ヨの25年間 #1~8まとめ●ヨレンタの二十五年間(捏造IF)
ご注意:この小説は、チ。二章とチ。三章の間の
ヨレンタの空白の二十五年間を捏造してます。
その1【逃げる】
ヨレンタは、異端の罪で処刑されそうだった所を親切な人に助けてもらった。
助けてくれたのはヨレンタより少しだけ大人に見える、異端審問官だった。
少年のあどけなさを残す彼は、きっと殺されてしまうだろう。
しかし彼は、ヨレンタを生かそうと、逃がしてくれた。
馬に乗せてもらった。
何処へ向かえば良いか分からないまま、ヨレンタは当てずっぽうに馬を走らせた。
「C教って何だと思いますか?
僕は"生き方"だと思います。」
名前も知らない彼に言われた言葉が、ヨレンタの頭の中でぐるぐる回る。
生き方……。
そんな不確かなものに、私は殺されかけたの?
お父様が異端審問官?
オクジーさんとバデーニさんが異端と判明した……?
6日前に、彼らと一緒に食事をした時にお父様が来たという事は、つまり……。
お父様が二人を処刑した……?
ヨレンタの目から涙が溢れた。
視界がボヤけて、身体がグラリ、と揺れた。
「わわっ!」
ヨレンタはバランスを落馬しそうになった。
手綱を力いっぱい握りしめると、異変に気付いた馬が、スピードを緩め止まってくれた。
手綱にぶら下がったヨレンタは、足から着地した。
(ピャスト伯のお話を、井戸で聞くためにロープで降りた経験があって助かったかも……。)
女のヨレンタだが、少しだけ乗馬の経験があった。
庶民階級で都市に住むヨレンタは、たまに馬車に乗ることはあった。
しかし、お父様が元傭兵だった為、幼少期に乗馬を教わった事があった。
(すごく複雑だけど、お父様。あなたに感謝します。)
ヨレンタは、止まった馬を撫でて、「有難う」と言った。
どこへ向かえば良い?
街に向かうのは危険だ。
方角は、星空を見れば分かる。
ヨレンタは星空を見上げた。
季節は、秋から冬に変わろうとしていた。
日没から数時間経った、11月の東の空にはとても明るい星があった。
黄土色をした木星が登って来ていた。
北の空には、カシオペヤ座の五つの星が作るWの形が見えた。
都市から北へ向かえば大きな森があり、南へ向かえば大きな湖がある。
森の方が安全な気がする。
(本当は実家に帰りたい。実家の、私の部屋に閉じこもって、ベッドで眠りたい。温かい布団に包まれながら好きな本を読みたい。お母さまに会いたい……!)
しかし、きっと家にはお父様がいる。
父は、私の生存を喜び、匿ってくれるだろう。
だけど、オクジーさんとバデーニさんを殺した父には、会いたくなかった。
「C教は、生き方か……。」
それならば私は、地動説を殺そうとするC教を、異端扱いするC教を殺そう。
私は、地動説を愛しているから……。
「私は、絶対に生き延びる!!!」
ヨレンタは、森に向かって馬を走らせた。
その2【夜の森にて】
馬で一時間くらい走っただろうか?
森の入り口にヨレンタは到着した。
「疲れちゃった。少し休みましょう。」
ヨレンタは、馬の首をポンポンと叩いた。
馬が呼びかけに応えるように首を振った。
馬が止まると、ヨレンタは、馬から降りた。
「寒い……。」
手袋は奪われてしまった。
凍えた手は、じんじんと痛かった。
「はぁ~……。」
ヨレンタは、息を手に吹きかけて温めた。
日没から数時間経ち、すっかり夜だった。
P王国の冬の夜は長い。
緯度が高い為、3:30には日没を迎える。
(馬と一緒に眠れば、凍えることはないかしら?)
