その4「 雪。そして夢枕に立つバデーニ」 ヨレンタは空を見た。
森の木々の隙間から見上げた空には、分厚い雲が立ち込めていた。
フワフワと綿のように落ちる雪は、すぐに数を増やした。
急激に温度が下がる。
「寒い…!」
ヨレンタは、ガチガチと歯を鳴らした。
手袋をしてない剥き出しの手を擦り合わせ、はぁっ と、
息を吹きかける。
目の前にいる馬は寒くないのか、呑気にベリーの茂みを
食べている。
(落ち着け…落ち着け…。)
ヨレンタはパニックになりそうな頭で、必死に考えた。
(森の中を進んだら、絶対に遭難しちゃう……!
水は、低い方に向かって流れる。
小川沿いに進めば、きっと森を抜けられるハズ!)
ヨレンタは、馬にまたがった。
ヨレンタは馬を走らせた。
小川に沿って森を進んだ。
雪は、次々と降ってくる。
雪はヨレンタの身体を濡らし、体温を奪っていった。
白く積もった雪は、地面を覆い隠す。
馬は、雪で隠された倒木につまづいた。
ヨレンタは空中に投げ出された。
とっさに身体を丸め、頭を抱えた。
ドサッ―――!
ヨレンタは、肩から地面に落ちた。
「―――ッ!」
ヨレンタは痛みで悶絶した。
痛みで呼吸が出来ない。
ヨレンタは、肩を抑えて悶絶した。
地面で藻掻いていると、転倒から起き上がった馬が、
ヨレンタの体を鼻先で突いてきた。
「よ、よかった……!無事だったんだね。」
ヨレンタは笑顔で、馬の鼻先を撫でた。
ブル、ブルル、ブル……
馬はヨレンタのフードを噛んで、身体を引っ張り起こした。
「う、ぐぅ……!」
ヨレンタは泣きながら、馬の身体によじ登った。
身体中が痛かった。
ヨレンタはもう何処へ向かっているのか、分からなかった。
ただただ、馬の背中にしがみつくだけで精一杯だ。
(馬は森の中の道を見つける能力がある、とお父様から
聞いた気がする……。)
何とかなれ、とヨレンタは願った。
しばらくの間、馬は、雪の中をトコトコ歩いた。
どれくらいの時間が経っただろうか?
寒さで手の感覚が無くなった頃、馬の動きが止まった。
ヨレンタが身体を起こし、前方を見ると川幅が広くなり
蛇行して、淵となっていた。
淵と崖の間には中州があり、崖の真ん中には大きな窪みがあった。ちょっとした洞窟と言っても良い。
雪や風が凌げそうだった。
「助かった……!」
ヨレンタは神に感謝した。
ヨレンタと馬は、小さな洞窟に逃げ込んだ。
ヨレンタは、寒さに震える手を擦り合わせた。
ヨレンタは、暖を取る為に火を起こそうとした。
(寒い…火を起こすには、どうしたら良いの?)
衣服は雪で濡れて、ベチョベチョだった。
洞窟の隅を探すと、枯れ葉が積もっていた。
ヨレンタは、手のひらで握れる大きさの石を見つけた。
彼女は、腰のベルトを外した。
枯れ葉と枯れ木ををうず高く積んだ横で、ベルトの金属部分と、石をぶつけ合わせた。
ガツン! ガツン!
火花が散って、枯れ葉から焦げた匂いがした。
ガツン! ガツン!
何回も繰り返すと、やがて小さな火が生まれた。
火は、やがて大きくなった。
ヨレンタは焚き火に当たった。
「あたたかい……!」
その温かさに、涙がにじみ出た。
異端者として処刑されて死ぬか、寒さで凍え死ぬか。
その二つしか選択肢がないかもしれない、とさっきまで
思っていた。
都市生活に慣れたヨレンタにはサバイバル生活は、難しいように思えた。
しかし、そうではなかった。
ヨレンタは、選択肢が、未来が、無限に広がって行くのを感じた。
火の温かさと疲れで、ヨレンタは眠りに落ちて行った。
ヨレンタは夢を見た。
『……さん…。
…ヨ…レンタ…さん。』
暗闇の中で、誰かが話しかけてくる。
聞き覚えのある声だった。
一面の黒の中、キラリと、金色の糸が光った。
『ヨレンタ…さん。』
冷たそうで優しくて、意志の強そうな男の声。
「バデーニさん…?」
きらり、きらり、と一本の光が揺れる。
『ヨレンタさん。私は今、煉獄にいる。』
「煉獄ですって!」
『天国に行く為に、これから、罪を清める火に焼かれる。』
「そんな……! バデーニさんは、異端じゃありません!
おかしいのは、C教の方です。
オクジーさんも、一緒にいるんですよね?」
『…………。』
金の糸は、無言で揺れた。
『わからない……。一緒に死んだとしても、私審判は別々に行われるからな……オクジー君を、巻き込んでしまった。
ヨレンタさんも……。……私のせいだ。』
「いえ! それは、私が掲示板の問題を解いたからで!
バデーニさんのせいではありません!
頭では、いけない事だと分っていたのに、…どうしても
答えが気になってしまって……。 私から、地動説に飛び込んだんです。バデーニさんのせいではないです!」
ヨレンタは、バデーニに言いたかった事を伝えた。
『…………ッ!』
キラキラと、金糸が激しく揺れた。
『分かりました。ヨレンタさんに頼みがあります。
実は、ある方法で地動説の研究を残しています。』
「……えっ!?何ですって!」
『どこに隠してあるかは言えない。
だが、見つけ出して欲しい。
そして、ヨレンタさんに地動説を発表して欲しい。』
「えっ、ほ、本当ですか!?
も、もちろんです!」
あぁ…、と安心した溜め息が暗闇から聞こえた。
『ピャスト伯の言葉を借りるならば、
ヨレンタさんも、私も、オクジーくんも、やった事は
”歴史にとって無意味ではなかった”
だから、あなただけはどうか、生き延びて……。』
そう言うと、金色の光は フッと消えた。
ヨレンタは目を覚ました。
ヨレンタは寒さを感じた。
気が付くと、焚き火が消えていた。
ヨレンタは焚き火の材料を探す為、外に出た。
いつの間にか雪が止んでいた。
太陽が傾き、夕焼けに雪が反射して綺麗だった。
「わぁ!」
ヨレンタは感動の声を上げた。
夕陽が世界を照らす時、何もかもが黄金に輝いていた。
やがて太陽は沈み、星が登ってくるだろう。
その星々も、天空を巡る。
地上は最底辺になど張り付けられておらず、
星と一緒に大地も巡る。
この地球も、他の惑星と同じく宇宙をめぐり旅をする。
”この世は最低というには魅力的すぎる”
”大地と夜空が一つだという証だ”
どんな悲劇が訪れても、星空は美しい。
地球が動いて、日が登り日が沈み、星が登ってくる……
この世の美しさを肯定するのが、『地球の運動』というのならバデーニさんの地動説は正しかったのだろう。
「完成して欲しかったな……。」
バデーニさんの美しい世界を、オクジーさんの感動を、この世に残して欲しかった。
文字は時間を超越するから。
ヨレンタはオクジーと、『この世は苦しみが多い』
という会話をしたことを思い出した。
「オクジーさんバデーニさん、わたし生き延びましたよ。
さっきの夢が本当だったら、まだ、二人の生きた証が
残っているのなら、絶対に見つけますね。」