その5「 逃げながら、アントニとシモン(新茶)を考えるヨレンタ」【逃げながら、アントニとシモン(新茶)を考えるヨレ】
ヨレンタは空腹で倒れそうだった。
雪が溶けるまで洞窟に籠っていた為、数日まともな食事を
していなかった。
馬が食べる草を、自分も食べてみた。
飢えは満たされたが、お腹が痛くなった。
(おなかいたい……都市だったら、お金があればパンが
買えるのに。お金がなくても、運が良ければ、
教会の入口で配っているパンを貰えるのに……。)
馬に乗り、川沿いに進んでいる為、水はあった。
水のお陰で、まだ倒れてはいない。
ヨレンタは、森で冬を過ごす無謀さを感じた。
雨や風を防げる洞窟は見つけた。
しかし、衣服が足りない。
保温性の高い服が何枚も必要だ。
汗をかいて、雨に濡れても、交換する服がなかった。
何より手袋がない状態で薪を集めるのがヨレンタは、
苦痛だった。
手袋は、ヨレンタの歯を抜いたアントニという男に奪われてしまった。
(アントニみたいな人が教会にいるなんて……
馬をくれた異端審問官の人も、きっと殺されてしまったわ。
C教は腐ってる。絶対に殺してやる!)
ヨレンタの手は凍傷で赤紫色になっていた。
このまま森にいると、指を失うだろう。
凍傷の手で、焚き火の燃料の薪を調達するのは難しく、
馬と身体を寄せ合っても、寒さを防ぐのは限界だった。
(森に逃げ込んだのは、間違いではなかったハズだと思う。
なるべく遠くの森に潜伏して、数か月後、教会の包囲網が緩んだ頃遠くの都市へ行こう。
変装して巡礼者と名乗れば、教会で宿を借りれるわ。
長くいるとバレるから、教会で一晩だけ、宿を借りる事を繰り返そう。
「巡礼者です。」「一晩、宿を貸してくれませんか?」
って。
食事は自分で用意しなければ、いけないけれど……
教会で働けばお金を貰えるけれど危険だわ……。
……お金をどうしよう? 馬は手放したくない……!)
都市で馬は目立つ。
都市内での馬の飼育は、莫大なお金が掛かった。
馬は当時、庶民には買えない高級品だった。
現代で例えると、数千万円もする高級外車を、若い娘が一人で乗り回しているのと同じだ。
馬の品種も、役人や富裕層が使う乗用馬だ。
貴族の娘でも、ましてや女騎士やお姫様でもないヨレンタが、一人で乗用馬といるのは不自然だった。
ヨレンタは、馬のお陰で逃げることが出来た。
しかし、今後のことを考えるなら、馬はなるべく早くに手放さないといけない。
都市で人に紛れるならば、お金が必要だった。
お金を手に入れる為、馬を売る必要があった。
しかし、命の恩人である馬を手放すには抵抗がある。
(私が今、生きてるのは異端審問官の彼(シモン)が馬をくれたお陰なのに……。)
ヨレンタは決心がつかず、迷いに迷った。
(彼は、私を拷問しようとしたのに……
彼も殺されるかもしれないのに、
どうして、助けてくれたのかしら?
彼は『僕は残って皆に経緯を説明します!
きっとわかってくれる筈だ。』と言っていた……。)
ヨレンタは、酷い目に遭い、他人を信じる気持ちがもう
分からなくなっていた。
ただ、この言葉だけは捨てられなかった。
【貴方を殺させる訳にはいかない!】
(彼の言葉を信じたい。)
ヨレンタは、馬の手綱をギュッと握った。
*****
しばらく進むと、ヨレンタは森の奥で小さな小屋を見つけた。
土壁の四角い小屋で、藁ぶきの屋根だった。
土壁はところどころ剥げていた。
壁には、タテに細長い穴が開いており、窓のようだった。中は暗くて見えない。まるで家畜小屋みたいな作りだった。
小屋の入り口の木製扉には、簡素な蝶番があり、外からつっかえ棒がしてあった。
ヨレンタは馬を木につなぐと、小屋の扉を開けた。
ヨレンタは室内を見渡した。
枯れた植物や干し肉が天井から吊り下げてあった。
誰かが住んでいるようだった。
しかし人の気配がない為、どうやら留守のようだった。
干し肉が吊り下がっているのが目に入った。
お腹が空いていたヨレンタは、干し肉に飛びついた。
そのまま、干し肉を貪り食べた。
(いけない! 私ったら何てことを……!)
しかしヨレンタは食欲に勝てなかった。
満腹になったヨレンタは、そのまま土の床で眠った。