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    いとう

    @itou_pr

    フォガパンを書きます、書きました。

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    POIPOI 23

    いとう

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    前回の続きですけん

    #フォガパン

    アデニウム 短く不格好な歪の幹を晒してそれは生きていた。わたしにはこれが丁度良いのでどうぞお気になさらず、そんな声が聞こえてきそうなほど華麗な花が少しだけ風に揺れた。情熱的なのにどこか初々しく、しっとりと水に濡れた花びらはあらゆるものの心を奪うには十分すぎるのだろう。手を伸ばしそれに触れると表面に生えた産毛にも似た淡い毛先が真っ先に出迎えた。それ以上触れていいのか拒否しているのか理解することもなく、花の根元を潰すほどに強く掴み、その完成されていた形を破壊した。視線を向けた指先に残るそれは問いかける。
    わたしが好きなのでしょう。
    その通りだよ、と心の中だけで愛を告げてから自分が存在すべき場所に戻るため、指で輪を作りくわえて笛で馬を呼んだ。従順で愛らしい馬は大きな体格で足を砂に取られることなく小刻みにステップを踏む。いい馬だった。人懐こいし音に怯むこともない。彼とは長い付き合いだったが、その右前脚には限界が近づいて来ていた。不治の病とも言われるそれは確かに彼を蝕んでいた。馬の年齢は人間の4倍の早さで進んでいくという。ひとりでは馬に乗ることもできなかった頃からずっと一緒だったが、最後にするのであれば俺の我儘に付き合わせたかった。
    片足を近いほうの鐙に掛け、そのまま残った足で地を蹴ると無意識下で行なわれる動きによって俺は馬上におり、鞍越しに息遣いを感じその首筋を撫でた。整えられたたてがみが彼の臭いを少し感じさせる。それを肺まで届かせて遠い先を見つめると手綱を上下にしならせた。