夜通し歩けば、凍えることは無い。
しかし、ヨレンタは疲れ切っていた。
(出来るなら、今すぐベッドで眠りたい。)
ヨレンタは馬の手綱を引いて、しばらく歩いた。
(身体がバラバラになりそう……。)
大きな木が倒れ、壁のようになっている場所を見つけた。
馬車くらいの高さがあり、雨風が凌げそうだった。
ヨレンタは、倒木の影に座り込んだ。
「……もう、一歩も歩けない……。」
ブルル!ブル!ブル!と、馬は鼻を鳴らした。
「ごめんなさい。お腹空いたよね?」
ヨレンタは馬の鼻を撫でた。
「私も……お腹、空いた……。」
鼻の奥がツンとした。
ヨレンタの目から涙が出て来た。
「うっ……くぅ。」
馬の手綱を握りこみ、ヨレンタは声を押し殺して泣いた。
ヨレンタの隣りで、馬は四つ足を折り畳み、腹ばいになった。
馬とヨレンタは身を寄せ合って眠った。
その3【ヨレのサバイバル森生活と、オクとの思い出】
朝になった。
夜の森は意外と温かく、馬と寄り添って眠った為に凍死はしなかった。
「喉が乾いて干からびてしまいそう……。」
ブル、ブルル……!
起きたヨレンタに気付いた馬が、長い鼻先でヨレンタの身体をつついて、食事の催促をする。
「ごめんね。お腹が空いてたのに我慢させちゃったね。」
そう言って馬の鼻面を撫でた。
ヨレンタは馬を連れて森を歩いた。
早朝の森は白い霧が立ち込め、視界が悪かった。
しばらく歩くと、サラサラという音が聞こえて来た。
音に向かって行くと、ヨレンタが数歩で飛び越えられる大きさの小川が流れていた。
「やった!」
ヨレンタは、握った拳を天に突き上げガッツポーズをした。
馬に水をあげ、ヨレンタも両手で水をすくい、ゴクゴクと飲んだ。
「冷たい……!」
喉を潤すと、体の底から生きる力が湧いた。
川沿いを歩くと野生ベリーの茂みを発見した。
小さな赤い実が、鈴なりに実っていた。
馬がパクっと食べた。
「あ!」
(早くしないと全部食べられちゃう!)
ヨレンタは慌てて、残ったベリーの房をかき集めた。
手づかみで食べると、甘酸っぱい味が広がった。
ふと、ヨレンタはオクジーとの会話を思い出した。
オクジーに文字を教えていた時の事だ。
*** ***
ヨ「”私はパンを食べます。(イェム フレップ)”は、
”Jem chleb.”と書きます。」
ヨレンタは羽ペンにインクを付け、見本を書いた。
オ「J,e,m, c,h,l,e,b……。」
オクジーは、ヨレンタの見本を見ながら、一文字ずつ丁寧に書き写した。
オ「パンと言えば…、俺、貧民の人達にパンを配ってるんです。バデーニさんがこの前急に、『私は少食なのを思い出した』と言って配給のパンを増やしてくれたんです。
でも、大人の男の食べる量には全然足りなくて……。
不自然ですよね?ヨレンタさんはどう思います?」
ヨ「う~ん……。」
ヨレンタは顎に手を当てて、唸った。
ヨ「それはバデーニさんなりの優しさ、でしょうか?」
オ「やさしさ、ですか?」
ヨ「バデーニさん、絶対にプライドが高いと思うんです。」
オ「それはそうです。修道士さまですから。」
ヨ「そうです。だから、オクジーさんが文字の勉強を頑張っているのを応援したいけれど、何と言葉をかけたら良いか分からない。バデーニさんは優しい言葉をかける代わりに、オクジーさんへの配給のパンに、自分の分を上乗せしてるんじゃ……?」
オ「なるほど。バデーニさん意外と不器用ですね。」
ヨ「あのっ、いえ!これは私の想像なので、バデーニさん、もしかしたら本当に少食かもしれません!」
ヨレンタは大慌てで、両手をブンブンと振った。
まるで恋の相談を受けてるようで、恥ずかしかった。
*** ***
「ふ、ふふふっ――……。」
ヨレンタの目から大粒の涙が零れた。
(あの二人は、天国に行けたのだろうか?)
