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    じろ~

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    昔出した倫慎本に載せた小説です。支部に載せているものと同じですがせっかくなのでこちらでもポイポイしておきます!

    #whr腐
    #倫慎
    lunshan

    最果てに咲く 今日もいつも通りの時間に目が覚めた。ベッドから起き上がり、体温を測る。もう何年も身体の心配をされる生活を続けてきたため、朝に体調確認をする癖がついていた。今日は平熱で、頭痛も何もない。健康そのものだ。
     良かった、今日も無事に訓練が出来る。そう思い、慎は手早く準備を済ますと合宿所に向けて出発した。何も変わったことのない、いつも通りの一日が始まった。
     この時は、そう思っていた。
     
     
     誰よりも早く訓練施設につき、準備運動を始める。慎は他のヒーローと比べて訓練期間が大幅に遅れている。少しでも皆に追いつくために、訓練日は早く来てグラウンドを走ったり、筋トレを行うなど、体力づくりを自主的に行なっていた。
     朝のルーティンワークをこなしている間に、他のヒーローが次々と集まってくる。良輔と挨拶を交わした後、「あんまり朝から飛ばすと大変だぞ。無茶するなよ」と釘を刺され苦笑した。良輔は今でも慎の体調をよく心配してくれる。その優しさに感謝しながらも、良輔自身ランニングをしてきたのか既に薄ら汗をかいてるのを見て、敵わないなぁと慎は胸中で軽くため息をついた。彼のようになるには、何倍も努力が必要なのだ。自分も、もっと頑張らなくては。
     そんな慎の考えに気がついたのか、良輔が笑って言う。
    「もう訓練が始まるぜ。今日も頑張ろうな」
     それに笑顔で頷き返し、その時、違和感に気が付いた。
     いつもなら皆よりも少し遅れて、どこからともなくひょっこり現れる彼がいない。認可様との訓練なんて恐れ多くてやってられないよ、なんて嘯く代わりに、休まず来る彼らしくない。
     慎は隣に並んだ良輔に小声で尋ねた。
    「ねえ、良くん。倫理くんがまだ来てないみたいだけど、どうしたのかな」
    「……倫理?誰だ、それ?」
     えっ、と良輔の顔を見つめる。
     良輔はその視線を受け、本当に不思議そうに首を傾げた。
    「倫理なんて名前のやつ、居なかったと思うけど。慎、やっぱ疲れてるんじゃないか?今日は休んだ方が……」
    「あ、いや、大丈夫だよ!僕の勘違いだったかも」
     慌てて誤魔化すと、良輔は腑に落ちない顔で慎を見ていたが、辛くなったらすぐ言えよと念押しした。どうやら良輔の中では、慎が疲れて記憶が混濁していることになっているらしい。分かったよ、と答えようとして、少し声が詰まった。
     本来なら、倫理が良輔に茶々を入れて怒らせているところだ。「佐海ちゃんってほんと、世話焼きが過ぎてもはや母親だよね」、とか……。今にも声が聞こえてきそうなほどリアルに想像できるのに、肝心の倫理は何処にもいない。
     訓練を受けながら周りの様子を伺う。みんな、驚くほどいつも通りだった。いつも倫理に隙あればナイフを投げられている正義や一孝も、何かというと一緒に馬鹿騒ぎを起こす浅桐も敬も、ヒーロー一人一人をよく見ているはずの指揮官も。みんな、倫理の不在に気がついていない。
     
     ——誰も、倫理を覚えていない?

     慎は背筋に冷たいものが這うのを感じた。もし、本当にそんなことが起きているとしたら、自分はどうしたらいいんだろう。
     北村倫理は、どこへ消えてしまったんだろう。
     
