【空蝉日記 短編】リビング・ウィルの幇助犯「ふぅ……今日はこれで終わりかな。」
そっと溜息を吐きながら、デスクの上に広げた数多の資料や書類に目をやると、"後はこれを片付けなければな"と思い席を立つ。
僕───蜂須賀 逢摩は、自分でも言うのもなんだが俗に言う"天才"の部類に入ると自負している。でなければ、こんなにも早く論文を完成させることは出来ないだろう。締切とやらもビックリなものだ。
だがしかし、人はみな同じ思考の壇上に立ってはいない。
僕自身が理解していてもそれを世の群衆にも同じように分からせるには、周囲の物差しに合わせる必要がある。それが面倒だ。
さて、まとまりのない無数の臨床データを一つの文に要約し終えた僕は、PCの電源を落とし、デスク上に置いた実験ノートやその他の紙資料を両腕に抱え、仕事用の本棚に収納した。
(少し一服するか。)
ひと仕事終えた僕は、煙草に火をつけると、煙と共に疲労を吐き出した。
(本当はこんなつまらない研究に構ってる暇は無いんだけどね。……さぁ、"アレ"の様子はどうかな。)
煙を噴かせながら向かったのは、研究室兼我が家の地下に建設した特別な場所。学者としてではない、僕個人の実験の為の一室だった。
鈍色の壁に包まれたその場所は、僕の為だけの世界であり、どんな危険な薬品もどんな危険な実験器具も、そして──どんな実験体を置いても許される箱庭だ。
所々赤黒いシミが残った床を歩きながら、部屋の隅に置いた『ホルマリン漬けの赤子』に目を向ける。
「やぁ、おはよう。あぁごめん、こんばんはだったね。……って言ってもそうか、此処じゃ外の時間は分からないから別にいいか。」
僕は煙草を吸いながらそっとその子に話しかける。この赤子はネットの最下層……俗に言う闇市場から買い取ったもので、望まぬ妊娠により生まれた結果"材料"として売られたようだ。
因みに、命はもう無い。だからこそ買い取った。
「うーん、人形の方にはまだ変化が無いね。もう少し刺激を与えるべきかな?」
次に目を向けたのは、赤子のすぐ隣に置いた不気味な日本人形。
これはオカルトな品々を集めているコレクターから買ったもので、まぁ所謂"呪いの人形"だ。どうやら、若い子供の魂が入っているらしい。
そして僕が調べた限りその話は本当のようで、この人形からは外部への強い憎しみを湛えた生命反応を検知した。
これら2つの実験体を集めた僕は今、『人形に宿った魂が死んだ赤子の肉体へ入り込むか否か』の検証を行っている。
この人形に宿る霊は、要は他に宛てが無いから代わりの居場所として人形を選んだことになる。それならば、"肉のある器"がすぐ隣にあればどうだろう?そちらへ魂を引っ越すだろうか?
そして、既に死亡した身体でも鮮度を保っていれば外部からの魂も受け入れて息を吹き返すだろうか?
今回の実験における調査点は、この2つだ。
「せっかく体を用意してあげたのに、入らないのかい?それとも、入れないのかい?もう人形の方に魂が馴染み過ぎて移動出来ない可能性もあるね。」
別の体への魂の移動……それは、かつて僕が初対面の女と体の関係を持って子供を産んでまで行っていた実験であり、今回は小規模ではあるが、その応用だ。
既に死んだ体でも魂の器になるか……僕はそれが知りたい。
「最後までちゃ〜んと面倒見てあげるよ。役に立ってくれたらね。」
僕は煙草を吹かせながらそっと、それの入った瓶を優しく撫でる。
まるで、我が子を愛でるように───。