ヨレンタは泣きながら、ベリーを食べた。
涙の塩味と、ベリーの甘酸っぱい味が混ざった味がした。
ふわり、と空から白い物が落ちて来た。
雪だった。
それは、空から落ちてくる誰かの悲しみのようだった。
【その4 雪。そして夢枕に立つバデーニ】
ヨレンタは空を見た。
森の木々の隙間から見上げた空には、分厚い雲が立ち込めていた。
フワフワと綿のように落ちる雪は、すぐに数を増やした。
急激に温度が下がる。
「寒い…!」
ヨレンタは、ガチガチと歯を鳴らした。
手袋をしてない剥き出しの手を擦り合わせ、はぁっ と、
息を吹きかける。
目の前にいる馬は寒くないのか、呑気にベリーの茂みを
食べている。
(落ち着け…落ち着け…。)
ヨレンタはパニックになりそうな頭で、必死に考えた。
(森の中を進んだら、絶対に遭難しちゃう……!
水は、低い方に向かって流れる。
小川沿いに進めば、きっと森を抜けられるハズ!)
ヨレンタは、馬にまたがった。
ヨレンタは馬を走らせた。
小川に沿って森を進んだ。
雪は、次々と降ってくる。
雪はヨレンタの身体を濡らし、体温を奪っていった。
白く積もった雪は、地面を覆い隠す。
馬は、雪で隠された倒木につまづいた。
ヨレンタは空中に投げ出された。
とっさに身体を丸め、頭を抱えた。
ドサッ―――!
ヨレンタは、肩から地面に落ちた。
「―――ッ!」
ヨレンタは痛みで悶絶した。
痛みで呼吸が出来ない。
ヨレンタは、肩を抑えて悶絶した。
地面で藻掻いていると、転倒から起き上がった馬が、
ヨレンタの体を鼻先で突いてきた。
「よ、よかった……!無事だったんだね。」
ヨレンタは笑顔で、馬の鼻先を撫でた。
ブル、ブルル、ブル……
馬はヨレンタのフードを噛んで、身体を引っ張り起こした。
「う、ぐぅ……!」
ヨレンタは泣きながら、馬の身体によじ登った。
身体中が痛かった。
ヨレンタはもう何処へ向かっているのか、分からなかった。
ただただ、馬の背中にしがみつくだけで精一杯だ。
(馬は森の中の道を見つける能力がある、とお父様から
聞いた気がする……。)
何とかなれ、とヨレンタは願った。
しばらくの間、馬は、雪の中をトコトコ歩いた。
どれくらいの時間が経っただろうか?
寒さで手の感覚が無くなった頃、馬の動きが止まった。
ヨレンタが身体を起こし、前方を見ると川幅が広くなり
蛇行して、淵となっていた。
淵と崖の間には中州があり、崖の真ん中には大きな窪みがあった。ちょっとした洞窟と言っても良い。
雪や風が凌げそうだった。
「助かった……!」
ヨレンタは神に感謝した。
ヨレンタと馬は、小さな洞窟に逃げ込んだ。
ヨレンタは、寒さに震える手を擦り合わせた。
ヨレンタは、暖を取る為に火を起こそうとした。
(寒い…火を起こすには、どうしたら良いの?)
衣服は雪で濡れて、ベチョベチョだった。
洞窟の隅を探すと、枯れ葉が積もっていた。
ヨレンタは、手のひらで握れる大きさの石を見つけた。
彼女は、腰のベルトを外した。
枯れ葉と枯れ木ををうず高く積んだ横で、ベルトの金属部分と、石をぶつけ合わせた。
ガツン! ガツン!
火花が散って、枯れ葉から焦げた匂いがした。
ガツン! ガツン!