     
     ○ ○ ○
     
     
     ヒーローが一人居ないというのに、訓練はいつも通り行われ、そして特別な問題もなく終わってしまった。慎はその間、誰にも相談出来ず、集中力が乱れ良輔だけでなく戸上、指揮官にまで心配されてしまった。浅桐だけは何も言わなかったが、訓練が終わった後、一言だけ「今のお前はモブじゃねえ。役割を考えろ、慎」と一方的に言い捨て、合宿所で割り当てられている自室にさっさと戻って行ってしまった。
     彼は少し分かりにくいが、いつも慎にヒントを与えてくれる。この場合、何か気になることや問題が起きているのなら、自分の手で解決しろ、ということだろうと慎は解釈した。新米とはいえ自分はもうヒーローなのだから。
     そのため慎は、思い切って正義に倫理のことを尋ねてみることにした。正義は倫理の従兄にあたる人物だ。彼なら、ひょっとしたら倫理のことを覚えているかもしれない。
    「あの、志藤さん!」
     慎は、部屋に戻ろうとしていた正義に声をかけた。振り返った彼は、慎の顔を見て不思議そうな顔をした。
    「三津木?今日は何だか落ち着かない様子だったが……大丈夫だったのか?」
     その言葉に驚いた。まさか他校の先輩にまで挙動がおかしいことを心配されていたとは思わず、慎は顔を赤らめた。
    「ご、ご心配をおかけしてすみません。大丈夫です」
    「そうか?なら良いんだが……俺に何のようさね」
     そういって正義は朗らかに笑った。彼のこうしたところが人望に繋がっているのだろう、と慎は感心し、はたと気が付いた。
     そうだ、何も考えずに来たけど、仮に正義が倫理を覚えていたとして、他の人は誰も知らないのに、志藤家と何の関係もない慎が知っているというのはおかしいだろう。どうやって聞き出したらいいのだろう。
     悩む慎に、正義が訝しげに問いかけてくる。
    「そんなに重要な悩みなのか?」
    「あっいえ、そうじゃないんです!そうだ、志藤さんは親戚の子供たちとかに普段どういったことで遊んであげてますか?」
    「親戚の子供?」
    「そうです、あの、例えば従弟とか……僕、今度凄く久しぶりに従弟に会うことになって、それでどう接すればいいか悩んでいて」
     咄嗟に出てきた言葉だったが、これなら少々不自然ではあるが上手く聞き出せるのではないか。慎は緊張しながら、正義の次の言葉を待った。
    「まあ、妥当に鬼ごっことかかくれんぼとか、大勢で遊べるもんが多いな。うちは大所帯だから」
    「なるほど……ええと、それじゃあ、歳が近い子とかとはどんな風に接してますか?」
    「歳が近い……となると寿史とかになってくるが……」
     そこで正義の顔が少し曇った。それを慎は見逃さなかった。
    「どうしたんですか?」
    「いや……なに、人に話すようなことでもないんだがな」
     そう正義は言い淀んだが、慎の真っ直ぐな眼差しを受けて、重い口を開いた。
    「なに、少し思い出したことがあって」
    「思い出したこと?」
    「……昔、父の弟にあたる人——つまり俺の叔父がな、家と反りが合わなくて勘当されて」
     そのことは、前に倫理本人から聞いたことがあった。倫理はあっけらかんと「まあその後、屋上から命綱なしのバンジージャンプ!なーんて刺激的なことして死んじゃったんだけどさ」と続け、話を締め括った。絶句する慎に一瞬顔を背け、でもすぐにいつもの笑顔で彼はこう言った。
    「世の中にはさ、こんな喜劇が溢れかえってるんだぜ?一々そんな顔してたら身がもたないよ、慎くん」


    「……つぎ?三津木?大丈夫か?」
     ハッと我にかえる。目の前では正義が心配そうな顔をして慎を見ていた。
    「やっぱり、どこか具合が悪いんじゃないのか?斎樹に見てもらった方がいい」
    「いえ、本当に大丈夫です。すみません」
     それでもなお心配そうに眉を下げる正義に、慎はチクリと罪悪感を覚えながらも続けた。
    「あの、先程のお話なんですけど、勘当された叔父さんってその後どうされたんですか?」
    「あ、ああ……結婚して子供が産まれたという話だが、叔父自身はもう随分と前に亡くなってしまって」
    「……すみません、立ち入ったことをお聞きしてしまって」
    「いや、話し始めたのは俺だからな。……だけどその子供、俺の従弟もな……」
     言いにくそうに正義は言葉を切った。そして、ため息を吐きながらこう続けた。
     
