恋人たちの平日の夜一緒にご飯を作って食べて。
一緒に食べ終わった皿を洗って片付けて。
一緒に食後のお茶を飲んで。
楽しい時間ほどあっという間に過ぎていく。
「もうこんな時間か」
向かい合って座っていた磯貝が腕時計を見て呟いた。
咲子も時計を見れば22時を少し回ったところだった。
今日は水曜日。明日ももちろん仕事だ。
「そろそろ帰るよ」
「はい」
テキパキと磯貝は帰り支度を済ませるのを寂しい気持ちで見守りながら、咲子は今日が金曜日ならよかったのに、と思った。
そうしたらずっと一緒に過ごせるのに。もっと話して、疲れたら一緒に眠って。そして朝は先に起きて磯貝の寝顔を堪能するのだ。
付き合った当初はただ一緒に居られるだけで幸せだったのに、こうした幸せ知ってしまったことでどんどんと欲張りになってきてしまっている。
我慢我慢、と自分に言い聞かせながら、咲子は身支度を済ませた磯貝の後に続いて玄関まで歩みを進める。
靴を履いてようやく咲子を振り返った磯貝は少し困った表情を見せた。
「そんな顔されたら帰りにくいな」
咲子は思わず自分の頬を両手で覆う。
寂しいという気持ちが表情に出すぎていたようだ。
「そんなに顔に出てました?」
「うん」
磯貝は両手を伸ばして咲子の両手に重ねた。
「明後日また来るから」
「…はい」
これ以上困らせないように、と咲子は思ったがなかなか気持ちの切り替えが上手くいかず、声に寂しい響きが含まれてしまった。
磯貝がまた苦笑して、今度は顔を近づけた。
軽く触れるだけの口づけ。
慰めるはずのものだろうに、それがまた寂しさを募らせてくる。
それは磯貝も同じだったようで、咲子の額に自分の額を付けた。
「…帰りたくなくなってきた」
「じゃあ泊まりますか?」
「明日朝一で会議じゃなければなぁ…」
「…残念です」
「うん」
もし本当に会議がなかったとしても、真面目な磯貝は平日に泊まることはない。
もちろん逆もしかり。咲子が磯貝の立場だったとしても同じことだ。
咲子もそれがわかっているからこそ、逆に理由があることで諦めがつくというもの。
名残惜しさを残しつつ、磯貝も咲子も互いにそっと体を離す。
「…駅まで送りましょうか?」
「いや、そのままうちに連れて帰りたくなるから」
磯貝があまりに真剣に言うので、咲子は吹き出してしまった。
ようやく笑った咲子に、磯貝は少しホッとした表情を浮かべた。
彼なりの冗談だったのだろう。もちろん半分は本気の。
「…帰ったら電話するよ」
「はい」
咲子は磯貝の肩に手を置いてつま先で立つ。
咲子が顔を近づければ磯貝は瞳を閉じてそれを受け入れた。
触れるだけのものだが、先程より数秒だけ長い口づけ。
今日はこれで本当にさよならだ。
「じゃあ…」
「暗いので気をつけて下さい」
磯貝は頷いてドアを開けた。
生温い夜風が磯貝に、そして咲子へと通り過ぎていく。
「危ないからすぐ鍵閉めてね」
磯貝は優しくそう言って手を振り、ドアを優しく閉めた。
咲子は言われた通りにすぐに鍵をかける。
その数秒後、階段を降りていく磯貝の足音が聞こえた。
咲子は髪が引かれる思いをしつつ部屋に戻ると、ローテーブルの上に置きっぱなしになっていた磯貝用のマグカップが目に入る。
先ほどまで一緒に笑っていた磯貝を思い出して、咲子は虎のぬいぐるみを掴んでベッドに倒れ込んだ。
そして虎のぬいぐるみに話しかける。
「早く電話来ないかなぁ…?」
別れたばかりなのにもう声が聞きたくなってしまった。
咲子はぬいぐるみを優しく抱きしめるのだった。