何回も繰り返すと、やがて小さな火が生まれた。
火は、やがて大きくなった。
ヨレンタは焚き火に当たった。
「あたたかい……!」
その温かさに、涙がにじみ出た。
異端者として処刑されて死ぬか、寒さで凍え死ぬか。
その二つしか選択肢がないかもしれない、とさっきまで
思っていた。
都市生活に慣れたヨレンタにはサバイバル生活は、難しいように思えた。
しかし、そうではなかった。
ヨレンタは、選択肢が、未来が、無限に広がって行くのを感じた。
火の温かさと疲れで、ヨレンタは眠りに落ちて行った。
ヨレンタは夢を見た。
『……さん…。
…ヨ…レンタ…さん。』
暗闇の中で、誰かが話しかけてくる。
聞き覚えのある声だった。
一面の黒の中、キラリと、金色の糸が光った。
『ヨレンタ…さん。』
冷たそうで優しくて、意志の強そうな男の声。
「バデーニさん…?」
きらり、きらり、と一本の光が揺れる。
『ヨレンタさん。私は今、煉獄にいる。』
「煉獄ですって!」
煉獄とはC教で説かれる、天国と地獄の間の場所である。
『天国に行く為に、これから、罪を清める火に焼かれる。』
浄化の炎を受けなければ、救われない。
「そんな……! バデーニさんは、異端じゃありません!
おかしいのは、C教の方です。
オクジーさんも、一緒にいるんですよね?」
『…………。』
金の糸は、無言で揺れた。
『わからない……。一緒に死んだとしても、私審判は別々に行われるからな……オクジー君を、巻き込んでしまった。
ヨレンタさんも……。……私のせいだ。』
「いえ! それは、私が掲示板の問題を解いたからで!
バデーニさんのせいではありません!
頭では、いけない事だと分っていたのに、…どうしても
答えが気になってしまって……。 私から、地動説に飛び込んだんです。バデーニさんのせいではないです!」
ヨレンタは、バデーニに言いたかった事を伝えた。
『…………ッ!』
キラキラと、金糸が激しく揺れた。
『分かりました。ヨレンタさんに頼みがあります。
実は、ある方法で地動説の研究を残しています。』
「……えっ!?何ですって!」
『どこに隠してあるかは言えない。
だが、見つけ出して欲しい。
そして、ヨレンタさんに地動説を発表して欲しい。』
「えっ、ほ、本当ですか!?
も、もちろんです!」
あぁ…、と安心した溜め息が暗闇から聞こえた。
『ピャスト伯の言葉を借りるならば、
ヨレンタさんも、私も、オクジーくんも、やった事は
”歴史にとって無意味ではなかった”
だから、あなただけはどうか、生き延びて……。』
そう言うと、金色の光は フッと消えた。
ヨレンタは目を覚ました。
ヨレンタは寒さを感じた。
気が付くと、焚き火が消えていた。
ヨレンタは焚き火の材料を探す為、外に出た。
いつの間にか雪が止んでいた。
太陽が傾き、夕焼けに雪が反射して綺麗だった。
「わぁ!」
ヨレンタは感動の声を上げた。
夕陽が世界を照らす時、何もかもが黄金に輝いていた。
やがて太陽は沈み、星が登ってくるだろう。
その星々も、天空を巡る。
地上は最底辺になど張り付けられておらず、
星と一緒に大地も巡る。
この地球も、他の惑星と同じく宇宙をめぐり旅をする。
”この世は最低というには魅力的すぎる”
”大地と夜空が一つだという証だ”
どんな悲劇が訪れても、星空は美しい。
地球が動いて、日が登り日が沈み、星が登ってくる……
この世の美しさを肯定するのが、『地球の運動』というのならバデーニさんの地動説は正しかったのだろう。
「完成して欲しかったな……。」
バデーニさんの美しい世界を、オクジーさんの感動を、この世に残して欲しかった。
文字は時間を超越するから。
ヨレンタはオクジーと、『この世は苦しみが多い』
という会話をしたことを思い出した。
「オクジーさんバデーニさん、わたし生き延びましたよ。
さっきの夢が本当だったら、まだ、二人の生きた証が
残っているのなら、絶対に見つけますね。」
その5【逃げながら、アントニとシモン(新茶)を考えるヨレ】
ヨレンタは空腹で倒れそうだった。
雪が溶けるまで洞窟に籠っていた為、数日まともな食事を
していなかった。
馬が食べる草を、自分も食べてみた。
飢えは満たされたが、お腹が痛くなった。
(おなかいたい……都市だったら、お金があればパンが
買えるのに。お金がなくても、運が良ければ、
教会の入口で配っているパンを貰えるのに……。)
馬に乗り、川沿いに進んでいる為、水はあった。
水のお陰で、まだ倒れてはいない。
ヨレンタは、森で冬を過ごす無謀さを感じた。
雨や風を防げる洞窟は見つけた。
しかし、衣服が足りない。
保温性の高い服が何枚も必要だ。
汗をかいて、雨に濡れても、交換する服がなかった。
何より手袋がない状態で薪を集めるのがヨレンタは、
苦痛だった。
手袋は、ヨレンタの歯を抜いたアントニという男に奪われてしまった。
(アントニみたいな人が教会にいるなんて……
馬をくれた異端審問官の人も、きっと殺されてしまったわ。
C教は腐ってる。絶対に殺してやる!)