     
    「亡くなっちまったんだ。父親が他界してすぐに、後を追うように」 
     
     
     ○ ○ ○

     
     そこからどうやって正義と別れたのか、覚えていない。気がついたら慎は一人、すっかり夜も更けた街を走っていた。
     
     ——北村倫理は、とうの昔に亡くなっている。
     
     そんなはずはない。昨日までは一緒にいたのだ。いつも通り訓練をして、共にパトロールをして、幼生態とイーターを倒して。そういえば、久しぶりに一日中共に行動をした日だった。
     慎がサポートをしてイーターの隙を作り、そこを倫理が素早く攻撃する。一回、慎が身体のバランスを崩し、それを見逃さなかったイーターからの一撃を受けそうになったが、倫理の投げナイフによってイーターの牙は大きく横を逸れ、結果慎は無傷でパトロールを終えることができた。そのことに礼を言うと、彼はこう言ったっけ。
    「あれは慎くんを狙って投げたんだよ。それがたまたまイーターに当たっただけさ。運が良くて何よりだね」
     でも、ナイフの軌道は慎のいる位置に掠るどころか大きく逸れていた。彼は最初から、慎を守るつもりでナイフを投げてくれたのだ。それが分かっていたからこそ、慎は心から嬉しく思ったのを覚えている。
     
     ——あれ?
     慎はもう一度先程の記憶を辿ろうとして、青褪めた。
     起きたことも、彼に助けてもらったことも、言われた内容も、全部覚えている。そのはずなのに、彼の声だけが全く思い出せない。
     いつかどこかで聞いた話を思い出す。人は、死んでしまった人のことを、どこから忘れていってしまうのだったか。
     慎は思わず止まっていた足を動かし、駆け出した。
     彼の痕跡を探さなくては。彼が、たしかに生きていた証拠を。
     
     まず最初に、彼が通っている愛教学院へ走った。こんな時間ではもう誰も残っていないのは分かっていたが、確かめずにはいられなかった。
     果たして着いた学院は、全くもって普通にそこに存在していた。こんなに近くまで来るのは初めてだから細かな違いがあっても慎には分からないけれど、それでも変わった様子は見られなかった。
     諦めずに次は裏の山に向かう。彼はよく、ここでサバイバルをさせられた時の話をしてくれた。
     そういえば、ゴールデンウィークが終わるのが嫌だという理由でチームに分かれて、野山で採れたものだけでカレーを作ったっけ。倫理はその時、何を入れていたんだっけ。
     細かなことが頭から抜け落ち、思い出せなくなっていく。
    「……嫌だ」
     慎はまた、次の場所に向けて走り出した。時間がかかってたどり着いたのは、いつかのバレンタインでみんなで対決をしたショッピングモール。当然閉まっていたけれど、今の慎には関係なかった。
     あの時彼は、どうしてあんな勝負をしようと言ったんだっけ。
     ああそういえば、彼のために慎が用意したチョコレートは、受け取ってもらえたんだっけ。
     ——何も、思い出せない。
     慎はまた駆け出した。汗が大量に吹き出して全身を濡らし、既に手も足も棒のように感覚がなかったが、走らずにはいられなかった。
     他にも様々な場所を回った。水族館にテーマパーク、港や神社まで。おおよそ彼との思い出があるところは、回れる場所は全て回った。中に入れないところも多かったけど、みんな、変わりはないように見えた。
     なのに、その場所に眠るはずの倫理との思い出は、すでに頭からポロポロと抜け落ちて穴だらけになっていく。
     最初は、声。次は、彼の言った言葉。そのまた次は、彼の行動。
     
     もはや慎の中で、北村倫理の存在は、ほぼ消えかけていた。
     
     慎はまた走り出した。不思議と夜は明ける気配がなく、ずっと暗闇の中を駆け抜けていく。
     汗が頬を濡らすが、それはもはや涙と区別がつかなかった。両者は混ざりあって慎の視界を曇らせていく。それでも、足を止めることはできなかった。
     
