嫁役として決まったらしい。
本当なら、モデルだなんて目立つことはやりたくなかった。だけど例え仕事であってもウエディングドレスを着たアオイの隣に、ぼく以外の誰かが立つかもしれないってことが我慢できなくて……。彼女がまだ学生の頃から燻り続け、未だに想いは告げられていない状態だけど、それだけは嫌だった。そんな様々な想いを天秤にかけた結果、この仕事を受けることを決めたが、正直ここまでだとは思わなかった。こんなにも、美しい彼女の姿を間近で見られるだなんて――
「あ、あの……どうですか? 初めてこんなドレス着たんですけど、グルーシャさんから見ても変じゃないですか?」
ほんのり赤らんだ頬に、艶やかに彩られた唇を軽く尖らせながらアオイは不安げに尋ねる。いつものサイドに垂らしているみつあみではなく、アップにした茶色の髪には水色と黄色の花々が飾りとして添えられていた。
「えっと……」
思ったことをそのまま伝えようと口を開いた瞬間、撮影のセッティングをしていたスタッフの一人がぼく達に声をかけた。
「お待たせしました! 今から撮影を始めますんで、お二人ともこちらにー」
「は、はい! よろしくお願いします! ……グルーシャさん、行きましょう」
レースの手袋に包まれた小さな手に引かれながら、撮影場所へと歩いていった。大小様々な照明機器から発せられる光が眩しい。でもその輝きがより一層アオイの美しさを際立たせていて、息をするのも忘れるくらいだった。
「オファーをした時にも伝えたのだけど、今回のコンセプトからあなた達にはこの上なく幸せな新郎新婦になってもらうわ。ポーズはおまかせで……と言いたいところだけど、カメラマンちゃんがちゃーんと指示出してくれるから」
「は、はい!」
「うふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。アオイちゃんは今回のテーマにピッタリだし、グルーシャちゃんもあなたの美しさをより一層引き出してくれるわ。それじゃ、よろしくお願いしまーす」
ちょっと余計なこと言わないでよとリップさんに抗議の視線を送ったが、彼女は軽々と交わしてカメラマンの後方へと退いていった。
「それでは最初は二人とも向かい合った状態で。誓いのキスをする時のイメージでOKです」
こうやって写真を撮られるのはいつぶりだろう。現役時代も自分はアスリートなんだからモデルまがいの仕事はしたくないとなるべく拒否してきたし、引退後も極力メディアに出ることも避けてた。まあ、今回の主役はアオイなんだし気にせずにやっていけばいいか。
アオイも普段からよく写真を撮ったり撮られたりしてるし、早く終わりそうだ。だからこそ、彼女のドレス姿を目に焼きつけるために向かい合った状態で凝視した。
「うーん、アオイさんの表情がどうしても硬いな……。もうちょっとリラックスしてくれないかな? じゃないと幸せそうには見えないしね」
「は、はい! すみません!」
「アオイちゃん、悪化しちゃってるわ」
予想にも反して、撮影は長時間に渡り押していた。理由はアオイか緊張しまくっていて、思うような表情を撮れていないからだ。あれだけ度胸がある子なのに意外にもこっち方面はダメなんだと、出会って数年が経った今になってから知った新たな一面に心が躍る。もうちょっと見ていたいとこだけど、周りに迷惑をかけてしまっているという罪悪感からか、アオイが涙目になっていたのでぼくは動いた。
彼女の肩を軽く抱き寄せると、耳元で囁いた。ぼくら以外には絶対に聞こえない音量でありながらも、しっかりアオイに届くように。
最後に白い手袋越しで彼女の丸い頬を撫でれば、アオイの顔はカジッチュのように顔を真っ赤に染まった。その反応にやりすぎたかと焦ったが、少しすれば目を細め白い歯をちらりと見せながら彼女は笑う。
「……グルーシャさん、ありがとうございます。すごく嬉しいです」
「そ、そう……」
雪に埋もれながらも懸命に咲き誇る可憐な花のような微笑みに、被弾したたねばくだんみたいに全てが弾け飛んだ。全力疾走をし続けた後みたいに、心臓が苦しいと暴れまわっている。ぼくはただあの子の緊張を少しでもほぐすことができればと、さっき言えなかったことを伝えただけなのに――
