サボテンの花順番に時計回りに一人一人名乗っていく。そこに偽名しかないことは全員分かっていてあえてそうしてる。
「おう、暗いの。お前はなんてぇんだ」
幾つか年上であろう男は言葉にする。俺は返した。
ミルクボム、と。
砂漠で生まれ育ち、辺境の貧しい里では食べていくことも大変だった。両親を手伝い必死に生きていたが、ある日母は言った。
「お前の売り先が決まった」
淡白な振りを装っているくせにひどく顔は歪んでいた。
翌日には出発するとのことで、弟妹たちと窮屈な寝床の中静かに一人ずつ心の中でだけ別れの言葉を告げた。
早朝に働く馬に引かれ他の里の少年たちとともに運ばれる。呆然とするものと、未だ泣くもの、それとオレ。平等に劣悪な環境の中運ばれていった。
奴隷の競売場では思った以上に人が多くその湿気にむせ返った。如何に高く売るかが要点なので、身体を拭かれより良く見えるが高級すぎない服を着させられる。それぞれの商品の良点を如何に伝えるか文章家件売り手の男は考え込んでいる。オレは農業を長年手伝い頑強な肉体を持っているが、未だ泣くこの少年は売れるとしてもだいぶ劣悪な環境だろう。それを思うとひどく哀れになった。
「100」
「120」
「150」
上がる手の数だけ逆に自分の価値が無くなっていくように思えた。貧弱な手が挙げられた。
「300」
その後は沈黙だけが訪れた。オレは20で売られたが、兄弟の人生の足しになれただろうか。
アルコール醸造するためのサボテンを育て刈り取り酒を作る。経営者に買われたオレはその仕事を淡々とこなした。人が好きなわけでもないので、他人との接触はしなかった。孤独を悲哀と捉えるものは多いが、孤独が癒しであるものもいるのだ。仲間内にも入らず静かに労働し静かに休む。
そんな中で起きた。夜に経営者の家屋に火をつけもう手の施しようがないほどに炭化していった。寝ていたであろう家族は何一つ知らないまま燃やされ炭になってしまう。消火活動を行おうとバケツに水を入れ何度もかけた。何度も何度もかけた。火は広がり畑を燃やし、価値という単純なものを失わせていく。
「やっと殺してやれたぜ!」
「こうなって当然だってんだ!!」
興奮する声をたどっていくと、自分と同じ存在で年頃の二人がいた。
「おう、俺たちが解放してやったんだぜ!」
声を発するより先にその側頭部を力強く殴った。脳に衝撃が入った男は倒れたまま立ち上がれない。もう一人はそういう性質だったらしく慌てて逃げようとした。それを何時までもしつこく走り追いかけ体力を失くしたところでこぶし大の石を握り締め何度も何度も頭を殴り、初めて人を殺した。砂地の奥まった場所だったのでそのままにしてオレは歩き始めた。
聖書で文字を覚えた。家にいた頃も売られた先でも時間さえあれば聖書を読み、いずれ神竜様がこの世の苦しいもの全てを消してくださるのだと信じた。今は、ただ、まだその時ではないだけだ。
神は人殺しも救ってくださるだろうか。
いつしか地下へと足は向き追い剥ぎ行為や家を襲う集団の一人になっていた。ミルクボムという名を笑われたが、自分がそういう強者であれたら、という願いからだった。
今夜襲う家は決まっていた。とある里の中でも特に財産を溜め込んでいる。適当に住民をいたぶって金のありかを吐かせば済むだろう。この中に加害することに興奮する馬鹿がいなければだが。
それぞれ決められた役目の中、屋根まで登り上から強襲するのが仕事だった。体力もあるし面倒だが無駄な口を聞かずにすむ分マシな役割だ。タイミングは下の連中が入ってから約一分後。地上の窓が割れる音がした。そこから時間を待ちながら周囲を見渡した瞬間気づく。人影が高い位置に複数見える。襲撃は予測されている、引くんだ、と大声で言いたいがオレ自身を狙う弓の姿が見える。初めて死を感じた。時間が来た。オレはこいつらを見捨てるか?そしてどうするんだ?決心とともに天井窓から家の中に入り込んだ。清潔な床は金持ちのそれだ。誰が掃除するんだ、誰が!
自ら手をかけた死体を思い出しながら廊下へ出ると、何かにぶつかった。
「あ……」
目を開いた瞬間思い出してしまった。
一度だけ売られた先で少し会話をしたことがあった。お互いに子供の域を出ていなかったが、少し年上の明るい髪色の司祭だった。ひどく驚いた様だったが、すぐに言葉が発せられた。
「大丈夫か?!」
何が、何に対して?外敵であるオレにはひどく恐ろしく感じられた。一歩後ずさると追いかけるように歩を進めてくる。
「あそこの農園で頑張ってたやつだろ、覚えてる」
過去の自分を一ミリたりとて掘り返して欲しくなかった。今のオレは犯罪者で他人を害するため生きているのだ。
必死なその笑みが余計に滑稽だった。
「なんかあったのか?お前、聖書すごく綺麗読めて」
「それはオレを救わなかったよ」
ページ一枚一枚記憶に残っている。なのに、助けはいつも来てくれなかった。
太もものベルトに刺していたナイフを手に持つと油断しきったその身体に突き立てた、はずだった。先にいくつもの衝撃に身体が動かなくなっていた。
何か不愉快な足音がする。隠しているつもりの傲慢さのさせる音だ。
「パンドロ、いくらなんでも無防備すぎるよ」
「何で撃った!!」
「それを説明しなきゃ君は本当に分からないの?」
視界も朧気な中、身体に温かな手が触れた。
「大丈夫か?苦しいか?」
矢は喉すら貫いており声を発することもできなかった。寄り添う手の首を何とか握りながら、手のひらに文字を書いた。
神よ、憐れみたまえ。
瞳を閉じる瞬間はひどく穏やかだった。耳元で神を讃える声がして、それが不快ではなかった。これまで死んでいったものたちの中では、おそらく一番幸福な死を迎えられるのだと確信しながら頭を床に落とした。