     駆け出して最後に着いた場所は、ヒーローフェスティバルの会場として使われた施設だった。
     ここで慎と倫理は「ぼっち同士」で、それで……。
     頭を振る。何度も何度も、現実を否定するように。記憶を、頭の奥底から振るい出すように。
     でも、探している記憶の続きは、どこにも見当たらなかった。
    「何でっ……」
     叫びかけて、気がつく。
     もはや散り散りになった記憶の破片に映る倫理の顔は——ぼやけて、瞳の色さえ判りはしなかった。
     嘘だ、と慎は何度も何度も首を振るが、それでも記憶はもどってこない。
     慎はその場で膝をついて、暫く動けずにいた。心の支えが、音を立てて崩れていた。
     どうしてだ。昨日までは、彼は居たはずなのに。たしかに、もう思い出せないけど、それでも居たのに。
     
     ——本当に?
     
     慎にはもう、それすら分からなかった。
     
     暫くして、慎はのろのろと顔を上げた。いつまでもこうしていても、もう、どうしようもなかった。今日は泊まり込みの日だったから、合宿所に帰らなくては。皆、きっと心配しているだろうから。
     その時、目の端を何か赤い物が翻った気がして、慎はハッと振り返った。
     それは何処から飛んできたのか分からないが、赤い花弁のようだった。どうやら近くで咲いていた花が、風に飛ばされてここまで運ばれてきたようだ。
     なんだ、と肩を落としかけ、不意に気がつく。なんでこれに自分は、ここまで反応したんだろう。
     手にした花弁をじっと見る。穴が空くほど見つめて、慎はやっと思い出した。そうだ、これはあの時、倫理が手にしたマントの色とよく似ているんだ。
     そこから紐付いたように、バラバラになりかけていた記憶が少しずつ繋がっていく。倫理が協力してくれたこと。二人で勝ち進んだこと。最後に、倫理のやり方で対決したこと。
     慎は顔を上げた。今を逃したら、もう二度と倫理に会えない気がした。そして、今導きだされた記憶の糸を手繰り寄せ、考える。
     
     北村倫理は、三津木慎にとってどんな存在か。
     
     その答えを出すことが、この状況を打破する一手だと、何故か確信していた。
     尊敬するヒーロー?
     確かにそうだが、それじゃあ足りない。
     信頼する仲間?
     それも正しい。でも、それでもまだ足りない。
     じゃあ仲のいい友達?
     それも、違う。それではもっともっと足りない。——足りない?
     なんでさっきから、足りないと感じるのだろう。
     倫理は、慎にとって——
    「……あ」
     それは、突然慎の脳内に飛び込んできた。今まで自覚していなかった感情が、慎の身体の中全てを侵していく。
     
     ——そうだ。僕は、倫理くんが……。
     
     慎は、暫くその場に立ち尽くしていた。今しがた気がついた事実と、思い出したことを、整理するために。
     そして、一呼吸置くとまた走り出した。北村倫理は確かに存在している。それを証明するために、もう一箇所、立ち寄らなくてはならない場所があった。
     