    くたびれた取手に手をかけ静かに開く。明かりが入る使い込まれた内装。溜まりに少しだけ覗かせるプライドだけ残していったのはひと月前のことだ。所々影になっている調度品も整頓され静かに全てが寄り添いあっているようだった。もう一つ足を進めると、聞き取りきれないがぽつりぽつりと男性の声が微かに耳に届いた。自分にも経験のあるものだと察して手近な椅子に腰掛けた。
    低い音が静かに流れ、時折欲してやまない知らない言語を喋るかのような声音が間に挟まれる。両手を組み合わせ、俯いてまぶたを落とした。なぜか悲しみが一番にやってきてしまって、そういった自分を理解しきれなかった。
    やがて扉の開く蝶番の音がした。奥の方にいる俺には気が付かなかったのか、壮年の男性は出入口へとまっすぐ向かって歩いていく。その背中を見やりながら、ひとつ大きく息を吸った。
    俺が入ってきた時と同じ音が立てられ、どこかへと胡散していく。顔を上げて待つ。指が微かに震えていた。頭の中を様々な事象が駆けていく。そして、今ここにいる俺だけがそのうち残される。
    何度呼吸をしたか分からなかったが、どれもがひとつひとつ重いものだった。
    奥の扉が開いた。
    どこか鎮痛な面持ちをしながら視線を下へ向け、自分の作った輪の中永遠に走り続ける蛇のようだった。
    頭をがりがりと掻きながらひとり苦悶の表情を浮かべ眉をしかめて、一瞬知らない男の顔だと感じてしまった。
    「パンドロ」
    つい発した。その顔を止めて欲しくて言葉にしたが、驚きなのか恐怖なのか判別つかない顔を見ていた。立ち上がり、彼へと近づく。先程よりずっとましな顔を作っていたが、どこか悲痛、自虐、そんな笑みを顔に浮かべ始めていた。
    「来るんなら先に言えよ」
    「俺もそれなりに忙しかったからさ、急に顔見たくて会いに来ちゃった」
    パンドロの口元がきつく結ばれる。いつも隣にいたから分かっている。それはお互い様なのだ。
    俺は彼と少しだけの距離を保ったまま、ポケットからできる限り崩れないよう取り出す。それをパンドロの手元に向けると、できる限り笑ってみせた。
    どこか不安げながらも素直にそれを手にした彼は目の高さまで持っていってから首を捻った。
    「なんだこれ」
    「他の国から花の保存方法を教えてもらってさ、パンドロに渡したいなって」
    俺がそれを説明すると、その茎を持ったまま怪訝そうな瞳で俺を見る。
    「お前そんなまどろっこしかったか」
    「君が知らないだけだよ」
    パンドロはいまだ納得しきれていない表情のまま柔らかくそっと花を長椅子の上に置く。それがひどく慎重でできればこのまま頭がおかしかしくなったままでいたかった。
    俺はもう一歩距離を詰める。一瞬パンドロの肩がびくりと動いたが、そのまま後ずさることもなかった。
    だが、俺がここに来て策略も何もかも全て頭の中から消えてしまっていた。もしかしたらパンドロの姿を見た時からかもしれない。乗ってきた若い馬に揺られている時には、その歩みに合わせてひとつふたつとリズムに乗って彼を反論できないところまで持っていって連れ帰るつもりだった。花。それに頭が囚われたのか、もうずっと前からそうだったのか。
    「おい、フォがート、大丈夫か?」
    ひどい情けなさにもう俺がいつの間にか視界がぼやけ始めた。パンドロは至極真面目に俺を心配してくれている。だけどそうじゃないはずだった。
    涙が零れてしまう前に、どうしても気持ちを伝えたかった。口を開く。開いてしまえばどうなるのか俺にも分からなかった。
    「君に沢山のものをもらってた。でも、俺、何にも俺だけのものをあげられたことなんて一度も無かった。それに気づいて、もしかしたら言葉ならあったかもしれない。でも、ごめん、こうしたら、俺の気が済むってだっただけなのかもしれない」
    とうとう崩壊した限界の線は思っていた以上に脆かった。パンドロは何も言わない。それはそうだろう、こんなものは俺の自己満足で押しつけだ。でも、拒否されてでもこれを渡さなければ俺の頭が押しつぶされそうだったのだ。
    涙が零れ落ちるより先に鼻をすすると突然高らかな笑い声がした。腕で目元を拭って再度見れば、長椅子の背を叩きながら背中を震わせている。
    「おっ……お前な、一ヶ月一生懸命考えてお花あげますとか、今どきのガキのがませてるだろ!!腹痛てぇ!!!」
    余程ツボに入ったのかしばらく笑い続けるパンドロを恨みがましく見ながらも、以前と変わらぬ距離感にひどく安息を感じていた。
    恥ずかしくなり思わず顔をしかめてしまったが、それを見てまた笑うので、だんだんと俺まで堪えきれなくて喉の奥から声を出して笑った。





    「アデニウム」
    名前を言葉にすると、パンドロは不思議そうな顔で俺を見上げた。
    「砂漠のバラだよ」
    「そりゃ随分とロマンに満ちたもんだな」
    軽い口調で返したが、表情はどことなく鎮痛な面持ちだった。
    先程のことでずっと距離は縮まったものの、壁のように確実に間を妨げるものが存在していた。
    微かな沈黙が訪れる。なのに、なぜかここはそれを一切否定せず受け入れてくれる寛容さがあった。すぐ傍にパンドロがいる。また涙腺が緩んできてしまってなんとか堪えた。
    「俺さ、言った通り勝負しに来たんだ」
    長椅子に腰掛けていたパンドロは近く立っていた俺を見上げる。その瞳は偽りなく真剣で、何一つ取りこぼすまいとしていた。
    「どうしても必要なんだ。俺と来て」
    彼のよく動く口元はただ静かにくちびる同士ではんだり歯で押すばかりだった。その様を見ながらただじっと待っていた。やがて持ち上げられる左腕。それを覆う衣服を下へとおろした。

    左腕に毒を受けた際それを無視して戦闘し続けたことが原因だった。全身に回らなかったのは幸いだったかもしれない。だが、そのことが存在したかもしれない未来も理想の自身も全て殺した。