「今よ」
そこから容赦なく鳴り続けるシャッター音。変な顔で写らないよう気を引き締めたけど、間に合ったかどうかは微妙だ。でも、これでアオイの緊張が解れたようで撮影は順調に進み、一時間後には終了した。
普段着に着替えて控室から出れば、外でリップさんが待ち構えていた。
「うふふ、やっぱりグルーシャちゃんにお願いして良かった。ごいすーな写真がいっぱい撮れたし、最高のプロモになるわ。次回もシクヨロね」
「もう二度としないから」
「あら、ならアオイちゃんのあんな姿を他の男の子達に見られてもいいのかしら?」
「……そうやってあの子を人質にするのはやめて」
そうはっきり伝えても、目の前の魔女は愉快そうに笑うばかりで今後も引っ張り出されそうだとげんなりした。アオイをモデルとしてオファーするのもこれっきりにしてほしいんだけど、きっと彼女も手放すつもりなんてないんだろう。前にアオイを囲みたいとかなんとか言ってたし、なんであの子はこう厄介な相手によく好かれるんだよ。
「でもね、やっぱりリップの目に狂いはなかったわ。グルーシャちゃんがアオイちゃんの美しさを引き出してくれたから、あんなにも素敵な写真が撮れたの。
悔しいわ。本当なら、お化粧の力で出したかったのに」
「別にあんたのでも十分綺麗だったよ」
事実アオイが出てきた瞬間何もかもを置き去りにして、ただただ美しいという言葉しか浮かんでこなかった。衣装だけじゃなくて化粧であんなにも変わるとは思わなかったからこそ、なんでそこまで悔しげなのかわからない。
けれども彼女は首を振った。
「いいえ。アオイちゃんの美しさは、グルーシャちゃんが何かを伝えた際に完成したわ。ねえ、あの子になんて言ったの? 今後の参考のためにも教えて」
「絶対に嫌」
断固として断れば、リップさんは残念と呟いてたけどこれは後でアオイに聞きそうだな。絶対に口を割らないように念押ししないと。そう考えていると、彼女は艶めいた唇の端を上げながら思い出したように話し始めた。
「ああ、そう。アオイちゃんの髪についてたヘッドドレスも素敵だったわね。あれだけは、あの子が自分で選んだのよ。水色と黄色のお花だなんて、誰を想ったのかしら?」
何それ……と言いかけたところで、奥の控室からアオイが出てきた。ブラウスと短パン、そしてスニーカーという動きやすさ重視の姿に、サイドに垂らしたいつものみつあみを揺らしながらぼくらがいるところまでやってきた。
「リップさん、グルーシャさん、今日はありがとうございました。最初は私のせいでぐだぐだにしちゃって、すみませんでした!」
「いいのよ。初めてだとみーんなあんな風にカチコチになっちゃうから。でも、モデルの仕事向いていると思うわ。リップが伝えたいことを上手く表現してくれたし」
「えへへ、そう褒めてくださると嬉しいです。すごく緊張しましたけど、貴重な体験ができて本当に良かったです」
ぼくをよそに話し続ける二人を眺めていたら、リップさんがこれからご飯を食べに行こうと誘い始めた。
「これからみんなでシースー食べに行かない? フリッジタウンにあるのとは違って、ちゃんと美味しいものを出してくれるお店がマリナードタウンにあるの。今日はリップがご馳走しちゃう!」
「えっ、いいんですか!?」
目を輝かせながら頷こうとしたアオイの前に、二人を割けるように右手を振り落とすと、ぼくは言った。
「アオイはこれからぼくと一緒にいるから行かない。ほら、もう出よう」
「えっ、なんですかそれ!? 私、そんなの知らないですよー」
お寿司ーと言いながらリップさんの方へ伸ばそうとしていた手を取ると、強引にスタジオの外へとアオイを連れ出した。その際、リップさんが心底おかしそうに笑う珍しい姿を見せていたけど興味はない。
「グルーシャさんのばかー。せっかくちゃんとしたお寿司を食べられそうだったのに……」
しょぼくれながら文句を言うアオイだが、掴んだ手を振り解こうとはしなかった。それが嬉しくて、ほんの少しだけ握る力を強めた。
「また今度、連れていってあげるから。でも今は――」
ぼくはこれから大事なことをアオイに尋ねなければならない。もしあんたもぼくと同じなら、あの写真が世に出る前にきちんと捕まえなきゃ。
終わり