     
     スマホで地図を検索しながらたどり着いた場所は、愛教会の信者が眠る墓地だった。通常の墓と違い随分とシンプルな造りのそれらは、慎を異界に来た気分にさせた。
     深夜の墓地、というどうしようもなく恐怖を掻き立てられる状況であることに唾を飲み込み、震えながらも前に進む。目的地は、すぐそこにあるはずだ。
     はたして目的地は程なく見つかった。北村家、と素っ気なく書かれた墓を目の前に、慎は深呼吸する。そして叫んだ。
    「——倫理くん!」
     声は静寂な空気を割くように響き渡り、霧散した。当然、答える声はない。
     しかし、これで良かった。
     少しの間を置いて、世界が揺れ始める。慎は即座に持ち歩いていたリンクユニットを割り、衝撃に備えた。次の瞬間、何も居なかったはずの空間が歪み、そこから衝撃波が放たれる。
     咄嗟に躱し、慎は自らの武器であるドローンをセットする。
     ——さっき、思い出したことがあったのだ。地球の敵であるイーターはそれぞれ嗜好性を持つ。中には人間の夢に惹かれる個体がいる、と。
     そういった個体は、対象の人間の夢に潜り込み、その根幹となるものを隠し、記憶をバラバラにし、徐々に精神を壊していくらしい。
     慎はその話を、他ならぬ倫理から聞いたのだ。
     だから慎はここに来た。思えば、最初からヒントはあったのだ。正義はこう言った。「従弟は亡くなった」、と……。つまり、墓地に行けば彼がこの世界でも存在していた証拠がある。
     それを完全に取り壊すため、イーターが張り付いていても不思議ではない。そうすることで、慎の精神を徐々に壊していくために。
     慎は攻撃のタイミングを図るため、イーターの動きを観察した。そうして分かったが、イーターは慎を攻撃しようと暴れ回るが、墓から一定以上離れようとしない。恐らく、イーターにとっても此処が慎の夢に居座り続けるためのポイントなのだ。
    「それなら……!」
     慎はわざとイーターの真下を狙って攻撃した。飛び上がって避けたイーターに、空中で構えさせていた他のドローンを使い集中砲火する。
     グァァッと奇妙な叫び声を上げて、イーターが慎に向かって落ちてくる。そのままの勢いで慎の命を刈り取ろうと牙を振り下ろし——
    「今だよ、倫理くん!」
     慎が叫んだのと同時に、無数の光るナイフがイーターの急所を貫いた。
     断末魔を上げて、イーターが崩れ落ちる。塵になり消えていくその巨体の向こう側、探し続けた彼の後ろ姿が見えた気がした。慎はその姿を追って飛び出そうとして——ぐるん、と意識がひっくり返った。
     
     
     ○ ○ ○
     
     
     目覚めた時、慎は病院の個室で寝かされていた。ちょうど見舞いに来てくれていたらしい良輔と光希が大きな声を上げ、そうして泣きそうな顔をしながらも慎が目覚めたことを喜んでくれた。
     そのことにくすぐったさと嬉しさを覚えながら何があったのか尋ねると、どうやら慎は丸二日、原因不明のまま眠り続けていたらしい。
     目が覚めたことですぐに医者が呼ばれ検査が行われたが、少しの疲労を除いて異常は何も見つからなかった。
     検査から病室に戻ると、「何もなくて本当に良かった」と、病室の棚にお菓子の山をいくつも作りながら光希が微笑み、良輔も安堵のため息を吐いていた。二人とも、検査が終わるまでわざわざ待っていてくれたのだ。じんわりと嬉しさを感じ、光希と良輔にありがとうと伝えると、良輔は照れ臭そうにしながらも、暫くはよく休むようにと念押しして光希と共に去っていった。
     その後すぐに指揮官も見舞いに来てくれて、良輔と同じように暫く休むことを命じた。そして、何か欲しいものや会いたい人がいたら、と気遣ってくれた。慎は読みたかった科学雑誌だけを頼み、それ以外は何も言わなかった。今一番会いたい人は、きっと誰に呼ばれずとも来るだろうという、予感があった。
     
     
     予感の通り、会いたい人——倫理は、随分と遅い時間になってから病室に現れた。ほかに誰もいない病室で、部屋中が黄昏色に染まる中、倫理はいつもと同じ笑顔で慎にこう言った。
    「やぁ、慎くん。今回は災難だったね。まさか慎くんまであんなのの被害を受けるなんて、やっぱ慎くんは底辺に近いねぇ」
     そうやっていつも通りの軽口を叩く倫理を見つめていると、倫理は不思議そうな顔をした。
    「どうしたの、さっきからボクごときの顔を見つめちゃってさ」
    「……ううん、何でもないんだ」
    「ふうん……?」
     釈然としない顔の倫理を眺めながら、慎は少し息を吸い込んだ。そして、言った。
     
