DomSub 多様性が叫ばれるようになった昨今。
性別は、男・女とはっきりと区別される事は少なくなった。少なくとも生物上の男女はあれど、履歴書などからもその項目は消えた。
その代わりに、広がっているのが第二の性。
ダイナミクスと呼ばれ、大きく分けて2つ存在する。
誰かを支配したいという欲求を抱えるDom。
対照的に、誰かに支配されたい本能を抱えているSub。
相手によって立場を変えるSwitch、欲求が薄いNormalなど多岐にわたる。しかし、多くの人はDomかSubのどちらかに分類されている。
病院の待合室。
『正しいプレイは、貴方の健康に欠かせません』
大きくかかれたパンレットを手にした俺は、ちっと舌打ちをした。院内が禁煙なのも気に入らない。
「ウルフウッドさん、貴方この年までプレイなしで過ごしてこられたんですか?」
ダイナミクス科の医師が俺の姿を見て、呆れたように声を上げる。プレイを嫌っている余り、ずっと薬に頼ってきた。効きが悪くなってきたので強い薬を処方してくれないかとかかりつけ医に駆け込んだのが今日。
俺は、自分の第二の性が大っ嫌いだった。
誰かに支配されたい、服従したい。
そんな欲求を抱いたことは、未だかつて一度も無い。たったの一度もだ。
診断が間違っているんじゃ無いかと、セカンドオピニオン、サードオピニオンを繰り返し検査を続けたが結果は変わらなかった。
氏名 ニコラス・D・ウルフウッド
診断 Sub
高い金を払って、望まぬ結果を得る繰り返しに嫌気がさし検査をすることはもう辞めた。かといって、Subで有ることを受け入れたわけでは無い。
最近では、良い薬が有りダイナミクスの欲求を緩和する事が出来る。プレイをしたいという欲求を感じたことは無いが、慢性的なだるさはある。
医師が言うには、プレイをしないことに寄るフラストレーションが原因だと診断を出された。相手を見つけろと散々言われたが、その気が無いと伝えると薬を処方され、それを飲み続けている。
「流石にもう、薬ではどうにもなりません」
「いやや、絶対にプレイはせん」
「そうはいっても、いま処方できる一番強い薬を飲み続けているんですよ、いつか体に悪影響が出ます」
「それを何とかするんが、オドレらの仕事やろ」
医師に当たっても仕方が無いのは分かっているが、嫌な者は嫌なのだ。処方してもらえるだけの薬を受け取る。
病院を出ると、屋外に設けられている喫煙室に直行する。胸ポケットから煙草を取り出すと、すぐさま火をつける。火をつけるなり、肺にまで煙を送り込むと少しイライラが落ち着く。
「ダイナミクスなんかに、わいが屈するわけないやろ」
ふうっと勢いよく煙を吐き出すが、こもった禁煙室では煙は溶けない。俺の不安のようにあたりにもやもやと漂い続けた。
「おい、ウルフウッド。お前今日から新しい先生の担当だったよな」
「おん、ちょっと・・・・・・気ぃ重いわ」
「ヴァッシュ先生?悪い噂は聞かないけど」
「あー、締め切り守る良い先生って話はきくねんけど」
「締め切り守ってくれる先生なら、それだけで俺は担当になりたいけどね」
俺の仕事は、出版社の編集。
このたびの人事編成で、まさかの文芸部に飛ばされた。文学に全く親しんでこなかった俺が、どうしてここに飛ばされたかのかは全くもって不明だが仕事だから仕方が無い。
サラリーマンは、やれと言われたことをやって給料を貰うしか無い。作家先生達とは違い、自分のしたいことで飯は食っていけないのだ。
出版業界で、締め切りを守ってくれる先生の担当につけるのは宝くじを当てるより難しい。うちの部もみんながこぞってヴァッシュの担当になりたがった。
人気作家で、書く小説書く小説がヒットの連続。正直担当が擦る仕事なんてほとんど無い。締め切りが近くなったら、自宅に伺い原稿を受け取るだけ。
同僚全員が諸手を挙げて、担当になりたがったが白羽の矢が立ったのはなぜか俺だった。文芸部に始めて飛ばされた俺を気遣ってのことか。いや、そんな気を回してくれるような優しい会社では無いことは俺が一番よく知っている。
なぜ、と言う気持ちはあったが正直体調も芳しくない中、キツい仕事は辛い。楽ならばと言う思いで、一つ返事でヴァッシュの担当を受け持ったのだ。
「すっごいマンションやな」