ヨレンタの手は凍傷で赤紫色になっていた。
このまま森にいると、指を失うだろう。
凍傷の手で、焚き火の燃料の薪を調達するのは難しく、
馬と身体を寄せ合っても、寒さを防ぐのは限界だった。
(森に逃げ込んだのは、間違いではなかったハズだと思う。
なるべく遠くの森に潜伏して、数か月後、教会の包囲網が緩んだ頃遠くの都市へ行こう。
変装して巡礼者と名乗れば、教会で宿を借りれるわ。
長くいるとバレるから、教会で一晩だけ、宿を借りる事を繰り返そう。
「巡礼者です。」「一晩、宿を貸してくれませんか?」
って。
食事は自分で用意しなければ、いけないけれど……
教会で働けばお金を貰えるけれど危険だわ……。
……お金をどうしよう? 馬は手放したくない……!)
都市で馬は目立つ。
都市内での馬の飼育は、莫大なお金が掛かった。
馬は当時、庶民には買えない高級品だった。
現代で例えると、数千万円もする高級外車を、若い娘が一人で乗り回しているのと同じだ。
馬の品種も、役人や富裕層が使う乗用馬だ。
貴族の娘でも、ましてや女騎士やお姫様でもないヨレンタが、一人で乗用馬といるのは不自然だった。
ヨレンタは、馬のお陰で逃げることが出来た。
しかし、今後のことを考えるなら、馬はなるべく早くに手放さないといけない。
都市で人に紛れるならば、お金が必要だった。
お金を手に入れる為、馬を売る必要があった。
しかし、命の恩人である馬を手放すには抵抗がある。
(私が今、生きてるのは異端審問官の彼(シモン)が馬をくれたお陰なのに……。)
ヨレンタは決心がつかず、迷いに迷った。
(彼は、私を拷問しようとしたのに……
彼も殺されるかもしれないのに、
どうして、助けてくれたのかしら?
彼は『僕は残って皆に経緯を説明します!
きっとわかってくれる筈だ。』と言っていた……。)
ヨレンタは、酷い目に遭い、他人を信じる気持ちがもう
分からなくなっていた。
ただ、この言葉だけは捨てられなかった。
【貴方を殺させる訳にはいかない!】
(彼の言葉を信じたい。)
ヨレンタは、馬の手綱をギュッと握った。
*****
しばらく進むと、ヨレンタは森の奥で小さな小屋を見つけた。
土壁の四角い小屋で、藁ぶきの屋根だった。
土壁はところどころ剥げていた。
壁には、タテに細長い穴が開いており、窓のようだった。中は暗くて見えない。まるで家畜小屋みたいな作りだった。
小屋の入り口の木製扉には、簡素な蝶番があり、外からつっかえ棒がしてあった。
ヨレンタは馬を木につなぐと、小屋の扉を開けた。
ヨレンタは室内を見渡した。
枯れた植物や干し肉が天井から吊り下げてあった。
誰かが住んでいるようだった。
しかし人の気配がない為、どうやら留守のようだった。
吊り下がった干し肉が目に入った。
お腹が空いていたヨレンタは、干し肉に飛びついた。
そのまま、干し肉を貪り食べた。
(いけない! 私ったら何てことを……!)