    「ねえ、倫理くん。僕、倫理くんのことが好きだよ」
     
     倫理の顔が固まる。少しの間黙り込んでいた彼は、すぐにいつものとぼけた表情を作った。
    「あれま。ボクごときにそんなこと言うだなんて、まさか慎くん、まだ寝ぼけてるね?そういうのはね、底辺に軽々しく言っちゃダメだぜ?奴ら簡単に心を開かない割にはそういうストレートな言葉には弱いんだから……なんて、さ」
     そこで言葉を切り、倫理は慎の顔を覗き込む。
    「まあボクにそういうことを言う人はね、みんなにそう言ってる、平等に優しい人だって分かってるからさ」
     勘違いはしないよ、まあ嫌ではないけどねと言って微笑む彼の手を、慎は強く掴んだ。
     驚きに目を見開く倫理に、慎は構わず口を開いた。
    「違う」
     思ったよりも力が入り、部屋中に声が響いた。そのことで慎は幾分か冷静さを取り戻し、そして未だに慎を驚いた顔で見つめる倫理にこう続けた。
    「倫理くん、僕は、倫理くんのことが特別な意味で好きなんだ。他の人への、好きとは違う」
     そこで言葉を切って、慎は倫理の瞳を見つめた。恥ずかしさと緊張で、手が震えていた。ずっと彼の手を握ったままだから、きっと彼にそれは伝わってしまっているだろう。それでも構わなかった。
    「僕、倫理くんがいない世界の夢を見てた。どこを探しても君は居なくて、どんどん君との思い出も無くなっていって……怖かった。倫理くんを、失いたくなかったから」
     そこからは、倫理の顔は見れなかった。少し俯いたまま、慎は続けた。
    「そうした時に、倫理くんは僕にとってどんな存在なんだろうって、考えたんだ。最初は……尊敬する、ヒーローの一人だと思った。それは、違わないけど、それだけじゃ足りなかった」
     倫理の手を握りしめ、慎は思い切って顔を上げた。彼の惚けた顔を真っ直ぐ見据え、慎は言い切った。
     
    「君は、僕の特別な人だ。夢の中で、これまでの記憶を振り返って、君を探して走って……分かったんだ」
     
     その言葉を、倫理は表情のない顔で聞いていた。その顔を見て、慎は不意にこれが彼の素顔なのだ、と気がついた。この、少しあどけなく、また少し寂しそうに見える少年が、倫理の本当の顔なのだと。
    「……それはね、慎くん。きっと勘違いだよ」
     しばらくしてから、倫理はやっと口を開いた。
    「聞いたことあるでしょ?吊橋効果とか。慎くんが夢でどんな経験をしたかボクには分かんないけどさ。きっと、そうだよ」
    「勘違いでもいいよ」
     慎は、倫理の言葉に静かにそう返した。
    「勘違いでも、いいんだ。もしそうでも、この感情は嘘じゃないって、僕には分かるから」
     ずっと無表情だった倫理が、そこでくしゃりと表情を崩した。困ったような、泣きそうなような顔で、彼はぽつりと呟いた。
    「慎くんは、ほんとに読めないね。困るなぁ。」
     そしてそっと慎の手を外すと、慎の顔を見ないで話し始めた。
    「仮にさ、ボクも君が好きだよと返したとして、君はボクに何を求めるの?ボクは……何も渡せないし、受け取れないよ。平等な愛なら受け取るし返すけど、特別は無理だ。そう、決めてるから」
    「それは……倫理くんの正義を守るため?」
    「そう。ボクみたいな底辺にしか救えない底辺がある。だから、ボクはずっと底辺でいるんだ。どうせ今更、底辺以外になんてなれっこないんだけど……でも、ボクはそう決めてる」
    「それで、いいよ」
     そう返すと倫理は弾かれたように慎を見た。
    「僕は、自分の正義を貫いて、自分にしか救えない誰かを守り続けるヒーローを、好きになったんだ」
     信じられないものを見るような目で慎を見つめていた倫理は、やがて大きくため息をついた。
    「あのさ。ボクみたいなのが初めて、とか特別、とか。あとで絶対黒歴史になるよ?ボクはそんなのごめんだよ」
    「ならないよ。だって君はかっこいいから」
    「……あー、調子狂うなぁ!慎くんってほんと頑固だよね。もう疲れちゃったからボクは帰るよ」
     倫理は最後に大きな声でそう宣言して、身を翻した。
     病室を去っていく彼の背に手を振ると、慎はベッドにドサっと横たわった。
    「き、緊張した……」
     人生初めての告白だったのだ。まさかこんな形で誰かに好意を伝えることになるとは考えても見なかった。
     胸に手を当てる。どきどき波打って、早鐘のように鳴っているのが分かる。
     落ち着くために深呼吸して、慎はふと気がついた。
     倫理は一回も、気持ち悪いとか、君が嫌いだとか、そういった慎自体を拒絶する言葉は言わなかった。
     これは、喜んでもいいのだろうか。
     分からないけれど、慎は少なくとも拒絶されなかったことに喜びを噛み締めた。そうしている内に、緊張が途切れたのか、慎はそのまま眠りに落ちていった。
     
