その8「ヨレンタと、ポト&コハン 2」 ヨレンタは、二人の間に挟まれる形で夜の森を歩いた。
先頭からコハンスキ、真ん中がヨレンタ、最後尾がポトツキだ。
森の奥深くには、夜の静けさが広がっていた。
二人は言葉少なに、ヨレンタの様子を窺うだけだった。
(私、これからどうなるんだろう……。
彼らを信用していいのかしら? 最悪、売春宿に売られるかもしれないけれど、もう、疲れた……。)
彼女の中には、疑念と恐怖が渦巻いていたが、今はただ付いていくしかない。
彼ら三人は、藁ぶき屋根の小屋に戻った。
コハンスキが蠟燭に火を灯すと、室内がよく見えた。
小屋の外見はボロボロだったが、中は意外にも整然としていた。
奥には暖炉があり、煮炊きする大きな鍋が天井から吊り下がっていた。
部屋の中に干してあった枯れ草は、ラベンダーやハーブだった。
ポトツキがヨレンタに話しかけた。
「喉が乾いたな。ヨレンタ、一緒に小川へ水を汲みに行こう。」ポトツキは、大きな木製のバケツを指さした。
小さなワイン樽くらいあった。
「は、はい!」
ヨレンタがバケツを持ち、ポトツキが付き添った。
ヨレンタは、小川と小屋を何往復かした。
やっと水汲みを終えると、ポトツキが声を掛けて来た。
「きっと、馬もお腹を空かせているだろう。小屋の藁をあげよう。水は、小川の水を馬に飲ませるといい。」
ヨレンタは、木に繋いだ馬に藁をやり、水をやった。
ヨレンタは、くたくたに疲れていた。
小屋に戻ると、薪がパチパチと音を立てて燃えていた。暖かさに触れると、ヨレンタは思わず涙が出そうになった。
ポトツキは暖炉の前に腰を下ろし、ヨレンタに座るよう促した。
一方、コハンスキは壁際の棚から簡素な木のカップを取り出し、水を汲んできてヨレンタに手渡した。
「飲むといい。疲れているだろう。」
コハンスキの声は依然として冷たかったが、その行動にはわずかながら優しさが感じられた。
ヨレンタは「ありがとうございます」と小声で礼を述べ、水を一気に飲み干した。 冷たい水が喉を潤し、少しだけ体力が戻った気がした。
ポトツキはヨレンタの様子を黙って見ていた。
やがて、長い沈黙を破って話し始めた。
「ヨレンタ、私たちはただの通りすがりではない。
君が逃げてきた『異端審問所』について、詳しく聞きたい。どのような状況で逃げたのか、そして……なぜ君が追われているのか。」
ヨレンタは困惑した。
二人が、ただの村人ではないことは雰囲気で分かった。
だが、彼らの正体がつかめない。助けてくれたのは事実だが、どこまで話してよいのか分からないのだ。
「私は……ただ捕らえられて、拷問されていただけです。『異端』だと疑われましたが、私は何もしていません。
ただ普通の生活をしていただけなんです……。」
ポトツキは腕を組み、彼女の言葉をじっくりと噛みしめるように聞いていた。その目はまるでヨレンタの心の奥深くを覗き込んでいるようだった。
「君を逃がした審問官……その男について覚えていることはあるか?」
ポトツキの問いに、ヨレンタは少し迷ったが答えた。
「シモン……と呼ばれていました。彼は、優しかったです。彼が私を助ける理由は、分かりませんでした。
ただ……『C教は生き方だと思う。だから、貴方を殺させる訳にはいかない。』と、私を逃がす時に言いました。」
ヨレンタの言葉には、シモンへの複雑な感情が滲んでいた。
「C教は生き方、か……。」
ポトツキは興味深げに呟いた。
フーーー、と深い溜め息を吐いた。
俯いた彼の表情からは、その感情は読み取れなかった。
「君がここにいるのも何かの縁だ。」
ポトツキは立ち上がり、暖炉の火を調整しながら言った。
「明日になったら、君に少し手伝ってほしいことがある。ここで生き延びるためには、私たちにも助けが必要だ。」
ヨレンタはその言葉に戸惑ったが、何も言えなかった。彼女には行く当てがなかった。
今は、この場所が唯一の安全地帯に思えた。
「君の手……凍傷が酷いな。」
コハンスキが不意に言った。
彼は棚から古い薬草の束を取り出し、それを湯に浸してヨレンタの手に塗り始めた。 彼の表情は険しかったが、その手つきは驚くほど丁寧だった。
「ありがとう……。」
ヨレンタが小さな声で礼を言うと、コハンスキは少しだけ顔を赤らめてそっぽを向いた。
その夜、ヨレンタは干し草のベッドの、干し草を分けてもらい部屋の隅で眠った。
異端審問所から逃げて以来、初めてベッドで眠った。
しかし、彼女の心の中には、ポトツキとコハンスキの正体、そして彼らの本当の目的についての疑問が膨らんでいた。彼らは本当に味方なのか、それとも……。
外では冷たい風が森を吹き抜け、夜の静けさの中に不穏な音が混じっていた。ヨレンタの運命は、再び大きく動き出そうとしていた――。