しかしヨレンタは食欲に勝てなかった。
満腹になったヨレンタは、そのまま土の床で眠った。
【その六「ヨレンタが、意外な人物と出会う。」】
ヨレンタが目を覚ましたとき、小屋の中はすっかり暗くなっていた。小さな窓からは月明かりが差し込み、干し肉が吊り下がっていたた天井の影が揺れていた。
外から風の音が聞こえる。
だが、その風音に混じって、何か別の音が聞こえた。
小さな足音――それも複数。ヨレンタは瞬時に緊張した。 誰かが小屋の周囲を歩き回っているのだ。
彼女は急いで干し草のベッドの影に隠れ、息を潜めた。馬の鼻息が外から微かに聞こえる。
足音の主が馬の存在に気づいたのではないかと、不安がヨレンタの胸を締め付けた。
「オーイ、誰かいるのか?」
やや低く渋い声が小屋の外から聞こえてきた。
声は近く、扉のすぐ向こうだ。
年老いた男の声だが、一人ではなさそうだった。
もう一人の声が続けて聞こえる。
「先生、この馬……ただの放置された馬じゃないです。
持ち主が近くにいる筈です。」
若い男の声がした。
ヨレンタの心臓が早鐘のように鳴り出した。
(どうする?――逃げるべき?、あるいは交渉する?)
だが、彼女が考える間もなく、外の声が更に近づいた。
「開けてみましょう!」
若い男が叫んだ。
扉が激しく揺れ、木製のつっかえ棒が外される音がした。ヨレンタは背後の窓に目を向けた。
窓は細いが、頭さえ通れば、体を外に押し出せそうだ。
馬を残すことになってしまうが、捕まるよりはマシだ。
彼女は急いで窓の下に身を滑らせ、干し草を掻き分けて
窓の外に顔を出した。
その瞬間、扉が開いた。
中に入ってきた男の影が月明かりの中に浮かび上がった。剣を持った二人組の男だった。
「ここにいるはずだ……ん? そこだ!」
一人の男がヨレンタの動きに気づき、大声を上げた。
ヨレンタは急いで窓枠に体を押し込み、外に転がり出た。 冷たい地面に叩きつけられ痛かったが、すぐに立ち上がり、森の中へと走り出した。
「待て!」
若い男が叫び、足音が背後から迫ってくる。
ヨレンタは必死に木々の間を駆け抜けた。
手の凍傷と、先ほどの着地失敗の打ち身が痛むが、それを感じている暇はない。
暗闇と慌ただしい足音が彼女を包み込む。
(こんなところで捕まるもんですか!)
必死の思いで走り続けたそのとき、突然足元が崩れた。 ヨレンタは叫び声を上げる間もなく、大きな穴の中に滑り落ちてしまった。
頭を打ったらしく、一瞬意識がぼやける。
だが次第に耳に響く声で我に返る。
「いたか?」
「いや、消えた。」
追手の男たちの声が遠くから聞こえるが、どうやら穴の中までは気づかれていないようだった。
ヨレンタは体の痛みを押し殺して、周囲を見回した。
この穴――否、地下通路のようだ。
冷たい空気が奥から流れてきていた。
(ここを使って逃げられるかもしれない……!)
ヨレンタはゆっくりと動き、暗闇の中に続く細い穴の中を慎重に這い進んだ。
(こうしていると、ピャスト伯が生きてた時みたい……。)
ヨレンタは苦笑した。
しばらく進むと穴の先から細い光りが漏れ出ていた。
(出口だ!)
ヨレンタは穴から顔を出した。
ギラリ!
光る刃物がヨレンタに突きつけられた。
地下通路の出口で、待ち構えられていたらしい。
「ひっ!」ヨレンタは怯えた。
「お前は何者だ!?」
黒髪を短く刈り上げた、若い男だった。
(な、何か言わなきゃ殺される!)