有名賞を連続で受賞し、映像化した作品は数知れず。稀代のヒットメーカーにとったら、こんなマンションはコンビニで買い物をするぐらいの感覚なのかも知れない。
エントランスに常駐しているコンシェルジュに名刺を渡すと、「伺っておりました」と三つ星ホテルのフロント顔負けの丁寧な対応でヴァッシュ部屋まで案内された。
豪華なドアフォンを前に、一瞬指が止まる。
どうして俺が、ここに来るのをこんなにも躊躇ったかというとヴァッシュのダイナミクスにある。
ダイナミクスを公表することは、少ないわけでは無い。ヴァッシュは、作品の中でもダイナミクスにまつわる心の機微や感情の流れを緻密に描くことが持ち味の作家だ。
インタビューの中でも、自身のダイナミクスについて語る機会も多くDomであると公言している。
この世の中の人間は、概ねDomとSubに別けられる。
だから、Domの人間似合うのが怖いわけでは無い。
彼を特別に思う必要は無いのだ。
無いのだが。
ピンポン
豪華なインターフォンなのに、音は俺の安マンションと一緒なんだなと的外れなことを考えているとドアが開かれる。
「待ってたよウルフウッドくん」
担当に就くと知ってから、読み込んだ雑誌やTVインタビューで良く見た顔が俺を迎える。
「さぁ、中に入って」
透き通る翡翠の目に見つめられ声をかけられた瞬間、かくんっと俺の膝が折れる。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ
中に入ってと進められただけだ。
コマンドを受けたわけじゃ無い。それなのに、体から一気に力が抜ける。
「な、・・・んや、これ」
「どうしたの、立てる?」
しゃがみ込んだ俺を心配する様に、手が差し伸べられる。
この手を掴んでしまうと、戻れなくなる。そう分かっているのに、この男にすがりたくて仕方が無い。
次の指示が欲しい。
ダイナミクスの抗えない欲求が全身を襲う。
玄関の冷たいタイルに、ぺたんと腰を落としたまま俺を見つめるヴァッシュを見上げた。
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玄関で座り込んだままの俺に、ヴァッシュが視線を合わせるように腰を落とす。
「辛そうだね、君にはパートナーがいる?」
「っ、そんなん、おらん」
「わかった。そのままじゃ辛いよね。仕事にもならないと思うし。ちょっとだけ・・・・・・ね」
「なん?」
俺の輪郭をすっと指で撫でた後、ヴァッシュは立ち上がる。
「Come」
生まれて初めてのコマンドが俺に向けられる。
全身に稲妻が走った様な快感が走る。この声に従いたい。この男に支配されたい。本能にも近い欲求に抗える訳もなく、赤子が這うようにして立ち上がったヴァッシュの足下にすがる。
脱水症状を起こしかけた犬のように、はぁはぁと全身で息をする。薬が切れたときでも、こんなに苦しい思いをしたことが無い。
震える俺に、上から甘い声が注ぐ。
「Kneel」
欲しくてたまらない、コマンドが与えられて全身鳥肌が立つほど満たされる。四つん這いの状態から、ぺたんと両足を折りたたみ足下に座り込む。
早く、もっと、もっと命令が欲しい。両手で自分の肩を抱いて、声に出てしまいそうで、唇を強く噛んで耐える。視線を落とすとカタカタと膝が増えていた。
「Look、僕を見て」
コマンドに続く言葉に、はっとして顔を上げる。
今にも泣き出してしまいそうに、必死に唇を噛む俺の口内にヴァッシュの親指の腹が触れすりっと撫でる。
「噛んじゃ駄目だよ、口を開いて」
「・・・・・・っ、ぐ・・・・・・はぁ」
自分でも思いも寄らない言葉を口走ってしまいそうで、抵抗しようと心も見るもDomから与えられるコマンドに逆らえるはずが無い。
生理的な涙で滲む目をぎゅっと細めると、ゆっくりとかみしめた唇を開く。
「Goodboy」
ふわっと、温かな手が俺の髪を撫でぎゅっと抱きしめられる。
「あ、ぁ、・・・・・・、な、んやこ、れ・・・は、あっ」
「ウルフウッド?君、大丈夫・・・・・・」
「あ、おか、し・・・・・・から、だふわ、って」
視線がうつろになり、呂律も頭も回らない。
まるで初めて酒を飲んだときのような、いやそれ以上の高揚感。とくとくと心臓が早く打つのに、苦しさは無い。体のだるさが一気に抜けて、どんどん体内に血液が巡るのを感じる。