    赤黒い断面を見つめる。乾燥して周辺の皮膚がひきっていた。最後に、彼の左手を掴んだのはいつの日だっただろうか。
    その先を左肘の上に手を添えた。
    「初めて見る」
    「見せたくなかったからな」
    何も言葉にできないままその腕を取りながら揺れ動く瞳を見つめていた。食いしばる歯の音が微かに聞こえた気がした。あれからどれだけ弱音を吐けたのか、そんなことが頭をよぎって彼の言いたいことを忘れそうになる。
    今にも水滴とともに零れ落ちそうな瞳に燐憫の情が湧いて胸が苦しくなった。空いた眼孔には何が残るのだろう。
    俺を見上げるパンドロはそれから何一つ言葉にしなかった。どこか彷徨いながらあるべき場所を求める瞳は美しかった。微かに開いたくちびるからは本当に呼吸が漏れているのか不安に駆られる。
    「パンドロ、大丈夫。俺がいるから」
    ぱちんと音を立てて、差し伸べかけた手を振り払われた。手の甲にぴりぴりとした痛みを感じる。
    その音は俺の慈愛だとか愛情を雑に捨てられた気がした。だから、俺はそういう風に彼を取り扱ってもいいのだと理解した。
    「じゃあ、はっきりしてよ!俺が嫌い、俺にはついていけない、腕がないから俺とはいられない、なんだってあるのに結局俺といない理由をどれも選ばない!」
    言葉にしてからどれであっても辛いことだけが分かったが、絶対に何があろうと涙だけは零したくなかった。戸惑った表情のパンドロの顔だけが分かる。
    「最低にずるい」
    これまで築いた物をすべて打ち壊した言葉だった。これ以上もこれ以下もなく、左腕以外なら生々しく存在するパンドロへの執着と恨みだった。
    泣きたくないからまばたきは絶対にしなかった。
    突然彼の手が俺の腕を掴んで引いた。近い近い距離の中、彼は驚くほど歪んだ顔をしてた。
    「もうどうしたらいいんだよ!できなくなったことを理解するのはもう懲り懲りだ!!過去がなんだ、未来がなんだ、誰かの綻んだところを修繕するためだけに生きてるんじゃねぇよ!オレは、オレだって、違う、分かってる」
    勢いで吐き出したことで少し落ち着いたのか、腕を掴む力が緩められる。少し顔を落とした彼は微かな呼吸音をさせるだけで静かだった。
    散り際に破裂する植物。何もかもが縫合が解けた種子と同じだ。俺も、彼も。
    「悪意なんてどこにも無かった」
    僅かに空気を震わせる声だった。
    「ただ今のオレには全部を全部そのままに受け取るのが、苦しい」
    何も言えなくて、彼の苦しみを完全に共有することは難しくて、ただゆっくりと背をさすった。以前より痩せたのか知っているより骨っぽくて、それが彼が生き物であるという確かさを知れた気がした。
    もしかしたら少しだけ彼も泣いていたのかもしれない。雑音の混じる声音で彼は柔らかに告げる。
    「わりぃ、さっき言ったこと忘れて欲しい」
    俺は心の内にひとつ決め、呼吸を大きく吸い込んだ。
    「俺は何も聞いてない。だから、俺がこれから言うことも忘れていいよ」
    思わず顔を上げたパンドロの視線と真っ直ぐかち合った。これを告げるためだけにここに来た気がするのに、随分遠回りをしたのだと思う。
    「君がいないと上手く息ができない」
    言葉にした後、段階的に息を吐き出した。多分もう涙は我慢できる。 意味を咀嚼するのに時間がかかっているのか彼の表情は不安定だった。
    「横を見たっていないことを分かってるのにどうしても無意識に見て、それから後悔する」
    そういった時に味わった感情をもう一度蘇らせ、飲み込んだ。
    「もう一度俺の気持ちを赦して欲しい」
    浅い息の音が静かな空間の中よく耳に届く。眉根を寄せて困惑しながら、自分の中での決着を付けようと必死な彼は美しかった。
    いつの間にか辺りは夕暮れに包まれていて独特の光が差し込んでいる。その頬が照らされた時、動いた。
    「分かってるよ、オレに必要なのはお前だ。もう嘘はつかない」
    何かをひとつ捨ててしまったような笑い方をした。その様が無性に胸を苦しくさせて柔らかく抱きしめた。身体も以前より細くなり、どこか力のなさを受けた。たらればなど何の意味もない。
    「俺が左腕になりたいよ」
    「違う、ずっと向かい側にいて、オレがヤケにならないように気をつけてろ」
    耳元に囁かれた。
    「オレもちゃんとお前が間違いそうになったらぶん殴ってやる」
    微かな笑い声がした。今の彼の中にあるなけなしの意地がそうさせているのだと分かった。
    ゆっくりと身体を押すと微かな抵抗が迎えたが、それでも結果は同じことだった。
    硬い椅子の上パンドロは驚きに目を見開いていた。音を立てると何か出てきてしまうかのように静かに息が吐かれる。微かな音とともに生温い呼吸が頬を撫でた。床に張り付いたまま無気力な左肩に手を置き、自然な流れとして上腕から肘へとなぞる。微かにパンドロが身体を震わせた。何か言いたげな瞳が夕闇の中じっと俺を見ている。波紋で揺れるようにぐらぐらとその世界が揺れていた。突然失われた先を布越しに柔らかく撫でた。いつかその先があった時の記憶がいくつも蘇っては泡と消えゆき、その断面をできうる限り優しく手のひらで包んだ。
    硬くくちびるを結ぶパンドロが何を考えているのか分からなかった。しかし、彼にしてみればそこに触れる俺こそが未知の存在だったのだろう。きっと、お互いに恐怖していた。
    上体を落として彼へと顔を近づける。
    「あ、あのな」
    動きに反応したかのようなタイミングでその口元が開いた。
    「ごめん、オレ、マジでどうしたらいいのか分かんねぇ」
    瞳には薄らと透明な膜が張り、僅かな明かりをその中に宿らせていた。怯えと困惑を含むそれに、
    「俺とキスしたいか、そうじゃないかだけでいいよ」
    慄くくちびる。同じくらいに震えた右手が俺の上腕を掴んだ。そして強引に引き寄せられたかと思えば、彼の方からかさついたくちびるを重ねられていた。勢いのせいか上手く触れ合えず右に寄っていて、でも力いっぱい瞼を閉じる彼が健気だった。微かにそれらが離れた時に呼吸の流れを直接くちびるに感じて、緩慢に丁寧にくちづけ直した。いつの間にか開かれていた瞳は俺の存在を確かめるようにずっと奥底まで拾い上げようとするので、またたき一つせずそれを覗き込んだ。だんだんと細められる黄昏の奥底に苦境の終着点を見た気がした。
    いくらか持ち上がった背にその手をまわし、角度を変えてもう一度くちびるを合わせる。右肘でその身を浮かせながら、彼は身動ぎひとつせずただ与えられるものを受け取る覚悟を決めたようでもあった。
    もっと早くこの温かさを知ってしまえば良かったとも考えるが、殻を剥がれた彼でなければ俺も自身のことを知れなかったかもしれない。
    背中の骨は以前他意はなく触れたあの頃時より目立ってごつごつと感じられた。