「ご、ごめんなさい!森で迷って、お腹が空いて!」
「出ろ!」
ヨレンタは肩の服を掴まれ、穴から引き上げられた。
「待ちなさい、コハンスキ君。まだ子供の、女の子じゃないか。乱暴はやめなさい。」
「で、でも、ポトツキ先生……!」
先生と言われる人物をヨレンタは見た。
初老の、口ひげを生やした髪の長い男だった。
【その七「 ヨレンタがポトツキ&コハンスキと出会う」】
ポトツキと呼ばれる初老の男は、ヨレンタをじっと見た。
彼の目は冷たいようでいて、どこか温かさを含んでいるようにも見えた。
ヨレンタは必死に心を落ち着けようとしたが、体は震えが止まらない。
「名前は?」
ポトツキの問いかけは簡潔だった。
「ヨ、ヨレンタ……」
震える声で答えると、ポトツキは少しだけ眉を上げた。
「ヨレンタ、君はここで何をしていた?」
どう答えるべきか迷った。
嘘をつくべきか、それとも正直に話すべきか。
しかし、彼らの雰囲気は、下手な嘘を見抜くような鋭さを持っていた。
「……逃げていたんです。」
ヨレンタは意を決して答えた。
「追われていて……森を彷徨っていたら、小屋を見つけて……ここにたどり着いたんです。」
その言葉にポトツキは目を細めた。
一方、コハンスキと呼ばれた若い男は苛立たしげに肩をすくめた。
「先生、こんな話を信じるんですか?もしかしたら、敵のスパイかもしれない。」
「いや……」
ポトツキは腕を組み、ヨレンタを頭から足の先まで観察するように見た。
「この子はスパイではない。ただの逃亡者だ。」
「どうしてわかるんです?」コハンスキはなおも疑いの目を向ける。
「直感だ。それに……この目を見てみなさい。
何かを失い、恐れ、それでも生き延びようとしている目だ。」
ポトツキは、ヨレンタの顎をつかんだ。
そして上下の唇を指で開かせ、ヨレンタの歯茎をみた。
「歯が抜けている……もしかして拷問でやられたのか?」
「ううっ……!」
ヨレンタはその言葉に胸を締めつけられた。
自分でも気づかぬうちに涙が頬を伝っていたのだ。
「で、君はどこから逃げてきたんだ?」
ポトツキが再び問うた。
「……異端審問所から。」
そう答えた瞬間、二人の顔が変わった。
「異端審問所だと!?」
ポトツキの声には鋭い興味が宿った。
「まさか……、そんな事が。どうやって逃げた!?」
ヨレンタは拳を握りしめた。
「異端審問官の一人が、私を馬に乗せて逃がしてくれました……。
たぶん、彼は殺されました。
私は……私はただ、生き延びるためにここに来ただけなんです!」
その言葉を聞くと、ポトツキは深いため息をつき、静かにコハンスキに命じた。
「この子を連れて行こう。」
「先生、本気ですか?彼女を信用するのは危険です!」
「危険であろうと、この子はただの犠牲者だ。助ける価値はある。」
ポトツキの声には強い意志がこもっていた。
コハンスキは不満げな表情を浮かべつつも、それ以上反論はしなかった。
ポトツキがヨレンタに近づき、優しく肩に手を置いた。
「さあ、立って。私たちと一緒に来るがいい。
ここにいては、追手に見つかるだろう。」
ヨレンタは一瞬迷ったが、他に選択肢はなかった。
彼女は小さく頷き、二人についていくことに決めた。
こうしてヨレンタの新たな旅が始まった。
ポトツキとコハンスキ――――謎の二人組とともに歩むその先には、彼女の運命を大きく変える出会いと試練が待ち受けていた。
その8 【ヨレとポト&コハン その2】
ヨレンタは、二人の間に挟まれる形で夜の森を歩いた。
先頭からコハンスキ、真ん中がヨレンタ、最後尾がポトツキだ。
森の奥深くには、夜の静けさが広がっていた。
二人は言葉少なに、ヨレンタの様子を窺うだけだった。
(私、これからどうなるんだろう……。
彼らを信用していいのかしら? 最悪、売春宿に売られるかもしれないけれど、もう、疲れた……。)
彼女の中には、疑念と恐怖が渦巻いていたが、今はただ付いていくしかない。
彼ら三人は、藁ぶき屋根の小屋に戻った。
コハンスキが蠟燭に火を灯すと、室内がよく見えた。