本当に心地よい、安心する。
そう思った瞬間、俺は意識を手放した。
「ん、ん・・・・・・」
布団の中で大きくのびをする。まるで、12時間以上寝たように体がすっきりとして心地よい。
人生で一番良い目覚めかも知れないと、大きく息を吸い込んではたと動きを止める。
「ここ、どこや」
ホテルの一室のような、綺麗な部屋。
心地よいベットかと思っていたが、自分が寝ていたのはソファーらしい。こんなに寝心地の良いソファーがあって良いのだろうか。うちのベッドよりも遙かに上等だ。
「おはよう、ウルフウッド」
不意に駆けられる声に、自分の状況を一瞬で把握する。
ここには仕事に来ているのだ。初めて顔を合わせる、担当作家との大事な打ち合わせの日。それも初対面の。そんな大切な日に、いきなり玄関で理性を失い倒れ込んでしまった。
普通なら、このまま担当変更だと編集部に苦情を入れられてもおかしくない。自分の犯した大失態に、先ほどまでの爽やかな気持ちは一転。一気に背筋が寒くなる。
こんなに体がすっきりしているのだ、一体何時間眠っていたのだろうか。
「お、おはようございます・・・・・・先生。あの、わいえらいこと寝とったんちゃいますか」
情けないと、ヴァッシュの顔が見れず時計を探すが、モデルルームのような綺麗な部屋には掛け時計など見当たらない。
「そんなこと無いよ、30分も眠ってないと思うけど」
「そんな訳、こんなに体すっきりしとんのに」
「僕とのプレイ、そんなに相性良かった?」
嬉しそうにそのまま半身を起こした俺の隣に、ヴァッシュが腰をかける。
『正しいプレイは、貴方の健康に欠かせません』
病院で受け取ったパンフレットの一文が頭をよぎる。
プレイなんて無くても、薬だけでやっていけると思っていた俺の考えが甘かったと、思い知らされる。
「さっきはごめんね、急にプレイみたいなことしちゃって」
「いや、わいの方こそあんな・・・・・・」
「同意を得ず、セーフワードも決めてないのにマナー違反だったね」
「ええねん。わい、そう言うのしたことないし」
「ほ、本当だったんだ、プレイ未経験って」
「お、おん。確かに、経験無いけど、先生なんで」
「僕とパートナーにならない?」
「ちょ、いきなり何言うとん。わい、プレイとか興味ないし」
「うん、知ってる。君の嫌な事は絶対にしない。君のペースに任せるから、強引なこともしない」
「せやかて・・・・・・」
「君の体調が悪いときだけでもいい。プレイをするのは、僕だけにしてくれないかな」
俺の両手を取り、懇願するように自分の口元へ持って行く。お願いと祈るような声は、俺にコマンド発した声音とは全く違う。同一人物とは思えない。
わずかなプレイだったが、体調が驚くほど良くなっているのを実感する。自分でも意外だったのが、ヴァッシュとのプレイは抵抗感どころか安心感しか得られなかった。
これが彼の言う相性なのか。
「そんな、俺の都合ばっか」
「僕はそれでもいいんだよ、君が僕とパートナーになってくれるんなら」
なぜ、一介の編集部員にそんなにこの人気作家が執着するのだろう。不思議に思うが、初めてのプレイが怖くも嫌な者にも感じなかったことが自分にとっては大きかった。
「先生が、えぇならそれで」
「ウルフウッド~。ありがとう、君のこと大切にする」
まるで、告白を受けれたような言葉に体がむずむずする。
「あ、あとね先生ってのやめない?僕のことも名前で呼んでよ。知ってるでしょ?」
「いや、でも俺担当やし、先生のこと呼び捨ては・・・・・・」
「それなら、プレイの間だけでも名前で呼んで」
「えぇ、先生じゃあかんの?」
「プレイの間は、仕事は関係なしでしょ!」
「たしかに、・・・・・・わかった」
「これからよろしくね、ウルフウッド」
「・・・・・・おん」
仕事の顔合わせに来たはずが、企図せずプレイのパートナーを得てしまう。
「それじゃ、セーフワード決めなきゃね」
「セーフワード、っても何でもえぇねんけど」
「だめだよ、僕が君の嫌がることをしたらすぐに教えて」
せやったら・・・・・・
セーフワードまでしっかりと決めた俺たちは、こうしてダイナミクスのパートナー兼作家と担当という不思議な形の関係を築くことになった。