笹の葉に願い事を「どうぞご参加下さ〜い」
そう言われて思わず受け取ってしまったものは、未記入の短冊だった。
手渡してきた若い女性を振り返ると、もう既に磯貝のことは眼中になく、改札へと向かう人々に次々と話しかけている。
「…そうか、もうこんな季節か」
磯貝は改札前に飾られた大きな笹の葉を見上げて独り言ちた。
社会人になってもう十数年。商品企画室に在籍している磯貝は仕事柄、季節を多少は意識することもあるが、子どもの頃と比べるとこういうイベントとは縁遠くなっていた。
せっかくなので磯貝は参加してみることにした。
笹の葉の側に用意された記入コーナーに短冊を置き、ペンを手に取る。
(確か七夕で書く願い事って元々は芸事の上達を祈るものだったんだよな…)
昔どこかで読んだ豆知識を思い出す。
(そうなると、絵の上達を願うべきなのだろうか…いや今は自由に願い事を書くのが一般的だしな…商売繁盛とか無病息災って書くべきか?)
真面目な性格の磯貝は深く考え込んでしまった。
(う〜ん、どうするか…)
その時、ふと咲子の顔が思い浮かぶ。
磯貝はマスクの下で少し頬を緩ませた。
(…こういうの、池田さんならすぐ書けちゃいそうだな)
きっと素直な性格の彼女なら、由縁など気にせず自分の願い事をそのまま書き出すだろう。
(…ああ。そうだ、これにしよう)
磯貝はようやくペンを走らせた。
願い事を書き終え、磯貝は側の笹の葉の低めの位置に短冊を結びつける。
(子どもの頃はできるだけ高い場所につけようとしていたなぁ)
そんなことを思い出しつつ、笹の葉に結ばれた短冊に、磯貝は満足そうに頷く。
書かれた願い事は…
――これからも一緒に美味しいご飯を食べられますように――
――ずっと一緒にいられますように。
――2人で幸せになれますように。
それは自分と彼女がお互いに歩み寄り、努力して叶えるものだから。
だから磯貝はあえてこの書き方をした。
美味しい食べ物との出会いは、多少の運も必要だから。
好き嫌いがないとはいえ、咲子にはいつも笑っていて欲しいから。
「よろしくお願いします」
磯貝は少し頭を下げて小さな声で笹の葉に語りかけるのだった。