小屋の外見はボロボロだったが、中は意外にも整然としていた。
奥には暖炉があり、煮炊きする大きな鍋が天井から吊り下がっていた。
部屋の中に干してあった枯れ草は、ラベンダーやハーブだった。
ポトツキがヨレンタに話しかけた。
「喉が乾いたな。ヨレンタ、一緒に小川へ水を汲みに行こう。」ポトツキは、大きな木製のバケツを指さした。
小さなワイン樽くらいあった。
「は、はい!」
ヨレンタがバケツを持ち、ポトツキが付き添った。
ヨレンタは、小川と小屋を何往復かした。
やっと水汲みを終えると、ポトツキが声を掛けて来た。
「きっと、馬もお腹を空かせているだろう。小屋の藁をあげよう。水は、小川の水を馬に飲ませるといい。」
ヨレンタは、木に繋いだ馬に藁をやり、水をやった。
ヨレンタは、くたくたに疲れていた。
小屋に戻ると、薪がパチパチと音を立てて燃えていた。暖かさに触れると、ヨレンタは思わず涙が出そうになった。
ポトツキは暖炉の前に腰を下ろし、ヨレンタに座るよう促した。
一方、コハンスキは壁際の棚から簡素な木のカップを取り出し、水を汲んできてヨレンタに手渡した。
「飲むといい。疲れているだろう。」
コハンスキの声は依然として冷たかったが、その行動にはわずかながら優しさが感じられた。
ヨレンタは「ありがとうございます」と小声で礼を述べ、水を一気に飲み干した。 冷たい水が喉を潤し、少しだけ体力が戻った気がした。
ポトツキはヨレンタの様子を黙って見ていた。
やがて、長い沈黙を破って話し始めた。
「ヨレンタ、私たちはただの通りすがりではない。
君が逃げてきた『異端審問所』について、詳しく聞きたい。どのような状況で逃げたのか、そして……なぜ君が追われているのか。」
ヨレンタは困惑した。
二人が、ただの村人ではないことは雰囲気で分かった。
だが、彼らの正体がつかめない。助けてくれたのは事実だが、どこまで話してよいのか分からないのだ。
「私は……ただ捕らえられて、拷問されていただけです。『異端』だと疑われましたが、私は何もしていません。
ただ普通の生活をしていただけなんです……。」
ポトツキは腕を組み、彼女の言葉をじっくりと噛みしめるように聞いていた。その目はまるでヨレンタの心の奥深くを覗き込んでいるようだった。
「君を逃がした審問官……その男について覚えていることはあるか?」
ポトツキの問いに、ヨレンタは少し迷ったが答えた。
「シモン……と呼ばれていました。彼は、優しかったです。彼が私を助ける理由は、分かりませんでした。
ただ……『C教は生き方だと思う。だから、貴方を殺させる訳にはいかない。』と、私を逃がす時に言いました。」
ヨレンタの言葉には、シモンへの複雑な感情が滲んでいた。
「C教は生き方、か……。」
ポトツキは興味深げに呟いた。
フーーー、と深い溜め息を吐いた。
俯いた彼の表情からは、その感情は読み取れなかった。
「君がここにいるのも何かの縁だ。」
ポトツキは立ち上がり、暖炉の火を調整しながら言った。
「明日になったら、君に少し手伝ってほしいことがある。ここで生き延びるためには、私たちにも助けが必要だ。」
ヨレンタはその言葉に戸惑ったが、何も言えなかった。彼女には行く当てがなかった。
今は、この場所が唯一の安全地帯に思えた。
「君の手……凍傷が酷いな。」
コハンスキが不意に言った。
彼は棚から古い薬草の束を取り出し、それを湯に浸してヨレンタの手に塗り始めた。 彼の表情は険しかったが、その手つきは驚くほど丁寧だった。
「ありがとう……。」
ヨレンタが小さな声で礼を言うと、コハンスキは少しだけ顔を赤らめてそっぽを向いた。
その夜、ヨレンタは干し草のベッドの、干し草を分けてもらい部屋の隅で眠った。
異端審問所から逃げて以来、初めてベッドで眠った。
しかし、彼女の心の中には、ポトツキとコハンスキの正体、そして彼らの本当の目的についての疑問が膨らんでいた。彼らは本当に味方なのか、それとも……。
外では冷たい風が森を吹き抜け、夜の静けさの中に不穏な音が混じっていた。ヨレンタの運命は、再び大きく動き出そうとしていた――。