    朝の陽光は眩しく、思わず目を細めた。
    教会内で祈りを捧げる背中に俺はよく聞こえるよう声をあげた。
    「パンドロ、ずっと一緒にいよう。俺頑張るからさ」
    一応の終わりを迎えたのか振り返ったパンドロは怪訝そうな顔を隠しもしない。
    「本気で言ってんのかよ」
    「大丈夫だよ」
    距離がある中でもやはりパンドロは何一つ変わりがなかった。人が何かを失うのは生の業であり権利でもある。だから、それでも俺は花を捧げる。
    「……ああ、いいぜ。もう細けぇこと考えるのも飽きたところだ」
    パンドロはゆっくりと歩みを進めて祈りを捧げるための世界から日常の世界へと足を踏み入れる。視線を向けられて、微かに胸が鼓動した。
    右手を差し出されると、自然と受け取るよう腕が動いた。硬質なカードを一枚受け止めた。
    「慣れねえことは止めて全部任せる。お前が行く道がオレが行く道なんだ、確かにオレは思ってた」
    「今は」
    「今もだよ、いまもずっと」
    そう言ってパンドロは笑った。俺がよく知っていて、俺の隣を歩く時いつもしていて、昨日していた顔で。
    「パンドロの左腕、きっと俺が食べたんだよ」
    そういうことにしよう、そう続けながら笑いかけて、呆然とする彼を置き去りに背中を向けた。
    教会を出てから最後に一度だけ振り返った。季節外れの蜻蛉が近く通り抜けていった。




    硝子製の器の中満たされた水の上を一弁損なった花が泳いでいる。満たされた笑い声を聴きながら。
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