     
     ○ ○ ○
     
     
     病室を飛び出した倫理は、一人帰路につきながら先程の出来事について思い出していた。
     まさか、あんなことになるとは少しも思っていなかった。心臓が飛び出そうなほど脈を打っているのが分かる。それは走っただけのせいではないことを、倫理はよく分かっていた。
    「……参ったなぁ」
     倫理はそうひとりごち、髪をくしゃりと撫でた。
     自分が、慎に特別な感情を抱いていることには気がついていた。
     慎は、底辺にどこまでも近い所にいる。小さい頃からずっと呪われて生きてきた少年だ、どう考えても正攻法で救われるような人間ではなかった。
     それなのに、彼はその呪いを厭うこともなく、抱えたまま成長すると決めた。「お母さんに心配させないためにも強くなるよ」、そう告げた彼にどれほど驚かされただろう。
     同時に倫理は、そのどこまでも呪われた少年に、光を見たのだ。
     興味が「特別」に変わるのに、そう時間はかからなかった。
     彼は倫理をヒーローとして認めてくれる。彼は、倫理の正義を否定しないでいてくれる。彼は、倫理と同じ土俵で、堂々と勝負してくれる。
     倫理にとってそれらは、全部初めてのことだったから。
     でも、想いを告げることは生涯ないと倫理は決めていた。底辺に今にも沈みそうにも関わらず、何物にもたえがたい光を放つ存在を、地上から星を見上げるように眺めていたかった。
     だからこれはそう、完全に想定外だったのだ。
     どうしようかな、と倫理は思考を巡らせる。彼の想いを素直に受け入れる気は無かった。
     でも、今のままで放っておくというのは、したくない。できれば、何らかの形で、傷を作っておきたかった。この先どう転んでも、彼と自分の心に残るような。
     ああ、良いことを思いついた。今度病室に行く時は、嫌がらせに花を持っていこう。それも、赤い花。倫理が纏うには、勇気がいる色の花。病院では縁起が悪いと避けられているし、ピッタリだ。
     種類は何にしよう。——そうだ、真っ赤な薔薇の花束にしようか。それも、5本のやつ。
     慎はどういう反応をするだろう。倫理なりの嫌がらせと、込められた純粋な感情に、果たして気がついてくれるだろうか。
     倫理は立ち止まっていた足を運んで、ふらりと歩き出した。
     慎があのまま、自分を特別だなんて言い続けている間は、彼が怪我や病気をする度に、嫌がらせに赤い花を贈り続けてやろう。ある時はアスター、またある時はチューリップ、そのまたある時はコスモス。そして、それがもし、生涯続くようであれば……死ぬ間際くらいには、素直に受け入れることを考えてもいいかもしれないな。
     その頃には、どのくらいの数の花が咲いているのだろう。倫理は来るかもわからない未来を想って、少し笑った。
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     誰よりも早く訓練施設につき、準備運動を始める。慎は他のヒーローと比べて訓練期間が大幅に遅れている。少しでも皆に追いつくために、訓練日は早く来てグラウンドを走ったり、筋トレを行うなど、体力づくりを自主的に行なっていた。
     朝のルーティンワークをこなしている間に、他のヒーローが次々と集まってくる。良輔と挨拶を交わした後、「あんまり朝から飛ばすと大変だぞ。無茶するなよ」と釘を刺され苦笑した。良輔は今でも慎の体調をよく心配してくれる。その優しさに感謝しながらも、良輔自身ランニングをしてきたのか既に薄ら汗をかいてるのを見て、敵わないなぁと慎は胸中で軽くため息をついた。彼のようになるには、何倍も努力が必要なのだ。自分も、もっと頑張らなくては。
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